『ジャンヌ・ダルク―歴史を生き続ける「聖女」 (岩波新書)』高山 一彦著

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日本のジャンヌ・ダルク研究を切り開き牽引し続けた高山一彦(1924-2016)氏によるジャンヌ・ダルクの概説書であり、ジャンヌ・ダルクに関する日本語文献の中でも必ず読んでおきたい重要な本のひとつである。

新書でありながら非常に網羅されている内容の広さに感嘆させられる。序章でまず取り上げられるのがジャンヌ・ダルクの二つの重要史料となる処刑裁判記録と復権裁判記録の紹介であり史料批判の重要性について改めて注意を喚起する内容となっている。処刑裁判記録を編集し初邦訳したのが著者の高山氏であり、またフランスのジャンヌ・ダルク研究の第一人者であるレジーヌ・ペルヌーによって編纂された復権裁判記録の邦訳も高山氏の手によるものであるという点からも著者の仕事の重要性はよくわかるだろう。今ジャンヌ・ダルクについて我々が深く知ることができるようになったのは彼の仕事によるところが大きい。

同じく序章で続けて紹介されるのが、明治大正時代に日本でジャンヌ・ダルクがどのように紹介され、受容されていったかの文献史である。本書によれば、日本におけるジャンヌ・ダルク紹介としては明治七年の学校教科書「万国史略巻二」、明治八年「西洋英傑伝巻三『仏郎西国女傑如安之伝』」明治十七年「回天偉績仏国美談」明治三十一年「世界古今名婦鑑収録『オルレアンの少女』」明治三十四年「西洋傑婦伝第壱編ジヤンダーク」などがある。日本において、ジャンヌ・ダルクを近代国家建設の過程で、愛国心や良妻賢母主義の文脈でいかに受け入れていったかが浮き彫りにされる。

ちなみに、本書では紹介されていないが、デビュー前の江戸川乱歩「「さゝふね」というペンネームで新聞に投稿したジャンヌ・ダルク伝が存在しているのはご存知だろうか。その本文も一部読める論文がこちら。

宮本 和歌子 論文「素人時代の江戸川乱歩作「長詩 オルレアンの少女」について」

第一章はジャンヌ・ダルクの生涯が概説される。背景となる百年戦争の推移とジャンヌ・ダルクの活躍、処刑裁判での判決に至る論点の整理、復権裁判史料から見る故郷ドンレミ村の人々とジャンヌの関係、そして復権裁判における復権までの過程が史料に基づいて語られる。高山はジャンヌの人柄をあらわす表現として、村人たちが口をそろえていうある言葉に注目する。それは「すすんで」という言葉である。ジャンヌについて語るとき、人々はみな「すすんで糸を紡ぎ」「すすんで教会にいき」などのように、「すすんで何かをする少女だった」という。確かにここにジャンヌ・ダルクの行動原理の一端が見えているように思う。

第二章はまず第一節でジャンヌ図像の変遷が語られる。有名なフォーカンベルクの落書きから、吏員系肖像と呼ばれるオルレアン市を中心に見られたジャンヌの肖像画、そして近代的図像への変遷が概観される。当サイトでは本書も主要参考文献として「ジャンヌ・ダルクの肖像画・絵画まとめ」という記事を先日まとめたので詳しくはそちらを参照してほしい。ちなみに同様のジャンヌ・ダルク図像の変遷についてはレジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)・レジーヌ・ペルヌー著(塚本哲也監修、遠藤ゆかり訳)『奇跡の少女ジャンヌ・ダルク (「知の再発見」双書)』(創元社、2002年)の二冊があり、また近代以降の図像を生み出した思想的背景の分析としてはミシェル・ヴィノック「ジャンヌ・ダルク」(ピエール・ノラ編『記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史<第3巻>模索』岩波書店、2003年)がある。本節部分だけでも貴重なジャンヌ・ダルク図像史の解説となっている。

続く第二章2節では主に近代以降に登場してきたジャンヌ・ダルクに黒幕がいたとする諸説(傀儡説)の紹介と研究史としていかにこれらが否定されてきたかの解説が行われている。主に黒幕とされてきたのはシャルル7世の王母ヨランド・ダラゴン、ジャンヌを送り出したヴォークルール城主ロベール・ボードリクール、ジャンヌが村の司祭以外に告解した托鉢修道士などだが、いずれも否定されている。第三章3節ではジャンヌが聞いたとする声、すなわち啓示の解釈をめぐる近代以降の諸説の紹介と限界について論じられる。啓示=幻覚説、ジャンヌ=ヒステリー患者説、機智にあふれる女性説などだ。

第三章では処刑裁判記録でのやりとりからジャンヌ・ダルクの人物像を描き、ジャンヌ・ダルク裁判の転機となった改悛事件の謎に迫る。その上で、3節であらためて処刑裁判記録の成り立ちについて史料分析を行っている。処刑裁判記録にはラテン語で書かれ裁判官たちが編集し配布された正規のものと、「フランス語原本」と呼ばれる正規版以前の裁判記録の書記の生記録とが存在している。興味深いのがラテン語の正規版と原本とで記録の食い違いがおきていたことで、正規版は原本からジャンヌを異端とするための証言の意図的な改変や不正の隠匿が行われたことが浮き彫りにされている。実際、復権裁判でも処刑裁判の不正行為が指摘されたが、史料批判の観点からもこれが明らかなものとなった。

第四章ではまず1節で1920年のジャンヌ・ダルク列聖を巡る経緯が描かれる。これについては上記のミシェル・ヴィノック「ジャンヌ・ダルク」(ピエール・ノラ編『記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史<第3巻>模索』岩波書店、2003年)が詳しいのだが、フランス・ナショナリズムの盛り上がりの中でジャンヌがフランスの象徴へと祭り上げられていく過程で、フランスでは教会と反教権主義者との対立の中でいわば自勢力のアイコンとしてのジャンヌ・ダルクの奪い合いが起きていた。列聖にあたっての奇跡の認定や世俗での影響など様々な考慮がなされる過程が概観されている。

続く2節で列聖に至る社会的背景の一つドレフュス事件とドレフュス擁護派だったシャルル・ペギーによる二つの劇作品が紹介され、3節では聖女ジャンヌか人間ジャンヌかの論争となったアナトール・フランスのジャンヌ・ダルク伝の紹介がされることで、ジャンヌが近代になっていかに描かれ語られてきたかが概観される。

4節では20世紀後半に登場したジャンヌ・ダルク女傭兵説をめぐる提唱者アンリ・ギュイマンとジャンヌ研究の第一人者レジーヌ・ペルヌーとの論争が紹介され、5節では根強く残るジャンヌ王女(落胤)説や生存説への批判が丁寧に行われ、あらためて史料に基づく研究の重要性が浮き彫りにされる。

終章で引用されるペルヌーの批判が、ジャンヌ・ダルクを巡る様々な解釈に対する、そして史料を軽視して展開される様々な論説に対する、歴史学の一つの回答となっている。

「彼らの誤りを正すために、史料は絶えず読み直され、再検討されることになりましょう。ジャンヌが常に現代に生き得るのは彼らのおかげでもあります。
ジャンヌの裁判は今後もまだ続くことでしょう。この審理のおかげでkそ、我々はこの女性をよく知り、より多く愛することになるのです。」(210-211頁)

ジャンヌ・ダルクという人物について知り、そこから歴史学とはどのような学問なのか、そして史料から浮かぶジャンヌ像と我々が抱くジャンヌのイメージとの乖離によって生き続けるジャンヌ・ダルクという人物、そして同様の乖離によって彼女をはじめとする歴史上のあまたの人物たちが今も生き続ける構図にまで思い至ることができる、歴史学の名著である。

残念ながら絶版で、Amazonのマーケットプレイスで最低千円前後、最近立ち寄った古書店でも千円の値付けがされていたのだが、以上のような理由で、あまたの岩波新書の中でも名著の一つとしてよい一冊ではないかと思っているので、ぜひ復刊してほしい。ちょうどジャンヌ・ダルクはFGOなどゲームやコミック・アニメの影響で再注目されていることだし、本書もジャンヌ・ダルク入門書として内容は折り紙付き、というか日本語で読めるジャンヌ・ダルク研究書随一の一冊なので、戎光祥さんが「正伝岡田以蔵」でやったように、復刊に際してタイアップなどすると、岩波書店さんの売り上げにも多大な貢献をしそうな予感なのだが、どうだろうか。個人的にも新品で一冊欲しい。