フランス王フィリップ1世(在位1060-1108)~政戦両略の負け上手

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フィリップ1世はカペー朝第四代のフランス王(在位1060年8月4日~1108年7月20日)

1052年5月23日、カペー朝第三代フランス王アンリ1世と王妃アンヌ・ド・キエフの長男として生まれ、1059年5月29日、アンリ1世の共同王として戴冠、翌1060年8月4日、アンリ1世の死にともない、単独の王として統治を始めた。弱冠8歳での即位であったため、母后アンヌ・ド・キエフが摂政となり、有力諸侯フランドル伯ボードゥアン5世の後見を受けた。

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事績

フィリップ1世

フィリップ1世
Gillot Saint-Evre
『Philippe Ier, roi de France 』(1837)
ウィキメディアコモンズより

1066年、14歳で親政を開始するが、同年10月14日、ノルマンディ公ギョーム2世がヘースティングズの戦いでイングランド軍を撃破し、12月、イングランド王ウィリアム1世に戴冠、ノルマンディ公領とイングランド王国を統合したアングロ・ノルマン王国の脅威への対処を余儀なくされた。

領土拡大

しかし、彼は若くして政戦両略に長けた有能な王であった。1068年、アンジュー伯領の後継争いに介入してガティネ地方を占領。1071年、フランドル伯ボードゥアン6世死後の後継争いに介入、ボードゥアン6世の未亡人フランドル女伯リシルドに味方してフランドル伯領を実効支配するロベール・ル・フリゾンと対立、カッセルの戦いで敗北するが、翌1072年、フランドル伯ボードゥアン5世に割譲したコルビーの併合に成功。1077年、ヴェクサン伯家の断絶に伴い、前王アンリ1世がノルマンディ公に割譲していた同伯領の奪還に成功。1079年、イングランド王ウィリアム1世に反乱を起こした同王長男ロベールに助勢してジゾールを確保と、諸侯の内紛や対立に乗じて次々と王領地の拡大に成功していく。

王領地の行政機構整備

また、王権の家政機関を強化して主膳長(セネシャル “Sénéchal”)、司酒長(ブティエ “Bouteiller”)、主馬長(コネターブル “Connétable”)、官房長(シャンブリエ “Chambrier”)、尚書長(シャンスリエ “Chancelier”)の五大官職と地方行政官であるプレヴォ “Prévôt”を置き、有力貴族や城主らを抜擢して王領の統治機構を整備した。フィリップ1世の統治下で『ガーランド家、ル・ブティエ・ドゥ・サンリス家、ダマルタン家、モンレリー家、モンモランシ家、モンフォール家、ボーモン家、ロシュフォール家などが、フランス譜代として名を連ねることになった。』(佐藤賢一,52頁)

結婚問題

1071年、フランドル伯領の後継争いに介入した際、新フランドル伯となったロベール・ル・フリゾン(フランドル伯ロベール1世)との和平に伴い、彼の義理の娘ベルト・ド・ホランドと結婚、嫡男ルイ(後のフランス王ルイ6世)、長女コンスタンスに恵まれていた。

しかし、1092年、アンジュー伯フルク4世の妻で有力家臣シモン1世・ド・モンフォールの娘ベルトラード・ド・モンフォールと不倫関係に陥ると、王妃ベルトを一方的に離縁した上で修道院に軟禁(1094年死去)させ、ベルトラードとの再婚を試みる。これに対し、1094年、オータン宗教会議で破門に処され、98年に一度は破門が解かれるが1099年再び破門に処され、1100年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世との対立でフランス王の協力を得たい教皇パスカリス2世によってようやく破門が解かれた。また、このベルトラードとの再婚によって王太子ルイとの対立が生じ、1100年から1101年にかけて、ルイはイングランドに滞在している。

晩年

1097年、王太子ルイにヴェクサンを与え、ルイはイングランド王ウィリアム2世ルーファスを撃退、1100年、ルイを共同王として戴冠させた。1101年、ブールジュを獲得してカペー家は初めてロワール川以南に領地を広げた。しかし、これ以降フィリップ1世は次第に政治から離れていき、王太子で共同王のルイ6世が表舞台に立って活躍するようになる。

1108年7月20日、在位48年、56歳で亡くなった。歴代フランス王の中でルイ14世(在位1643~1715年、72年)、ルイ15世(在位1715~1774年、59年)に次ぐ三番目に長い在位期間である。

王権拡大への土台を整えた王

治世の前半は台頭する諸侯の隙をついて政戦両略を駆使して領地を拡大し、内にあっては台頭する領主・城主層を取り込んで行政機構を整えて、晩年は結婚問題や教会との関係、王太子との確執などで晩節を汚す結果となったが、全体としては目覚ましい成果を残したといえよう。諸侯がこぞって内紛に見舞われるという幸運はあったし、戦争も負けを数えた方が多いぐらいだが、なぜか領地が増えている負け方をしていて、負け方の上手さが光るという点で、十分すぎるほどに有能な君主であった。しかも、最大の脅威となっていたのはあの征服王ウィリアム1世なのである。このタイミングでフィリップ1世が王であったことこそカペー家にとって幸運であった。とはいえ、歴史上は、祖父・父と同様、これまでもこれからも特筆されることのない、無名であり続けるであろう王なのだが。

これまで初代ユーグ・カペー、二代ロベール2世敬虔王、三代アンリ1世と王統の生き残りに精一杯だったカペー家が、王権の強化・拡大へと進むその第一歩が、彼の治世下で標されたといえる。奇しくも彼と同じ名を持つフィリップ2世より始まる「王権の覚醒」の胎動の始まりであった。次代のルイ6世によってカペー王権は弱小王権の汚名を返上して、君臨には程遠いものの、充分に列強諸侯と伍するだけの力を備えた王権へと躍進するのである。

参考文献・リンク

・朝治 啓三,渡辺 節夫,加藤 玄 編著「中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで」創元社、2012年
・佐藤賢一 著『カペー朝 フランス王朝史1(講談社現代新書)』講談社, 2009年
・柴田三千雄編『フランス史〈1〉先史~15世紀 (世界歴史大系)』山川出版社, 1995年
・アンリ・ルゴエレル著(福本秀子訳)「プランタジネット家の人びと (文庫クセジュ)」白水社、2000年
・テレーズ・シャルマソン 著(福本直之訳)『フランス中世史年表―四八一~一五一五年 (文庫クセジュ)』白水社, 2007年,原著1998年
Philip I of France – Wikipedia (フランス語)

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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