「南朝研究の最前線」呉座勇一 編,日本史史料研究会 監修

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鎌倉時代、両統迭立という二つの皇統が交互に天皇に即位するという体制があった。この継承をめぐる対立が先鋭化する過程と、鎌倉幕府による支配体制の矛盾が限界を迎えていく過程とが絡み合いながら鎌倉幕府が崩壊し、二つの皇統がそれぞれ天皇を出して並び立つ南北朝時代が到来する。その、後に消え去った方の皇統「南朝」とは何だったのか、タイトル通り「南朝研究の最前線」を紹介することで、南北朝時代を整理する一冊である。

南朝と言えば後醍醐天皇である。個人的な後醍醐天皇のイメージは、なんかやべーひとであり、後醍醐天皇について妄想しはじめるとどんどん後醍醐天皇が人間離れして漫画的に魔王化していくのを止められない。何やらいたいけな女性を生贄にしてそうとか、魔法ぐらいは使えそうとか、魔物を使役してそうとか、身長十メートルぐらいはあって触手生えてそうとかまぁエトセトラエトセトラ(オタク特有のこじらせた妄想)である。

大体後醍醐天皇という存在に枕詞のようにつく「異形」という形容から適当に妄想をエスカレートさせてしまった結果なのだが、その後醍醐天皇の「異形」性を論じた網野善彦の著書「異形の王権」(もちろん魔王ネタは書いてない)の論についても本書の論考では様々な視点から批判がなされており、むしろ、後醍醐天皇の建武の新政の諸政策がいかに鎌倉時代からの継続性がある内容だったか、現実的な改革政権であったか等が論じられてもいる。

別に特異ではなく、多くの鎌倉幕府の官僚が参加して前代からの継続性があり、武士にも配慮していた現実的な改革政権だった建武の新政。足利氏と並ぶ源氏の嫡流などではなかった新田氏。頑迷な保守派ではなく冷静な判断力をもったバランスのとれた政治家だった北畠親房・・・などなど、近年の丁寧な実証研究が明らかにするこれまでのイメージから乖離した実像は、あらためて、日本中世史に関する研究の着実な歩みによって光をあてられたものといえよう。

個人的にこの時代で好きなトピックが北条時行と征西将軍府である。

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北条時行

本書の「【第2部】南朝に仕えた武将たち」の5、鈴木由美「【北条氏と南朝】鎌倉幕府滅亡後も、戦いつづけた北条一族」で北条時行と鎌倉幕府滅亡後の北条氏による抵抗戦争の様子が描かれている。北条時行にはピカレスクな魅力があって以前から興味をもっていた。最後の得宗北条高時の子として滅亡寸前の鎌倉から逃れて北条氏残党の支援を受けて、鎌倉を奪還、しかし、足利尊氏によって追われる(中先代の乱)。その後もひたすら反足利を貫き、鎌倉幕府を滅ぼしたはずの怨敵後醍醐天皇に臣従して各地でゲリラ戦を展開し、さらに鎌倉を攻めた新田義貞の子らと共闘して鎌倉を三たび奪還と、日本史上屈指と言って良い反骨の復讐者っぷりはほれぼれする。

本論考でも、北条時行を中心に北条一族の残党の戦いを通して、北条氏の政権が一瞬で崩壊したのではなく、その後も長期に渡って北条氏を支持し、あるいは利用しようとする勢力が存在していたことを浮き彫りにしている。

関係ないですが、某北条時行ファンサイトこっそり拝見しております・・・そろそろ北条時行の評伝など単著で出ないかなぁ、などと独り言をメモしておきます。FGOにでも実装されればワンチャンあるのでは・・・

征西将軍府

北条時行が復讐と時代に抗う抵抗者の魅力だとするなら、征西将軍府の方はまさに野心と冒険のロマンである。本書でも「【第4部】南朝のその後」の13、三浦龍昭「【南朝と九州】「征西将軍府」は、独立王国を目指していたのか?」に詳しい。幼い懐良親王を補佐するのは、あまり知られていない五条頼元という行政官僚としてキャリアを積んだ文官を筆頭とした十二人。これで九州を獲りに行くという胸が熱くなる旅立ちがあり、様々な困難を経てようやく九州にたどり着くと破竹の勢いで勢力を拡大、足利直冬方、室町幕府方との三勢力鼎立(あと少弐氏の手の平の柔軟性好き)から、両者を撃破して九州を制し、明との交易にも従事して洪武帝より日本国王と認められるという、動乱期ならではの国盗り物語が展開される。

南朝後期の南朝政権と征西将軍府の関係の微妙さについても、本論考では以下のように指摘されている。

「征西府自体は、長期間、九州に基盤を置いていくうちに、当初の五条頼元をはじめとする公家たちを中心とする政権から変質し、武家政権へと近似していった。それを支えた九州の武士たちは(中略)、たしかに中央から自立しようとする志向性(「九州の論理」)が見られる。
だが一方では、「直奏」のように、直接、南朝(吉野朝廷)とつながりたいとする動きも、やはりのちのちまで確認されるのである。この二つの相反する武士たちの動きのなかで、征西府は存在していたといえるだろう。」(三浦龍昭「【南朝と九州】「征西将軍府」は、独立王国を目指していたのか?」呉座勇一編『南朝研究の最前線』洋泉社, 2016年, 285-286頁)

北条時行と北条一族の残党にしても、征西将軍府にしても、南北朝という言葉で表される二項対立から逸脱して南朝と北朝=室町幕府という二つの勢力に留まらない南北朝時代の多面性・多層性を浮き彫りにしていて、とても興味深い。なにせ、南北朝時代最大の戦乱が観応の擾乱という足利兄弟をさらに割った対立であり、その過程も二つの勢力がぶつかりあう、などとはいえない、諸勢力の思惑が複雑に絡み合う様相を呈していたわけで、この中世的くんずほぐれつ具合は応仁の乱でさらに加速していくのだ。本書でも、「南朝」に区切りながら「南朝」の枠を超えて交錯する歴史のうねりがうかがえて、時代の多様さが見て取れるという点でとても良い概説書ではないかと思う。

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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