アイルランドの国宝『ケルズの書』とは何か

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アイルランドの国宝、八~九世紀に作成された装飾写本の傑作『ケルズの書(”The Book of Kells”)』がデジタル化され、収蔵されているアイルランド・ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館(”The Library of Trinity College Dublin”)の公式サイトで公開されている。

Book of Kells
The Book of Kells contains the four Gospels in Latin based on the Vulgate text which St Jerome completed in 384AD, intermixed with readings from the earlier Old...
「ケルズの書」

「ケルズの書」

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ヒベルノ・サクソン様式装飾写本

ブリテン諸島へのキリスト教布教の歴史まとめ
ブリテン諸島へ最初にキリスト教が伝播したのがいつごろかはよくわからない。中世以降に広まった伝承としては、西暦63年、キリストの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフがグラストンベリに教会堂を創始したことに始まるとする物語や、166年、ブリタニア...

五世紀から六世紀にかけて、アイルランドを中心としたブリテン諸島へのキリスト教布教が進み、修道院・教会での典礼用に福音書の大型写本が作成されるようになった。アイルランドでは六世紀から七世紀にかけて写本に文字の縁取りなど装飾が施されるようになり、七世紀後半から特徴的な組紐模様が登場、『ダロウの書』では動物的な形態や抽象的な要素が取り入れられ、渦巻模様と組み合わされて洗練されていった。

このような組紐模様、動物的形態、渦巻模様などはラ・テーヌ期の工芸品などにも共通することから、十九世紀以降古代ケルト人の文化と結びつけられ『晩期ケルト美術』と呼ばれるようになったが、近年では、これらのブリテン諸島で発展した美術様式をヨーロッパ大陸の古代ケルト文化に遡ることは否定される傾向が強い。(注1)

アングロ・サクソン系の文書にも同様の装飾が見られ、七王国時代、七世紀前~中期のイースト・アングリア王国のサットン・フーの舟葬墓から出土した金製のバックルは組紐や動物をモチーフとしたデザインで『ダロウの書』との類似が指摘される(注2)。フランソワ・マセは1947年の著書で『その美術様式はアイルランド文化と言うよりむしろアングロ=サクソンのそれに影響すると考えた。』(注3)

七世紀前半、アイルランド人修道士が多くアングロ・サクソン系のノーサンブリア王国にわたり、アングロ・サクソン文化とアイルランド文化が交流、アングロ・サクソン系の動物形態や組紐模様などを取り入れたと考えられている。(注4)聖エイダンがノーサンブリアのリンディスファーンに設立したリンディスファーン修道院では『ダロウの書』、『ケルズの書』とならぶ代表的な装飾写本『リンディスファーン福音書』が作られた。

このような、アイルランド(ヒベルニア)文化とアングロ・サクソン文化の交流で生まれた美術様式を『ヒベルノ・サクソン様式(”Hiberno-Saxon style”)』と呼ぶ。(注5)

『ケルズの書』の製作

『ケルズの書』は西暦800年前後、スコットランド西岸ヘブリディーズ諸島のアイオナ島にあるアイオナ修道院で製作が開始され、後にヴァイキングの襲来を避けて、アイルランドのミーズ州にあるケルズ修道院に移されたあと製作が継続されたものと考えられている。

『ケルズの書』は日常的に読むためのものではなく、『祭壇にしつらえられて特別な日にのみ使用されるべく作られ』、あるいは『特別な儀式のために作成されたとも考えられる』(注6)。装飾部分は「金細工師」「挿絵家」「肖像画家」の三人の芸術家(注7)が、写本部分は四人の写字生がかかわったと考えられている。(注8)また、子牛の皮を使った羊皮紙に描かれ、顔料として青色はインディゴや北ヨーロッパ原産の大青、青色に陰影をつけるために高価なラピス・ラズリも使用されている。白色は白煙や石灰、黄色は硫黄、紫色は地中海産の植物「クロゾフォラ・ティンクトリア」、赤色は赤鉛、臙脂色として地中海に生息する産卵間際のカイガラムシの一種「ケルモッコクス・ウェルミリオ」から抽出されたものがつかわれた。(注9)

使われている福音書は384年に聖ヒエロニムスによって翻訳された古ラテン語訳『ウルガタ版聖書』で、最初の文字を際立たせるために「組紐文様」と「渦巻き文様」で装飾され、多くの動物や人物像、抽象的なデザインが盛り込まれている。ミーハンによれば、図像のテーマは聖書、十字架、天使、福音書記者とその象徴、聖体、キリストとキリストのシンボル(魚、蛇、獅子)、孔雀、鳩、人間像などに大別される(注10)

ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館公式Youtubeチャンネルから『ケルズの書』解説動画

『ケルズの書』の歴史

『ケルズの書』について最初に記録に残るのは五世紀から十五世紀までのアイルランドの歴史を記した『アルスター年代記” Annals of Ulster”』で、1007年、ケルズの教会から盗み出され二か月後に戻ってきたと記録されている。ここでは「西欧世界における最も貴重なもの」と評されている。「ティゲルナハ年代記” Annals of Tigernach”」には1090年、聖コルンバ(コルム・キレ)(注11)の聖遺物がケルズに戻ったと記録され、これが『ケルズの書』と『ダロウの書』ではないかという。中世を通して『ケルズの書』はアイオナ修道院を創設した六世紀の聖人コルム・キレの福音写本と考えられていた。(注12)

1641年のアイルランド革命とそれに続く1649~53年のクロムウェルによるアイルランド侵略の戦火を避けるため、ケルズ総督だったカヴァン伯チャールズ・ランバートが1653年、ダブリン大学のトリニティ・カレッジに移し、以後現代までダブリン大学のトリニティ・カレッジ図書館が収蔵している。(注13)

1849年8月、アイルランドを訪れたヴィクトリア女王がアルバート公とともに『ケルズの書』を閲覧した際、女王は余白にサインを入れたというエピソードがある。丁度、新たに付け足された見返しのページであったため、1953年に写本から取り除かれた。(注14)

脚注

注1)原聖,212頁

注2)原聖,214頁

注3)バーナード・ミーハン,93頁

注4)ミーハン,9-10頁、91頁/Book of Kells – The Library of Trinity College Dublin – Trinity College Dublin(英語)

注5)鶴岡 真弓/松村 一男 著『図説 ケルトの歴史: 文化・美術・神話をよむ (ふくろうの本/世界の歴史)』(河出書房新社,2017年)ではハイバーノ・サクソン・スタイルと呼ぶが、ここでは「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」を出典とする「ヒベルノ・サクソン様式 コトバンク」の訳に準拠した。

注6)ミーハン,16頁

注7)ミーハン,78-80頁/Book of Kells – The Library of Trinity College Dublin – Trinity College Dublin(英語)

注8)ミーハン,83-84頁/Book of Kells – The Library of Trinity College Dublin – Trinity College Dublin(英語)

注9)ミーハン, 89頁

注10)ミーハン, 5頁

注11)聖コルンバ(コルム・キレ、大コルンバ ” Saint Columba ” 521-597)はアイオナ修道院の創設者。聖パトリック、聖ブリジットとともにアイルランド三大聖人の一人。

注12)ミーハン,13-14頁

注13)ミーハン,14頁

注14)ミーハン, 94頁

参考文献・リンク

・鶴岡 真弓/松村 一男 著『図説 ケルトの歴史: 文化・美術・神話をよむ (ふくろうの本/世界の歴史)』(河出書房新社,2017年)
・原聖著『興亡の世界史 ケルトの水脈(講談社学術文庫)』(講談社,2016年)
・バーナード・ミーハン著(鶴岡 真弓 訳)『ケルズの書』(創元社,2002年,原著1994年)
The Medieval Masterpiece, the Book of Kells, Is Now Digitized & Put Online | Open Culture(英語)
Book of Kells – The Library of Trinity College Dublin – Trinity College Dublin(英語)
Hiberno-Saxon style | art | Britannica.com(英語)
ヒベルノ・サクソン様式 コトバンク

Kousyou

「Call of History ー歴史の呼び声ー」管理者。個人ブログはKousyoublog。英独仏関係史、欧州中世史、近世日本社会史、鎌倉幕府史などに興味があります。

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