征服王の後継者ウィリアム2世ルーファス(赤顔王)

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ウィリアム2世はノルマン朝イングランド(アングロ=ノルマン王国)三代目のイングランド王。ウィリアム1世の第三王子。兄にノルマンディ公ロベール、弟にヘンリ1世がいる。ウィリアム1世の跡をついでイングランド征服を推し進めた。教皇との聖職叙任権闘争によって教会との対立を招いたため同時代の記録では悪評が多い。妻子を持たなかった。1060年頃生~1100年8月2日没。在位1087年9月26日~1100年8月2日。

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ウィリアム2世の事績

ウィリアム2世の細密画

ウィリアム2世の細密画

1087年、イングランド王ウィリアム1世はその死に際して三人の子に慣習にのっとって遺領の分割相続を行った。長子ロベール(1052年生~1134年没)にノルマンディ、次子(三男)ギョーム(ウィリアム2世、1060年頃生~1100年8月2日没)にイングランド、末子アンリ(ヘンリ1世、1068生~1135年12月1日没)には金銭という配分であった。

父王が死ぬとノルマンディ公ロベールとイングランド王ウィリアム2世ルーファス(赤顔王)はノルマンディ・イングランドの支配権をめぐり対立して紛争となる。ウィリアム1世の異父弟で事実上イングランドの摂政であったバイユー司教オドをはじめ少なからぬ諸侯がロベールを支持したが、ウィリアム2世はこれを鎮圧、幾度かの戦闘を経て1091年、お互い嫡子無く亡くなったときは互いが後継者となることを定めた平和条約が結ばれた。

ウィリアム2世は父王の征服事業を推し進めた。1093年、南下してきたスコットランド王マルカム3世を撃破・戦死させてイングランド北部にも支配を広げ、ブリテン島西部ウェールズにも影響力を及ぼした。一方、聖職叙任権を巡ってカンタベリー大司教アンセルムを追放するなど教会との関係は悪化、前王は大司教ランフランクと友好的な関係を築いていただけに、イングランド王権の権威弱体化をもたらすことにもなった。教会との険悪な関係も影響してか、ウィリアム2世の同時代の記録は放蕩、傲慢、不道徳などと軒並み悪評で占められている。(森譲,1986,24-27頁/エドマンド・キング,2006,38-39頁)未婚のまま生涯を送り子供もいなかったことから同性愛者であったとする説もあるが、疑問視されている。(エドマンド・キング,2006,38頁)

一方、長兄ノルマンディ公ロベールも浪費に次ぐ浪費でその権威は失墜しており、それだけに1096年の第一次十字軍を一攫千金のチャンスとばかりに飛びついた。ただ兵を整える資金にも困ったため、ロベールはノルマンディ公領の管理権を担保にウィリアム2世に資金を提供されて参加している。

1100年8月2日、ウィリアム2世は狩猟中の事故で亡くなった。その後、ロベールの不在を突いてイングランド王に即位したのは三男のアンリであったため、内乱が勃発することになった。

参考文献

・エドマンド・キング著(吉武憲司監訳)『中世のイギリス』(慶應義塾大学出版会,2006年,原著1988年)
・城戸毅著「第六章 イングランド封建国家」(青山吉信編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』(山川出版社,1991年)
・鶴島博和「第三章 11世紀~近世前夜」(近藤和彦編著『イギリス史研究入門』(山川出版社,2010年)
・中村敦子著「第一章 ノルマン征服とアングロ・ノルマン王国[一〇六六~一一五四]」(朝治啓三,渡辺節夫,加藤玄編著『中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで』(創元社,2012年))
・森護『英国王室史話』(大修館書店,1986年)
・森護『英国王室史事典』(大修館書店,1994年)