「江戸の海外情報ネットワーク (歴史文化ライブラリー)」岩下 哲典 著

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徳川幕府の支配体制の解体から明治維新へと至るプロセスに「情報」が大きな役割を果たした。特に鎖国下の海外情報は幕府によって管理統制されてその流通は限定的であった。その中で限定的な海外の情報を流通させ活用しようという海外情報ネットワークが自ずと形成されることとなる。その江戸時代の海外情報ネットワークはどのようなもので、いかにして社会変革に影響を及ぼしていったかを描くのが本書である。

まずは鎖国下の4つの口「長崎口」「対馬口」「松前口」「薩摩口」について主に長崎を中心に情報発信基地としての長崎の役割が描かれ、その情報のハブとして長崎から横浜へと移り変わる様子が、長崎・横浜の土産版画と情報の関係で描かれる。続いて享保年間に日本にやってきたベトナムゾウとその反響から蘭学の興隆を通じての情報ネットワークの拡大、続く十九世紀初頭の海外情勢の変化とナポレオン情報をめぐる情報収集と知識人への拡散、アヘン戦争情報に関する幕府の情報統制の強化とその後のペリー来航を通じての情報統制の破綻をもたらした知識人から庶民までの海外情報ネットワークの形成、さらに対馬を舞台としたポサドニック号事件を契機とした海外情報ネットワークの活性化が江戸の海外情報ネットワークを情報の収集分析から活用へと向かわせ、政治運動へと結実していく、という大まかな流れの中でそれぞれのテーマについて描かれている。

本書の目次
情報の役割―プロローグ

海外情報の収集・発信の地 長崎と横浜
  長崎口と「長崎土産版画」
  ペリー来航と開港場浦賀

異国情報と江戸社会
  ベトナム象が江戸に来た!
  ナポレオン情報と日本人

緊迫する海外情勢と国内政治
  アヘン戦争情報を補足せよ―幕府内部の情報ネット
  アヘン戦争の情報と危機感

幕末の異国船来航と情報分析
  ペリー来航と「砲艦外交」
  ロシア軍艦対馬占拠事件の情報と攘夷運動

情報と幕府の崩壊―エピローグ

中でも興味を引くのはやはり江戸時代のナポレオン情報をめぐる変化だろう。

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ナポレオンの情報が動かした日本の歴史

寛永六年(1794)のロシア軍人ラクスマンによる大黒屋光太夫の帰国を前触れとして、文化元年(1804)、ロシア使節レザノフによる開国要求と幕府の拒否、文化五年(1808)の英軍艦フェートン号による長崎侵入「フェートン号事件」など、十九世紀に入り次々と欧州諸国と日本の関係が動き始める。

文化八年(1811)、クリル諸島測量のために訪れたロシア軍人ゴロヴニン(ゴローニン)一行が国後島で幕府役人に捕縛され、ロシア側に捉えられていた日本人高田屋嘉兵衛らと捕虜交換で帰国するという「ゴローニン事件」があった。そのとき捕虜となっていたゴロヴニンの部下ムール少尉が獄中で欧州を席巻するナポレオン帝国のことを記した文書「獄中上表」を幕府に提出している。オランダがカトリック国フランスの支配下にある、という情報は幕府を驚かせた。宣教と関係のないがゆえにオランダと通交していたはずが、実はオランダがキリスト教国の支配下にあるなら(本書には特に記述は無いが、もちろんフランスが革命を経て政教分離下にあることなど知る由もなかったのだろう)、幕府外交はゼロから見直しを迫られることになるからだ。早速長崎のオランダ商館長に事実関係を問いただすが、当然、オランダはしらばっくれた。西欧に関する情報源はほぼオランダに握られているわけで、それ以上調べることはできない。

ナポレオン情報が次に日本に伝わるのは文政元年(1818)、ナポレオン失脚後のことだ。長崎を訪れた漢詩人頼山陽がオランダ人医師からナポレオンの事績を聞いて感銘を受け「仏郎(フランス)王歌」を詠み、漢詩人ネットワークを通じて多くの人に知られることになる。続く文政九年(1826)、天文方の高橋景保がシーボルトから聞き取り調査を行いナポレオンの伝記やワーテルローの戦いを記述、続いて翻訳家の小関三英がナポレオンの略伝である「那波列翁伝初編」いわゆる「ホナハルテ伝」を著した。これが後に幕末の志士たちの間で大人気となり、幕末の歴史を大きく動かすことになる。

また、帰国したゴロヴニンは1816年、日本の状況について詳しく描いた「日本幽囚記」を出版して大ベストセラーとなり、オランダを通じて日本にも輸入されることになる。文政八年(1825)、天文方のオランダ通詞馬場左十郎、天文方高橋景保によって翻訳されて「遭厄日本紀事」として出版するが、彼らは以前獄中のムールが記した「獄中上表」と情報が食い違っていることに気づく。そこでムールの獄中上表を添えて、オランダ語に再翻訳して欧州に輸出しようとした。しかし、この計画は頓挫する。文政十一年(1828)、シーボルト事件によって高橋景保は事件に連座して入獄、その翌年、獄死してしまう。

ナポレオン伝のさらなる詳細を求めて、新たにオランダ人リンデンによるナポレオン伝の翻訳にかかっていた小関三英も天保十年(1839)、親交深かった高野長英・渡辺崋山が、その二年前に起きた日本人漂流者の引き渡しのために来訪した米国商船モリソン号を幕府が砲撃したこと(「モリソン号事件」)に対して激しい批判を展開したことによって捕えられる(「蛮社の獄」)と小関は自宅で自害し、ナポレオン伝の翻訳はならなかった。

吉田松陰は長崎遊学中、西洋情報の書物を次々と目を通していたがその中に高橋景保のナポレオン伝もあったといい、その後、安政四年(1857)、小関三英のナポレオン伝が渡辺崋山の娘婿によって出版されると、『これを読んだ吉田松陰は「ナポレオンの自由」と「草莽崛起」、すなわち在野の有志が立つべきであるとする理論とを結び付け、弟子たちに決起を促した』(P74)という。また、吉田松陰の師佐久間象山もナポレオンの復活を願い、彼と協力して悪者を打ち払いたいという詩を詠み、英雄を待望した。

『ナポレオンという海外の英雄はもはや遠い海外の英雄ではない。身近な、自分にも手の届く、織田信長や豊臣秀吉の類と変わらない。』(P74-75)

ナポレオンに関する書籍は小関本と高橋本の二冊で、それも不十分な内容でしかないが、その非常に限られた情報がおよそ半世紀と経たずに、しかも幕府の情報統制下でも駆け巡って社会変革を促していく。さらにナポレオンへの憧憬は維新の志士たちにも共有されるものであり、そのナポレオンへの憧憬を下地としつつ幕末の協力関係を通じて幕府はフランス式陸軍を採用するなどフランスへの傾倒が強まり、さらに、明治政府も初期の軍制はフランス式であったり、法体系もフランスに倣ったりと、後にドイツ・英国に範を求めることになるものの、維新後も明治政府内に親仏派が形成されていく。このあたりの海外情報ネットワークの形成が及ぼした変化は非常に面白い。

もし、ナポレオン帝国の情報をリアルタイムに知っていたら

ところで、このあたりの経緯を読むと、どうしても、ゴローニン事件によってもたらされた情報をオランダに問いただしたときに、オランダがナポレオン帝国の支配下にあることを認めていたら、という妄想をしてしまう。おそらく、それがすぐに幕府の政策転換をもたらすとは思えないが、ここでは飛躍させて一気にオランダとの断交に至ったとしよう。どうなるだろうか。

新たな通交相手としてほぼ唯一の選択肢がロシアだろう。フェートン号事件で英国に対して幕府の警戒心が強まっている一方で、ロシアはアイヌを通じての交流や捕虜交換などの友好関係もあって当時の幕府の中でも親近感が強い。ロシアとしてもかねてからの開国要求など日本との関係を深めたい。欧州でのフランス帝国によるオランダ支配の影響でアジアのオランダ植民地は英国に圧迫され、清国にも進出の機会を狙っている。南下政策を取るロシアも清国に進出したい。日本との通交実現は日本海を通じての中国進出ルートを確立する願ってもないチャンスだ。当時の情勢を踏まえれば日蘭関係より日露関係の方がはるかに双方にメリットがある。

長崎から函館へ、対欧州外交窓口がシフトチェンジする。おそらくロシアは積極的に北陸のどこかの港の開港と、日本海の出入口にあたる対馬への入港あるいはさらに踏み込んでの租借による補給基地の建設などを求めてくるだろうが、さすがにそれは幕府は飲めない。ある程度腹の探り合いをしつつの友好関係が続いたあと、英国が本格的に清国に進出してアヘン戦争などを経て香港島を獲得、ロシアはそれに対抗してある程度日本に対して強硬な態度に出つつ、開国を積極的に促し始める。そんな中でついにアメリカが動き出す。

アメリカはどうするだろうか。東インド艦隊の派遣はマニフェストデスティニー思想を背景とした中国までの進出ルート確立が目的だった。その中で日本との通商をある程度軍事力を背景に促してきたわけだが、この妄想の中の日本はオランダではなくロシアと結んでいる。落ち目のオランダではなく、極東にすぐに海軍を展開できるロシアが背後にいるだけに、開国させるのは格段に難易度が高い。おそらくペリー提督は、艦隊の海兵隊を増強して、まず琉球に対し、開国を促すだけではなく軍事的に侵攻して制圧(実際の歴史でも海兵隊を上陸させて王府まで進み親書を無理やり受け取らせているが)、植民地化を第一目標にする。英国がオランダに変わって勢力を拡大する東シナ海で琉球は米国にとって重要な橋頭堡になる。琉球を支配下においたあとは日本には向かわず、李氏朝鮮に行くのではないか。琉球と朝鮮を抑えれば鎖国中の日本への大きな圧力となる。東インド艦隊の海軍力で李氏朝鮮との通交を求め、黒船の衝撃は日本ではなく朝鮮が味わうことになる。

冊封体制下にある朝鮮は即答できないから宗主国である清国に相談せざるを得ない。それを受けて一旦艦隊を引いてペリーは再来航することになるだろうが、朝鮮半島にも進出できれば琉球から朝鮮までシーレーンを確保できる。この場合、交渉相手が朝鮮であろうが清国であろうがどちらでもよく、清国を交渉に引きずり出せれば最高の成果だ。

そのとき、英国はどうでるだろうか。現実の歴史でペリー来航時にオランダが日本に対してしたように、米国より先に中国を通じて朝鮮に開国を促しつつ、対米開国を阻止して、自国が朝鮮の対米貿易の仲介役という立場に立とうとするんじゃないか。現実の歴史では米国艦隊派遣情報をいち早く掴んでいたオランダはクルチウスを全権として派遣し積極的に幕府に働きかけたものの、これを実現させるだけの決め手を欠き、ペリーの断固とした姿勢もあって、結局日本は対米開国した。しかし、英国なら艦隊を展開できるから、米艦隊に対し十分な抑止力として働く。ただ、日本に対するオランダと違い、朝鮮に対して英国がそこまで介入できるだけのチャネルも持つかというと大きな疑問で、もっと控えめな対応になるかもしれないし、もしかすると介入できないかもしれない。なにせ1850年代の清国は太平天国の乱のまっただ中で、英国もその渦中にあって対応に忙殺されている。なんにしろ英国がどれだけコミットできるかが事態を左右しそうだが、情勢を踏まえれば英国の介入は最小限あるいは皆無で多分米国が主導権を握れるんじゃないかと思う。

ロシアはこの英米の動きを封じる必要がある。そのためにはやはり日本海の出入口を早急に確保する必要があり、そこで日本に対して強硬に開国を求めてくることになる。もし幕府がこれまで通りのらりくらりとかわそうとするなら、1861年にポサドニック号事件でそうしたように容赦なく対馬、さらには必要に応じて北部九州を武力制圧しようとするだろう。最重要拠点だ。

日本にとっては追い込まれることになる。琉球、朝鮮を米国に抑えられ、長崎は中国との窓口ではあるが大きく衰退、ほぼ唯一の友好的な外交窓口であったロシアが強圧的な手段に出ようとしている。黒船は衝撃ではあったが、こちらはより切迫した侵攻の危機だ。ただ、それはあくまで外交窓口として立たされる諸藩や役人の問題で、黒船の来なかった江戸は確かに泰平である。まぁどちらにしろ開国は免れまいがペリーの黒船は対等な開国で、のちの一連の不平等条約で外交的に劣勢に立たされることになったものだが、こちらは最初から多少の不平等を被ることになるかもしれない。たぶん琉球を巡って薩英ならぬ薩米戦争があったり長崎・北部九州の守りを担っていた筑前黒田氏(黒船来航時の当主斉溥は老中阿部正弘へ適切な助言を行うなど確かな戦略眼で知られていた)とロシアの筑露戦争などの武力衝突を経てこてんぱんにやられた両藩を中心に薩長ではなく薩筑肥などの九州諸藩とロシアの圧迫を受けることになる東北北陸を中心とした雄藩が近代化運動の主体となっていくのかな。

大きく違うのは黒船のインパクトを受けたのが朝鮮であるという点で、おそらく日本よりも朝鮮の方が近代化への希求がはるかに強まることになるだろうから、現実の歴史のように日本だけが先行するのではなく両者が競い合って近代化へと向かうことになるだろうし、状況によっては日本は大きく朝鮮の後塵を拝することにもなるかもしれない。少なくとも李氏朝鮮で国政を壟断していた安東金氏の勢道政治は史実よりもかなり早く打倒されることにはなるだろうし、それに代わるのが大院君なのかどうかはともかく、日本がそうであったように、史実の大院君政権のような強硬な攘夷政策よりはもっと現実的な政策に落ち着かざるを得ないと思う。一方で、日本は、こちらだと江戸内海に黒船は来ていないのだから、改革への切迫感は現実の歴史よりも幾分低いだろうし、また倒幕までいくかどうか。二十世紀になってやっと倒幕だったり、史実でも検討されたような徳川将軍家を仰いでの緩やかな連合国家を過渡期としていくとかね。なんにしろ現実の歴史よりも、中央集権化は数十年単位で大きく遅れることになるだろうし、その後の帝国主義的膨張には少なからず制限が加わるだろうから、また違った近代化の道を模索していた可能性が大いにありそうだ。

あ、繰り返すけど、ただの妄想なので。しかし、そのとき、ナポレオンを知ったかどうかで大きく歴史が分岐しそうな予感を大いに感じさせられた点で面白かった。

幕末の人的結合がもたらす社会変革

さて、脱線が過ぎた。

本書は他にも、例えばアヘン戦争は日本に衝撃をもたらしたという通説の否定とか、90年代以降論争になったペリー提督が高圧的に出たという説の裏付けとして挙げられる白旗書簡が実は偽書であることとか、興味深い話がてんこ盛りなのだが、主に妄想が暴走したせいで記事が長くなりすぎたので、この辺で。

海外情報の流通・分析のネットワークが鎖国下の幕府体制を大いに揺るがし、さらにその活性化の中で倒幕運動の核となっていったという点が描かれているわけだが、江戸時代のネットワークについては以前紹介した「江戸の読書会 会読の思想史」前田 勉 著でも儒学・蘭学で形成された会読のコミュニティが身分制社会の中である種身分を超越したネットワークを作り、やがて近代化運動のコアとして公共性を形作っていく過程が描かれていた。記事でも簡単に内容を紹介しているのであわせておすすめしておきたい。

「江戸の読書会 会読の思想史」前田 勉 著
読書というのは孤独な営みであり、孤独な愉しみである。そんな読書観は実は新しいものだ。欧州では読書は黙読ではなく音読が主流であり、近世には読書グループが次々と形成されて、それがブルジョワ階級の勃興と対をなしていた。日本ではどうか?江戸時代、漢...

また、同じく江戸時代後期の人的結合がもたらす社会変革という観点で、既存の農村秩序の動揺と解体が下層農民と上層農民との対立「村方騒動」として顕在化し、後に若者組などのあらたな集団が形成、圧力集団として村の休日の増加を促していくが、このような農村秩序の変革が幕末の社会変革と密接に結びついていたという点も以前記事にまとめたのでこちらも。

江戸時代農村の遊び日・休日
最近、江戸時代農村の祭礼や休日について興味があって、色々調べているときに図書館で「増補 村の遊び日―自治の源流を探る (人間選書)」という本をみかけ読んでみると面白かったので紹介。元々は1986年に発表された論考で、91年の補論とあわせて2...

幕末維新の変化を人と情報のネットワークで見るという見方は幕末史の主流というわけではないだろうが、この時代を捉えるのに欠かせない観点だと思うので、幕末の社会変革を理解する上でとても参考になる一冊だと思う。

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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