ノルマンディ公国の歴史(911~1204年)

スポンサーリンク
スポンサーリンク

ノルマンディ公国の成立

十二世紀ノルマンディ公国地図

「十二世紀ノルマンディ公国地図」
Osbern [CC BY-SA 3.0]

ノルマンディ公国旗

ノルマンディ公国旗

ノルマン人の北フランス襲来は840年頃から始まり、北海にそそぐ主要河川の河口から内陸へと侵攻、856年から、パリ、シャルトル、エヴルーその他有力諸都市が次々と襲撃・略奪され、多くの修道院や施設が破壊された。

ノルマンディ公国はヴァイキングの侵攻に悩む西フランク王シャルル3世単純王が911年、ノルマン人の首長ロロにキリスト教への改宗と臣従を条件に領地として与えたことに始まる(サン=クレール=シュール=エプト条約)。セーヌ川河口ルーアン地方を領土としてルーアン伯と呼ばれたが、後に西方へ拡大していった。以後ルーアンはノルマンディ公国の首邑であり続ける。

ギョーム1世長剣公(在位927~942)、リシャール1世無畏公(在位942~996)の時代に海上交易の繁栄を背景とした強力な領邦権力として確立され、リシャール2世(在位996~1026)の時代にノルマンディ公を名乗り、フランス諸侯の中でも屈指の大諸侯としてフランス王にも強い影響を及ぼした。1002年、リシャール2世は圧力を増すデーン人に対抗したいイングランド王エゼルレッド2世(在位978-1016)の求めに応じ姉妹エマをイングランド王妃として送り出した。エゼルレッド2世とエマとの間に生まれた子が後のイングランド王エドワード証聖王である。

エドワード証聖王の時代~アングロ・サクソン王権の再興と終焉
エドワード証聖王(” Edward the Confessor “、1003年頃生~1066年没)はウェセックス朝イングランド王(在位1042年6月8日~1066年1月5日)。父はイングランド王エセルレッド2世、母はノルマンディ公リシャール...

エゼルレッド2世死後、デーン人の王クヌートがイングランド、ノルウェー、デンマークに至る北海帝国を樹立。クヌート大王は未亡人エマを妃としてイングランド王位継承の正統性を獲得しようとした。クヌートとエマ妃との間に生まれたハーデクヌーズがクヌート死後、前妃との間に生まれたハロルド1世に続いて北海帝国を継承することになる。

リシャール2世死後、長子リシャール3世が公位を継いだが一年余りで病死し、弟のロベールがノルマンディ公ロベール1世(在位1027-35)となった。彼はフランス王家の王位継承を巡る内紛に介入してフランス王アンリ1世に助力する代わりにヴェクサン地方の割譲を受けたが、このヴェクサン地方を巡る争いが後にフランス王とノルマンディ公の対立の大きな要因となった。

ギョーム2世のイングランド征服

ノルマンディ公ロベール1世と、愛妾アルレッタの間に生まれた庶子がノルマンディ公ギョーム2世、後のイングランド王ウィリアム1世である。アルレッタはファレーズ市の富裕な製革職人の娘であった。1035年、ロベール1世は巡礼先のエルサレムで亡くなり、庶子ギョームが公位についた。

征服王ウィリアム1世と「ノルマン人の征服(ノルマン・コンクエスト)」
ウィリアム1世(生没年1028-1087、ノルマンディ公在位1035-87、イングランド王在位1066-87)はノルマン朝初代のイングランド王。1035年、北フランスの有力諸侯ノルマンディ公を継承、1066年「ヘースティングズの戦い」でイン...

幼い新公に対し有力貴族が反乱を起こし、フランス王アンリ1世、アンジュー伯ら周辺諸侯が介入、公位継承を巡る戦争が始まった。1047年、フランス王アンリ1世の支持を背景にヴァル・エス・デュヌの戦いで反乱を鎮圧したが、1053年、アンリ1世は一転して反ギョーム2世派を支援してアンジュー伯ジョフロワ2世マルテルと結びノルマンディに侵攻してくる。同年、ギョーム2世はフランドル伯ボードゥアン5世の娘マティルダと結婚、フランドル伯との同盟関係を確立して、1054年のモートマの戦い、1057年のヴァラヴィルの戦いでフランス王アンリ1世・アンジュー伯ジョフロワ2世軍を撃破、公領の支配を固めた。

1060年、フランス王アンリ1世、アンジュー伯ジョフロワ2世が相次いで亡くなり、フランス王位は八歳の幼君フィリップ1世が継ぎ、摂政として義父のフランドル伯ボードゥアン5世が補佐することとなって融和ムードが高まり、一方アンジュー伯家は後継を巡って内紛となり大きく勢力を減退させた。1063年、アンジュー伯との境界にあったメーヌ伯領を獲得してアンジュー伯家の脅威を取り去り、さらに1064年、ノルマンディ公領の背後を脅かしつつあったブルターニュへ遠征、ブルターニュ公コナン2世を下して影響下に置いた。

1066年、ノルマンディ公ギョーム2世はエドワード証聖王死後、イングランド王位を巡って新王ハロルド2世と争い、ヘースティングズの戦いに勝利してイングランドを征服してイングランド王国とノルマンディ公国を一体化させた。これをアングロ・ノルマン王国と呼ぶ。

ノルマン朝(アングロ=ノルマン王国、1066~1154)の歴史まとめ
ノルマン朝は、1066年、フランス北東部ノルマンディ地方の領主ノルマンディ公ギョーム2世がエドワード証聖王死後のイングランド王位を巡ってブリテン島に侵攻、ヘースティングズの戦いでハロルド2世を破りイングランド王ウィリアム1世として即位したこ...

アングロ・ノルマン王国時代

ギョーム2世(ウィリアム1世)は、その死に際して長子ロベールにノルマンディ公国を、次子(三男)ギョーム(ウィリアム2世)にイングランド王位を、末子アンリ(ヘンリ1世)に金銭を残して亡くなったが、新ノルマンディ公ロベール2世(在位1087~1106)と新イングランド王ウィリアム2世はすぐに王位継承を巡って争い始めた。

ロベール2世は元々父と折り合いが悪く、1078年には反逆して父に傷を負わせている。為政者としても評価が低く、在位中、浪費をほしいままにして富裕なノルマンディ公国の財政を破綻させた。

兄弟対立は1091年、ロベール2世が弟ウィリアム2世にノルマンディ公国の一部を割譲し、お互い後継者無く死んだときは互いが後継者となることを約束した。その後、1096年に第一回十字軍が開始されると、経済的に困窮していたロベール2世は一攫千金を夢見て十字軍への参加を表明、戦費調達のため、ウィリアム2世にノルマンディ公国を担保として資金提供を受けた。

1100年8月2日、ウィリアム2世が狩猟中の事故で亡くなると、その隙をついて末弟アンリがイングランド王ヘンリ1世となった。十字軍遠征から帰ったロベール2世は弟の王位継承を不服として反ヘンリ1世派貴族とともに軍を起こすが、1106年、タンシュブレーの戦いでヘンリ1世に捕らえられ、公位を喪失して1134年に亡くなるまで幽閉されて生涯を終えた。

ヘンリ1世碩学王~イングランドの統治体制を築いた隠れた名君
ヘンリ1世はノルマン朝イングランド(アングロ=ノルマン王国)三代目のイングランド王。ノルマンディ公。ウィリアム1世の末子。前王ウィリアム2世の死後、ノルマンディ公ロベールの不在を就いてイングランド王に即位。ノルマンディ公ロベールの反乱と、そ...

以後、ロベール2世の子ギョーム・クリトがフランス王ルイ6世、アンジュー伯フルク5世と結んで反乱軍を率いたが、1119年までに鎮圧され、あらためてイングランド王位とノルマンディ公位はヘンリ1世の下で統合された。

1135年、ヘンリ1世が亡くなると、後継者を巡って娘マティルダと甥スティーブンが争い、スティーブンがイングランド王に即位しノルマンディ公位も継承したが、ノルマンディの諸侯の多くは両者どちらにもつかなかったため、マティルダと夫のアンジュー伯ジョフロワ5世がノルマンディ公国を再征服して地盤を築き、1144年、アンジュー伯ジョフロワ5世が公国内の貴族たちの承認を受けてノルマンディ公に就き、アンジュー伯領とノルマンディ公国が一体化した。

アンジュー伯家の帝国建設(929年-1154年)
アンジュー伯家はフランスの諸侯である。十世紀から十二世紀にかけて台頭し、1154年、ノルマン朝にかわってイングランド王位を含めたブリテン島南部からノルマンディ、メーヌ、アンジュー、ポワトゥー、アキテーヌ、ブルターニュなどフランスの過半を支配...

アンジュー帝国の成立からノルマンディ公国の消滅まで

1150年、ジョフロワ5世はノルマンディ公位を息子のアンリ(のちのヘンリ2世)に譲り、翌51年に亡くなった。アンリは後にイングランド王位や新たに婚姻で獲得したフランス南西部アキテーヌ公領などイングランドからフランスの北部・西部に至る広大な領土を獲得してアンジュー帝国を樹立する。アンジュー帝国においてノルマンディ公国はもはや重要ではなく、ヘンリ2世はノルマンディ公位を長男若ヘンリに与えて統治させた。

イングランド王ヘンリ2世と武威の王権『アンジュー帝国』
誕生から即位まで 1066年、ノルマンディ公ギョーム2世がブリテン島へ侵攻しイングランド王ウィリアム1世として即位したことで、イギリス海峡をまたぐノルマンディ公領とイングランド王領からなる海峡国家アングロ=ノルマン王国が誕生した。三代目の...

若ヘンリ死後、ノルマンディ公位は父ヘンリ1世に戻り、その後を継いだリチャード1世、ジョンと受け継がれた。この間、アンジュー帝国とフランス王との対立が先鋭化し、リチャード1世死後の1204年、フランス王フィリップ2世によって要衝ガイヤール城が陥落させられ、ノルマンディ公国はフランス王の支配下となった。

引き続きジョン王がノルマンディ公を称していたものの、ノルマンディ貴族たちは直接フランス王へ臣従したため、このとき、独立した諸侯領としてのノルマンディ公国は消滅した。なお、ジョン王の後を継いだイングランド王ヘンリ3世もノルマンディ公を称したが、1259年、フランス王との和平条約であるパリ条約締結時に放棄している。

歴代ノルマンディ公

・ロロ(在位911~927)
・ギョーム1世長兼公(在位927~942)
・リシャール1世無畏公(在位942~996)
・リシャール2世(在位996~1026)
・リシャール3世(在位1026~1027)
・ロベール1世華麗公(在位1028~1035)
・ギョーム2世庶子公(在位1035~1087);ウィリアム1世征服王
・ロベール2世短袴公(在位1087~1106)
・アンリ1世碩学公(在位1106~1135):ヘンリ1世碩学王
・エティエンヌ1世(在位1135~1144):スティーヴン王
・ジョフロワ・プランタジュネ(在位1144~1150):アンジュー伯ジョフロワ5世
・アンリ2世(在位1150~1189):ヘンリ2世
・アンリ3世(在位1170~1183):若ヘンリ
・リシャール4世獅子心公(在位1189~1199):リチャード1世
・ジャン欠地公(在位1199~1216):ジョン欠地王(1204年ノルマンディ公領喪失)
・アンリ4世(在位1216~1259):ヘンリ3世(名目上のノルマンディ公)

参考書籍

・柴田三千雄編『フランス史〈1〉先史~15世紀 (世界歴史大系)』(山川出版社, 1995年)
・青山吉信・飯島啓三・永井一郎・城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,1991年)
・朝治 啓三,渡辺 節夫,加藤 玄 編著『中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで』(創元社,2012年)
・佐藤彰一他編『フランス史研究入門』(山川出版社, 2011)
・鶴島博和著『バイユーの綴織(タペストリ)を読む―中世のイングランドと環海峡世界』(山川出版社,2015年)
・森護著『英国王室史事典』(大修館書店,1994年)
・ヘンリー・R・ロイン編(魚住昌良監訳)『西洋中世史事典』(東洋書林,1999年,原著1989年)

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

記事更新の参考文献としてほしい歴史書リストを公開しました。もしお送りいただければこのサイトの内容充実に反映させていきたいと思います。

http://amzn.asia/6Dvfkkx

文庫、新書、一般書、専門書と世界史から日本史までかなりの数リストにしたので、案外、眺めるだけでも楽しめるのではとも思います。

Kousyouをフォローする
フランス史
スポンサーリンク
この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします。
スポンサーリンク
Call of History ー歴史の呼び声ー