中世鎌倉の幻想的な集団墓地「まんだら堂やぐら群」

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まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

鎌倉と逗子をつなぐ名越切通の途中に「まんだら堂やぐら群」という中世の集団墓地の遺構があります。遺構保存の目的で通常非公開ですが、毎年四月と十月ごろの年二回期間限定公開がなされており、これは2018年5月に訪れた時の写真です。

2018年の公開予定日
   平成30年4月21日(土)~5月28日(月)
   平成30年10月20日(土)~12月17日(月)
       土・日・月・祝日のみ(計48日間)

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「やぐら」とはなにか

「やぐら」とは鎌倉を中心として西は平塚市、南は三浦半島全域、北は横浜市本牧、東は東京湾を渡って安房の一部という限られた範囲で見られる「岸壁にうがたれた横穴式の墓ないしは供養所」(河野,2005年,168頁)で、「やぐら」という言葉は『鎌倉方言で「矢倉」という字をあてて武器庫から転じたとする説もあるが、「いわくら」が訛ったものとする説が強い』(河野,2005年,167頁)と考えられています。鎌倉の寺社や山中を歩くといたるところにそれほど大きくない正方形ないし長方形の横穴と墓石や供養碑があります。始期についてはよくわかっていないようですが、大体十三世紀から十四世紀にかけてこの埋葬形式が盛んとなり、十五世紀半ばすぎごろが終期と考えられています。(河野,2005年,172-173頁)また、「やぐら」には納骨施設がないものもあり、単に墓とするのではなく「墓をもとにして成立した(あるいは、墓にもなる)供養空間」(河野,2005年,171頁)とみる見方もあります。

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群は一つ二メートル四方の横穴が一五〇以上集まったやぐら群で、その穴には多数の火葬した骨が納められた供養塔が設置されており、中世の集団墓地でした。葬られているのは武士や僧侶などの上流階級の人々と富裕な商人などが中心であったと考えられています。またやぐら付近の平場では遺体を火葬したと思われる跡や、斬首されたとみられる頭蓋骨なども出土しており、集団墓地であり火葬場であり、かつ処刑場であったとも考えられています。十三世紀半ばから十五世紀末にかけて使われていたと考えられ、一部は十六世紀に入ったころまで供養が行われていたとのことです。

史料上の初出は文禄三年(一五九四)の検地帳「相州三浦郡小坪郷御縄打水帳」で、「まんだら堂」という名前が見られます。その名「まんだら堂」の由来としては法性寺が近くにあることから日蓮宗の本尊「曼荼羅」に由来するとする説もありますが、現状由来は不明です。一三世紀に鎌倉で死体の遺棄葬が禁じられたことにともなって作られたと考えられていますが、古くから境界や街道のチマタ(岐)は死体が遺棄されたり、処刑場として使われたりすることが多かったことから、大切岸や石塔群、まんだら堂やぐら群など含めて聖地として重視されていたと考えられます。

近世の始め、万治二年(一六五九)の史料にも名越の三昧場(さんまいば)という記載があり、三昧は涅槃、つまり葬祭場であったとされています。当時の人々にとって名越坂(名越切通)を通るのは死を強く意識させられる経験であったと見られ、そういう意味でも古くからこのまんだら堂付近は生と死の境界であり続けていました。

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群の五輪塔

まんだら堂やぐら群の五輪塔

石敷遺構

石敷遺構

火葬跡

火葬跡

石敷遺構は十四世紀ごろと考えられている大小10個の切り石を並べて作られた遺構で頭蓋骨一つ埋めた穴などもみつかっており、五輪塔など供養塔を据え付けた土台だったかもしれないと推測されています。

火葬場跡の看板が据え付けられている一帯の地下70メートル付近で岩盤を四角に掘った穴二つが発見され、穴の内側が黒く煤けていたことから火葬場の跡と考えられています。

無数の供養塔・墓石が岸壁に重なるように掘られたやぐらに設置されており、苔むした周囲の自然とマッチして立ち上がってくる幻想的な雰囲気にゾクゾクさせられます。ジブリアニメにでも出てきそうな童話的な風景、その中に潜む死の情景が混然一体となったこの史跡は中世史に興味がある人なら一見の価値ありだと思いますので、公開時にはぜひ。

まんだら堂やぐら群地図

まんだら堂やぐら群地図
逗子市HPより


JR逗子駅バスのりば6番
   亀が岡団地循環 緑ヶ丘入口 下車 徒歩8分
           亀が岡団地北 下車 徒歩5分
JR鎌倉駅バスのりば3番
   緑ヶ丘入口行き  緑ヶ丘入口 下車 徒歩8分

おすすめルートとしてはJR逗子駅下車、法勝寺から入山し大切岸を見て名越切通へ入り、まんだら堂やぐら群へと向かうルートです。そのまま名越切通を通って鎌倉に出るのがよいでしょう。

参考文献・リンク
・逗子市教育委員会「国指定史跡名越切通整備基本計画策定報告書 平成17年(2005年)」
まんだら堂やぐら群限定公開(平成30年度) | 逗子市
・河野 眞知郎著『中世都市 鎌倉 (講談社学術文庫)』(講談社,2005年)
・赤坂 憲雄著『境界の発生 (講談社学術文庫)』(講談社,2002年)
・松尾 剛次著「葬式仏教の誕生-中世の仏教革命 (平凡社新書600)」(平凡社,2011年)

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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