「小田原北条氏の絆~小田原城とその支城~」展感想

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小田原城天守閣で2017年10月1日から12月24日まで行われた特別展「小田原北条氏の絆~小田原城とその支城~」は小田原北条氏の強固な領国支配の実態について、小田原本城と主要支城の出土品からさぐる興味深い展示でした。

本展覧会が小田原城と支城のネットワークとして注目していたのは「かわらけ」です。かわらけとは「武士が儀式・宴会を催す際に用いられる土の器で、一度限りしか使わないため、『一過性の器』『かりそめの器』とも呼ばれ」(P46)る、いわば使い捨ての食器類です。

かわらけは製法によって、
1) ロクロを用いて成形する「ロクロ成形」
2) 手びねりで成形する「手づくね成形」
3) 型押しで作る「型押し成形」
の三種類があり、関東地方では「ロクロ成形」のかわらけが一般的ですが、北条氏では京都でつかわれた「手づくね成形」のかわらけが使われていたとのことです。この北条氏でつかわれた「手づくね成形」の特徴について、本展示会のパンフレットでは以下のように解説されています。

「関東地方では小田原北条氏だけに見られる特徴であり、出土状況から二代氏綱が京都文化の移入を進める中で手づくね成形かわらけも導入された可能性が高いと考えられている。また、小田原北条氏の滅亡(一五九〇年)とともに姿を消している状況から、小田原北条氏の関与が強いかわらけと評価される。」(P96)

小田原北条氏の京風文化への傾倒はかねてから研究者の間でも指摘されてきていました。下山治久著「戦国大名北条氏 合戦・外交・領国支配の実像」でも以下のように京風文化の影響下で小田原文化が成立していくことを指摘しています。

「北条早雲・氏綱の時代から、後に小田原文化と言われる職人や文化人が小田原城下に来訪し、京都文化が定着する機運が生まれた。彼らは北条氏の庇護のもと、独特の文化を発展させた。そもそも、北条氏と京都との関係は、早雲が備中国(岡山県)から京都の室町幕府の役人として上京したことから始まっていた。次いで今川氏親の家臣として駿河国にいた時に、京都の公家との関係が生まれた。今川氏は、特に京都の公家文化を享受する家風であったから、早雲もその家風に影響を受けたものと思われる。」(P44)

京風文化への傾倒は今川氏がよく言われることですが、小田原北条氏も同様に京風文化からの影響を受けて独自の文化を形成していたという点は、小田原北条氏の質実剛健なイメージゆえでしょうか、(コアな北条氏ファンを除き)意外と見逃されているように思います。

本展示ではその一端をかわらけの特徴という切り口で見せてくれていて、とても興味深く観覧しました。

本展示で取り上げられた支城は八王子城、鉢形城、箕輪城、本佐倉城、葛西城、津久井城、山中城の七城でとくに出土品が豊富な八王子城が大半を占めていましたが、その八王子城の出土品で、本展示の目玉だったのが、十五世紀のヴェネチア産レースガラス瓶です。

どのような経緯で小田原北条氏の手に渡り、そして八王子城に贈られたのかは謎のようですが、戦国時代の交易ネットワークに思いを馳せることができる、夢のある展示物です。妄想の翼が広がって、当時八王子城で掃除する人、たぶん侍女でしょうか、このレースガラス瓶割らないかドキドキだったろうななどと思ったりしたものです。たしか北条氏はきれい好きで武士から庶民まで定期的に大掃除が命じられていたという記録が残っていた覚えがありまして。

小田原北条氏ファンとしては大変堪能できたとても良い展覧会でした。

参考文献
・小田原城天守閣「小田原城天守閣特別展 小田原北条氏の絆 ~小田原城とその支城~」
・下山治久著「戦国大名北条氏 合戦・外交・領国支配の実像」

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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