ベリー公ジャン1世の生涯と「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」

スポンサーリンク

ベリー公ジャン1世(1340生~1416没)はフランス王ジャン2世(在位1350~1364)の第三王子。百年戦争期フランスの政治家・軍人。兄にフランス王シャルル5世(1338生~1380没、在位1364~1380)、アンジュー公ルイ1世(1339生~1384没)、弟にブルゴーニュ公フィリップ2世(1342生~1404没)がいる。1360年にベリー公に叙され、百年戦争下、兄王シャルル5世の再征服戦争を支え、シャルル6世即位後の1380年からは国王代行官として南フランスの統治を担った。オルレアン公とブルゴーニュ公の対立が深まると両者の融和を図ろうと努力するが、オルレアン公暗殺によって対立が決定的になると、反ブルゴーニュ公派をまとめてアルマニャック派の成立を斡旋、王権の維持に尽力した。芸術の庇護者としても知られる。王太子シャルル(のちのシャルル7世)が本拠地としたブールジュはベリー公ジャン1世の遺領。

スポンサーリンク

ベリー公ジャン1世の生涯

百年戦争での活躍

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」1月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」1月
ベリー公は右から二番目の青い服の男性

ベリー公ジャン1世(1340生~1416没)はフランス王ジャン2世(在位1350~1364)の第三王子で、父王が1356年ポワティエの戦いで捕虜となり、兄の王太子シャルル(後のシャルル5世)が摂政となると、第二王子アンジュー公ルイ1世、第四王子ブルゴーニュ公フィリップ2世豪胆公ら兄弟とともに兄を支えて対イングランド戦争に活躍した。特に1358年以降、「国王代行官([羅] locumtenens regis / [仏] lieutenant du roi )」(佐藤猛,2012年, 93頁)に任じられて西フランス一帯を統治、ロワール川以南について全権を与えられ、エドワード黒太子が統治するアキテーヌ公領に隣接するオーヴェルニュやリムーザンなどをその支配下に置いて(佐藤猛,2012年,104頁)、イングランド軍の脅威に対する備えとなっていた。

1380年、シャルル5世が没し、シャルル6世が即位すると国王代行官としてラングドックほか南フランス一帯の地方統治に関する全権を与えられて、1381年よりラングドック遠征を敢行、在地勢力であるアルマニャック伯との協力関係を築き、フォワ伯を中心とした反王権勢力と和平を結び、民衆反乱を鎮圧、百年戦争前半の間動乱状態にあった南フランス一帯を平定した。(佐藤猛,2012年,143-155頁)ベリー公ジャン1世は南フランス統治の関係からアルマニャック伯ベルナール7世の姉ジャンヌを妻とし、自身の娘ボンヌをベルナール7世の妻としていた。

ベリー公ジャン1世の人柄について、賢明で廉直、社交上手、雄弁といった長所が称賛される一方で、敵対者からは傲慢で貪欲と言われていた。(グネ,2010年,原著1992年,181-182頁)また、『自分に仕える者たちには善良で寛大』(グネ,2010年,原著1992年,182頁)だが『自分を悪く言う者には容赦なく仕返し』(グネ,2010年,原著1992年,182頁)をするという特徴があり、政治家としては政治的展望に欠け『事態を掌握するよりも、事態の流れに追随する傾向があった』(グネ,2010年,原著1992年,182頁)と言われる。良く言えば慎重、悪く言えば日和見といったところだろうか。軍人としては兄シャルル5世の信頼厚く、対英戦争での活躍・南フランスの平定などあきらかに兄弟の中でも卓越していたが、政治家としては兄のアンジュー公ルイ1世や弟のブルゴーニュ公フィリップ2世豪胆公より数段落ちるとみなされていた。

内乱と崩壊の中で

1388年、シャルル6世の親政開始とともに国王代行官の任を解かれ所領に退くが、1392年、突然の発狂によって王が統治能力を喪失すると国政に復帰。主導権を巡って弟のブルゴーニュ公フィリップ2世豪胆公とともに王弟オルレアン公ルイと争った。1404年の豪胆公の死とジャン無畏公の後継によってオルレアン公派とブルゴーニュ公派との対立が先鋭化し、1407年、オルレアン公ルイがブルゴーニュ公ジャン無畏公の配下によって殺害されたことで内乱状態になると、ベリー公は両陣営の融和を図るべく尽力した。(佐藤猛,2012年,209頁)

1409年5月8日、ブルボン公ルイ2世の仲介でオルレアン公遺臣とブルゴーニュ公勢力とはシャルトルで和平を結ぶが(上田耕造,2014年, 59頁)、結果、ブルゴーニュ公ジャン無畏公の影響力が増大したことで王権が脅かされ、諸侯の不満が高まったため(佐藤猛,2012年,213頁)、1410年4月15日、ベリー公は保有する城の一つジアン城にオルレアン公シャルル、アルマニャック伯ベルナール7世、アランソン伯ジャン1世ら反ブルゴーニュ派諸侯を招いてジアン同盟を締結させた。オルレアン公シャルルはアルマニャック伯ベルナール7世の娘を妻に迎えることで協力関係が成立し、これによって結成された反ブルゴーニュ公同盟がアルマニャック派と呼ばれることになる。

ブルゴーニュ、アルマニャック両派の対立の中、1413年、ブルゴーニュ公ジャン無畏公がパリを退去してアルマニャック派が宮廷を主導するようになるが、フランスの内乱を好機とみたイングランド軍が長い休戦条約を破って侵攻を開始、1415年10月25日、アジャンクールの戦いでフランス軍が壊滅させられ、アルマニャック派の首脳陣がこぞって戦死または捕虜となった。出陣に際してベリー公はポワティエの二の舞を憂慮して王太子らの出陣を控えるよう唱えたが、結果的にアジャンクールの戦いは諸侯を統率しうる指揮官の不在が最大の敗因であったから、その判断は慎重に過ぎた。1415年12月28日、聡明さで知られた王太子ルイが追い打ちをかけるように急死して、ブルゴーニュ公ジャン無畏公の勢力が再びパリに迫ろうという中で、1416年6月15日、今にも崩壊しようとするフランス王権を支えていた重鎮ベリー公は76年の生涯を閉じた。

ベリー公ジャン1世の死後

ベリー公死後、王太子に昇格したばかりの第二王子ジャンも1417年4月に急死し、残された弱冠14歳の第三王子シャルルが王太子に昇格するが、最早状況を左右する力はなく、イングランド軍とブルゴーニュ軍の前にパリから落ち延びて亡命政権を樹立し、圧倒的不利な戦力差の中で抵抗を試みることになる。王太子シャルル(後のフランス王シャルル7世)とアルマニャック派残党が拠点としたのがベリー公領の主都ブールジュであり、版図としたのが、かつてベリー公が支配下に置いた南フランスであった。一方、パリを含め北フランスはイングランド軍が制圧し、1420年、トロワ条約によってイングランド王ヘンリ5世が病床のシャルル6世の摂政および王位継承候補者となり、フランス王位は事実上イングランド王家の占有するところとなったのであった。

ベリー公ジャン1世は百年戦争後半の状況を生んだキーパーソンの一人であったといえよう。特に1380~88年の国王代行官時代はフランス王国の地方行政と統治の全権を掌握する最大の王族諸侯であり、1404年のブルゴーニュ公フィリップ2世死後は国政に最も影響力を及ぼす存在であった。ただ、前述のとおり決して政治力に恵まれていたわけではなく危機の時代にあっては荷が重すぎた。優秀な外交官であり知勇兼備でシャルル5世を補佐した名宰相アンジュー公ルイ1世(1384年没)、人望厚く良心的で政治的対立の調整役であったシャルル5世の義兄ブルボン公ルイ2世(1410年没)、大政治家の誉れ高い弟ブルゴーニュ公フィリップ2世(1404年没)など政治力に恵まれた兄弟が存命の間は問題なかったが、彼らが次々と亡くなってベリー公ジャン1世だけが残されることになったのは彼自身にとっても不幸であった。

芸術の庇護者として

ベリー公ジャン1世は芸術の庇護者として同時代を代表する人物でもあった。特に装飾写本のコレクションは著名で、ジャックマール・ド・エダン(?~1409)による『ベリー公の詩篇集』(1386年頃)、ナルボンヌの装飾飾りの画家による『ベリー公のいとも美しき聖母の時祷書』(1380~90頃)、ランブール兄弟による『ベリー公のいとも美しき時祷書』(1410頃)、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1416年以前に製作開始され中断、1480年代に完成)など蔵書目録では1000点、現存するだけでも六冊300点に上る写本群がある。(富永良子,1994年,300-303頁)特に、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は国際ゴシック派を代表する「写本芸術の最高峰」(諸川春樹,1996年, 15頁)として名高い。

『ヨーロッパ中世において祈りは聖職者のつとめで、彼らは日々聖務日課書に従って、朝課から終課にいたる8定時課(定時に唱えるところから時祷とも呼ばれた)を唱え、ミサ典書に従ってミサをあげた。中世末期になると平信徒の中でも王侯貴族や富裕な市民の間で個人的な信仰の手引きとして、聖務日課書を簡略化したものが時祷書という名称で用いられるようになった。』(富永良子,2002年,270頁)

特に十四世紀後半から十五世紀のフランス、フランドル、ネーデルラント、イングランドなどにかけて盛んに製作されるようになったが、その背景としては、第一に、十四世紀半ば以降の黒死病の蔓延と百年戦争などの戦乱の中で信仰心が高まったこと、第二に、教皇庁のアヴィニョンへの移動によるフランス諸侯とカトリック教会との交流が深まったこと、第三にフランス王シャルル5世が文芸を保護して写本装飾技術が広まったことなどがあり、シャルル6世(在位1380~1422)時代にフランスを中心として『13世紀以来のゴシック絵画の伝統に由来する装飾的色彩、流麗なアラベスクをなす線描による優雅な形態表現』(富永良子,1994年,297頁)を特徴とする国際ゴシック派と呼ばれる様式が確立して、ベリー公ジャンを筆頭に多くの王侯貴族たちの庇護の下で時祷書の作成が進められた。

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」

大教皇グレゴリウスの行列(『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より)

大教皇グレゴリウスの行列(『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より)


「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」の製作者ランブール兄弟はナイメーヘン(現在のオランダ・ヘルダーランド州の都市)出身、ポール、ヘルマン、ジャンの三兄弟で国際ゴシック派の代表的な画家とみなされている。パリで修業した後ポールとジャンはブルゴーニュ公フィリップ2世に仕え、公の死後1410年頃までに三人ともベリー公に仕えて時祷書の作製にかかった。1416年ベリー公の死と同時期に三兄弟とも亡くなったことで製作は一時中断、1480年代、未完成の時祷書はサヴォワ公の手に渡り、画家ジャン・コロンブによって完成をみた。(富永良子,1994年,302頁)

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」で特に評価が高いのが見開き2ページを使った「大教皇グレゴリウスの行列」である。『2欄に分けて書写されたテキスト・ページに挿絵を入れる場合は、通常1欄分の全体か部分を用いるのが通例であるが、ここでは挿絵と2ページ分の左・右・下の欄外を合体させ、サンタンジェロ城近くのローマの城壁の内外を進む行列が巧みな構成で抽出され、しかもそれがテキスト部分とも見事に調和している』(富永良子,1994年,302頁)と評される。

また、月暦(農事暦)画は1月から12月まで12枚の図像によって人々の営みが表現されており、中世末期の人々の暮らしを知る格好の画像史料となっている。

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」1月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」1月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」2月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」2月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」3月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」3月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」4月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」4月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」5月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」5月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」6月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」6月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」7月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」7月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」8月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」8月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」9月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」9月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」10月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」10月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」11月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」11月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」12月

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」12月

一月はクリスマスから公現祭(六日)までの酒宴の様子が描かれ、二月は復活祭前の禁欲期間かつ雨季のため暖炉で温まる様子が描かれ、三月からは農作業が開始され、四月・五月は春を迎えて戸外でそれらを愛でる情景、六月は冬の飼料となる干し草準備のための牧草刈り、七月は小麦の収穫、八月はエタンプ城を背景に鷹狩りの様子、九月はソーミュール城を背景にぶどうの収穫、十月は対岸にルーヴル宮を眺めながら冬麦の種まきが行われており、十一月は豚の餌として椎の実落としの様子、十二月は猟犬たちによる前月に育てた豚の屠殺の様子という具合に一年間のサイクルが描かれている。(河原温,堀越宏一,2015年,46-47頁/世界美術大全集,1994年, 406-407頁)一月の右から二番目、腰かけてテーブルに両手をついた青い服の老人がベリー公ジャン1世である。六月の場面からは当時の農民の衣服がよくわかる。丁度十四世紀後半から十五世紀にかけて衣服の身分差・性差が明らかになり始め、男性服より女性服の方がより長いチュニックやギャルド・ローブと呼ばれる前掛けなどで特徴付けられ、また胸の部分をV字型に切り開いて紐やボタンで留めるようになった。(河原温,堀越宏一,2015年,116頁)

参考書籍

・上田耕造著『ブルボン公とフランス国王―中世後期フランスにおける諸侯と王権』(晃洋書房,2014年)
・川原温,堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本)』(河出書房新社,2015年)
・佐藤猛著『百年戦争期フランス国制史研究』(北海道大学出版会,2012年)
・冨永良子著「第8章 国際ゴシック様式の絵画 フランコ・フラマン派を中心に」(佐々木英也,冨永良子編『ゴシック2 世界美術大全集 西洋編10』(小学館,1994年)
・フランソワ・ベスフルグ,エバーハルト・ケーニヒ編著(冨永良子訳)『ベリー公のいとも美しき時祷書』(岩波書店,2002年,原著1998年)
・ベルナール・グネ著(佐藤彰一,畑奈保美訳)『オルレアン大公暗殺――中世フランスの政治文化』(岩波書店,2010年,原著1992年)
・諸川春樹編著『西洋絵画史WHO’S WHO―カラー版』(美術出版社,1996年)

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

Kousyouをフォローする
ヨーロッパ史
スポンサーリンク
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
Call of History ー歴史の呼び声ー