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ポスト・ローマ期(5~6世紀)のブリテン諸島の歴史

ポスト・ローマ期とは以下のように定義される。

『「ポスト・ローマ」とは、皇帝権がのちにヨーロッパとなる地域から消滅した5世紀末から、8世紀末年のシャルルマーニュの戴冠と、812年アーヘン和約によって「西の帝権」がコンスタンチノープルのローマ皇帝によって承認されるまでの時期を想定している。』(近藤33頁)

ブリテン諸島史においては、広義には410年のローマ皇帝ホノリウスによるブリタニア属州放棄から、アングロ・サクソン諸族の侵攻と七王国時代を経て九世紀半ば~十世紀初めのウェセックス王国による統一王権の形成までの約500年の時期を指すが、ここでは狭義のポスト・ローマ期、すなわちローマ帝国支配の終焉から七王国時代以前の五~六世紀のブリテン諸島の歴史についてまとめている。

この時代は同時代史料が少なく、辛うじて六世紀前半のブリトン人修道士ギルダス『ブリタニアの破壊と征服』を除けば、ほぼ後世の文献資料の記述しかない。二次史料となるのは八世紀前半の修道士ベーダ『アングル人の教会史』、九世紀に編纂された『アングロ・サクソン年代記』、八~九世紀のネンニウス『ブリトン人史』などだがいずれも口伝や伝承も多く含み事実関係も互いの記述で相違することも多く、信頼性は低い。ゆえに、大まかな流れ以上のことはわからない。

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ローマ帝国支配の終焉

四世紀末までにブリタリアの駐留ローマ軍は弱体化する一方で、ピクト人やスコット人などの周辺諸族からの圧力と、被支配住民であるブリトン人からの不平不満を抑えられなくなっており、属州支配体制を維持できなくなっていた。

五世紀初頭、ローマ帝国はゲルマン人の侵攻によって混乱し、ブリテン島の残存部隊は強力なリーダーを求めて僭称皇帝を次々擁立。407年、一兵士が皇帝コンスタンティヌス3世を名乗って軍を掌握すると大陸へ渡り、一時は勝利を重ねてホノリウス帝と並ぶ共同皇帝にまで上り詰めるが411年に刑死する。410年、西ローマ帝国皇帝ホノリウスはブリタニアの諸都市に自衛を促して、属州の放棄を宣言した。

ローマ帝国の支配が終わると、ブリタニアではカレドニア(現在のスコットランド)のピクト人、ヒベルニア(現在のアイルランド)のスコット人の移動が活発化するとともに、被支配住民であったブリトン人の自立化が進んだ。

ブリトン人の王国としてブリタニア北部にはフォース湾のウォタディニ王国、クライド湾のストラスクライド王国、カーライルを本拠としてカンブリアに至る一帯を支配するリージッド王国、南ヨークシャーにはエルメット王国などが分立した一方、旧ローマ帝国支配地域はよくわかっていない。

アイルランドのスコット人によって四世紀頃西南ウェールズに成立していたダヴェッド王国の一部が南下してドゥムノニア半島(現在のコーンウォール地方)にわたり、これに押し出されてブリトン人が海を渡りアルモリカ(現在のフランス西北部ブルターニュ地方)へと移動した。四~五世紀、ブリトン人の一派が首長キネザに率いられて北ウェールズへ移り、同地のスコット人を追い、後のグウィネッズ王国を樹立する。またウェールズ中部にはブリトン人のポウィス王国、ウェールズ南部には同じくブリトン人小王国が分立して、西南端にスコット人のダヴェッド王国という情勢がウェールズで形成されていった。

一方、東北アイルランドからカレドニアへ移住したスコット人によって始まったダルリアダ王国は後にスコットランド王国の中核を形成していくことになる。また、カレドニアのピクト人も南下してブリトン人に圧力を加え続ける。

アングロ・サクソン系諸族の侵攻

五世紀のアングロ・サクソン人のブリテン島移動

「五世紀のアングロ・サクソン人のブリテン島移動」
著作権:my work [CC BY-SA 3.0]

ブリトン人らが支配の中心となったのもつかの間、スコット人、ピクト人との衝突でブリトン人はローマ帝国に救援を求めたが最早頼ることができなくなると、ポウィス王国の王と考えられているブリトン人宗主ウォルティゲルンはサクソン人傭兵に頼った。

ゲルマニアのザクセン(サクソン)地方を根拠としていたケルマン系諸族の一派がサクソン人で、精強さで知られていた。サクソン人に続いて、ジュート人、アングル人などがブリタニアへ続々と訪れることになる。ただし、原聖によれば近年の研究では『ブリタニア島には、三世紀後半からサクソン人やフリジア人といったゲルマン系民族からの襲来があった』(原聖181頁)という。

サクソン人の首長ヘンギストとホルサがブリタニアを訪れたのは、アングロ・サクソン年代記は449年のこととするが、年代には諸説ある。ヘンギストとホルサはブリトン人の求めに応えてピクト人を撃退すると、新たに仲間を次々とブリタニアに迎えて勢力を拡大、ブリトン人に反乱を起こした。

455年、ヘンギストとホルサがブリトン人に反乱を起こしてウォルティゲルンと戦い、ホルサは戦死するもののヘンギストはケント地方を奪う。477年、新たにサクソン人首長アェレがサセックスに上陸、491年、ブリトン人を殲滅した。アェレはサセックス王国の建国者として七王国時代最初のブレトワルダ(覇者)に数えられる。495年、サクソン人の首長チェアディッチがブリタニアに上陸、508年、ウェセックス王国を建国する。

年代はアングロ・サクソン年代記に基づくが同時代の史料ではないため正確性には欠ける。また、彼らアングロ・サクソンの首長たちについても、後世の諸王国が始祖として語り継いでいた人々であるため、実在の人物かもはっきりしない。後にウェセックス王国がイングランド王として統一王権を樹立する過程でチェアディッチの王統であることが王権の正統性を与えていた。以後、ブリトン人とアングロ・サクソン諸族の激しい攻防が続くがブリトン人は徐々に圧されていった。

「アーサー王」の勝利

六世紀前半の修道士ギルダスによる『ブリトン人の破壊と征服』という文献によれば、この頃、アンブロシウス・アウレリアヌスというローマ人指揮官に率いられたブリトン人がアングロ・サクソンに勝利したという。

同書の記録でとりわけよく知られているのが、ベイドン丘(バドニクス山)でブリトン軍とアングロ・サクソン軍の激しい戦闘でブリトン軍が決定的勝利を収めた結果、アングロ・サクソン諸族の侵攻が食い止められ、以後半世紀にわたって平和が訪れたとするものである。このベイドン丘の戦いの時期は五世紀末ないし六世紀初めごろと考えられているが、正確な時期も場所も不明で、かかわった人物も統一された指揮官がいたのか否かすらも謎に包まれている。ただ、この勝利を勝ち取ったブリトン軍の指導者には後に「アルスル(アーサー)」の名が与えられて伝説化していった。

この勝利者に初めて「アーサー」の名が与えられるのは八~九世紀のネンニウス『ブリトン人史』である。その後、ウェールズではアルスル(アーサー)王の伝承が形作られ、十二世紀のジェフリー・モンマス『ブリタニア列王史』において、ペイドン丘の戦いで勝利しヨーロッパ全土を征服する伝説的君主として「アーサー王」が生み出された。史料的限界からアーサー王が実在の歴史的人物であったか否かは判断のしようがないが、この勝利によって一時的にアングロ・サクソン勢力による侵攻は食い止められることになった。

アングロ・サクソン諸族の反撃

以後、六世紀半ばにかけてアングロ・サクソン諸族の侵攻は停滞するが、東部・南部のアングロ・サクソン諸族による支配は強化されていた。552年、ソールズベリの戦いが再進撃の嚆矢で、577年のディラムの戦いでのアングロ・サクソン軍の大勝利によって、以後ブリトン人は追い詰められ、613~616年頃のチェスタの戦いによってブリトン人はブリタニア中央部の主要都市をほぼ失い北ブリタニア、ウェールズ、ドゥムノニアの周縁地域に分断され、ブリテン島中部・東部・南部はアングロ・サクソン諸族の支配下となった。

以後、アングロ・サクソン諸族の王国が次々と成立して七王国(ヘプターキー)時代を迎え、この一帯はアングル人の国=イングランド地域となっていく。ただし、ブリトン人が完全に駆逐されたわけではなく、アングロ・サクソン人諸王国の支配下で独自の習俗を維持しつつ併存して、ゆっくりと両者の文化が融合していった。

周縁に押し出されたブリトン人諸勢力はブリテン島西部に諸王国を築いてウェールズ地方とコーンウォール地方を形成し、大陸アルモリカ半島ではブリテン初頭から渡ったブリトン人によってブリトン人の文化・習俗を色濃く残したブルターニュ地方が作られ、ブリテン島北部カレドニア地方では最北部にスコット人・ピクト人諸国があって後にスコットランド王国となり、カレドニア南部からイングランド北部にかけてブリトン人とアングロ・サクソン系諸族の統合国家ノーサンブリア王国が生まれて隆盛を迎えることになった。

アングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)の興亡
七王国時代の開幕 ブリトン人に代わってブリタニアの支配的勢力となったアングロ=サクソン諸族は六世紀から八世紀にかけて次々と王国を建国して互いに勢力争いをはじめた。この時代は有力な七つの王国――ケント(” Kent “)、エセックス(” E...

参考書籍

・青山吉信・飯島啓三・永井一郎・城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,1991年)
・近藤和彦編著『イギリス史研究入門』(山川出版社,2010年)
・大沢一雄著『アングロ・サクソン年代記』(朝日出版社,2012年)
・川成 洋 編著『イギリスの歴史を知るための50章 (エリア・スタディーズ150)』(明石書店,2016年)
・木村 正俊 編著『ケルトを知るための65章 (エリア・スタディーズ162)』(明石書店 2018年)
・原聖著『興亡の世界史 ケルトの水脈(講談社学術文庫)』(講談社,2016年)
・ジョン・マシューズ 著(本村凌二総監修)『アーサー王と中世騎士団 シリーズ絵解き世界史4』(原書房,2007年,原著2004年)
Sub-Roman Britain – Wikipedia

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