「アングロ・サクソン年代記」の概要、成立の歴史、主な内容まとめ

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「アングロ・サクソン年代記” Anglo-Saxon Chronicle “」はアルフレッド大王治世下の九世紀末、当時、残っていた古い記録や文書、民間の伝承を集め、デーン人の侵攻を中心に同時代の記録を追加されて編纂が始められた年代記形式の歴史書。後に複数の写本が作られて各地の教会や修道院でそれぞれ書き継がれ、これらの写本類をあわせると、西暦0年から1154年までの記録が残されている。複数の写本で構成されていることや年代のずれ、特に末期のノルマン朝時代の書き手のノルマン人への怨嗟や視点の偏りなど、記述内容について注意が必要な史料でもある。

年代記の主な内容は第一に戦争や王国の統治など軍事や政治に関する記録、第二に修道院や教会、聖職者の任命や死没などキリスト教に関する記録、日食や月食などの自然現象の記録に大別される。

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年代記を構成する主な写本

現存する写本は羊皮紙(子牛皮紙)に古英語で記された七写本23断片、主に以下の九種類の稿本でアングロ・サクソン年代記は構成される。分類は大沢一雄「アングロ・サクソン年代記研究」(1967)に従う。

1)Ā稿本(” The Parker Chronicle “)パーカー写本。891年まで一人で書かれ以後975年まで13~14人によって書き継がれた。11世紀にカンタベリーに移され、挿入と変更が加えられた。

2)A稿本(” Cotton Otho B xi “)Ā稿本がカンタベリーに移される以前のコピー。コットン・コレクションの一部。1731年、収蔵されていたコットン家の火災で多くが焼失。大英博物館収蔵。

3)B稿本(” The Abindon Chronicle “)大英博物館収蔵。891年までのC稿本を原本とした写本で、977年まで書き継がれた。ウェセックス北東部Abindonで書き継がれた。

4)C稿本(” The Abindon Chronicle “)大英博物館収蔵。ウェセックス北東部Abindonで書かれたあと十一世紀にカンタベリーに移されて1066年まで書き継がれた。

5)D稿本(” The Worcester Chronicle ”)ウォーセスターで作られたと考えられている。1060年頃、すでに失われた原本から写され、1079年まで続けられた後、1130年、1079年以後の記録が付け加えられた。

6)E稿本(” The Laud 〔Peterborough〕 Chronicle ”)1121年から1154年までピーターバラ(”Peterborough ”)で書かれた写本。1023年までは他の資料と共通の記述が多いが、1023年以降は独自の記述になる。

7)F稿本(” British Museum, Cotton MS. Domitian A viii 〔A.D.1−
A.D.1058〕”)カンタベリーで書かれた写本の要約。古英語とラテン語で書かれており古英語からラテン語への過渡的な過程を示す。

8)H稿本(” British Museum, Cotton MS. Domitian A ix, on the
single leaf folio 9 ”)すでに失われた記録の断片。1113年と1114年の事件が記述されている。

9)I稿本(” BritishMuseum, Cotton MS. Caligula A xv folios 132b
− 139 ”)カンタベリーで書かれた988年から1268年までのイースター(復活祭)の日を確認させる表。

アングロ・サクソン年代記(ピーターバラ写本)

アングロ・サクソン年代記(ピーターバラ写本)
ウィキメディアコモンズより

年代のずれ

以上のように複数の写本に分かれて書き継がれているため記述の相違も多いが、年代の食い違いも大きい。越年を通常の暦年である一月一日とするか、受胎告知の日である三月二十五日にするか、クリスマスにするかで記述者によって変わるからである。

また、現存する史料に共通して754年から845年までの記録に正しい年代より二年から三年の年代のずれがあり、共通の稿本から筆写者が写した時の誤りと考えられている(大沢62頁)。年代のずれの例として、年代記794年の条には教皇ハドリアヌス1世とマーシア王オファがこの年に亡くなったとしているが、教皇ハドリアヌス1世が亡くなったのは795年12月、オファ王が亡くなったのは796年7月。年代記812年の条でカール大帝が亡くなったと記録されるがカール大帝の死は814年1月、などで、同様にブリテン島での出来事に関する記録にも数年のずれがある。

主な内容

「最初のEnglish short story」

西暦0年から五世紀、443年の条のアングロ=サクソン諸族の侵攻の開始までは簡潔な内容が続き、以後戦闘の記述や首長の動静を中心に描写が詳細になる。特に755年の条(正しい年代は757年)では詳細な権力闘争の過程が描かれ評価が高い。

要約すると、ウェセックス王キネウルフは王族シイブリフトが家臣のクンブラを殺害したことを罰して彼の領地を奪い追放、シイブリフトは追放先でクンブラに忠実な牧夫に殺害された。続いて王はシイブリフトの兄弟キネヘアルドを追放しようとするが、キネヘアルドは王が少人数の随員だけでサリー州のある女性を訪れていることを知り、手勢を連れて王とその女性が密会していた部屋を襲撃、キネウルフ王を殺害するが、キネヘアルドもまた重傷を負った。そこに女の合図で王の護衛が突入して善戦するが、人質とされた一人を除いて全滅する。キネウルフ王の死を知らされた太守オズリク、近侍ウィヴェルスらは兵を率いてキネウルフ王の遺骸が横たわるキネヘアルドの砦を包囲。囲まれたキネアヘルドは王位を認めてくれれば、金や土地は望み通り与えると言うが、この誘いを包囲軍は跳ねのけてキネヘアルドと王の太守の名付け子を除いて全滅させた。という話である。

この描写はアングロ・サクソン年代記の中でも「最初のEnglish short story」(大沢「アングロ・サクソン年代記研究」31頁)として特筆される項として挙げられる、ウェセックス王国衰退期の内紛描写である。なお、ここに登場するキネヘアルドは後にウェセックス王となり、彼の死後、ケント王子エグバートとマーシア王オファの支援を受けた王族ベオルフトリックが王位を争い後者が即位、エグバートは一時亡命を余儀なくされることになる。年代記ではこのような血で血を洗う抗争が次々と描かれていて、当時の荒々しい気風がよく伝わる。

千年紀までの興亡史の記録

また、七王国時代に勢威を誇ったブレトワルダ(覇王、覇者、または上王)について、ベーダ『イングランド教会史』(八世紀)の記録の七人を受け継ぎつつ八人目としてエグバートを加えて紹介している。827年の条(正しくは829年)。

『このような大王国を支配した最初の王は、サセックス王アレであった。二番目は、ウェセックス王ケアウリン、三番目はケント王アゼルブリフト、四番目は、イースト・アングリア王レッドワルド、五番目は、ノーサンブリア王エドウィン、六番目は、そのあとを継いで支配したオズワルド、七番目は、オズワルドの弟オズウィ、八番目は、ウェセックス王エグバートえあった。』(76頁)

一般的に日本語訳されるときはサセックス王アレはアェレ、ケント王アゼルブリフトはエゼルベルト、イースト・アングリア王レッドワルドはレドワルドと表記されることが多い。

デーン人侵攻の過程も詳細で、787年の条(正しくは789年)、デーン人の船が三隻渡来、代官が王の荘園へ行かせようとすると、デーン人たちは代官を刺殺した。これがデーン人襲来の最初の記録である。以後、エグバート王の帰還・即位からウェセックス王権の復興、そして本年代記編纂を命じたアルフレッド大王の活躍、デーン人との激しい戦い、統一イングランド王家の誕生、デーン人の勢力拡大と北海帝国の成立、アングロ・サクソン朝イングランド王家の衰退と千年紀前後までの興亡史の記録が続く。

みんな大好きノルウェー王にしてノーサンブリア王エイリーク1世血斧王については王位についたという記録に留まるが、948年の条でノーサンブリア王についた後ウェセックス王に攻められ『ノーサンブリアの賢人たちは、そのことを知った時、エリックを見捨てて、王エアフレッドに対する、彼らの償いをした』と一年で王位を失った記録が、952年にあらためてノーサンブリア王に復帰するも、954年、ノーサンブリア人によってあらためて追放された記録が残る。

ノルマン朝歴代王への怨嗟

また、特徴的なのが1066年以降、ノルマン朝王権になってからのことで、『ノルマン人の征服以後の記録には、散文の記録もそうであるが、詩の形式をとるものにも、支配者に対する激しい怒りや怨嗟の声が満ち満ちている』(大沢一雄『アングロ・サクソン年代記』12頁)という。

アングロ・サクソン年代記のノルマン朝歴代王の評価の記述を読んでみると確かに面白い。

ウィリアム1世については『すぐれた知恵ときわめて強力な権力を持つ人で、彼以前のどの王よりも名誉を重んじ、かつ、強力であった』とその強さを称賛し功績を並べつつ、『まことに、彼の時代に、人々は、はなはだしい圧制とおびただしい数の危害を受けたのである』とその暴政を批判する。それに続く詩は『はげしい口調で、イギリスを征服したノルマン人の王ウィリアム一世の罪業を並べその圧制を非難』(大沢一雄『アングロ・サクソン年代記』12頁)した内容で、『韻文の形式も、形がくずれ、もはやアングロ・サクソン詩の特徴を示していない』(大沢一雄『アングロ・サクソン年代記』12頁)点が指摘される。

また、ノルマン征服の過程を読み解く史料としても重要な一つとなっている。

続くウィリアム2世についても散々な評価で『彼は国土に対して、臣下に対して、すべての隣人に対して、きわめて強烈かつ苛烈で、きわめて恐ろしい人間であった』からはじまり延々恨み節が続くのだが、さすがに悪口を書きすぎたと思ったのか『ところで、私は、記述を長く延ばし過ぎるかもしれないが』と途中でエクスキューズっぽい文節を入れつつ、そこから良い点を挙げるのかと思いきや『神と正しい人間にとって憎むべきあらゆる事がらが、彼の時代には、この国の慣習であった』と、まだまだ怨嗟が続くので読んでいて楽しくなってくる。なお、ウィリアム2世はアングロ・サクソン年代記の記述ほどの悪政の人ではないという再評価がなされてきている人物ではある。

一方、ウィリアム2世を継いだヘンリ1世になると、手のひらを返したようにがらりと変わって評価が高くなる。

『彼は、善良な人であった。そして、彼に対して大きな畏敬の念が抱かれた。彼の時代には、誰も、あえて他人に対して悪事を働こうとしなかった。彼は、人間に対しても、動物に対しても、平和な環境をつくってやった。誰がその人自身の金銀の重い荷物を背負っていても、誰も、彼に対して、よいこと以外の何事もあえていおうとしなかった。』

べた褒めである。おそらく前王時代からの聖職叙任権闘争を解決させたことが大きいのだろうが、それだけでなくヘンリ1世は内政を整え、後の中世イングランド王国の礎を築いた人物として、歴史上も高く評価されている王なので、さすがにノルマン人の支配に厳しい年代記の著者たちも悪口の書きようが無かったというところか。

最後の王スティーヴンについては、改めてさんざんな言われようになるが、まあ、前王ヘンリ1世が定めた後継者マティルダを差し置いて王位を横取りした挙句、内戦を引き起こし、イングランド史上でも一、二を争う最悪な時代だったと言われる「無政府時代」をもたらしたので、これはやむなきところか。

参考文献

・青山吉信・飯島啓三・永井一郎・城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,1991年)
・大沢一雄著『アングロ・サクソン年代記』(朝日出版社,2012年)
・大沢一雄著「アングロ・サクソン年代記研究(1) : 序説」(外国文学研究 3, 63-72, 1967-03-31)
・大沢一雄著「アングロ・サクソン年代記研究(3) : その記録の形式と内容について」(外国文学研究 9, 27-42, 1974-03-30)
・鶴島博和著『バイユーの綴織(タペストリ)を読む―中世のイングランドと環海峡世界』山川出版社,2015年
・”The Anglo-Saxon Chronicle by J. A. Giles and J. Ingram” Project Gutenberg

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