勝長寿院跡~鎌倉三大寺院の一つだった源氏の菩提寺

スポンサーリンク

勝長寿院(しょうちょうじゅいん)は鎌倉大御堂ヶ谷(鎌倉市雪ノ下)に存在した、源頼朝が父義朝の菩提を弔うため建てた鶴岡八幡宮、永福寺と並ぶ鎌倉三大寺院の一つでした。別名大御堂、南御堂。以下、断りなければ参照ページ数表記は貫達人,川副 武胤 編著『鎌倉廃寺事典 (1980年)』(有隣堂,1980年)より。

勝長寿院址の碑

勝長寿院址の碑

スポンサーリンク

源氏の菩提寺として創建

頼朝自らこの地を選定して、元暦元年(1184年)11月26日、地曳始の儀を執り行い、文治元年(1185年)2月19日、工事開始、同5月21日には頼朝自ら現場に赴いて堂舎の配置を相談し、9月3日、京都から届いた義朝との首を埋葬しその臣鎌田正清の墓も設けています。10月24日完成、堂供養が執り行われました。(60頁)

永福寺、鶴岡八幡宮(当時は八幡宮寺)とともに非常に重視された寺院で、頼朝・政子・頼家・実朝ら将軍家が度々参詣し、大江広元、梶原景時ら要人が奉行に任じられ、承元元年(1219年)正月28日、前日鶴岡八幡宮境内で暗殺された三代将軍源実朝が勝長寿院の傍らに葬られ(71頁)、嘉禄元年(1225年)7月11日、北条政子が亡くなると、同じく勝長寿院に遺骨が納められ、実朝・政子ともに法華堂が設けられています。(74頁)

大寺院の威容

本尊は成朝作丈六皆金色の阿弥陀像、寺院の建物などについて記録に残るところでは、創建時には堂と門のシンプルなものであったようですが、堂の壁画は浄土の瑞相と二十五菩薩が描かれていました。(60頁)その後、元久元年(1204年)、実朝が勝長寿院弥勒堂に武蔵国久下郷を寄進したとする記録がある(70頁)ことからこの頃までに弥勒堂が建立されていたと考えられています。貞応二年(1223年)、北条政子によって弥勒菩薩像を本尊とする新御堂と御所(勝長寿院奥殿)が完成(72頁)。康元元年(1256年)12月11日、頼朝の法華堂を火元とする火災で勝長寿院、弥勒堂、五仏堂、塔が悉く焼亡(79頁)したため、時の執権北条時頼によって大規模な再建が行われ、再建に際して伽藍配置が見直されて、正嘉二年(1258)6月4日完成して供養が行われました。このときの記録に、大門、御所、楽屋、本堂、弥勒堂、三重塔などがみられるといいます。(82頁)

寺院の別当としては、創建時の供養導師として三井寺から本覚院公顕が招かれたあとは、個別の仏事を執り行った僧は別として、別当について記録がなく、正治元年(1199)5月17日に上洛したという勝長寿院別当慧眼房という人物が最初の別当として記録される人物です。(62頁)松尾 剛次 著『鎌倉 古寺を歩く―宗教都市の風景 (歴史文化ライブラリー)』(吉川弘文館,2005年)によると、実朝までの時代は寺門派(園城寺派)から別当が招かれているのに対し、四代将軍九条頼経以降幕府滅亡まで山門派(延暦寺派)から別当が招かれているとのことです。

衰亡

伝源義朝墓(左)、鎌田正清墓(右)

伝源義朝墓(左)、鎌田正清墓(右)

鎌倉幕府滅亡後、鎌倉に入った新田義貞が勝長寿院に陣を敷き、中先代の乱で北条時行軍三百余騎が勝長寿院で自害するなど歴史の舞台となり、その後も室町幕府・鎌倉公方の庇護を受けて栄えましたが、永享の乱(1438年)、享徳の乱(1455-1483)と関東動乱の中で衰退を余儀なくされていきます。享徳3年、時の別当成潤は勝長寿院から下野日光山に去ったといわれます。成潤は鎌倉公方足利持氏の子で古河公方足利成氏の兄弟です。その後、勝長寿院のことは、天文9年(1540年)9月23日の『快元僧都記』に「鶴岡御遷宮の時、簾中社参事について勝長寿院に尋ねらる」とあるのを最後に見えなくなり、その後廃寺になったようです。(86頁)

その後江戸時代に入って文政年間(1818-30)には礎石が見えていたという記録が残り、明治時代までに礎石も埋まってしまい水田が広がっていたと伝わります。現在、勝長寿院址の碑とともに祀られる源義朝と鎌田正清の墓とされる墓石は明治三十年頃両名の墓として造られた土饅頭の上に宝戒寺から五輪塔を移設して建てたものです。(88頁)

鎌倉三大寺院の一角、鎌倉屈指の大伽藍は歴史の闇の中に消えて、今は住宅街の一角にその跡を示す碑が建つだけとなっています。もしかするとこの一帯のどこかに、いまだ見つかっていない北条政子や源実朝などの遺骨も埋まっているのかもしれませんね。


神奈川県鎌倉市雪ノ下4丁目付近

参考書籍
・貫達人,川副 武胤 編著『鎌倉廃寺事典 (1980年)』(有隣堂,1980年)
・松尾 剛次 著『鎌倉 古寺を歩く―宗教都市の風景 (歴史文化ライブラリー)』(吉川弘文館,2005年)
・松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く 源頼朝から上杉謙信まで (中公新書)』(中央公論新社,1997年)
・吉川弘文館編集部『鎌倉古社寺辞典』(吉川弘文館,2011年)

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

Kousyouをフォローする
史跡巡り
スポンサーリンク
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
Call of History ー歴史の呼び声ー