ドーヴァー城~英国防衛の象徴となった難攻不落の「イングランドの鍵」

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ドーヴァー城(Dover Castle)はケント州ドーヴァーのイギリス海峡(English Channel)、別名ドーヴァー海峡を臨む海岸の岸壁上に建てられた城。「イングランドの鍵(Key of England)」という異名を持つ。城の地盤となっている石灰岩の白壁はブリテン島の古名アルビオンの由来となった場所で、ラテン語で白色を意味するalbus(アルバ)という語に基づいている。またドーヴァーはケルト語(古ブルトン語)で水を意味している。

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古代ローマ~アングロ・サクソン時代

紀元前55年、ローマの将軍カエサルはガリア遠征の一環でブリタンニアの侵攻を試みた。このとき、イギリス海峡を渡ってドーヴァー海岸の白壁を臨むが、丘上にブリタニアの軍勢が終結していたため断念して、より上陸に適した地からの上陸を行っている。紀元前50年ごろ建てられた石造の灯台がドーヴァー城内に現存しており、ローマ軍によって建造されたものと考えられている。

アングロ・サクソン王朝時代、この地は戦略的要衝として重視されるようになり要塞が築かれた。アングロ・サクソン王朝最後の王ハロルド2世も外敵の侵攻に備えてドーヴァー要塞の強化を命じている。

征服王ウィリアム1世の築城

1066年10月14日、ヘースティングズの戦いに勝利したノルマンディ公ギョーム2世(征服王ウィリアム1世)は戦後すぐ軍をドーヴァーに進め、この地にモット・アンド・ベイリー式の城塞を築かせた。即位後、異父弟バイユー司教オドを摂政に任じるとともにドーヴァー城の城主として防備を固めさせ、イングランド統治の拠点としている。このころの城の遺構は残っていないが、10~11世紀ごろに建てられたセント・メアリー教会が現在のドーヴァー城内に現存している。

ドーヴァー城築城

現存するドーヴァー城を築いたのがプランタジネット朝時代のイングランド王ヘンリ2世である。ヘンリ2世は元々フランス西部アンジュー伯家の当主で、イングランド王位、フランス北部のノルマンディ公位さらにフランス南西部のアキテーヌ公位など多数の所領をあわせたアンジュー帝国を樹立、当時の欧州最大級の領土を持つ君主であった。

彼はこれまで木造中心だったヨーロッパの城塞を中世欧州でおなじみの石造の城へと変貌させた欧州城郭史上重要な人物である。石造の城を築くに莫大な資金が必要であり、それを可能としうる財力と代々築城技術に長けていたことで知られるアンジュー伯家の伝統的な技術力とが、彼と彼の後継者によって多くの石造りの城を作らせることになった。彼の手によってドーヴァー城も石造りの強固な城へリニューアルされた。

ドーヴァー城は1168年から1188年にかけて築城され、ヘンリ2世、リチャード1世、ジョン、ヘンリ3世と四代かけて増改築が続けられて1227年頃にようやく完成している。

ドーヴァー城は海峡に望む海岸から110メートル余りの丘陵上にあり、海側は断崖絶壁となっている。城の中心となる天守は1180~87頃に建てられた石造のレクタングラー・キープで高さ29メートル、各辺の長さも29~30メートル、厚さ5~6.5メートルと中世ヨーロッパ最大の天守であった。この天守の周りを十棟の塔とバービカン(前衛塔)を持つ二つの城門を備えた内郭、中郭、外郭の三層の城壁が取り囲む。外郭城壁の完成はジョン王(1199~1216)の時代であった。外郭城壁の前面には空堀も設けられており、ヘンリ3世の時代に大幅な改修が加えられ、1227年、城主・城代の居住施設であるコンスタブルの門が築かれて完成、キープだけでなく城全体としても中世ヨーロッパ最大の城であった。

English Heritage A 360º View of Dover Castle(英語)

ドーヴァー城包囲戦(1216年7月19日~10月16日)

ヘンリ2世、リチャード1世を継いだジョン王はフランス王フィリップ2世によって1206年までにフランス側領土の大半を喪失、起死回生を狙って神聖ローマ帝国や反フランス王諸侯と同盟を結んで臨んだ1214年のブーヴィーヌの戦いでも大敗し、1215年、諸侯の反乱を招いた。反乱諸侯はジョン王に替わってフランスの王太子ルイ(のちのルイ8世)にイングランド王即位を求め、フランス王もこれを承認、1216年6月、イングランドに上陸した。ジョン王は劣勢の中ロンドンから逃亡、ルイはロンドンに入城したあと、自ら軍を率いて1216年7月19日、要衝ドーヴァー城の攻略に取り掛かる。

ルイはブーヴィーヌの戦いの前哨戦で別動隊を率いてイングランド軍を敗走させるなど父王フィリップ2世の覇業を助けて数々の軍功を挙げた戦上手で知られた人物である。即位後には南フランスを一気に征服するなど、後に「獅子王(le Lion)」の異名で知られることになる知勇兼備の勇将であった。

ドーヴァー城は城将ヒューバート・ル・バーグが守りを固め、三か月に渡ってルイの猛攻をしのぎ続け、あわや落城かというところまで追い込まれながらも、結局ルイは落城させることができなかった。そのドーヴァー城の奮戦に応えて10月に入りケント一帯で反乱が勃発、ルイはついに攻略を断念して10月16日、和睦を申し入れる。さらにその3日後10月19日、まさかのジョン王病死によって、ルイはイングランド攻略の大義名分を失い、幼い王太子ヘンリがウィリアム・マーシャルらに擁立されてヘンリ3世として即位するとルイ派は劣勢に追い込まれ、1217年、リンカンの戦いで敗北、撤退を余儀なくされた。

これが、ドーヴァー城が亡国の危機を救った”最初の”戦いだった。

近世~ナポレオンへの対抗

その後、ヘンリ8世による改築、清教徒革命時代の内戦などを経過して、1670年にはチャールズ2世とルイ14世の間でドーヴァーの密約の舞台となるなど英仏関係の窓口でありイングランド防衛の最前線として機能し続けた。

十八世紀末、フランス革命とナポレオンの台頭というフランス情勢の激変により、フランス軍の侵攻に備えてドーヴァー城は大規模な改修が行われた。その改修の指揮を執った技術者ウィリアム・トウィスは、城壁に砲門六門を設置し、城内に大規模な兵員を置くことを可能とするため、地下三層に渡る地下道を建設、さらに兵員を高速に移動・展開させるためグレート・シャフトと呼ばれる垂直の坑道を築いた。グレート・シャフトにはらせん階段が設けられ、わずか十二分で城内から崖下の海岸線まで兵員を移動・展開させることが可能となった。ドーヴァー城は対ナポレオン戦争最前線の基地となった。

ナポレオンは一時、海峡の地下にドーヴァーまでトンネルを築く計画も立てていたが技術的な困難さから断念。1805年、ナポレオンはドーヴァーの対岸ブーローニュに約16万もの軍勢を集結させると、イギリス上陸作戦の開始を命じた。その上陸作戦の前提として必須であったのがイギリス海峡の制海権確保である。フランス艦隊が出港したが、10月21日、ネルソン提督率いるイギリス艦隊に大敗を喫し(トラファルガー海戦)上陸作戦は水泡に帰した。

ダイナモ作戦司令部

1940年5月10日、ナチス・ドイツ軍が連合軍の虚を突いてベルギー国境とフランスに侵攻、瞬く間にベルギー・オランダ・ルクセンブルク・北フランスまでを占領し、連合軍はイギリス海峡に近い港町ダンケルクへと追い詰められていった。この40万近くに上る連合軍将兵救出作戦を指揮することになったのがバートラム・ラムゼイ海軍中将である。ラムゼイ中将はこの作戦の司令部をナポレオン戦争時に築かれたドーヴァー城の地下壕の一室に置き、同作戦は、ウィンストン・チャーチル首相がこの地下壕の一室”ダイナモ・ルーム”で作戦の説明を受けたことにちなんで「ダイナモ作戦」と名付けられた。

航空戦力に守られ、作戦期間中海が穏やかであったことにも助けられて、民間船舶あわせて600隻がダンケルクとドーヴァーの間を往復して、5月26日から6月4日までの9日間で連合軍将兵あわせて約338,000名の救出に成功、ドーヴァー海岸は窮地を脱した人々で溢れかえった。

第二次大戦中ドーヴァー城地下はさらに増改築され、大陸向けの諜報や攪乱のための部屋も設けられるなど、太平洋戦争の最前線にある軍事施設の一つとして重要な役割を担っていた。

核戦争時の司令部として

太平洋戦争が終結しても、ドーヴァー城は重要な軍事基地であり続けた。冷戦下、1968年に秘密裏にドーヴァー城の地下に核シェルターが設けられ、70年代に石灰岩の地盤が水に弱い点で核シェルターとしての用途に限界が認められるまでは、英国が核攻撃を受けた際にはドーヴァー城地下が軍の総司令部として機能することになっていた。

英国防衛の象徴として

紀元前、カエサルのブリテン上陸の企図を挫いて以来、アングロ・サクソンの諸王やウィリアム征服王が最重要視して城を築き、ヘンリ2世によって中世最大の城となり、以後ジョン王の失地に際してはイングランド失陥寸前で踏み止まらせ、ナポレオンに対抗して近代的な軍事基地としての機能を備え、ヒトラーから将兵を救い、核戦争の恐怖の中で最後の砦としての役割を担うという長きに渡る歴史によって、この城は英国防衛の象徴となった。

現在ではドーヴァー海峡を泳ぐスイマーたちの目印であり、渡り切った暁には城下のパブで祝杯を上げるのが通例となっているという。

参考文献・リンク

・青山吉信編『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,1991年)
・朝治啓三他編著『中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで』創元社,2012年
・太田静六著『イギリスの古城 (世界の城郭)』( 吉川弘文館 2010年)
・佐藤賢一 著「カペー朝―フランス王朝史1 (講談社現代新書)」(講談社、2009年)
・アントニー・ビーヴァー著(平賀秀明訳)『第二次世界大戦1939-45(上)』(白水社,2013年)
・J・E・カウフマン,H・W・カウフマン共著(中島智章訳)『中世ヨーロッパの城塞』(マール社,2012年)
・ジョン・テレン著(石島晴夫訳)『トラファルガル海戦』(原書房,2004年)
・チャールズ・フィリップス著(大橋竜太監修,井上廣美訳)『イギリスの城郭・宮殿・邸宅歴史図鑑』(原書房,2014年)
・ダン・ジョーンズ出演『イギリスの城に隠された秘密”Secrets of Great British Castles” 第一話ドーバー城』(U.K,TVドキュメンタリー,2015年)
Dover Castle | English Heritage

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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