ティグリス・ユーフラテス川流域に栄えた人類初の都市文明は、シュメール人・アッカド人の時代を経て、前二千年紀、メソポタミアからシリア、エジプト、アナトリア半島、ペロポネソス半島などエーゲ海・東地中海一帯へと広がった。バビロニア、アッシリア、ミタンニ、エジプト、ヒッタイトなどの大国と大小さまざまな国や都市、民族集団が相互に影響し合い、密接に繋がり合う現代の「グローバル経済」的な体制が古代オリエント世界に登場して古代オリエント・東地中海文明は繁栄の時代を迎えた。
しかし、この体制は紀元前1200年ごろを境に急速に崩壊する。ミタンニ、ヒッタイト、カッシート朝バビロニアが相次いで滅亡し、エジプト新王国とアッシリア古王国が弱体化してともに混乱の時代を迎え、エーゲ海に栄えたミケーネ文明が瓦解、「海の民」と呼ばれる謎の民族混合集団の移動と襲撃が繰り広げられ、大小様々な王国や都市が廃墟と化した。
この歴史上「前1200年の破局(英語” Late Bronze Age collapse” 後期青銅器時代の崩壊)」と呼ばれる事象はなぜ起きたのだろうか。本書は海の民とエジプト王ラムセス3世とが戦ったラムセス3世治世八年(紀元前1177年)をメルクマークとして、前十五世紀頃からのオリエント世界が「グローバル化」する過程を辿り、何故この300年に及ぶ繁栄を生んだ体制が崩壊したのかを丁寧に史料を読み解き、近年の学説を紹介して描く、非常にエキサイティングな一冊である。
著者によって的確に要点がまとまっているのでそのまま引用する。
『1 数多くの独自の文明が、前一五世紀から一三世紀にかけてエーゲ海・東地中海地域で繁栄した。ミュケナイおよびミノア、ヒッタイト、エジプト、バビロニア、アッシリア、カナン、キュプロスがそれである。これらは独立していたが、とくに国際交易ルートを通じてたえず相互作用をおこなっていた。
2 明らかに、前一一七七年ごろかその直後に、エーゲ海、東地中海、エジプト、近東において、多くの都市が破壊され、当時の人々が知っていたような後期青銅器時代の文明と生活は終わりを告げた。
3 これまでのところ反論の余地のない証拠は提示されておらず、だれ、またはなにがこの大惨事を引き起こし、ひいては文明の崩壊と後期青銅器時代の終焉をもたらしたのかはわかっていない。』(249頁)
この崩壊の要因として、これまで「海の民」の影響が非常に大きく語られてきた。山川世界史用語集では『前13世紀末から前12世紀の初めにかけて地中海東岸に一挙に来襲して、前代の体制を一挙に崩壊させた混成移民集団』(山川世界史用語集94頁)とほとんど「海の民」のせいにされている。しかし、このような「海の民」に全ての原因を帰するような見方はすでに否定されており、本書でも『以前は、この時代の破壊はすべて“海の民”のせいにされがちだった。しかし、エーゲ海・東地中海地域の青銅器時代の終わりを、すべてかれらのせいにするのはやりすぎではないだろうか。それでは“海の民”を過大評価していると思う。なにしろ明白な証拠はなにひとつないのだ。』(27頁)として、「海の民」の影響について再検討を加えている。
「海の民」がヒッタイトを滅亡させたと言われてきたが、実際のところヒッタイトの滅亡に関する「海の民」の影響自体はっきりしていないのだ。
『実際のところ、考古学調査が進んでからわかってきたのだが、小アジアの諸都市の大半は、すでにこの時期には完全に、あるいはおおむね放棄されていたらしい。“海の民”に火をかけられるまでもなかったのだ。』(237頁)
「海の民」を“恐怖の大王”として扱う旧来の見方は否定された。では何が崩壊の要因だったのか?本書は相互依存が進んだ結果、複雑さが増して不安定化し、そこに様々な悪条件「パーフェクト・ストーム」が重なったことで文明の崩壊へと至るプロセスを提示する。
この時期、各地で地震や気候変動による飢饉・旱魃があったことは確認されるが通常はこのような災害からは立ち直れるはずだし、また、内乱も特にギリシア各地でみられたが多くの場合内乱が終われば新政権が樹立されて立て直されるはずだ。また「海の民」など侵入者による破壊や掠奪も見られるが破壊の影響は地域によってまちまちだ。国際交易ルートは打撃を受けたがその影響の度合いもはっきりしない。直接的な原因となった出来事は実のところよくわからないのである。
『西ローマ帝国の滅亡の場合と同じく、東地中海の青銅器時代の帝国の滅亡も、たった一度の侵入やひとつの原因の結果ではなく、複数の侵略や数多くの理由で引き起こされたのである。前一一七七年の破壊をもたらした侵入者たちの多くは、三〇年前の前一二〇七年のメルエンプタハの治世にも攻めてきているし、地震や干ばつなどの自然災害も、何十年間もエーゲ海・東地中海地域を荒廃させてきた。したがって、ただひとつの出来事で青銅器時代の幕が閉じられたとはとても思えない。終末は、複雑な一連の事象の帰結として訪れたにちがいない。それらの事象の影響は、相互に関連するエーゲ海・東地中海地域の王国や帝国全体に広がっていき、これまで見てきたように、それが最終的にシステム全体の崩壊につながったのだ。』(263頁)
このような結論は、明快な解答を求める人には歯切れの悪い物と見えるかもしれない。著者は「可能性を天秤にかけ、最もそれらしいものを選択しなければならない」(214頁)というシャーロック・ホームズの言を紹介するが、まさにその天秤にかけるべき様々な可能性の検討のプロセスが本書のキモであり面白さである。史料や学説を読み解きながら歴史的事実を積み重ねることによってわからなさを理解しようとする試みの過程に様々な発見があるところが本書の魅力であり、その点で正しく歴史学的な本であるといえる。歴史研究書として非常にお勧めの一冊だ。