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「ジャンヌ・ダルクの旗」のデザインや逸話、役割のまとめ

ジャンヌ・ダルクのイメージとして欠かせないのが常に掲げていた軍旗ではないだろうか。彼女は処刑裁判の供述でも『剣よりも旗の方が四〇倍も好きだった』(注1)と語っており、非常に気に入っていたものだ。

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ジャンヌ・ダルクの旗の製作と特徴

シノン城での国王シャルル7世との面会後ポワティエでの審問も終えたジャンヌ・ダルクは無事オルレアンへの派遣が認められ、彼女の下に副官ジャン・ドーロン、司祭ジャン・パスクレル、従卒ルイ・ド・クートとレイモンらと兵士たちが配されてジャンヌ・ダルク直属部隊が編制された。

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1429年4月5日、トゥールの町に滞在して準備を整えていたジャンヌ・ダルクは画家オーヴ・プールノワールに依頼して軍旗・槍旗を作らせている。プールノワールへの報酬はトゥール貨25リーブルであったと記録されている。(注2)また、『その出来栄えに非常に満足したジャンヌは、そのあと、画家の娘に持参金を与えるようトゥール市の助役に掛け合った』(注3)

ジャンヌ・ダルク専属の聴罪司祭パスクレルは軍旗について、彼女が神の声に従って作らせたものだと後に証言している。

『彼女は、自分に現れる主、すなわち神の使者たちに自分がなすべきことを尋ねてきたこと、使者たちはジャンヌに彼女の主の旗印を掲げよと告げた、と申していました。ジャンヌが作らせた旗印に、わが主が天の霊の中で最後の審判の座に坐している像が描かれ、また主が祝福する百合の花を手に持つ天使が描かれているのはそのためです。私はそのときこの旗印が描かれたトゥールにいたのです。』(注4)

ジャンヌ本人も、処刑裁判で神の声に従って旗を作成し、そのデザインも決定したことを供述し、具体的に旗のデザインについても証言している。

『同女がオルレアンに赴いた時、四角い軍旗か長い旗印しを持っていたか、それはなに色だったかと問うと、百合の花をあしらった布製の長い旗印しをもっていた。天地を手に載せた我が主がかたどられていて、傍に天使が描かれていた。布の色は白色で、白地の麻または麻入りの木綿でできていた。また、イエズス、マリアという名が書かれていたように思う。絹で縁どられたものだった、と答えた。
イエズス、マリアという名は上の方に書かれていたか、下の方に書かれていたか、あるいは横の方かと問うと、横の方だったと思うと答えた。』(注5)

また、3月10日の証言では、その意匠の意味について問われ、『聖女カトリーヌとマルグリットが自分にこの旗を持って何者も怖れないように命じたものであり、またそこに天上の主を描かせるように命じたもの』(注6)と、彼女の声として繰り返し現れる聖女カトリーヌと聖女マルグリットの命であったという。また3月17日の証言でも聖女カトリーヌとマルグリットに言われた通りに描かせたことを繰り返し証言している。

『聖女達が自分に「天国の王の名によってこの旗を持て」と告げたので、自分は旗印しにわが主と二人の天使の姿を描かせ、色彩を施させたのである。
(中略)
聖女達は自分にむかい、怖れることなくこの旗を持て、そうすれば神は汝を援けるであろうと告げてくれた』(注7)

コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)によれば『モロジーニ年代記』に以下のような記述があるという。

『彼女は白い軍旗を持ち、そこには三位一体の我が主を描いている。我が主は一方の手で球体を持ち、もう一方の手で祝福している。主の両側に天使が、フランス王が持つような色の百合の花を捧げている。』(注8)

また、同じくコレット・ボーヌによると、裏面のデザインについてジャンヌ・ダルクの戦友アランソン公ジャン2世の家臣ペルスヴァル・ド・カニが残した記録として『裏側には言葉(何かはわからない)と二人の天使が持つフランスの盾があった』(注9)とされるという。

あらためてジャンヌ・ダルクの旗について特徴をまとめると以下の通りとなる。

・素材は白地の麻または麻入りの木綿でできた白色の横長の布
・天地(球体)を持つ主の坐像と両側に二人の天使
・横にイエス・マリアの文字
・百合の花は天使が持っている、あるいは、デザインとしてあしらわれている
・裏面はフランスの盾を持った二人の天使と何かの言葉
・聖女カトリーヌと聖女マルグリットの命に従って作成
・二人の聖女は何者をも怖れることなくこの旗を持てば、神の助けが得られると伝えた
・依頼されたのはトゥールの画家オーヴ・プールノワールで報酬はトゥール貨25リーブル
・この旗とは別に僧侶のための槍旗も作らせた。

戦場の「ジャンヌ・ダルクの旗」

この旗にまつわるエピソードは多い。

オルレアン包囲戦

1429年4月29日夜、オルレアンへ入城したジャンヌを民衆が出迎えたが、このとき、兵士に持たせていた旗に松明の火が燃え移った。すると、ジャンヌはすぐに馬を返して旗のところへ戻ると落ち着いて手早く火を消し、この冷静な対応に皆称賛の声を上げたという。(注10)

オルレアン包囲戦~勃発の背景からジャンヌ・ダルクの登場、終結まで
前史 フランス王シャルル6世が発狂して統治能力を失って以降、対立していたブルゴーニュ派とアルマニャック派はイングランド王ヘンリ5世に同盟を求め、両者の対立を好機としたヘンリ5世は1415年フランスに侵攻、アジャンクールの戦いでフランス軍を...

オルレアン包囲戦では決定的な場面でこの旗が登場する。ジャンヌ入城後、サン・ルー砦(5月4日)、オーギュスタン砦(5月5日)と次々奪取したフランス軍は、5月7日、要衝トゥーレル要塞の攻略に取り掛かった。激しく攻めたがイングランド軍の抵抗は頑強で夕刻まで落とすことができず、今日のところは引き上げることになった。

このとき、ジャンヌの副官ジャン・ドーロンは旗持ちの兵士が疲れ切っていたので、別部隊(ヴィラール隊)のル・バスクという兵士にジャンヌの軍旗を預けた。ジャン・ドーロンはこのとき、『もしジャンヌの旗印が前線に立てられたら』(注11)、兵士の士気が上がり要塞の奪取が果たせるのではないかと考えたという。ジャン・ドーロンはル・バスクとともに城壁の濠に近づいたが、これを見たジャンヌは見知らぬ兵士が自分の旗を持っていることに驚き、敵に奪われたと勘違いして彼らを追い、『ル・バスクも抗しえぬ勢いで旗印の一端を掴み取り、「おお私の旗印、私の旗印」と叫』(注12)ぶと、激しく旗を振った。最前線でジャンヌ・ダルク自ら旗を振る姿に、彼女の部隊が集結、他の部隊も撤退から攻勢に転じ、勢いに乗ってそのままトゥーレル要塞を陥落させてしまった。この決定的勝利によって、翌日イングランドは包囲を解き、撤退する。

ランス戴冠式

その後、イングランド軍はパテーの戦い(6月18日)で壊滅。ランスでの戴冠に向けてシャルル7世の親征が始まり、7月10日、ジャンヌの活躍でトロワ市が降伏し、軍旗を手にもったジャンヌがシャルル7世の側に従ってトロワに入城した。

7月17日のシャルル7世の戴冠式では、祭壇の傍に軍旗を掲げたジャンヌが立って王の戴冠を祝福した。このとき、安全上の理由から戴冠式に参加できなかった王母ヨランド・ダラゴンと王妃マリー・ダンジューに宛てた報告の書状にジャンヌ・ダルクの旗について記述がある。

『国王が聖別されたとき、そして王冠が国王の頭上におかれたとき、全列席者は“万歳(ノエル)”を叫びました。すると、教会の丸天井が崩れ落ちるかと思えるほどラッパが鳴り響きました。この儀式の間中、乙女は王の傍らに立ちつくし、手には彼女の軍旗を捧げもっていました。国王や乙女の示す見事な振る舞いを目にするのは、じつに素晴らしいことでした。お二人がその場におられたら、その感動はいかばかりだったでしょう。』(注13)

ジャンヌ・ダルクは処刑裁判でなぜジャンヌ・ダルクの軍旗だけ国王の戴冠式で長く掲げられていたのかと問われ、こう答えた。

『その旗印しは大変苦労してきたものだから、名誉を受けるのは当然のことである』(注14)

パリ包囲戦

次に旗が印象的な登場をするのはパリ包囲戦であった。戴冠式後、イングランドの事実上の総帥である摂政ベッドフォード公ジョンは敗軍を立て直すと自ら軍を率いてシャルル7世本隊と対陣、両者睨み合いが続いた後ブルゴーニュ公フィリップ3世を通じて三勢力の休戦が決定する。このとき、ジャンヌ・ダルクはアランソン公ジャン2世やジル・ド・レ元帥らとともにパリ包囲に取り掛かっていた。パリ包囲戦が始まった1429年9月8日の様子についてペルスヴァル・ド・カニは以下のように記す。

『乙女は軍旗を手にとり、先陣の者たちと豚市場の方に向かって堀を下りていった。攻撃は激戦となり長びき、城方が攻囲軍に打ち出す大砲や長火砲の音や騒音はものすごいものであった。

(中略)

日が沈んだ後、乙女は弩の矢を腿に受けた。矢を受けながらも乙女は大声を出して、ものども城壁に取りつけ、砦は陥ちるぞ、と呼ばわった。しかし、もう夜になっていたし、乙女は負傷しているし、兵士たちは長い城攻めに疲労困憊しているので、ゴークール殿はじめ皆の者が乙女を連れにやって来て、皆して嫌がる彼女を掘の外へ連れ出した。』(注15)

このときの防御側の記録として『パリ住人の日記』には以下のように鮮烈な描写で記されている。

「そして、その男の放つ弩の矢は、まっすぐに彼女に向かい、彼女の脚を貫き通したので、彼女は逃げ去る。もう一筋の矢は、彼女の旗をもっていたものの足を貫き通す。その者は、傷ついたと知るや、その瞼甲をあげて、足にささった旋転矢をひきぬこうとする。そのとき、さらに一筋の矢が彼に至り、両眼の間を貫き、顔を血に染める。彼を傷つけ、死に追いやる。」(注16)

パリ攻囲戦でジャンヌ・ダルクの二人の小姓の一人レイモンが戦死しており、この描写はそのレイモン戦死の様子と考えられている。

三者の休戦が成立したため、この翌日パリ攻撃の中止命令が出てジャンヌらは撤退した。

コンピエーニュの戦い

最後の戦いとなったコンピエーニュでも彼女の軍旗が翻っていた。ブルゴーニュ公フィリップ3世に仕えた年代記作家ジョルジュ・シャトランは以下のようにこのときのジャンヌを描写している。

『彼女は鎧に身を固め馬上であったが、まるで男のように見えた。甲冑の上から真紅地に金糸織の見事な陣羽織を羽織っていた。実に堂々として力強い灰色の軍馬にまたがり、甲冑に身を包み、その物腰はいっぱしの武将のようであった。

(中略)

そして、彼女の軍旗を高く掲げ、風にそよがせ、多数の貴族を従え、午後の四時頃、町を出ていった。』(注17)

1430年5月23日、ジャンヌ・ダルクはブルゴーニュ軍に捕われ、ジャンヌ・ダルクの旗は二度と翻ることは無かった。

ジャンヌ・ダルクの軍旗とは何だったか

中世ヨーロッパで布製の軍旗が登場するのは十一世紀以降のことで、「バイユーのタペストリー」(十一世紀末製作)にも多くの軍旗が描かれているが、騎士たちの間で本格的に使用が広がったのは十字軍遠征(1096~)が契機と考えられている。(注18)中世盛期以降、軍旗は騎士個人を識別する紋章旗として発展したが、初期は『神の加護を願う護符的要素』(注19)が強かった。

森譲著『ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで (中公新書)』(中央公論新社,1992年)によれば軍旗には、下級騎士が槍に付ける長三角旗「ペノン(pennon)」、国王・貴族の紋章が描かれる方形の個人旗「バナー(banner)」、軍団旗として本陣に立てられ、大きいものだ11ヤード(9.9メートル)、普通のものでも9ヤード(8.1メートル)にもなる長大な「スタンダード(standard)」、垂直に垂れ下がる「ゴンファノン(gonfanon)」などがある。(注20)

実際にはこの旗を掲げて戦場を走り回っていることを考えると、それほど大きくはなくせいぜい数メートルと思われる。コレット・ボーヌは一般的な長三角旗の大きさの例として3.5メートル×80センチメートルという数字を挙げる。(注21)基本的に固定して立てられるスタンダードと違って、上記の分類でいうと「ペノン」と「スタンダード」の中間ぐらいの大きさのものだっただろう。

また、旗の目的も当時一般的だった個人旗としてではなく、数々の証言からもわかる通り中世ヨーロッパにおける伝統的な旗の目的である「神の加護を願う護符」の役目を果たしていた。シャルル7世の戴冠式においてジャンヌは王の幸運と幸福を祈って王の周りを旗の尻尾で一回りさせたという。(注22)

ゆえに、処刑裁判で裁判官たちはこの旗に魔術的な力が込められているのではないかと疑い、様々な質問を行っている。ジャンヌは神に由来する力だといい、裁判官は魔術的な要因がないかさぐるという駆け引きが行われ、その結果として上記のようにジャンヌは旗について詳細な証言がなされた。

前述のトゥーレル要塞攻略戦でジャンヌ・ダルクの副官ジャン・ドーロンがこの旗が最前線に立てられるだけで戦局を覆せると考えたように、ヨーロッパ中世という、信仰が兵士たちの士気を大きく左右する時代の戦争において、この神の命で作られたとされる「ジャンヌ・ダルクの旗」の力が及ぼす心理的効果は現代のわれわれが想像する以上に大きかったのである。

「ジャンヌ・ダルクの旗」の例

ジャンヌ・ダルクの旗については実物は残っていないため、後世様々な図案が描かれているが、現在オルレアン市で毎年行われているジャンヌ・ダルク祭でのジャンヌ・ダルクの旗はジャンヌ・ダルクセンター副所長オリヴィエ・ブジー氏に依頼して作られたもので、いわば現在の公式デザインである。

「オルレアン市ジャンヌ・ダルク祭2019年の写真」

「オルレアン市ジャンヌ・ダルク祭2019年の写真」
オルレアン市公式ページより/(C) ORLÉANS MÉTROPOLE


オルレアン市ジャンヌ・ダルク祭2018年のジャンヌ・ダルクの旗掲揚動画

「復元されたジャンヌ・ダルクの旗」(1932年撮影、フランス国立図書館蔵、パブリックドメイン)

「復元されたジャンヌ・ダルクの旗」
(1932年撮影、フランス国立図書館蔵、パブリックドメイン)

Remise de la copie du drapeau de Jeanne d'Arc par lord Tyrrell ambassadeur d'Angleterre à Monsieur Doumer : [photographie de presse] / Agence Mondial
Remise de la copie du drapeau de Jeanne d'Arc par lord Tyrrell ambassadeur d'Angleterre à Monsieur Doumer : / Agence Mondial -- 1932 -- images

1932年、英国大使ティレル卿から贈られた、復元されたジャンヌ・ダルクの旗。

脚注

注1)高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)96頁、1431年2月27日の審理

注2)レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年81頁

注3)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)218頁

注4)レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)219頁

注5)高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)96頁、1431年2月27日の審理

注6)高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)126頁、1431年3月10日の審理

注7)高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)169頁、1431年3月17日の審理

注8)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)218頁

注9)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)220頁

注10)レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)89頁

注11)レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)204頁

注12)レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)205頁

注13)レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)130頁

注14)高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)172頁、1431年3月17日の審理

注15)レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)151頁

注16)堀越孝一著『ジャンヌ=ダルクの百年戦争 (新・人と歴史 拡大版)』(清水書院、2017年、原著1984年)176頁

注17)レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)167頁

注18)森譲著『ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで (中公新書)』(中央公論新社,1992年)33頁

注19)森譲著『ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで (中公新書)』(中央公論新社,1992年)24頁

注20)森譲著『ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで (中公新書)』(中央公論新社,1992年)25-30頁

注21)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)217頁

注22)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)221頁

参考文献

・コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)
・レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)
・レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)
・レジーヌ・ペルヌー(高山一彦訳)『オルレアンの解放 (ドキュメンタリー・フランス史)』(白水社、1986年)
・高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)
・高山一彦著『ジャンヌ・ダルク―歴史を生き続ける「聖女」 (岩波新書)』(岩波書店、2005年)
・堀越孝一著『ジャンヌ=ダルクの百年戦争 (新・人と歴史 拡大版)』(清水書院、2017年、原著1984年)
・森譲著『ユニオン・ジャック物語―英国旗ができるまで (中公新書)』(中央公論新社,1992年)
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