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『鬼と日本人 (角川ソフィア文庫)』小松 和彦 著

「妖怪学」で知られる民俗学者小松和彦が日本社会における「鬼」の存在や「鬼」との関わりについて過去に著した小論をまとめた論集。特に小論「酒呑童子の首――日本中世王権説話にみる『外部』の象徴化」(1997年)が再録されており、同論文を収録していた同名の書籍が長く絶版となっていたため、酒呑童子について深く理解したい人にはとてもありがたい一冊であろう。

収録論文は以下。
・「鬼とはなにか」(2011年)
・「鬼の時代――衰退から復権へ」(1991年)
・「『百鬼夜行』の図像化をめぐって」(2010年)
・「『虎の巻』のアルケオロジー――鬼の兵法書を求めて」(1997年)
・「打ち出の小槌と異界――お金と欲のフォークロア」(1991年)
・「茨木童子と渡辺綱」(1991年)
・「酒呑童子の首――日本中世王権説話にみる『外部』の象徴化」(1997年)
・「鬼を打つ――節分の鬼をめぐって」(1997年)
・「雨風吹きしほり、雷鳴はためき……――妖怪出現の音」(1997年)
・「鬼の太鼓――雷神・龍神・翁のイメージから探る」(1997年)
・「蓑着て笠着て来る者は……――もう一つの『まれびと』論に向けて」(1997年)
・「鬼と人間の間に生まれた子どもたち――『片側人間』としての『鬼の子』」(1998年)
・「神から授かった子どもたち――『片側人間』としての『宝子・福子』」(1998年)
文庫再録にあわせて若干の修正が行われているとのこと。

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「鬼」から「化け物」へ

鬼について興味深い指摘として「『百鬼夜行』の図像化をめぐって」で小松は百鬼夜行の絵巻を分析することで、現代のわれわれが想像するような『角を持った筋骨逞しい異形の者』ならぬ多様な姿をした鬼の存在を見出している。

『すなわち「角を持たない鬼」は鬼の仲間から次第に排除され、「化け物」と称されるようになっていったのである。今日でいう「化け物」と総称される異形の者たちを意味する語であった「鬼」が、「化け物」にその総称としての役目を奪われてしまったわけである。

中世の鬼という語は、「化け物」(妖怪)の総称であって、その姿かたち、その由緒・出自も多様であったということを確認することは、とても有意義である。といいうのは、当時の文献に登場する鬼を、そうした脈絡で考え直す必要を迫るからである。』(34頁)

「鬼」と記されているからと言って、定番のイメージで想像すると読み違えることになるわけである。ついつい想像してしまうテンプレートな鬼の姿だが、実は違うイメージで描かれていたかもしれないということで、とても大事な観点だと思う。

酒呑童子の首

「酒呑童子の首――日本中世王権説話にみる『外部』の象徴化」(1997年)では、源頼光らによる酒呑童子一味退治の物語に王権説話としての「珠取り」の構造を見ている。すなわち『日本文化は、「外部」つまり「異界」を「タマ」という概念を設定することで形象化し、そのタマの操作を通じて「外部」を制御しうると考えてきた』(79頁)という。「珠」あるいは「魂(和魂、荒魂)」と呼ばれる「タマ」の占有や制御のために儀礼や物語が整備され秩序付けられる。

「珠」をめぐる物語は『「外部」の象徴たる「珠」を人間世界に持ち帰り、人間の管理下に置く、というモチーフを持った物語である。人間社会を乱すモノが出現すると、それと交渉を持つことによって、あるいはモノと戦うことによって、モノが所有するその生命ともいうべき「珠」を手に入れて帰還する、そしてこの「珠」の占有者が「王」となるのである。』(81頁)

本論では源頼光と渡辺綱ら四天王による酒呑童子一味退治の物語が丁寧に辿られていくわけだが、その「珠」として位置づけられるのが「酒呑童子の首」である。この首は説によって宇治の宝蔵に納めたとするものと川に祓い流したとするものがあるとのことだが、前者は神話的位相、後者は儀礼的位相での語り方に対応し、「酒呑童子の首」に宝珠が籠められていたとする可能性を指摘。その上で、「宇治の宝蔵」という『中世の人々の想像世界のなかで、王権を成り立たせるための不可欠な空間』(121頁)へと「酒呑童子の首」が納められたことで「珠取り」の王権説話を見出している。

『酒呑童子の首の中に、「宝珠」が納まっていたかはわからない。しかし、酒呑童子の首は、その凶悪さによって、王権の「中心」に建つ幻想の博物館としての「宇治の宝蔵」に治めるに値する「宝物」であった。つまり酒呑童子の首は、「王権」の生命力の源の一つであったといえよう。』(123頁)

その他酒呑童子について様々な面から考察が加えられており、酒呑童子伝説を理解する上で必読の論文の一つといえよう。特に天皇の王権と酒呑童子の王権とが対照関係にあるという点などは実に面白かった。そして酒呑童子の自分語りは思わずぐっとくる。酒呑童子=鬼からみた人間世界という視点は実に切ない。

あと酒呑童子関連は安倍晴明だけ別次元の強さで何度読んでも笑ってしまう。宮廷「大変だ京都と鬼の世界が繋がってしまった!沢山人が攫われています!藤原道長様のご子息まで・・・もうだめだ!」→安倍晴明「泰山府君祭の呪法で京都全域に結界張っておいたのでもう鬼は出入りできないぞ。あとは誰か鬼の根城潰してこい」「えっ?」「えっ?」→四将(致頼・頼信・維衝・保昌)「無理無理無理無理。いや天魔鬼神相手とか無理だって。」→宮廷「源頼光と彼の四天王なら・・・」この流れ、王道少年漫画の導入でほんと好き。安倍晴明がいなかったら明らかに最初で詰んでる。

最後の二論文「鬼と人間の間に生まれた子どもたち――『片側人間』としての『鬼の子』」(1998年)「神から授かった子どもたち――『片側人間』としての『宝子・福子』」(1998年)で考察される鬼・蛇との間に生まれた半分鬼で半分人間という姿の片子と呼ばれる鬼の存在について、かつての、そして現在まで脈々と流れる民俗社会の闇の部分を照らしていて、ずっしりと鈍い後味の読後もずっと考えさせられる構成になっていて、確かに「鬼」を語る一冊らしさがある。

ほか、「節分の鬼」「なまはげ」「蘇民将来」など鬼を通してみる日本の民俗文化・社会の姿は様々な発見に満ちているであろう。文庫本なのですぐに読めてとても深く面白い「鬼」入門の掌編といえる一冊である。

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