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アフリカ史(書籍)

『古代エジプト文明 世界史の源流 (講談社選書メチエ) 』大城 道則 著

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古代エジプト文明はオンリーワンなイメージゆえか世界史の中でもそれ単体で完結した文明であるかのように見える。しかし、古代エジプトに限らないが、文明は相互に影響しあいながら成立し発展していくものだ。本書は古代エジプト文明が文化的独自性を保ちつつも、外部の諸文明とどのようにかかわり、影響を与えていったかを描く一冊である。

クレタ島のミノア文明は地中海世界でギリシア、メソポタミア、シリア・パレスティナ、エジプト、アナトリア各地方を繋ぎ文明の橋渡し役となった。エジプト中王国時代と見られるアナトリア地方や西アジアから輸入されたラピスラズリや銀を用いた製品が多く含まれる「トゥードの遺宝」はクレタ島・ミノア文明の影響を強く残していた。一方、ミノア文明でも、紀元前十五世紀頃のテーベの貴族メンケペルラーセネブの墓にはファラオにひれ伏すクレタ人の朝貢の様子が描かれた壁画があり、相互に人的交流があったことが明らかであるという。このミノア文明と中王国~第2中間期のエジプトとの仲介者としてヒクソスを取り上げ、「残虐な侵略者」(53頁)イメージを文献史料や発掘品などから再検討している。

ミノア文明圏にあたるクレタ島の北にあたるサントリーニ島のアクロティリ遺跡は紀元前十七世紀頃の火山噴火で埋没したが、この遺跡からはナイル河の風景を描いたフラスコ画が見つかっている。また、シリア・パレスティナ地方でもミノア文明の遺物が発見されているという。

『クレタ島とサントリーニ島、エジプト、そしてシリア・パレスティナという三地域の関係は、古代から現代にまで続く地中海交易の特徴である海流と季節風を利用した反時計回りの交易路が当時から主要な交易ルートであったことを示唆しているのである』(45頁)

太陽神アテン信仰をはじめとする宗教改革で知られるアメンホテプ4世(アクエンアテン)は一神教の祖のように言われているが、改めてその再評価を進め、『古代エジプト史の正統から逸脱した一神教者、あるいは一神教の祖としての古代エジプト王アクエンアテンというイメージは、後の時代の一神教者たちが描いた幻想に過ぎない』(91頁).としつつ、もう一人の一神教の祖モーセについて、実在・非実在説および、旧約聖書の中の古代エジプトにまつわる様々な描写の史実性について整理し、セト神が後にキリスト教の図像に及ぼした影響について論じている。

カルガ・オアシスのヒビス神殿壁面のセト神が邪悪な蛇アポピスを槍で倒すというレリーフが聖ゲオルギウスの図像へと受け継がれたという。

『カルガ・オアシスには、聖ゲオルギウスを描いた図像があることが知られている。(中略)西方砂漠地域にドラゴン・スレイヤーとしての聖ジョージの図像が定着したのは、古代エジプト以来のセト神信仰とその図像の存在が示すような、もともとキリスト教が受け入れられやすい環境であったことが背景にあったのである。』(97頁)

この「聖ゲオルギウスを描いた図像」はコプト教徒の墓で発見されたものだが、先日紹介した髙橋輝和著『聖人と竜―図説 聖ゲオルギウス伝説とその起源』(書評)でもコプト教徒の聖ギルギス(コプト語でゲオルギウスのこと)信仰の厚さを背景としている点を指摘しているが、本書ではこの淵源としてセト神信仰を挙げている点で非常に興味深い。

また、アクエンアテン時代の外交文書「アマルナ文書」に描かれるオリエント諸国との外交関係や密接な関係を、トルコ南部ウル・ブルン岬沖で発見された沈没船の出土物であるネフェルティティの黄金のスカラベ型印章の例などを挙げつつ、具体的に描いている。

その他、「カデシュの戦い」「海の民」「アレクサンドロス大王」「アレクサンドリア」「クレオパトラ」などなど有名なキーワードから世界史の中の古代エジプトを丁寧に読み解いている。特に古代エジプト史というとこれまでクレオパトラの死とローマ属州化で描写が終わることが多かったが、本書はローマ属州時代の古代エジプトについても丁寧に描いている点が特筆されるだろう。

『ローマ時代における古代エジプト文化の痕跡を追うには、ローマの道をたどり、そこにみられる神殿や遺物の存在を確認すればよい。その痕跡は驚くほど広範囲におよんでいる。地中海全域は言うまでもなく、地中海という枠組みを完全に超えたアフガニスタンや北欧でも古代エジプトの遺物は出土しているのである。しかし遠隔地にされる遺物を持ち込んだほとんどの人々は、古代エジプト人ではなかった。ローマ帝国の領土の拡大が帝国内に暮らす人々を動かしたのだ。それに伴い古代エジプトの神々は、世界各地へと移動を開始したのである。』(229~230頁)

古代ローマでイシス神信仰が大きく盛り上がったことは良く知られているが、本書で描かれるセラピス神の出自も非常に面白い。プトレマイオス朝時代、ギリシア文化の影響を受けて『オシリス神と聖牛アピスが合わさり、オシリス・アビスとなり、それがオソラピス、そしてセラピスと呼ばれるようになった。』(204頁)エジプトの神をギリシア化することでエジプト内のギリシア人支配に一役買うことになった。このギリシア化したエジプトの神がローマ時代に広く信仰されるようになる。

地中海・オリエント世界の文化・社会・政治関係史を、古代エジプトを中心に丁寧に描くことで、古代エジプト文明を世界史の中に位置づけようという意欲的な一冊である。