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「歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏」長谷川 修一,小澤 実 編著

なかなか学説が反映されず古い記述のままであるとか、現在ではすっかり認識が改められた説が根強く残っているとか、歴史教科書の問題はよく耳にする。本書はその歴史教科書の諸問題、「教科書記述と歴史学会の研究成果との間に見られる乖離がなぜ生じているのか、そしてそうであるならばどのようにしてその乖離が生起したのか、また、その歴史記述を方向付けているものは何か」(序 ii)について、歴史研究者や歴史教科書に関係する当事者たちの論考を集めた一冊である。

本書は三部構成で、第一部で「オリエント、西洋中世、中東欧、アメリカを対象とし、いくつかの元寇教科書を資料として参照しながら該当部の記述の問題点を提示する」(序iv)。第二部では同じく「世界史教科書記述におけるイスラーム史、中国史、東南アジア史、そして日本史の記述の問題点を論じる」(序iv-序v)。第三部では「世界史教科書の制作ならびに利用のプロセスに目をむける」(序v)ものとなる。

各論考の目次は以下の通り。

第I部 高校世界史教科書記述の再検討(一) オリエントからアメリカへ
  第1章 高校世界史教科書の古代イスラエル史記述(長谷川修一)
  第2章 古代と近代の影としての中世ヨーロッパ(小澤実)
  第3章 高校世界史教科書の中・東欧記述(中澤達哉)
  第4章 高校世界史教科書におけるアメリカ合衆国――人種・エスニシティ・人の移動史を中心に(貴堂嘉之)
第II部 高校世界史教科書記述の再検討(二) イスラームとアジア
  第5章 高校世界史とイスラーム史(森本一夫)
  第6章 高校世界史における日中関係(上田信)
  第7章 高校世界史教科書と東南アジア(松岡昌和)
  第8章 日本史教員から見た世界史教科書――世界史教科書の日本に関する記述をめぐって(大西信行)
第III部 高校世界史教科書の制作と利用
  第9章 「世界史」教科書の出発(茨木智志)
  第10章 世界史教科書と教科書検定制度(新保良明)
  第11章 官立高等学校「歴史」入学試験にみる「関係史」――その変遷と拡大(奈須恵子)
  第12章 高等学校の現場から見た世界史教科書――教科書採択の実態(矢部正明)

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ダビデもソロモンもいなかった?

長谷川修一論文「第1章 高校世界史教科書の古代イスラエル史記述」が歴史教科書の不正確な記述の例とそれが生み出される要因について簡潔に整理していて興味深い。

長谷川は世界史教科書の古代イスラエルの記述について、「ヘブライ人」という呼称と「ダビデ王」「ソロモン王」の実在性がいずれも「旧約聖書」以外の同時代の文献史料には登場せず、考古学的史料もなく、史実としては疑わしいものとなっていること、旧約聖書の歴史的信憑性の問題があること、にもかかわらず「『旧約聖書』の記述をほぼ無批判に受け入れている結果」(13頁)として教科書には記載され続けていることを指摘している。

歴史教科書では遊牧民のヘブライ人が前1500年頃にパレスチナに定住したという記述がされるがこれらはすべて根拠が希薄であるのだという。近年の研究で原古代イスラエル人とされる南レヴァントの集団は定住農耕民と考えられるようになっており、「考古学的には、異質な物質文化伝統をもつ大規模な人間集団が外部から流入したとは考えにく」(7頁)く、よって遊牧民ではない。また前1500年という年代も「『創世記』の記述を鵜呑みにした歴史理解に、エジプトからヒクソスが追放された時代、あるいは青銅器時代のはじまりの年代を当てはめただけ」(8頁)で史料的根拠はない。

「確かに『ヘブライ人』という呼称は、『旧約聖書』中、多民族集団が『古代イスラエル人』を呼ぶ際に用いている言葉である。ただし、この呼称は『旧約聖書』中でのみ使われている用語であり、実際に当時の『古代イスラエル人』の周囲にいた人々が彼らを『ヘブライ人』と呼んでいたという同時代の文献学的証拠はまったくない。つまり現在のところ、この呼称は、物語をアルカイックなものとして演出する、『旧約聖書』特有の擬古的用語としか考えられないのである。無論、それが擬古的用語であるということ時代、その内実こそ不明ではあるものの、歴史的に『ヘブライ人』という呼称が存在したことを暗示していると見ることもできよう。しかし、それはあくまで仮説であるのだから、過去にそのような呼称をもつ人々がさも実在していたかのように世界史教科書に記すことは避けねばならないだろう」(7頁)

ダビデとソロモンについても以下の通りだ。

「しかし、これほどの勢力を誇ったと伝えられるダビデとソロモンであるが、同時代のいかなる文献史料にも彼らの名は言及されていない。首都とされるエルサレムではこれまで百年以上の長きにわたって発掘調査が行われてきたが、これまで当時の栄華の様子を伝えるような成果はほとんど上がっていない。先代サウルとダビデ、その息子ソロモンの時代を『統一王国時代』と呼んでいるが、このような理由から、この『統一王国』に関する『旧約聖書』の記述の歴史的信憑性については、近年大いに疑問視されている。『統一王国』の栄華の記述の大部分は、北イスラエル王国が滅亡した後、ダビデ王朝の王を戴く南ユダ王国が、北の亡民に呼びかけて再び『統一』を達成するために創ったフィクションであるという見解もある。」(10頁)

ダビデとソロモンがいなかったとは断言できないにしても、現段階ではすべて仮説の域を出ない。

これらの語句が「その史実性に実証的根拠がないにもかかわらず未だに世界史教科書に掲載されている理由」(13頁)として、長谷川は、第一に世界史教科書の内容の大幅な変更を好まない現場の意図を組んだ教科書会社が最低限の記述変更にとどめる傾向が強いこと、第二に学習指導要領の「世界の歴史の大きな枠組みと展開」を理解させることを目的としている点から「ステレオタイプな『出来事』としての理解」(14頁)が重視されること、第三にこれまで古代イスラエル史を旧約聖書学者が担ってきたことで厳密な史料批判が行われないまま「『旧約聖書』の本文のみを史料として過去の歴史を再構成する傾向」(14頁)がみられていたこと、第四に教科書執筆者が「古代イスラエル史」を厳密に研究してこなかったことの四つの複合的要因があるとしている。

実際、高校世界史レベルであれば「世界の歴史の大きな枠組みと展開」のためにある程度わかりやすいステロタイプ化するのは必然だとは思うのだが、その大きな物語を支える個々の歴史的な語句の実証性というのもまた重要な問題で、可能な限り厳密な歴史学の成果の反映であってほしい。特に、「世界の歴史の大きな枠組みと展開」の理解を目的としながら、入試レベルでは重箱の隅をつつくレベルで語句を問うているわけで、にもかかわらずそれらの語句が歴史として根拠に欠けたあやふやなものであり、さらにそれを見逃し放置しているという点には教員や歴史研究者はもっと批判的であってよいのではないだろうか。

その上で、長谷川は教科書執筆者の責務として、史実の把握のため執筆者の専門外のことはそれを専門とする人物にチェックしてもらう体制を教科書会社と協力して構築すること、従来史実とされていたが疑問が生じているものについては但し書きを加えること、その歴史記述の根拠となる歴史史料を教科書に提示しその史料の信憑性にも触れることの三点を指摘、同時に教員や文部科学省などにも提案を行っている。

教科書調査官の実情

長谷川が文科省への提案として挙げているものの一つが教科書調査官の増員である。これについては本書の新保良明論文「第10章 世界史教科書と教科書検定制度」を読むとよく理解できる。新保は2011年まで教科書調査官の職に就いていたとのことで、具体的な内容が詳述されている。

社会科調査官十六名、そのうち、世界史の教科書調査官は三名で、その「内訳は、西洋近現代史一、前近代史一、中国近現代史一」(188頁)である。四月に教科書会社が検定申請を行い、社会科調査官が六月にかけて自分の科目以外の提出された「白表紙本」をチェック、それが終わって七月から世界史調査官三名は約二か月で世界史教科書十五冊以上を読破して記述の問題点を見つけるという作業が行われる。そのうえで、社会科調査官全員で検討会が行われ、十月から二度の審議会を経て検定意見が出されるという流れになるのだという。

著者は前近代史の調査官だが専門は古代ローマ史だったそうだ。かなり幅広く勉強したというが、古代ローマ史家と中国近現代史家と西洋近現代史家で例えばイスラーム史や東南アジア史やインド史の記述のチェックというのはさすがに、深掘りすることは難しかろうと思う。そのようなチェック機構の弱さが上記のような古代イスラエル史の記述問題の背景の一つとなっていることは想像に難くないし、第一章でわざわざ教科書調査官の増員を提案しているのもうなずける。

やはり制度上のチェック機構の問題、システムとしての利害調整機能の不備などが見えてくる。その上で2022年からの「歴史総合」の必修化と必修科目であった「世界史」「日本史」の選択科目化がどのようになるのかというのも本書の大きなテーマとしてある。その他、歴史教科書が抱える問題を考える上で重要な論考が多数掲載されており、とても興味深く読んだ。一方で、多くの論考で出版社が大幅な改訂を良しとしないことを要員の一つとして挙げているのだが、出版社サイドからみた論考が無かったのは残念であった。

ちなみに、今では入試でお馴染み世界史穴埋め問題の歴史上の初出だそうだ。(1930年度松山高等学校)

「左の文章中、括弧内を充填すべし
西暦一四九八年、葡萄牙人(   )が始めて阿弗利加の南端(   )を廻りて(   )に至る航路を発見してより、同国人は印度西岸の(   )を根拠地として東洋各地に出入りし、支那の(   )本邦の(   )なども其の交易地となれり。然るに第十七世紀に至り、英吉利、和蘭の二国人が新たに東洋貿易に従事し、葡萄牙人の交易地は多くは之が為に奪はる。英吉利人は印度のマドラス、ボンベイ、(   )三地を重要地とし、和蘭人は爪哇島の(   )を根拠地として大に相競争せり。本邦の(   )にも二国人来りて各貿易を開きしが、英吉利人は終に和蘭人の為に圧倒せられて退去し、以後久しく本邦にその足跡を印せざりき」(219-220頁)

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