「マビノギオン」は1838年から1849年にかけて、シャーロット・ゲスト夫人によって、中世のウェールズ伝承を編纂・英訳の上で出版された散文物語集である。十四世紀初めごろに成立した「レゼルッフの白い本」、十四世紀終わりから十五世紀にかけて成立した「ヘルゲストの赤い本」の二つの写本をベースにした四つの物語からなる「マビノーギの四つの枝(物語)」、「カムリに伝わる四つの物語」「アルスル宮廷の三つのロマンス」にウェールズで広く知られた「タリエシン物語」の十二編の物語から構成される。
「マビノギオン」の題名はゲスト夫人が「マビノーギ」を集めたものとして「マビノーギ」に複数形の接尾語-onをつけたものだが、元々「マビノーギ」は複数形になっているので、ゲスト夫人の勘違いによるものとされている。現在では特に最初の四話を「マビノーギ」、物語集全体を「マビノギオン」と呼ぶように使い分けられている。
日本語訳は、十九世紀末から二十世紀にかけて出された「白い本」「赤い本」のウェールズ語原典の復刻・校訂本を元に、「タリエシン物語」を除く十一編が中野節子氏によって翻訳・出版されている。
マビノギオンの構成
第一話「ダヴェドの大公プイス」
第二話「スィールの娘ブランウェン」
第三話「スィールの息子マナウィダン」
第四話「マソヌウイの息子マース」
B「カムリに伝わる四つの物語」
第五話「マクセン・ウレディクの夢」
第六話「スイッズとスェヴェリスの物語」
第七話「キルッフとオルウェン」
第八話「ロナブイの夢」
C「アルスルの宮廷の三つのロマンス」
第九話「ウリエンの息子オウァインの物語、あるいは泉の貴婦人」
第十話「エヴラウクの息子ペレドゥルの物語」
第十一話「エルビンの息子ゲライントの物語」
「マビノーギの四つの物語」は現在のウェールズ南西部にあたるダヴェドの伝説的な領主プイスと女神リアンノンとの間に生まれたプレデリの生涯を主軸に、ウェールズに伝わる神話・伝承を色濃く残した物語群である。最初の「ダヴェドの大公プイス」は十一世紀末から十二世紀初め頃の成立。
「カムリに伝わる四つの物語」は「マクセン・ウレディクの夢」「スイッズとスェヴェリスの物語」というウェールズ民話二編と、後のアーサー王物語に大きな影響があった「キルッフとオルウェン」および「ロナブイの夢」というアルスル(アーサー)王と彼に従う戦士たちの活躍を描いた二編が収録された、カムリ(ウェールズ)人の物語群。
「アルスルの宮廷の三つのロマンス」は一転して、ウェールズの古い伝承や慣習などに基づきつつ、ノルマン・フランス風ロマンスの影響が少なからずみられる、ウェールズの伝説的な王アルスル(アーサー)の配下の戦士たちを主人公としたロマンス群。後にフランスで形作られるアーサー王物語にも影響を及ぼした。
「マビノーギの四つの物語」のあらすじ
南西ウェールズ・ダヴェドの領主プイスはアンヌウヴン(他界)の王アラウンと一年間入れ替わることになり、アラウンの宿敵ハウガンを倒してアラウンの信頼を勝ち取り、後にアンヌウヴンの長と呼ばれるようになった。プイスはリアンノンという魔法の馬に乗った美姫と出会い、彼女の望まぬ婚約者グワウルと対決。リアンノンの策に従いこれを退けて二人は結婚した。二人の間に生まれた赤子が生まれた日、その赤子が姿を消し、リアンノンがいわれなき罰を受けることになるが、かつての家臣テイルノン・トゥリヴ・ヴリアントに保護されていた赤子が戻り、プレデリと名付けられる。(第一話)
ブリテン島の王ベンディゲイドブランの下に隣国イウェルゾン(アイルランド)王マソルッフが彼女の妹ブランウェンとの結婚を求めて来訪、スムーズに婚約となるかに見えたが、ベンディゲイドブラン王の異父弟エヴニシエンがマソルッフ王に非礼を働いたことから、謝罪のため死者を蘇らせる「再生の大釜」もあわせて送ることになった。和解したかに見えたが遺恨は深く、マソルッフ王の妃となったブランウェンは冷遇される。これを憐れんだベンディゲイドブラン王はイウェルゾンへ遠征、再生の大釜の力で次々と死者が再生するなか、大釜の破壊には成功するものの、激しい戦いの末に敗れ、ベンディゲイドブラン王もブランウェン妃も亡くなってしまった。(第二話)
ベンディゲイドブランの弟スィールの息子マナウィダンは従兄カスワッサウンの王位簒奪によって、大公プイス死後南ウェールズ全土を支配していたプレデリの下に亡命していた。プレデリとマナウィダンは友情を結び、寡婦となったプレデリの母リアンノンとマナウィダンが結婚する。しかし、かつてのリアンノンの婚約者グワウルの恨みを晴らそうとする魔法使いスィウィトの罠にはまってプレデリとリアンノンは捕われて姿を消し、さらに領地の畑が鼠の大群に襲われる。マナウィダンの活躍によってスィウィトからプレデリとリアンノンは取り戻され、領地への魔法も除かれて平穏が戻ることになった。(第三話)



ウェールズ北西部グウィネッズの王マースは戦争のとき以外は両足を処女の膝に載せておかないと生きていけなかったが、彼の甥ギルヴァエスウィはその乙女ゴイウィンに惹かれていた。ギルヴァエスウィと兄グウィディオンは一計を案じてマースと隣国ダヴェドの大公プレデリを戦わせ、マースとグウィディオンが出陣している間にギルヴァエスウィがゴイウィンの純潔を奪ってしまう。この戦いでプレデリはグウィディオンと戦い戦死した。マースが帰国するとゴイウィンは乙女ではなくなったことを告白、マースは罰として、二人を魔法によって雄と雌の二頭の獣に変えて子を産ませることにした。毎年、鹿、豚、狼とされて三人の子を産み、二人はようやく許されて人間の姿に戻った。
その後新たな乙女候補を選ぶこととなり、二人の妹アランロド(アリアンロッド)が呼び寄せられ、乙女か否か試すため魔法の杖を跨がされると彼女は嬰児を産み落とす。この子供は海の性質を身につけディラン・エイル・トンと名付けられグウィディオンに預けられた。続いてグウィディオンとアランロドの間に男の子が生まれるが、この子にアランロドは己が名付けない限り名を持つことができない呪いをかけた。船旅の途上、鳥を射抜く少年の技術に感銘を受けたアランロドは呪いを解き、スェウ・スァウ・ゲフェスと名付けた。立派に育ったスェウ・スァウ・ゲフェスのためにグウィディオンとアランロドは花からブロダイウェズという妻を作り出すが、ブロダイウェズは不義を働いたため、グウィディオンによって梟に変えられた。その後、スェウ・スァウ・ゲフェスはグウィネッズ全土を統治する領主となった。(第四話)
参考書籍
・木村 正俊 編著『ケルトを知るための65章 (エリア・スタディーズ162)』(明石書店 2018年)
・中野節子 訳『マビノギオン―中世ウェールズ幻想物語集』(JULA出版局 2000年)
・鶴岡 真弓/松村 一男 著『図説 ケルトの歴史: 文化・美術・神話をよむ (ふくろうの本/世界の歴史)』(河出書房新社,2017年)