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マスター・ジェイムズ~中世ヨーロッパ屈指の築城の名手

「築城の名手」で思い浮かぶ人物というと誰だろう?藤堂高虎?加藤清正?それとも黒田官兵衛や太田道灌?日本の城だとそうだろうが、中世ヨーロッパにも築城の名手がいた。セント・ジョージのマスター・ジェイムズ(” Master James of Saint George ”,1230頃~1309)である。

マスター・ジェイムズはサヴォワ地方(現在のフランスとスイスの国境付近)出身、石工の家に生まれ、サヴォワ伯フィリップ1世の下で多くの城を築いたあと、イングランド王エドワード1世に招かれて征服したばかりのウェールズ地方に次々と築城した。イングランド王国によるウェールズ支配の拠点城塞網「アイアンリング」の異名で知られる堅城揃いで、そのうちカナーヴォン城、コンウェイ城、ハーレフ城、ビューマリス城は世界遺産『グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁』に登録されている。

サヴォワで彼の仕事として知られているのは1270年から75年にかけて築かれたサン=ゲオルギオス=デスプランチェ、ラ=コート=サン=アンドレ、ヴォイロン、サン=ローラン=デュポンの四つの城だが、驚くべきはこれを同時進行で築城していたことである。この他、ラ・バティアズ城の保管室(Garderobe)、シヨン城の窓なども彼の仕事で、1275年のアルジェント城を最後に1277年頃イングランドへ移った。

1282年、熾烈な戦いを経てウェールズ地方を征服したエドワード1世だったが、ウェールズ人の不満はくすぶっており、いつまた大規模な蜂起が起こるかわからない、予断を許さぬ状況であった。そこで王はすでに築城技術者として高い名声を得ていたマスター・ジェイムズを招聘してウェールズ地方の支配を盤石なものとする城塞網を築くことにしたのである。

1284年時点でマスター・ジェイムズがエドワード1世から受けた報酬は日当三シリング、通常の築城技術者の約10倍である。そして彼はこの報酬にふさわしい仕事をした。

エドワード1世が築城・修復・再建したウェールズの城は17城あり、わかっている限りで、アベリストウィス城(Aberystwyth Castle)、カナーヴォン城(Caernarfon Castle)、コンウェイ城(Conwy Castle)、ハーレフ城(Harlech Castle)、ビューマリス城(Beaumaris Castle)、ビルス城(Builth Castle)、フリント城(Flint Castle)、ルズラン城(Rhuddlan Castle)の築城、クリキエス城(Criccieth Castle)、ケアグール城(Caergwrle Castle)の修復、デンビー城と市壁(Denbigh Castle and town walls)の再建は彼の指揮下で行われた。

凄まじいのは、彼は以上を順番に建てたのではなく、いくつかの城を同時進行で築城していたことにある。築城期間を見ると、アベリストウィス城(1277~82)、ビルス城(1277~82)、ルズラン城(1277~82)、フリント城(1277~84)、ハーレフ城(1282~89、1283より前任者から引き継ぎ)、コンウェイ城(1283~89)、カナーヴォン城(1283~84)、ビューマリス城(1295~存命中は未完。1330頃完成)という具合だ。しかも、一切の手抜きなく、非常に高度な防御設備が整っており、いずれも名城として知られる。日本城郭協会選「ヨーロッパ百名城」にもカナーヴォン、コンウェイ、ハーレフの三城が選ばれている。

『エドワードの城塞群はブリテン諸島で建設されたなかで最も先進的で強力なものだった。設計者であるマスター・ジェイムズは設計に新しい工夫を多く取り入れた。そのなかには彼の故郷だけでなく他の地方で見てきたものもあった。たとえば、多重環状城壁の配置で、城門を一直線に並べないことである。錘を使った跳ね橋、プリンス、そして2方向への矢狭間を備えた射撃用アンブラジュールまでも使用された。』(カウフマン107-109頁)

特に最も短期間で築城されたカナーヴォン城は難攻不落を誇ったが、それは少数で効率的に防衛が可能な構造によるところが大きく、1401年、オワイン・グリンドゥール(Owain Glyndŵr)の大反乱の際にも他のアイアンリングの諸城が次々陥落するなか少数の守備隊で幾度となく敵を跳ね返したのは多角形平面の城塔を歩廊が通って、城壁のどこに取りつかれても、矢狭間と殺人孔を駆使してこれを阻止できる構造になっていたからであった。

その後、スコットランドでも1302年、エドワード1世に呼ばれてリンリスゴー宮殿(Linlithgow Palac)の城壁の建設を監督し、1304年のスターリング包囲でも働いている。その築城技術ゆえにエドワード1世に重用され、歴史に残る名城を次々と築いて、後世「中世のヨーロッパにおける最も偉大な建築家の一人”one of the greatest architects of the European Middle Ages”」と讃えられた。

カナーヴォン城

カナーヴォン城
(パブリックドメイン画像)

コンウェイ城

コンウェイ城
(パブリックドメイン画像)

ハーレフ城

ハーレフ城
(パブリックドメイン画像)

フリント城

フリント城
(パブリックドメイン画像)

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参考文献・ページ

・青山吉信編『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,1991年)
・太田静六著『イギリスの古城 (世界の城郭)』( 吉川弘文館 2010年)
・J・E・カウフマン,H・W・カウフマン共著(中島智章訳)『中世ヨーロッパの城塞』(マール社,2012年)
・チャールズ・フィリップス著(大橋竜太監修,井上廣美訳)『イギリスの城郭・宮殿・邸宅歴史図鑑』(原書房,2014年)
ヨーロッパ100名城 | 公益財団法人日本城郭協会
James of Saint George – Wikipedia(英語)
James of St George(英語)

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