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「ジャンヌ・ダルクの指輪」真贋論争

2016年2月、ジャンヌ・ダルクのものとされる十五世紀の指輪がオークションに出品され、フランス西部バンデ県の歴史テーマパーク「ピュイ・デュ・フー」が37万6833ユーロ(約4700万円)で落札、翌月より同テーマパークで公開されたというニュースが当時報じられていた。

ジャンヌ・ダルクの指輪か、仏西部テーマパークで公開
【3月21日 AFP】フランス史上最も有名な殉教者ジャンヌ・ダルク(Joan of Arc)のものとみられる指輪が20日、西部バンデ(Vendee)県にあるピュイ・デュ・フー(Puy du Fou)の歴史テーマパークで公開された。
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ジャンヌ・ダルクの三つの指輪

記録に残る限りでジャンヌ・ダルクにまつわる指輪は三種類ある。

第一の指輪は1429年6月、ジャンヌ・ダルクからジャンヌ・ド・ラヴァルという女性へ送られた金の指輪である。ジャンヌ・ド・ラヴァルはシャルル5世に仕えてフランスの勝利に貢献した名将ベルトラン・デュ・ゲクランの後妻だった老女で、ジャンヌ・ダルクの戦友としてともに戦っていたギー・ド・ラヴァルとアンドレ・ド・ラヴァルの祖母にあたる。

第二の指輪は兄から送られたという指輪で、ジャンヌ・ダルク処刑裁判の証言によれば裁判中、この指輪は裁判長ピエール・コーションによって保管されている。ジャンヌ・ダルク処刑裁判三月一日の証言には以下のようにある。

『同女自身は指環を持っていなかった。かと思うと、同女は余、司教にむかい「あなたが私の指環を持っているはずです。私に返してください」と答えた。』(高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)104-105頁)

第三の指環はドンレミ村にいた頃父か母から送られ「イエズス、マリア」の名が彫られたもので、おそらくジャンヌが捕虜となったとき、ブルゴーニュ軍によって奪われたという。

『ブルゴーニュ派の人々もいま一つの指環を持っている、と述べ、余にむかって、もしその指環を持っているなら見せて欲しいと要求した。
現在ブルゴーニュ派の手にある指環は誰から貰ったものか、と問うと、父か母から貰ったもので、イエズス、マリアの名が記されていたと思うが、これらの名を記させた人は知らない。石は付いていなかったと思う。この指環はドンレミ村にいた時貰ったものである、と答えた。』(高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)105頁)

裁判官たちはこれらの指輪を使ってジャンヌ・ダルクが何らかの魔法や呪術を使ったのではないかと疑い、ジャンヌはこれらを否定している。『同女は以上にあげた指環で人々の病気を癒したことは一度もない、と述べた』と記録されている。

また、この第三の指輪について、1431年3月17日にも改めて質問がなされている。

『イエズス、マリアという名が記されていた指環は、何でできていたのかと問うと、確実には知っていないが、金でできていたとしても上等な金ではないし、金であったか真鍮であったかもよく解らない。それにはイエズス。マリアという文字を除けば、十字が三つ刻まれていただけで、自分が知る限り他の記号はついていなかった、と答えた。
戦いに赴く際にその指環を好んで眺めたのは何故か、と問うと、心の慰めになったからであり、父母を敬ってのことである。その指環を指にはめて、目に見える形で現れる聖女カトリーヌに触れた、と答えた。』(高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)170-171頁)

ジャンヌ・ダルクにとって、この第三の指環が非常に重要なものであったことが伺える。

伝・ジャンヌ・ダルクの指輪について

「ジャンヌ・ダルクの指輪」

「ジャンヌ・ダルクの指輪」(1917年撮影)
(パブリックドメイン画像)

2016年にオークションにかけられたジャンヌ・ダルクのものとされる指輪は銀製で前面にIHS(イエス(Iesus (Jésus) ))、MAR(マリア(Maria))、その両横にI、Mと刻印されている。

この指輪の確実な来歴としては、1914年、ロンドン博物館の秘書だった収集家のフレデリック・アーサー・ハーマン・オーツがイギリスの画家オーガスタス・ジョン(1878-1961)から入手したもので、オーツ死後の1929年2月20日、サザビーズでオークションにかけられて個人の保管となったあと、1947年4月1日、あらためてサザビーズのオークションで医師ジェイムズ・ハッソン博士が落札した。ハッソン博士は第二次大戦中ロンドンのド・ゴール亡命政府に協力していた人物であった。

ハッソン博士は1956年6月19日から8月20日までジャンヌ・ダルク復権裁判五百周年を記念してフランス・ルーアンで開催された「ジャンヌ・ダルクの時代” Jeanne d’Arc et son temps”」展にこの指輪を出品し、その他現在ではジャンヌの関係に疑問を持たれている壺や兜などのジャンヌ所縁の品々とともに展示された。

2016年のオークションはジェイムズ・ハッソン博士の息子ロバート・ハッソン氏がこの指輪を手放したことで行われたものであった。

ジャンヌ・ダルクの指輪真贋論争

オークションを主催した” TimeLine Auctions”社によると、この指輪はジャンヌ・ダルク処刑裁判当時のイングランドの枢機卿ヘンリ・ボーフォート(1375頃-1447)がブルゴーニュ公国から入手した「第三の指輪」で、その孫マーガレット・ボーフォート(1443-1509)を通じてその子孫エリザベス・キャヴェンディッシュ(1555-1582)とその夫レノックス伯チャールズ・スチュアート(1555-1576)の間の子孫たちに受け継がれ、キャヴェンディッシュ家、ニューキャッスル公爵家、ポートランド家などを経て多くの芸術家と交流があった貴族女性オットリン・モレル(1873–1938)から、当時彼女の愛人となっていた画家オーガスタス・ジョン(1878-1961)に贈られたとされる。

これに対して歴史研究者たちはみな疑問を呈した。まず、この指輪は銀製だが記録に残る「第三の指輪」はジャンヌ本人の証言によれば『金であったか真鍮であったかもよく解らない』とある。この言に従えば、素材は確定できないにしても金や真鍮などを想像する「黄銅色」であっただろう。また、この指輪にはジャンヌが証言する『十字が三つ刻まれて』もいない。

また、オークション会社の説明した来歴にも疑問が呈され、ブルゴーニュからヘンリ・ボーフォート枢機卿へ指輪が送られたという記録は見つかっていないこと、オットリン・モレルもオーガスタス・ジョンもこの指輪について言及した記録は残っていないことなどが指摘された。

これに対して落札した「ピュイ・デュ・フー」社は鑑定結果としてこの指輪には金メッキされた痕跡があることを発表し、指輪はブルゴーニュからヘンリ・ボーフォートへ贈られたのではなく、ジャンヌ・ダルクがブルゴーニュ派からイングランドへ引き渡される際に一緒に贈られたと見解を修正したが、金メッキがされていたとしても、十字架の刻印が無いことなど証言とのずれは残り、ブルゴーニュからイングランドにジャンヌとともに引き渡されたのだとする見解は第二の指輪との混同が起こることになり、別の矛盾が生じる。

そもそも説明にあるヘンリ・ボーフォートからオーガスタス・ジョンへ至る系譜は例えばマーガレット・ボーフォートはテューダー朝開祖ヘンリ7世の母、キャヴェンディッシュ家は初代ウィリアム以来イングランド有数の富裕な貴族として知られ現在の英王家にもつながる名門中の名門、オットリン・モレルはウェリントン公の姪で現女王エリザベス2世の祖母セシリア・ボウズ・ライアンのいとこにあたる女性で社交界の著名人、といずれも代々英国中枢の要人たちである。

ジャンヌ・ダルクの指輪は本人も言うように「金でできていたとしても上等な金ではない」し、少し富裕な田舎の農民夫婦が十代の娘に買い与える程度の代物である。王族にも連なる大貴族が代々継承し続けるようなものでは決してない。これを大事に継承したとしても、その要因となるのは「ジャンヌ・ダルクの遺物」である点だろうが、それだとイングランドの貴族がわざわざ忌々しい「魔女の遺物」を継承する理由になりえないだろう。上述のレノックス伯夫人エリザベス・キャヴェンディッシュが受け継いだとする十六世紀はシェイクスピアが「ヘンリー6世」でジャンヌを酷い描き方をしていた時代である。フランスの貴族であったとしてもおかしい。ジャンヌ・ダルクは死後一貫して忘れられた存在であり再評価は十九世紀以降のことだからである。モレルもT.S.エリオットやD.H.ロレンスなどとも交流あった社交界の中心にいた貴族女性である。そんな女性がわざわざ愛人に安物の古びた指輪を贈るとも思えない。ツッコミどころしかないストーリーになっている。

このように、歴史研究者たちはこの指輪についてジャンヌ・ダルクのものとする見解には否定的であり、これらの情報だけでこの指輪の来歴や出自を明らかにすることはできないとして慎重な立場であるようだ。中世史家オリヴィエ・ブジーは「宗教的あるいは政治的な理由から、多くの人がこのフランス史のヒロインを生き返らせようと躍起になっている。” beaucoup, pour des raisons religieuses ou politiques, ont envie de faire revivre cette héroïne de l’Histoire française “」(Un historien s’interroge sur l’origine de l’anneau de Jeanne d’Arc)と述べている。2016年6月、英国芸術評議会(Arts Council England)もこの指輪はジャンヌ・ダルクのものとする充分な証拠がないと発表した。

ジャンヌ・ダルクの名に目がくらんで出自のよくわからない指輪に4700万円、高い買い物だったのではないだろうか。

ジャンヌ・ダルクの愛剣「フィエルボワの剣」を求めて
ジャンヌ・ダルクは戦場にあっても剣を振るうことを好まなかったことはよく知られているが、だからといって丸腰ではなく、ちゃんと剣を下げていた。しかも、その剣には不思議な、ある種の神がかり的なエピソードがある。 「フィエルボワの剣」 シノ...

参考文献・リンク

・高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)
・コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)
・レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)
Anneaux de Jeanne d’Arc — Wikipédia
ジャンヌ・ダルクの指輪か、仏西部テーマパークで公開 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News
Un historien s’interroge sur l’origine de l’anneau de Jeanne d’Arc

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