人類の誕生~初期猿人から現生人類まで

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約三〇億年前の生命の誕生以来、生物進化の系統樹は多岐に広がった。脊椎動物から四肢動物が生まれたのが約四億年前、その後、四肢動物から哺乳類が生まれ、哺乳類から霊長類が生まれ、霊長類からサル類と類人猿が分化し、類人猿からオランウータンとゴリラがそれぞれ分化しつつ、遅れて約八〇〇~五〇〇万年前に別れるのがチンパンジーと人類であった。

ヒト上科
テナガザル科
ヒト科
  オランウータン亜科
  ゴリラ亜科
  ヒト亜科
   チンパンジー族
   ヒト族(人類)
    アウストラロピテクス亜族
    ヒト亜族
     ヒト属(現生人類)

進化系統樹の分岐点となるヒトと類人猿やチンパンジーとを分ける存在「最終共通祖先(Last Comon Ansestor:LCA)」は今のところ発見されていない。近年の遺伝子研究では突然変異的に忽然と人類が登場したのではなく、比較的早い時期からそれぞれの種に特徴的な遺伝子の分岐が起こり始め、両者の交雑が繰り返されながら数百年万年かけて遺伝子が合着、ゆっくりと種分化が起こったとする側所的種分化説が有力になってきている。(ユージン・E・ハリス「ゲノム革命―ヒト起源の真実―」(2016))

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最初期の人類(初期猿人)

現在みつかっている人類の最も古い化石が2001年にチャド共和国のトロス・メナラ遺跡で発見された約七〇〇~六〇〇万年前と推定されるサヘラントロプス・チャデンシスである。続いてケニア北部で発見された約六〇〇万年前と推定されるオロリン・トゥゲネンシスとともに、発見されているのが前者は頭骨と下顎骨破片のみ、後者は顎骨の一部と小臼歯と大臼歯、大腿骨上部の破片しかないため、それぞれの骨にサヘラントロプスは眼窩上隆起の猿人との類似や人類に共通する犬歯の摩耗、オロリンは歯の形態の猿人との類似や大腿骨の構造が二足歩行の可能性が考えられることといった、のちの猿人に近い特徴があるという以上の論拠がなく両者を人類に含めるかは議論がある。同じく、約五七〇~五二〇万年前と推定されるエチオピアのミドル・アワッシュで発見されたアルディピテクス・カダッバは下顎骨、歯と身体の一部の骨しかみつかっておらず、多くの特徴はチンパンジーと似ているため、これも人類であるかどうか議論がある。

アルディピテクス・カダッバと同じミドル・アワッシュで発見された四五〇~四〇〇万年前と推定されるアルディピテクス・ラミダスは多くの骨が発見された女性の化石で「アルディ」の愛称で知られている。全身骨格の復元図も作成された彼女は樹上生活が中心であったと思われるが、骨盤上部は幅広くてヒトの状態に近く、直立二足歩行を行っていたことが確実で、大後頭孔の位置が現代人ほどではないにしてもチンパンジーより前進していることなど、最初期の人類である可能性が高い。(バーナード・ウッド「人類の進化 拡散と絶滅の歴史を探る」(2014))

以上のサヘラントロプス・チャデンシス、オロリン・トゥゲネンシス、アルディピテクス・カダッバ、アルディピテクス・ラミダスは初期人類あるいは初期猿人と呼ばれている。

猿人~華奢型と頑丈型

初期猿人に続いて約四〇〇万年前、また別の人類――アウストラロピテクスが登場する。

華奢型アウストラロピテクス

約三九〇~三〇〇万年前にかけて生息したアウストラロピテクス・アファレンシス、その祖先型で約四二〇~三九〇万年前のアウストラロピテクス・アナメンシス、アファレンシスの地域的変種とみられるアウストラロピテクス・バーエルガザリ、彼らの後継でやはりミドル・アワッシュで発見された約二五〇万年前に生息していたアウストラロピテクス・ガルヒなどである。また、1924年に南アフリカで発見されたアウストラロピテクス・アフリカヌスや1959年に発見されたアウストラロピテクス・セディバやアウストラロピテクスの別属別種ケニアントロプス・プラティオプスも含め、彼らは歯が小さい特徴があることから華奢型アウストラロピテクスと呼ばれる。

特に有名なのがアウストラロピテクス・アファレンシスに属する、エチオピアのハダールから発見された女性個体の化石である。骨格の半分が残った彼女は「ルーシー」と名付けられて多くの研究材料を提供してくれることになり、当時の人類の様子を現代に伝えている。アウストラロピテクス・アファレンシスは身長110~155センチメートル、体重35~55キログラム、脳容積は400~500ミリリットルで切歯はチンパンジーより小さく、小臼歯・大臼歯はチンパンジーより大きい。二足歩行をしていたがあまり長距離を歩くことはできなかったと考えられている。また、男性は女性よりも五〇パーセントほど身体が大きく体格差がある。十二歳ぐらいで成人し、女性は五・六年おきに子供を産んでいた。

また、アウストラロピテクス・ガルヒの近くから見つかった動物化石には石器を使ったとみられる切り傷があったことから、彼らが使った石器自体は見つかっていないものの石刃剥片を使って動物の死体を解体していたとみられる。現在のところ人類が石器を使って動物を解体していた最古の証拠を残している。

ケニアントロプス・プラティオプスは2001年にケニアで発見された、約三五〇~三三〇万年前と推測される人類で、平らな顔が同時期のアファレンシスと大きく違うことから新属新種の分類がされた。ホモ・ルドルフェンシスに似ているとも言われるが、「現在の研究段階では、顔の平らなことが最近の共通祖先に由来する共有形質なのか、それとも独立して生じた成因的相同性なのか確認できない。」(ウッドP107)

頑丈型アウストラロピテクス(パラントロプス)

南アフリカから中央アフリカにかけての一帯からは華奢型より歯が大きく顎もがっしりとして顔も大きいアウストラロピテクスの化石が見つかっており、彼らは頑丈型アウストラロピテクスに分類されている。彼らは華奢型との違いからアウストラロピテクス属ではなく、新たにパラントロプス属と分類されることもある。主な頑丈型アウストラロピテクスとして、約二七〇~二五〇万年前のアウストラロピテクス(パラントロプス)・エチオピクス、約二三〇~一三〇万年前のアウストラロピテクス(パラントロプス)・ボイセイ、約二〇〇~一五〇万年前のアウストラロピテクス(パラントロプス)・ロブストスなどがある。アウストラロピテクス(パラントロプス)・ボイセイは発見当初はジンジャントロプスという属名がつけられたが現在では使われていない。

猿人から原人・旧人へ

ホモ・ハビリス

アウストラロピテクス(パラントロプス)・ボイセイが発見されたタンザニアのオルドヴァイ渓谷から1960年に発見された化石がホモ・ハビリスである。約二三〇~一四〇万年前に生息していたと考えられる彼らは身体の大きさはアウストラロピテクスとほぼ同じだが、脳が600~700ミリリットルと大きく手は現生人類に近く、石器の製作・使用を行っていたと考えられる。また、脳には言語使用と大きな関係があるブローカ野の痕跡が認められており、アウストラロピテクス属ではなく現生人類につながるホモ属ではないかと発見者であるルイス・リーキーらは考え、ホモ・ハビリス(器用な人)と名付けた。

ホモ・ハビリスと同様の化石は以後も東アフリカから南アフリカにかけて発見され、脳容積は500~800ミリリットルと幅が広くなり、顔の特徴も小さく突出しているものから大きくて平らなものまでさまざまである一方で身体的特徴はアウストラロピテクス・アファレンシスと大差無い。

このようななかでまず、脳容積が大きく、顔が大きく平らかで、臼歯が大きい一群をホモ・ルドルフェンシスとして狭義のホモ・ハビリスと分けられ、さらにアウストラロピテクスとの類似性からホモ・ハビリス、ホモ・ルドルフェンシスがそもそもホモ属であるのかについても議論がある。

言語能力は脳の幅広い領域がかかわっている点でブローカ野の痕跡だけで言語能力があったとする証拠にはならないこと、石器を作れるだけの特徴をもった手の骨はアウストラロピテクスも持っていたこと、そのほか歯や顎、身体的特徴ものちのホモ属よりはアウストラロピテクスに近いことなどで、ダニエル・E・リーバーマンは「むしろ脳の大きなアウストラロピテクスで、実際はホモ属(ヒト属)ではないのではないかという可能性も捨てきれない」(ダニエル・E・リーバーマン「人体六〇〇万年史──科学が明かす進化・健康・疾病(上) 」(2015)P116)とし、バーナード・ウッドは「新しい化石の証拠を加えても、ホモ・ハビリスと猿人を区別することはできない。」(P109)と述べている。現状、ホモ・ハビリスとルドルフェンシスを猿人の仲間とする見解と、猿人から原人への移行系とみなす見解と、原人の仲間とする見解とで結論が出ていない。

分類がどうであれ、ホモ・ハビリスの登場によって人類は、身体的特徴に大きな変化はないまでも、この時期に脳を少しづつ拡大し始めていたこと、なんらかの道具を使い始めていたことがわかる。

原人と旧人

ホモ・エルガスター

ケニア北部から見つかった約二〇〇万年前の化石は猿人よりも歯が小さく、足が長く、現生人類に近い特徴を備えていることから、ホモ・エルガスター(働く人)と名付けられた。歯の小ささからそれまでの人類よりも軟らかいものを食べていたか、食べる前に食料を調理していた、つまり料理をした最初の人類である可能性がある。また、長い足から樹上生活ではなくなっていたとも推測されており、樹上での移動生活能力を失った最初の人類でもあった。ただ、ホモ・エルガスターという独立した分類ではなく、初期のホモ・エレクトスの一部であるとする説もある。

ホモ・エレクトス

約一九〇万年前、アフリカで進化し、その後急速に全世界に広がった、最初にアフリカを出た人類がホモ・エレクトスである。

ホモ・エレクトスの発見は1890年、インドネシアのジャワで発見されたピテカントロプス・エレクトスであった。続く1929年、中国北京近郊の周口店洞窟で発見された一六〇万年前の頭骨は23年に周口店付近で発見されサルの歯だと思われていた上顎大臼歯・下顎小臼歯、27年に発見されていた下顎大臼歯などとともにシナントロプス・ペキネンシスと名付けられた。前者はジャワ原人、後者は北京原人と通称される。1940年、両者の類似性からホモ・エレクトスという一つの種にまとめることが提案され、その後世界各地でホモ・エレクトスの化石が発見されていった。最も古いホモ・エレクトスの化石がジョージア(旧グルジア)のコーカサス山脈ドマニシ洞窟で発見された約一八〇万年前のもので、アフリカで進化してから十万年たらずで西アジアへ、さらに二十万年とかからずインドネシアや中国まで到達している。

ホモ・エレクトスはこれまでの種と比べて格段に現生人類に近い特徴を有するようになった。アウストラロピテクスより10~20パーセント長い足とそれによる長距離二足歩行を支える広い骨盤、大きな股関節を持ったことで、直立姿勢の維持が可能となった。また最大1250ミリリットル、平均でも1000ミリリットルという大きな脳を持ち、器用な手でハンドアックスなどの石器を製作し、種の保存と拡大を可能とする狩猟採集と食料加工を本格的に始めている。

ホモ・エレクトスはその後六〇万年前ごろまで人類の主流として栄え、その間に脳をさらに大きくし、ホモ・エレクトスの子孫たちが各地で進化することになった。

ホモ・ハイデルベルゲンシス

約六〇万年前、アフリカでホモ・エレクトスから進化したのがホモ・ハイデルベルゲンシスである。ドイツのハイデルベルクで最初に発見され、その後アフリカ南部からドイツ、スペイン、イギリスまでの広範囲に生息していたことがわかっている。スペイン北部のシマ・デ・ロス・ウェソス遺跡で彼らの化石が多く発見された。脳は大きく平均1200ミリリットル、体重も65~80キロと大柄であった。

ホモ・ネアンデルタレンシス

1856年、ドイツのネアンデル谷(タール)で発見されたことからホモ・ネアンデルタレンシスあるいはネアンデルタール人と呼ばれ、約二〇~三万年前にかけてヨーロッパに生息していた旧人。現在までに多数の化石が発見されており、最も研究が盛んなホモ・サピエンス以外の人類のひとつである。

ネアンデルタール人はこれまでの人類よりもさらに脳が大きく脳容積は平均1500ミリリットル、大きな顔と広がった鼻、中央部が突出し頬骨が後退、後頭部に卵大の丸い膨らみと浅い溝があり、下歯の親知らずの奥に空間がある。身体はホモ・サピエンスとほぼ変わらず、もっと筋肉質で前腕と脛が短い。

ヨーロッパと西アジアに居住し、狩猟採集民として集団生活を送り、洗練された石器と道具を使い、火を使用して食物を調理していた。遺体を埋葬し、かつ埋葬儀式を執り行う文化を持っていた。芸術に関心があったとする説もある。形態的違いの特徴からホモ・サピエンスと別種とする見解と、形態的違いの小ささからホモ・サピエンスに含めようとする見解とで議論がある。

ホモ・フロレシエンシス

2003年、インドネシアのフローレス島で九万五〇〇〇~一万七〇〇〇年前と推定される非常に小柄の人類の化石が複数発見された。身長100センチメートル前後、体重25~30キログラム、脳容積400ミリリットルと当時生息していた人類としては考えられない小ささであり、これまでの常識を覆す大発見であった。しかも、チンパンジーと同程度の脳しか持っていないにも関わらず彼らは石器をつくり狩猟を行い、原人と同程度の知恵を持っていたのだ。当初、小人症や代謝異常などの可能性も考えられたが、それらの症状をあらわす形跡はなく、現在は完全に否定されている。よって、ホモ属であり、ホモ・エレクトスかホモ・ハビリスの子孫ということになり、骨盤などの特徴も踏まえ、おのずとホモ・エレクトスの子孫ということになる。初期のジャワ原人がおそらく一〇〇万年以上前にフローレス島にたどり着き、そこで小型化したという可能性が有力で、その説明として「島嶼効果」すなわち「孤立した島のような環境では、大型の哺乳動物は小さくなり、小さな哺乳動物は大きくなるという傾向」が働いたと考えられている。

デニソワ人

2009年、シベリア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟から発見された約四万年前の指の骨はDNA鑑定の結果、約一〇〇万年前にホモ・サピエンスの祖先から分かれた人類の骨であることが判明した。つまり、この時期滅びていたはずの原人であると推測される。彼らはデニソワ人と呼ばれることになった。ここから約一〇〇キロメートル離れたオクラドニコフ洞窟からはネアンデルタール人の骨が、さらに両地域を含む中央アジア一帯にはすでにホモ・サピエンスが進出しており、原人・旧人・新人が共存していた。

さらにその後の包括的な遺伝子調査の結果、現生人類は彼らデニソワ人、ネアンデルタール人の遺伝子を共有していることがわかり、当時、デニソワ人、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの交雑が起こっていたと考えられている。(ユージン・E・ハリス「ゲノム革命―ヒト起源の真実―」(2016)、バーナード・ウッド「人類の進化 拡散と絶滅の歴史を探る」(2014)、ダニエル・E・リーバーマン「人体六〇〇万年史 ──科学が明かす進化・健康・疾病 (上)(下) など参照)

現生人類ホモ・サピエンスの登場

約一八〇万年前、アフリカから世界に広がったホモ・エレクトスたちはその子孫も含めてことごとく絶滅し、かわって約二〇万年前にアフリカに誕生した新人ホモ・サピエンスが世界に広がった。我々現生人類である。

近年まで、北京原人がアジア人へ、ネアンデルタール人がヨーロッパ人へというように原人・旧人が各地で進化したとする「多地域進化仮説」が広く信じられていたが、この「多地域進化仮説」は近年の古人類学の発展と遺伝子調査技術の発達にともないことごとく否定されることになった。最初にレヴァント地域で同地域のネアンデルタール人より古いホモ・サピエンスの化石人骨が発見されてレヴァント地域でネアンデルタール人から現生人類へという他地域進化仮説の進化の過程が否定され、南アフリカとエチオピアで一九~一二万年前の化石人骨が発見され、遺伝子調査によって現生人類のミトコンドリアDNAがアフリカに起源をもつことが明らかになった。

すべての人類の祖先が二〇万年前のアフリカ人女性から母系遺伝してきたとする「ミトコンドリア・イブ仮説」は、「多地域進化仮説」を退けたかに見えたが、一方で現生人類はネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人類との交雑を繰り返してきたことも明らかになり、人類の出アフリカも複数の時期に何度も繰り返し起きて、そのつど現地の人々との交配を繰り返しながら遺伝子が遠くへ伝わっていく「波状拡散仮説」が有力となってきたことで、「ミトコンドリア・イブ仮説」は修正され、「現代人のミトコンドリアDNAの主要な起源がアフリカにあることは疑わない。しかし、アフリカ以外の原人や旧人も現代人の遺伝子プールに貢献」(バーナード・ウッドP144)したとする「弱化型現代人アフリカ起源仮説」に落ち着きつつある。だが、これに対して「多地域進化仮説」も「このような漸進的な進化と、その間に流入した遺伝子による混合効果によって、ホモ・エレクトスとそれ以降に現れた地理的変異集団が連続する集団になっていたと主張」(バーナード・ウッドP138)する「弱化型多地域進化仮説」へと仮説を修正しており、ウッドは「もしそうなら、ホモ・エレクトス以降の人類種の名称は(中略)すべて、ホモ・サピエンスに変えなくてはならない」と反論している。

現生人類がアフリカを出た時期や回数については、おおむね一〇~八万年前または七~五万年前、あるいは一三万年前のアラビア半島のジャベル・フェイ遺跡がホモ・サピエンス進出の痕跡とする説もあるが、繰り返し人類集団はアフリカを飛び出して世界中に拡散、その同時期、六万年前にアフリカでは後期旧石器時代を迎えて石器製造技術が格段に進歩して従来の石刃に加え投槍器や銛、骨角器なども改良されて殺傷能力が高まり、洞穴絵画などの芸術作品を積極的に生み出すようになっていく。

旧石器時代の技術革新は世界に拡散した人類にもゆるやかに広がり、ネアンデルタール人やデニソワ人、ホモ・フロレシエンスといった共存していた旧人類の絶滅により、地球上唯一の人類となっていく。紀元前一万年ごろまでに、ホモ・サピエンスは世界中に拡散を果たし、同時期の更新世から完新世への移行を経て気候が温暖化、マンモスなどの大型動物も姿を消し、旧石器時代から新石器時代へ移行、ホモ・サピエンスの隆盛が始まる。

参考書籍
・ユージン・E・ハリス「ゲノム革命―ヒト起源の真実―」(2016)
・バーナード・ウッド「人類の進化 拡散と絶滅の歴史を探る」(2014)
・ダニエル・E・リーバーマン「人体六〇〇万年史 ──科学が明かす進化・健康・疾病 (上)(下) 」(2015)
・スヴァンテ・ペーボ「ネアンデルタール人は私たちと交配した 」(2015)

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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