ウィンチェスター大聖堂の納骨所にあった骨の中にアングロ・サクソン王朝時代のイングランド王妃エマ・オブ・ノルマンディのものがある可能性が高まったとBBCニュースが報じています。

エマ・オブ・ノルマンディ(980頃~1052)はノルマンディー公リシャール1世の娘で、1002年、デーン人の侵攻に対抗してノルマンディー公の協力を得たいイングランド王エゼルレッド2世(在位979~1013,1014~16)の求めに応じて妃として迎えられます。結婚後、後のイングランド王エドワード証聖王(在位1042~66)を産み、1017年、イングランド王となったデーン人の王クヌート(在位1016~35)の求めに応じて再婚、デーン朝北海帝国(イングランド、デンマーク、ノルウェーの同君連合、1016~42)最後の王ハーデクヌーズ(在位1040~42)を産みました。
後にイングランドに侵攻してノルマン朝を創始するノルマンディー公ギヨーム2世(征服王ウィリアム1世、在位1066~87)の叔母にあたり、この縁戚関係がウィリアムによるイングランド王位請求理由のひとつでもありました。アングロ・サクソン王朝、デーン朝、ノルマン朝と三つのイングランド王家に深く関わる、いわばイングランド王家を創った女性であり、その遺骨の発見は非常に大きなニュースといえます。
記事によれば、1642年のイングランド内戦(清教徒革命)の際に大聖堂が荒らされ、安置されていた遺骨が混ざってしまい判別できなくなっていたとのこと。今回1300以上の骨が再構成されて調査が進んだ結果、エマ妃のものである可能性があると結論づけられました。彼女の棺には「イングランド王の母にして妻”mother and wife of the kings of the English”」と彫られているそうです。
さらに、23人分の遺骨があることがわかり、1050年から1150年までの間に亡くなった10~15歳ぐらいの王族の少年の遺骨が二体あることも明らかになりました。誰のものなのか今後調査が進められれるそうです。この時期に早逝したイングランド王族として可能性がありそうなのは、公認した庶子だけで二十人以上と多くの子がいたと言われるヘンリ1世(在位1100~35)の王子の誰かがまず思い浮かびます。なお、十五世紀薔薇戦争中に非業の死を遂げたエドワード5世と弟リチャードの可能性は記事中で否定されています。







