セミラミス伝説の誕生と変容の歴史~メソポタミアから中世ヨーロッパへ

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セミラミス(” Semiramis ”)は伝説上のアッシリアの女王。ヘロドトスが「歴史」でバビロンの堤防を築いた女王としてその名を挙げて以降、古代ギリシアで様々な著者によってエピソードが創作され、伝説上の人物となった。

グエルチーノ作『バビロンの反乱の知らせを聞くセミラミス女王』(1624年)

グエルチーノ作
『バビロンの反乱の知らせを聞くセミラミス女王』(1624年)

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アッシリアの王妃サムラマトとその時代

モデルと考えられているのは紀元前800年ごろ、アッシリアに実在した王妃サムラマト(” Shammuramat ” or ” Sammuramat ”、シャムラマット、サンムラマートなどとも表記される)。サムラマトはアッシリア王シャムシ・アダド5世(在位:前823~811)の王妃で、同王の死後、子のアダド・ニラリ3世(在位:前810~783)の摂政となった。(注1)

アッシリア帝国の主要都市カルフ(現在のニムルド)のナブー神を祀った神殿エズィダにあるカルフの代官ベール・タルツィ・イルマが奉納した神像に『神ナブーに(中略)、アッシリア王アダド・ニラリと王母サムラマトの長寿を願って、カルフの代官ベール・タルツィ・イルマが、彼自身の長寿をも祈ってこの像を奉納した。今後はだれであれ、ナブーに依り頼み、他の神を頼むことのないように』(注2)と彫られているという。また、『アナトリア南部クムフとグルグムの境界を確定する石碑に、彼女の名前が息子の名前がともに挙げられて』(注1)おり、他にいくつかの奉納文に名前が見えるが、史料が少なく、どのような人物であったのか謎に包まれている。

当時のアッシリアはヒッタイト帝国やカッシート王朝など有力列強の滅亡後、力を蓄えて勢力を拡大させつつある時期であった。アッシュル・ナツィルバル2世(在位:前883~859年)やシャルマナサル3世(在位:前858~824年)が後の新アッシリア帝国興隆の基礎を築くが、シャルマナサル3世期以降、宦官が官僚として重用されるようになり、シャルマナサル3世の後を継いだサムラマトの夫シャムシ・アダド5世と彼女が摂政として支えた子のアダド・ニラリ3世期は一時的に王権が弱体化して宦官や有力官僚が強い権力を持った停滞の時代と位置付けられる。上記のカルフの代官ベール・タルツィ・イルマも宦官であった。

この王統から王位を簒奪したと考えられているティグラト・ピレセル3世(在位:前744~727年)が強いリーダーシップを発揮して周辺諸国を征服し王権を確立。その子サルゴン2世(在位:前721~705)はシリア・パレスティナの征服とバビロニアの再征服を実現してオリエント世界の覇者へと飛躍し、アッシュル・バニパル王(在位:前668~627年)の治世下で新アッシリア帝国は全盛期を迎えることになる。

古代ギリシアでのセミラミス伝説形成

ヘロドトスの伝えるセミラミス伝説

紀元前五世紀、ギリシアの歴史家ヘロドトスは代表的著作「歴史 巻一184」でアッシリアの二人の女王の一人でバビロニアの平野を貫く大堤防を築いた人物としてセミラミスを紹介した。

『一八四 このようなバビロンであったから、その城壁や神域の整備に貢献した王の数はもとより多数に上った。その王たちのことは「アッシリア史」に述べるつもりであるが、その諸王の中に二人の女性が交っている。二人の内はじめの女性は後の女性よりも五世代前に女王であった人で、その名をセミラミスといった。バビロンの平野を貫く、実に驚くべき堤防を築いたのはこの女王である。それまではユーフラテス河が全平野に氾濫し、さながら海のようになるのが常であったのである。』(注3)

また、同じくヘロドトスの「歴史 巻三155」にはペルシア帝国のダレイオス1世がバビロンを占領するとき、セミラミスの名を持つ城門があったと記録されている。「セミラミスの門」はバビロンの百の城門のひとつで西方に位置していたが、ダレイオス王はバビロンを占領するとその城門を全て破壊した。(巻三159)

また、ヘロドトスはセミラミスと並ぶアッシリア女王としてニトクリスの名を挙げるが、『彼女の業績として語られるのは、実はネブカドネザル(六〇五-五六二)の業績なのである。ルグランはネブカドネザルのペルシア語形ナブクドラチャラをギリシア人が女性名と誤解したところから生じた伝説ではないかと想像している』(ヘロドトス『歴史 上(岩波文庫)』474頁訳注)と、同書の訳者松平千秋は指摘する。この新バビロニア王ネブカドネザル2世(在位:前605~前562年)をアッシリア女王と誤解したヘロドトスに始まり、後世になるとネブカドネザル2世の功績がセミラミスの功績として語られるようになる。

ディオドロスの伝えるセミラミス伝説

前400年頃、ペルシアのアルタクセルクセス2世(在位:前404~前358年)に仕えた医師クテシアスが書いた『ペルシア誌 “Persica ”』は現存していないが、同書のアッシリア女王セミラミスの伝説に関する記述が、前一世紀の歴史家ディオドロスの『歴史叢書 ” Bibliotheca Historica ”』に残る。(注4)

女神アフロディーテによってシリアの都市アスカロンに住む青年と恋に落ちた女神デルケトー(アスタルテ)は女の子を出産したあと、後悔してその女児を砂漠に捨て、夫を殺して湖に身投げし、半人半魚の女神となった。

フランツ・カーシグ 『鳩に育てられるセミラーミデ』(~1810)

フランツ・カーシグ
『鳩に育てられるセミラーミデ』(~1810)

捨てられた赤子はその荒れ地に棲む鳩に餌のミルクやチーズを分けてもらいながら美しい女性に育ち、王家の家畜番シンマスの養女となり、シリア人の言葉で鳩を意味するセミラミスの名を与えられた。アッシリアの総督オンネスの妻となったセミラミスは二人の子をもうける。すっかり妻の美しさに夢中となったオンネスは、アッシリア王ニノスのバクトリア遠征に従軍した際、妻を陣中に呼び寄せようとし、セミラミスは一計を案じて男女とも見分けがつかない服装で夫に会いに行き、バクトリア攻略に手間取るアッシリア軍に計略を授けてバクトリアの首都バクトラの陥落に大きな功績を挙げる。セミラミスの美しさにニノス王はオンネスから彼女を奪い、オンネスは自殺、のちにニノス王が亡くなると、セミラミスは女王としてアッシリアに君臨した。

女王セミラミスはバビロンを建設して巨大な城壁や地下通路でつながった二つの宮殿、ゼウスの神殿などを築き、アルメニアの山々から切り出した石をバビロンに運んでオベリスクとした。このオベリスクは世界の七不思議のひとつに数えられるという。メディアからペルシアに至る全領土で都市や道路、記念碑など大規模な建設を行い、彼女が築いた道路は「セミラミスの道」と呼ばれた。エジプトへ遠征してリビアを征服し、いよいよ300万人の歩兵、20万人の騎兵、そして10万の戦車隊という大軍を率いてインド遠征へと乗り出すが、インドでは激戦の末兵の三分の二を失って撤退を余儀なくされた。

セミラミスがリビアからの帰路、エジプトでゼウス・アモン神殿を訪れたとき、そこで彼女は後にアジアで不滅の栄誉を得るも息子ニニュアスと宦官たちの陰謀によって退位に追い込まれ最期を迎えるという神託を受けていたが、実際にニニュアスと宦官が共謀して彼女に代わろうとしたため、セミラミスは在位42年、62歳で退位してニニュアスに王位を譲り、姿を消した。噂では彼女は鳩になって飛び去り、不死を獲得して神となったと言われた。

ディオドロスはセミラミスに関するアテナイオスや他の歴史家の伝承として、彼女は美しい高級娼婦でその美しさからアッシリア王の妃に迎えられたが、王を欺いて五日間だけの王権の譲渡を約束させると、大規模な祭りを開いて将軍や廷臣たちの支持を取り付けた上で王を投獄して王位を簒奪、老年まで女王として君臨したという。

エドガー・ドガ作『バビロンを建設するセミラミス』(1861年)

エドガー・ドガ作『バビロンを建設するセミラミス』(1861年)

『アルメニア史』のセミラミス

五世期のアルメニアの歴史家モーセス・ホレナツィによる「アルメニア史」では、セミラミスはニノス王死後、アルメニア王アラの美貌に惹かれて求婚するが拒絶されたためアルメニアを攻めてアラ王は戦死する。アラ王の死を悲しんだセミラミスは王の遺体に蘇りのまじないを施すが復活させられず、アラ王の死を悼んでセミラミスに反乱する民衆を鎮めるため、セミラミスは偽の王を立てて神がアラ王を蘇らせたと嘘をついたという。

「バビロンの空中庭園」とセミラミス

Waldeck 「空中庭園のセミラミス」(19世紀)

Waldeck
「空中庭園のセミラミス」(19世紀)

セミラミスと結びつけて語られる「バビロンの空中庭園」は新バビロニア王ネブカドネザル2世が王妃の為にバビロンの宮殿に造営した『石材で作ったアーチによって支えられた屋上のテラス』(注5)で、ペルシアのセンナケリブ王による「ニネヴェの空中庭園」を模倣したものと考えられているが、実在したか未だはっきりしてはいない。空中庭園について記録したストラボンやディオドロスらは空中庭園とセミラミスを結び付けてはいないが、大建築家であり大土木工事の実施者としてのセミラミスというイメージから、後に「バビロンの空中庭園」の造営もセミラミスの業績として語られるようになった。

サムラマトというアッシリアで名の残る君臨した女性権力者という存在に、ギリシアの著作家たちは過去のアッシリア王の様々な業績を集約し、さらに後代のバビロニア王ネブカドネザル2世やペルシア王、アレクサンドロス大王といった西アジアの王たちに関連するエピソードも付け加えられて、さらに、女神の子、不死など神格化すらされながら、セミラミスという想像上の女王の伝説を形作った。

セミラミス伝説と女神たちの影響

セミラミス伝説の特徴として、これら過去の権力者たちのエピソードだけでなく、神話も原型となっていることが多くの研究者たちによって指摘されている。

『この点に関して,小川英雄氏はセミラミスと古代オリエントの地母神たち・とりわけキュベーレーとの間に見出される類似に注目し,「シリア北部,即ちアナトリアとメソポタミアの中間地帯では,セミラミス時代にキュベレ・アッティス崇拝が根付き,それが更に歴史上のセミラミスの活動に影響を及ぼした」可能性を指摘されている。氏によれば,「クーデター,女権の拡張,発狂と放浪,そして去勢とハーレム… …若者が女神の愛の故に,罰として死を蒙るという不条理な運命… …及び捨て子伝説」等は,キュベーレーとアッティスの神話や祭儀の主要テーマであると同時に,セミラミス伝説にも見出されるとして,前者が後者の原型であったことを論証されている。』(注6)

また、同じく森雅子1988は『イシュタールが好色な,多情な女神であったことは,愛と豊饒を司るというその神格からむしろ当然のことであるが,クテシアスの伝えるセミラミスも二度の結婚や陣中に美青年を侍らすという行為によって,その好色さ,多情さを表現している』(注7)としてシュメル・アッカド神話の女神イシュタルとの類似を指摘し、前述のモーセス・ホレナツィ「アルメニア史」でのアルメニア王アラに求婚して断られるや軍を差し向けるエピソードとギルガメシュ叙事詩でのイシュタルがギルガメシュに求婚して断られ、天の牛を遣わして襲い掛かるエピソードが酷似しており、ギルガメシュ叙事詩がセミラミス伝説に影響を及ぼしていることは疑い得ないとする。また、他のメソポタミア、西アジアの女神たちの影響あるいは類似は多く指摘されるところである。

『ようするに,セミラミスとはアッシリアの王妃,もしくは女王であった歴史的なサンムラマットを核として,後世の著述家達がその業績や名声を増幅し,肥大化した「伝説上の人物」であると同時に,当時のオリエント世界で名高かった地母神達(イシュタール,キュベーレー,シャヴシュカ,アナト,そして彼女の母であったとされるデルケトもしくはアスタルテ)の神話や祭儀をとり入れ,神格化を計った「神話上の人物」でもあった。そして彼女の伝説や神話は世界の各地へと伝播し,またはるか後世まで様々に意匠を変えて語り伝えられたのである。』(注7)

中世ヨーロッパへ受け継がれるセミラミス伝説

ローマ帝国後期、四世紀頃のキリスト教司祭、歴史家のオロシウスの著作『歴史 “Historiae Adversus Paganos ”』でセミラミスについて取り上げられたことで七つの大罪の色欲の罪と結びついて語られるようになった。

イタリア・ルネサンスの中のセミラミス

キリスト教的倫理観の下では罪と結びつけられていたセミラミスは十三~十四世紀頃から強い女性として再評価されていく。その契機として、ダンテの『神曲 地獄篇』でセミラミスは第二圏愛欲者の地獄に登場する。

『この時彼我にいふ、汝が知るをねがふこれらの者のうち最初なるは多くの語の皇后なりき 五二―五四
かれ淫慾の非に耽り、おのが招ける汚辱を免かれんため律法をたてゝ快樂を囘護へり 五五―五七
かれはセミラミスなり、書にかれニーノの後を承く、即ちその妻なる者なりきといへるは是なり、かれはソルダンの治むる地をその領とせり 五八―六〇』(注8)

ダンテの『神曲』に続くボッカッチョ『名婦伝(” De mulieribus claris “)』(1361-1362 年頃)は当時広く読まれたベストセラーであった。伊藤2016によれば、ボッカッチョは『名婦伝』『神曲註解』などの著作で繰り返しセミラミスを取り上げ、『「ネプトゥーヌスの娘という伝承」、「アッシリア王ニヌスとの結婚とニニュアスの誕生」、「男装しての王権の行使」、「エチオピアやインドの攻略」など』(注9)の事績を紹介してその強さを称賛しつつ、息子との近親相姦に代表される色欲の罪を厳しく批判した。

『彼女の数々の功績は、女性としてはもちろんのこと、勇敢な男性としても感嘆と称賛に値し、永遠に記憶すべきものであるが、しかしたったひとつの不埒なおこないが、それを汚してしまった。他の女たち同様、不幸にしてこの女は常に色欲に燃え、多くの男に身をまかせた。そのような愛人のなかには――まさしく人間というよりも獣の所業であるが――類稀なる美貌の息子ニニュアスもいた。彼はセミラミスと性を取り替えたかのように、母が敵と戦っているあいだ、寝床で怠惰に時を過ごしていた。
 なんと悪辣な罪であることだろう! その性欲の害は、君主らが平和な時代を放棄して不安に苛まれているときも、血腥い戦いの最中も、まさに非道というべきであるが、追放された者たちが涙にかきくれているときも止むことがなかった。そして状況に対する判断力を失って分別をなくした彼女は破滅し、そのあらゆる栄光を恥ずべき悪評で汚してしまった(『名婦伝』II, 13-14)。』(注10)

十四世紀後期から十五世紀前期にかけて活躍した中世フランスを代表する女性詩人・文筆家クリスティーヌ・ド・ピザン(1365頃~1430)も『女の都(La Cité des dames)』(1404-1405 年頃)でボッカッチョの『名婦伝』を踏まえつつ、彼女を取り上げた。

『中世の文学作品に蔓延するミソジニーと絶えず戦ってきたクリスティーヌは、女性としてふさわしくない行為については敢えて無視するか、または理由をつけてヒロインを庇う。ボッカッチョがあからさまに嫌悪感を示した息子との交わりについてさえ、己以外の女王が自国にあらわれることを彼女が望まなかったからであり、またそれを禁じる法律もなかったからであると考える。彼女にとってセミラミスとは、どこまでも「大いなる徳を具え、軍務、計略にあたってはまことに勇猛(grant vertu en fait de fort et vertueux couragees entreprises et excercice du fais des armes)」な、完全無欠の女性なのである。』(注11)

九女傑の代表格としてのセミラミス

フランス王シャルル5世、6世に仕えた騎士で詩人のユスターシュ・デシャン(1346~1406or07)は、ジャック・ド・ロンギョンが十四世紀初頭に選出した九偉人” Nine Worthies “――ヘクトール、アレクサンドロス大王、カエサル、ヨシュア、ダヴィデ王、ユダ・マカバイ、アーサー王、シャルルマーニュ、ゴドフロワ・ド・ブイヨン――に倣い、この九偉人に加えて女性の勇士としてギリシア神話のアマゾネスの女王ペンテシレイア、マッサゲタイ族の女王トミュリスとともにアッシリアの女王セミラミスを挙げた。続いて、フランス・アンジューの文人騎士ジャン・ド・ビュイエの「ジュヴァンセル」にもセミラミスは登場した。

後にルネサンス期にかけて、九偉人に対応する九女傑と呼ばれる九人の女性勇士――デルフィ、シノーペー、ヒッポリュテー、メナニッペー(またはエティオペ)、テウタ、ランペトー、トミュリス、ペンテシレイア、セミラミス――が選出されるが、セミラミスは九女傑を代表する地位を与えられた。イタリア・マンタ城の九女傑を描いた代表的な壁画「九人の英雄と九人の女傑」を考察した伊藤2016によれば、セミラミスの絵柄の『皇帝冠や宝玉に加え、金と青という、フランス王家と同じ配色の紋章は、彼女が9人のなかでも特別な存在であることを示している』(注12)という。

中世ヨーロッパの女性観の変化とセミラミス

カトリック教会を中心とした秩序が形成される過程で、公共の場から女性を排除して男性を人間として完全なものとし女性を欠落した存在として位置付けた性規範が生み出された。アウグスティヌスは「原罪」が「性行為」によって伝染し、性行為の欲求を情欲と結びつけた。中世ヨーロッパのキリスト教的規範における最大の罪は「原罪」であり、ここから七つの大罪が形成され、色欲はその罪のひとつと数えられた。このような女性蔑視の道徳観を背景として色欲の罪を象徴する様々な人物が見出されていくが、その一人がセミラミスであった。

中世カトリック的な道徳観ではこのような性規範の厳格主義が唱えられたが、現実社会でこれを貫徹することは当然できないため、様々な妥協と折衷の中で女性の地位は形成される。貴族・領主の場合、基本的に家父長制的な家長の下で家族に従属して子供を産み育てることが最大の役目とされていたが、夫に代わって財産や領地を管理し、場合によっては領主となることもあった。農村では男女である程度の役割分担がありつつも、男女とも家事労働に従事することで日々追われていた。

このような中で十二世紀頃から商業の活性化とともに都市が発展して富裕な商人層が登場すると、彼らの間で「読み書き算盤」は必須の教養となる。商人の家族としての女性はやはり家計を管理することを役割としたから、父や夫に従属する立場ではあったが、教養ある女性たちの増加が必然的におこる。このような教養をもった層の広がりが十三世紀から十四世紀にかけておこり、貴族・新興市民層を対象として様々な著作を生み出したのが上記のダンテやペトラルカやボッカッチョであった。

さらに、十四世紀のペストの流行や百年戦争などの長期間の戦乱の結果人口が大きく減少すると、相対的に女性の役割も重要性を増すことになる。当然、女性の地位の向上を求める機運が高まり、そのひとつのあらわれが九人の男性勇士(九偉人)と並ぶ九女傑の選定であったり、クリスティーヌ・ド・ピザンに代表される、男性優位の社会規範を厳しく批判する論者たちの登場であったりした。

『対等にふるまうためには、もしくはただ注目されるためには、女性は肩書を身につけ、男性の役割を演じなければならない。女性たちが城の防衛に参加した際に示した勇気と体力によって、彼女たちは男性からの称賛を浴びることになる。男性にとって唯一本物の価値は、戦士の価値なのである。中世末期、クリスティーヌ・ド・ピザンという一人の女性が、自分の意見を広く問いかけようとして、男性を装って筆をとることを決意する。彼女は、<女から男になり>そして今は<男である>と断言するようになる。』(注13)

このような点で、大帝国に君臨する女帝にして勇猛な戦士セミラミスは確かに中世ヨーロッパ社会で女性の価値を高める象徴として申し分なかった。

近世以降~現代までのセミラミスの変容

オペラの主人公としてのセミラミス

宗教改革とルネサンスを経てからは、セミラミスは主に演劇やオペラなどの題材として描かれた。十六世紀、ウィリアム・シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」「タイタス・アンドロニカス」などでセミラミスの名がわずかに言及され、十八世紀からはオペラとしてヘンデル(1733)、ヴォルテール(1748)、ヨゼフ・ミスリヴェチェク(1766)、ジャコモ・マイアベーア(『見出されたセミラーミデ』1819)などを経て、セミラミスを題材とした代表的な歌劇ジョアキーノ・ロッシーニ『セミラーミデ』(1823)が名高い。

近代陰謀論の中のセミラミス

近代以降のセミラミスのイメージに大きな影響を及ぼしたのがプロテスタント・スコットランド自由教会の聖職者アレクサンダー・ヒスロップ(1807~1865)の著作『(二つのバビロン ” The Two Babylons ”)』(1858)である。ヒスロップはカトリック教会が悪魔的なカルトであると信じ、本書でセミラミスを使った反カトリックの陰謀論的なプロパガンダを打った。

“The book claims that Semiramis was the wife of the biblical king Nimrod and mother of Tammuz and links her directly to the whore of Babylon from the Book of Revelation 17.”(注14)

(この本は、セミラミスは聖書のニムロッド王の妃であり、タンムズの母であり、彼女を黙示録17章のバビロンの大淫婦に直接結びついていると主張している。)

ヒスロップはセミラミスこそ多神教・女神崇拝を生み出した張本人で、セミラミスの生んだ異教の風習がカトリックによってキリスト教に持ち込まれたと主張し、プロテスタントの正統性を主張する。古代史としても宗教史としても間違いだらけの彼の主張は福音主義を通じて現代まで広がり続けることになり、セミラミスが爬虫類型宇宙人の人類支配計画で重要な役割を担ったなどとするオカルト陰謀論と組み合わされてセミラミスに悪魔的なイメージを植え付けた。

エンターテイメントの中のセミラミス

二十世紀に入り、映画として、ロンダ・フレミングがセミラミスを演じた1954年のイタリア映画『風雲のバビロン(イタリア語タイトル “ La cortigiana di Babilonia “ 英語タイトル” Queen of Babylon ”)』、イヴォンヌ・フルノーがセミラミスを演じた日本未公開のイタリア映画『” Io Semiramide “ (英語タイトル I Am Semiramis,” )』(1963)がある。

日本では、二十一世紀になってライトノベル『Fate/Apocrypha』(原作:東出祐一郎。イラスト:近衛乙嗣、2012~2014)および同作アニメ2017年で赤のアサシンとしてセミラミスが登場し、同じく2017年、同キャラクターがソーシャルゲーム『Fate/Grand Order』にも実装されたことで、主にサブカルチャーの中で認知度が高まっている。特に、君主としての誇り高さと強い好戦性の反面で愛情深い女性性をもった性格付けはこれまでの歴史上のセミラミスの様々な描かれ方を振り返っても、評価に値するのではないだろうか。

参考書籍・論文・ウェブページ

・小川 英雄 著『古代オリエントの歴史』(慶応義塾大学出版会,2011年)
・大貫 良夫 , 前川 和也 , 渡辺 和子 , 屋形 禎亮 著『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント(中公文庫)』(中央公論新社,2000年,原著1998年)
・佐藤 彰一 著, 池上 俊一 著『世界の歴史〈10〉西ヨーロッパ世界の形成 (中公文庫) 』(中央公論新社,2008年,原著1997年)
・佐藤 次高 編『西アジア史〈1〉アラブ (新版 世界各国史)』(山川出版社,2002年)
・小林 登志子 著『古代オリエントの神々-文明の興亡と宗教の起源 (中公新書)』(中央公論新社,2019年)
・アニェス・ジェラール、ジャック・ル・ゴフ著(池田健二訳)『ヨーロッパ中世社会史事典』(藤原書店,1991年,原著1986年)
・ハンス・キュンク著(矢内義顕訳)『キリスト教は女性をどう見てきたか―原始教会から現代まで』(教文館,2016年,原著2001年)
・ピョートル・ビエンコウスキ, アラン・ミラード 編集(池田 潤, 山田 恵子, 山田 雅道, 池田 裕, 山田 重郎 翻訳)『図説古代オリエント事典―大英博物館版』(東洋書林 , 2004年)
・ヘロドトス著(松平千秋訳)『歴史 上(岩波文庫)』(岩波書店、1971)

・森 雅子「セミラミスと西王母」(オリエント / 31 巻 (1988) 1 号)
・伊藤 亜紀 「髪を梳く女傑──サルッツォのマンタ城壁画と『名婦伝』のセミラミス──」(国際基督教大学キリスト教と文化研究所 人文科学研究 (キリスト教と文化)47号,2016年)

・”LacusCurtius • Diodorus Siculus — Book II Chapters 1‑34
・”Sammu-Ramat and Semiramis: The Inspiration and the Myth – Ancient History Encyclopedia
・”Hanging Gardens of Babylon – Ancient History Encyclopedia
Semiramis – Wikipedia
Nine Worthies – Wikipedia
Fate/Apocrypha[フェイト/アポクリファ] – TYPE-MOON BOOKS
アリギエリ・ダンテ Alighieri Dante 山川丙三郎訳 神曲 LA DIVINA COMMEDIA 地獄 青空文庫

脚注

注1)セミラミス(『図説古代オリエント事典―大英博物館版』)

注2)大貫他,2000年,373-374頁

注3)ヘロドトス,158頁

注4)”LacusCurtius • Diodorus Siculus — Book II Chapters 1‑34” (英語)、森雅子「セミラミスと西王母」(オリエント / 31 巻 (1988) 1 号)参照

注5)小川 ,2011年,91頁

注6)森1988年,152頁

注7)森1988年,153頁

注8)「アリギエリ・ダンテ Alighieri Dante 山川丙三郎訳 神曲 LA DIVINA COMMEDIA 地獄 青空文庫

注9)伊藤2016年,36-37頁

注10)伊藤2016年,37頁

注11)伊藤2016年,47頁

注12)伊藤2016年,46頁

注13)ジェラール,1991年,186頁

注14)”Sammu-Ramat and Semiramis: The Inspiration and the Myth – Ancient History Encyclopedia

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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