ヘンリ1世碩学王~イングランドの統治体制を築いた隠れた名君

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ヘンリ1世はノルマン朝イングランド(アングロ=ノルマン王国)三代目のイングランド王。ノルマンディ公。ウィリアム1世の末子。前王ウィリアム2世の死後、ノルマンディ公ロベールの不在を就いてイングランド王に即位。ノルマンディ公ロベールの反乱と、それに続く内乱を鎮圧し、フランス王、アンジュー伯ら諸外国の侵攻を退けて対外情勢を安定化させた。また、諸制度を整備しさまざまな統治体制を確立した。娘マティルダを後継者としてアンジュー伯家との婚姻関係を結び、後のアンジュー帝国へと至る道を開いた。学究的で知識人、用意周到な人柄から「碩学王(Beauclerc)」の異名で知られる。1068年生~1135年12月1日没。在位1100年8月5日~1135年12月1日。

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即位と内乱

ヘンリ1世肖像画(1902年)

ヘンリ1世肖像画(1902年)

1100年8月2日、ウィリアム2世が狩猟中の事故で亡くなると、かねてからの約定では長兄ノルマンディ公ロベールに継承権があるはずだったが、彼が十字軍に出征中であったため、不在を就いてイングランド王に就任したのはウィリアム1世の末子アンリであった。

イングランド王に即位したヘンリ1世(在位1100年~1135年)は、鮮やかな手腕で貴族たちの支持をまとめ、スコットランド王女との婚姻、フランドル伯との和平、兄王時代に追われたカンタベリー大司教アンセルムの再招聘など諸外国とも次々と同盟関係を確立して支配を固める。(中村敦子,2012,23-24頁)即位に際して『戴冠式当日、旧弊の排除、法による統治、人民の自由などを保証した「戴冠憲章(Coronation Charter)」を発布して、これが後のマグナ・カルタの基礎にもなった。』(森譲,1994,351頁)

ノルマンディ公ロベールは弟の即位を不当としてイングランドに侵攻、内乱が勃発するが、1106年、タンシュブレーの戦いでヘンリ1世はノルマンディ軍を撃破、ロベールを捕らえてイングランドとノルマンディの統治権を得た。ロベールは1134年に亡くなるまで虜囚として余生を送ることになる。

続いてヘンリ1世体制に異を唱えたのがロベールの息子ギョーム・クリトである。幽閉地から脱出した彼は反ヘンリ1世勢力を結集、フランス王ルイ6世やアンジュー伯フルク5世と結んで大規模な反乱軍を組織した。ここにアングロ=ノルマン王国の継承問題は国際戦争の様相を呈することになった。

ルイ6世は1092年に獲得したノルマンディ公領と隣接するヴェクサン伯領防衛の観点からアングロ=ノルマン王国の拡大を抑える必要性に駆られており、ギョーム・クリトの全面的支援に乗り出した。1110年、アンジュー伯フルク5世がノルマンディとアンジューの境界にあり従来はヘンリ1世に臣従していたメーヌ伯領の継承権を獲得してヘンリ1世への臣従を拒否する。両者の緊張が高まり、あわせてヘンリ1世の同盟者だったフランドル伯ロベールがルイ6世と結びヘンリ1世に対抗して、反ヘンリ1世同盟が形成された。

フランス王・アンジュー伯・フランドル伯ら諸侯連合軍とヘンリ1世軍が一進一退の攻防を繰り返したが、1112年、ヘンリ1世はギョーム・クリト最大の支持者ロベール・ド・ベレーム逮捕に成功、軍事成功を背景にアンジュー伯と和平を結び、ギョーム・クリトはフランドルへ亡命した。1118年、紛争が再燃するが、フランドル伯が戦傷で反ヘンリ1世同盟から離脱。1119年、ヘンリ1世の王太子ウィリアムとアンジュー伯娘との婚約が成立してアンジュー伯ともあらためて友好関係を確立し、同年8月20日、ブレミュールの戦いでギョーム・クリト=ルイ6世連合軍を撃破して包囲網を完全に崩壊させた。(中村敦子,2012,25-27頁)

征服から統治へ

父王をも凌ぐかと思われる軍事的成功と巧みな外交手腕でアングロ=ノルマン王国防衛に成功したヘンリ2世は、内政においても有能であった。ノルマンディとイングランドとはそれぞれに異なった独自性と法と慣習を持っていたが、ヘンリ1世は家政組織を伴って両方を巡回しながら統治を監督することで、君主の権威を確立した。その過程で統治機構が整備され制度的支配がはじまる。

ヘンリ1世は王の下に国家財政を取りしきる寝所部(Chamber)を中心とする宮内府(Household)と同部署と並列する、文書を作成する尚書部(Chancery)を置き、尚書部長官は国璽を保管する役目を負った。また、1109年頃からイングランドに司法・行政機構を統括する王の代理人として行政長官を置き、両地に置かれていた宝物・貨幣・重要書類を保管する宝蔵室を組織改編して財務府(Exchequer)とその長として財務府長官を任じた。財務府は後に常設となるが当初は常設ではなく年二回の州長官による会計監査の時期に設置され、これを監督した。また、裁判組織として、従来の封建的議会とあわせて両地に常任裁判官を複数おいて司法・裁判を行わせるとともに、行政長官の補佐として統治にあたらせた。また、有力家臣を派遣して巡回裁判を行わせたのもヘンリ1世が最初であった。(城戸毅,1991,223-224頁/エドマンド・キング,2006,47-53頁)また、残っている限り最も古いまとまった財政収支の記録は1129-30年度のもので総収入22,865ポンド、うち横領地収入が52.5%、税収入13%、裁判収入10.5%などとなっている。(鶴島博和,2010,54頁)

この行政機構を確立し、初代の行政長官として率いたのがソールズベリー司教ロジャー(ロジャー・オブ・ソールズベリー)である。プランタジネット朝草創期の行政長官ヒューバート・ウォルターと並び称される中世イングランドを代表する名宰相で、即位前からヘンリ1世と親しく、即位後は全幅の信頼を置かれて内政機構の整備運用に辣腕を振るった。

また、ウェールズについても支配を広げ、直轄領を設けるとともに、腹心たちにウェールズの所領や聖職禄を与えてイングランドのノルマン諸侯の拡大を抑制しつつ王の支配を確立、ウェールズ地方に封建王政を拡大させた。(永井一郎,1991,303-304頁)

後継者問題

1120年、ヘンリ1世の王太子ウィリアムが事故死したことで男子後継者がいなくなってしまい後継者問題が浮上する。さらに王太子の死によってアンジュー伯娘との婚約が消滅すると、1123年、アンジュー伯は手のひらを反して自身の娘とギョーム・クリトとの婚約を成立させるが、ヘンリ1世は教皇に働きかけて両者の婚約を禁じさせる。さらに1124年、ヘンリ1世は反乱を鎮圧、同時に神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の妃で夫が1125年に亡くなり寡婦となっていた自身の娘マティルダを後継者に擁立して再度事態を安定化させた。

1128年6月、マティルダとアンジュー伯フルク5世の子ジョフロワとの結婚を成立させる。この結婚がイングランド・ノルマンディ・アンジューの統一、すなわちプランタジネット朝アンジュー帝国成立への第一歩となった。同年7月、ギョーム・クリトが亡くなると反ヘンリ1世勢力は完全に瓦解、ヘンリ1世治世はようやく安定した体制を築くことができた。

1133年3月5日、マティルダとジョフロワの間に嫡男アンリ(後のヘンリ2世)が誕生、男子継承者の誕生を見届けて、1135年12月1日、ヘンリ1世は67年の生涯を終えた。

ヘンリ1世の人柄と成果

ヘンリ1世は勉強熱心な知識人で学究的な人柄であったことから「碩学王(Beauclerc)」と呼ばれ、何事も周到な計画の上で実行するタイプであった。

また、最初の妻マティルダはスコットランド王マルカム3世の娘、マティルダ死後再婚したのがルーヴァン伯ジョフロワ・ド・ルーヴァンの娘アデライザで、アデライザはシャルルマーニュの子孫にもあたり、王権の権威向上を狙ってカロリング家の血統を入れようとしたようだが、残念ながら二人の間に子供は生まれなかった。実子・庶子あわせて二十人以上の子供に恵まれていたが、嫡子はマティルダとウィリアムの二人だけであった。庶子の一人、グロスター伯ロバートは後にマティルダ最大の協力者として王位継承戦争を戦うことになる。

ノルマン人による征服と支配を制度として確立し、イングランド王国の行政機構を整えて中央集権化を進め、聖職叙任権闘争を解消、度重なる諸侯反乱を鎮圧して、諸外国の侵攻から領土を守り、アンジュー伯家との婚姻によって後のアンジュー帝国成立に至る基礎を築くなど、ノルマン征服にはじまる王朝草創期において決定的な役割を果たした英君である。

参考文献

・エドマンド・キング著(吉武憲司監訳)『中世のイギリス』(慶應義塾大学出版会,2006年,原著1988年)
・城戸毅著「第六章 イングランド封建国家」(青山吉信編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』(山川出版社,1991年)
・鶴島博和「第三章 11世紀~近世前夜」(近藤和彦編著『イギリス史研究入門』(山川出版社,2010年)
・永井一郎「第八章 ノルマン侵入後のウェールズ――独立をかけた戦い」(青山吉信編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』(山川出版社,1991年)
・中村敦子著「第一章 ノルマン征服とアングロ・ノルマン王国[一〇六六~一一五四]」(朝治啓三,渡辺節夫,加藤玄編著『中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで』(創元社,2012年))
・森護『英国王室史話』(大修館書店,1986年)
・森護『英国王室史事典』(大修館書店,1994年)

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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