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ジャンヌ・ダルク活動・関連事項全年表

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1412~1428年

 
年代事項
1412年1月6日ジャンヌ・ダルク誕生
1415年10月25日アジャンクールの戦い(フランス軍壊滅)
1419年9月10日ブルゴーニュ公ジャン無怖公暗殺、嫡子フィリップ3世が継承
1420年5月21日トロワ条約
1422年8月31日イングランド王ヘンリ5世没、ヘンリ6世即位
1422年10月21日シャルル6世没、ヘンリ6世フランス王を兼ねる
1422年10月30日王太子シャルル、フランス王に即位を宣言(シャルル7世)
1424年8月17日ヴェルヌイユの戦い(アルマニャック(シャルル7世派)軍、英軍に大敗)
1424年夏のある日の正午頃、ジャンヌ、”声”を聞き始める
1428年5月13日ジャンヌ、ヴォークルールで城主ボードリクールとの面会を訴える
1428年7月ドンレミ村へ野盗襲撃、ジャンヌ一家ヌフシャトーへ疎開
1428年ジャンヌ、婚約取り消し裁判に出廷し勝訴
1428年10月12日イングランド軍、オルレアン市包囲開始

1429年

 
年代事項
1月ジャンヌ、叔父デュラン・ラクサール宅へ
2月ジャンヌ、ヴォークルール城主ボードリクールと会談、追い返される
2月ジャンヌ、ロレーヌ公シャルルに招かれナンシーへ赴く
2月12日オルレアン包囲戦「ニシンの戦い」で防衛軍大敗
2月この頃、ヴォークルール城主ボードリクールと再会談、シノン城行承認
2月22日ジャンヌ他六人、ヴォークルール出立、シノン城へ向かう
2月末オルレアン包囲戦、オルレアン市民代表ブルゴーニュ公と和平交渉
3月4日ジャンヌ一行、正午頃シノン城到着
3月6日同日夕方、ジャンヌ、シノン城でシャルル7世に拝謁
3月10日ジャンヌの尋問開始
3月11日ジャンヌ、ポワティエに移動して審問・純潔検査を受ける(~3月22日)
3月22日ジャンヌ、ポワティエよりイングランド軍へ降伏を促す書簡を送付
4月2日ジャンヌ、サント・カトリーヌ・ド・フィエルボワへ捜索の使者
4月5日ジャンヌ、トゥールで武具、軍旗を整える
4月中旬ブルゴーニュ軍、オルレアン包囲を中断し撤退
4月21日ジャンヌ、ブロワ到着、輸送部隊と合流
4月27日ジャンヌ、輸送・護衛部隊とともにブロワ出発
4月29日同日夜、ジャンヌ、ジャン・ド・デュノワに迎えられオルレアン市入城
5月4日ブロワよりオルレアンに増援部隊到着
5月4日サン・ルー砦奪還
5月6日オーギュスタン要塞奪還
5月7日レ・トゥーレル要塞奪還
5月8日イングランド軍、オルレアン包囲を解き撤退
5月9日ジャンヌ、オルレアンより撤収
5月11日ロッシュにてシャルル7世に謁見、感激した王がジャンヌを抱擁
5月23日ジャンヌ、アランソン公ジャン2世夫妻と休暇
6月9日アランソン公を総大将とするイングランド追撃作戦開始
6月11日ジャンヌらジャルジョー攻撃(翌12日奪還、サフォーク伯捕縛)
6月15日ジャンヌら、マン奪還
6月16日ジャンヌら、ボージャンシー奪還
6月18日パテーの戦い(ジャンヌらフランス軍、イングランド軍を撃破)
6月24日シャルル7世の親征開始(ジャンヌ参加)
7月1日イングランド軍増援部隊、カレー上陸
7月5日シャルル7世軍、トロワ市包囲開始
7月10日ジャンヌの策でトロワ市降伏、国王軍トロワ市入城
(~14日の間)ジャンヌ、ドンレミ村住民と面会
7月15日英摂政ベッドフォード公ジョン、フィリップ3世をパリで歓待
7月16日シャルル7世とともにジャンヌ、ランス入城
7月17日シャルル7世戴冠式開催。ジャンヌ参列
ジャンヌ、ブルゴーニュ公宛和平を促す書状送付
7月25日イングランド増援部隊パリ到着
7月31日シャルル7世、ドンレミ村およびグルー村に免税特権与える
8月4日ベッドフォード公率いる英軍、パリ出撃、セーヌ川左岸進出
8月15日ベッドフォード軍とシャルル7世軍、モンテビロワで対陣
8月16日フランス使節団、ブルゴーニュ公へ仲裁を依頼
8月21日仏・ブ休戦会談開始
8月23日ジャンヌ、コンピエーニュから出撃
8月末仏・ブ休戦で合意、フィリップ3世、英軍に休戦を仲介
9月8日ジャンヌ、アランソン公、レ元帥らとともにパリ攻囲開始
9月10日パリ攻囲軍に攻撃中止命令
9月末ジャンヌ、ブールジュで三週間の長期休暇に入る
10月末ジャンヌ、英派独立勢力ペリネ・グレサール討伐のためニヴェルネへ出陣
11月4日ジャンヌ、サン・ピエール・ル・ムーティエ攻略
11月6日ヘンリ6世、ウェストミンスター寺院で戴冠式挙行
11月24日ジャンヌ、グレサール居城ラ・シュル・シャリテ・ロワール攻略開始
12月半ばジャンヌ、ラ・シュル・シャリテ・ロワール攻略を断念し撤退
12月25日ジャンヌ、ジャルジョーでクリスマスを祝う
12月末シャルル7世、ジャンヌ一家を叙爵しデュ・リス姓と紋章を下賜

1430年

 
年代事項
1月8日フィリップ3世、イザベル・ド・ポルテュガルと結婚、金羊毛騎士団創設
1月15日英仏ブ休戦期間が3月15日まで延長
1月19日ジャンヌ、オルレアン市主催の祝宴に招待される
3月ジャンヌ、シュリーに滞在
3月16日ジャンヌ、ランス市民宛書状送付
3月23日ジャンヌ、フス派宛書状送付
4月初旬ジャンヌ、部隊を率いてシュリーよりラニへ進発
4月初旬英仏ブ講和会議が開催延期
4月4日ブルゴーニュ公フィリップ3世、ベロンヌに全軍集結
4月22日フィリップ3世総指揮のブルゴーニュ軍、ベロンヌから出撃
4月23日ヘンリ6世擁するイングランド軍本隊カレー上陸
4月24日ジャンヌ、ラニで戦闘、英派傭兵隊長フランケ・ダラス捕縛
4月25日ジャンヌ、クレピ・アン・ヴァロワ滞在
5月6日ブルゴーニュ軍、コンピエーニュへ展開
5月7日ブルゴーニュ軍別動隊、ショワジ包囲
5月13日ジャンヌ、コンピエーニュ入城
5月14日ブルゴーニュ軍、ショワジ奪取、コンピエーニュ市前面に布陣
5月15日ジャンヌ、ショワジ救援に向かう
5月16日ジャンヌ、ショワジより撤退
5月18日ジャンヌ、ソワソンで入城を拒否される
5月23日ジャンヌ、コンピエーニュ入城、夕方マルニでリニー伯の捕虜となる
5月26日パリ大学、ブルゴーニュ公へジャンヌ身柄引き渡しを要求
5月27日ジャンヌ、ボーリュー到着
6月6日ブルゴーニュ公妃イザベル・ド・ポルテュガル、ジャンヌと面会
6月22日パリ大学、ジャンヌ身柄引き渡しを再度要求
6月27日ピエール・コーション、カレーでベッドフォード公と会談
6月27日フィリップ3世と公妃、ノワイヨンでジャンヌと会談
7月11日ジャンヌ、リニー伯居城ボールヴォワール城に幽閉
7月14日ピエール・コーション、ブルゴーニュ公と会談
7月末ピエール・コーション、ベッドフォード公と会談
ジャンヌ、飛び降り自殺未遂
12月6日リニー伯、ジャンヌの身代金受領、イングランドへ引き渡し
12月23日ジャンヌ、ルーアン着

1431年(ジャンヌの処刑まで)

 
年代事項
1月9日ジャンヌ・ダルク異端審問裁判予備審査開始
ジャンヌに対する純潔検査(~1月13日)
1月末事前調査の終了
2月13日裁判官らが参集して職務に忠実であることの宣誓
2月20日異端審問官代理ジャン・ル・メートル、裁判への立ち合いを拒否
2月21日ジャンヌ・ダルクに対する異端審問第一回公開予備審問開始
2月22日第二回公開審問開始(異端審問官ル・メートル初出廷)
2月24日第三回公開審問
2月27日第四回公開審問
3月1日第五回公開審問
3月3日第六回公開審問
3月10日第一回非公開審問
3月12日第二回非公開審問
3月13日第三回非公開審問
3月14日第四回非公開審問
3月15日第五回非公開審問
3月17日第六回非公開審問
3月24日第七回非公開審問
3月25日第八回非公開審問(予備審問終了)
3月26日普通審問開始
3月27日ジャンヌに対する70カ条の告訴状朗読と答弁(~28日)
3月31日告訴状に対するジャンヌの未回答分の答弁
4月2日ジャンヌに対する告発を十二カ条に整理(~5日)
4月16日ジャンヌ発病(食中毒か)で医師が派遣
4月18日コーションら裁判官、ジャンヌを見舞い改悛を促す
5月2日ジャンヌに対する公開の訓戒
5月9日コーション、ジャンヌに対し拷問を行う可能性を伝える
5月13日ジャンヌへの拷問実施について採決が行われ否決される
5月13日ウォーリック伯主催の宴会。一同ジャンヌの牢獄を訪問し挑発
5月23日ジャンヌへの起訴状朗読、訓戒
5月24日ジャンヌ、改悛の誓い
5月27日ジャンヌ、男性服を着用
5月28日異端再犯(戻り異端)容疑で取り調べ
5月29日裁判官全会一致でジャンヌの処刑を決定
5月30日ジャンヌ・ダルクの火刑実行

死後

 
年代事項
1431年12月16日ヘンリ6世、ノートルダム寺院で戴冠式挙行
1435年1月16日フランス・ブルゴーニュ、ヌヴェールで和平交渉
1435年9月14日ベッドフォード公ジョン没
1435年9月21日アラス和約(フランス、ブルゴーニュ、ブルターニュ和平)
1436年4月17日フランス軍、パリ奪還
1436年5月20日偽ジャンヌ・ダルク事件(~1440)
1440年2月17日プラグリーの乱(~7月)
1442年12月18日ピエール・コーション没
1445年1月5日フランス勅令隊創設
1449年7月17日フランス軍、ノルマンディ侵攻
1450年2月15日シャルル7世、ジャンヌ・ダルク処刑裁判の見直しを指示
1453年10月19日ボルドー陥落(百年戦争の終結)
1455年4月8日ローマ教皇カリストゥス3世、ジャンヌ裁判の再審を指示
1455年11月7日ジャンヌ・ダルク復権裁判開催
1456年7月7日ジャンヌ・ダルク復権裁判終了。処刑裁判の無効を宣言
1580年代オルレアン市でジャンヌ肖像画ブーム
1588年ウィリアム・シェイクスピア「ヘンリ―6世」執筆
1752年ヴォルテール作「オルレアンの乙女」刊行
1801年シラーの戯曲「オルレアンの乙女」初上演
1803年ナポレオン・ボナパルト、ジャンヌ・ダルクを称揚
1805年カーズ「ジャンヌ・ダルクもしくはオルレアンの乙女の死」刊
1836年ルイ・フィリップ王女マリー、ジャンヌ・ダルク立像作成
1841年ジュール・キシュラ「ジャンヌ・ダルク史料集」刊行
1853年ジュール・ミシュレ「ジャンヌ・ダルク」刊行
1854年アングル、ジャンヌ・ダルク肖像画製作
1897年シャルル・ペギー「ジャンヌ・ダルク」刊行
1908年アナトール・フランス「ジャンヌ・ダルク伝」刊行
1909年4月18日ジャンヌ・ダルクの列福
1919年ジャンヌ・ダルクの列聖承認
1920年5月16日ジャンヌ・ダルクの列聖式
ジャンヌ・ダルク書簡まとめ~書状でみるジャンヌ・ダルク
ジャンヌ・ダルクの書簡は直筆署名付きの三通の書簡と口述した手紙の原本六通、その他写本で文面のみ残っているものが多数ある。十九世紀に歴史学者ジュール・キシュラ(1814~82)によってジャンヌ・ダルクの裁判記録、年代記、書簡、会計簿等史料がま...
ジャンヌ・ダルク直属部隊の仲間たち18人まとめ
シノン城行の仲間 粘り強い交渉の結果、ヴォークルール城主ロベール・ド・ボードリクールからシャルル7世の待つシノン城へと向かうことが許されたジャンヌ・ダルクには六人の護衛がつけられた。準騎士ジャン・ド・ヌイヨンポン(ジャン・ド・メッス)とそ...
ジャンヌ・ダルクの肖像画・絵画まとめ
1429年、オルレアン解放直後のパリ高等法院書記による素描 オルレアンが解放されて二日後の1429年5月10日、イングランド統治下のパリ高等法院書記クレマン・ド・フォーカンベルグは、ジャンヌ・ダルクの噂を耳にして、毎日の訴訟事件や...
ジャンヌ・ダルクの家族と友人~残された人々はどう生きたか
ジャンヌ・ダルクの家族 ジャック・ダルク ジャンヌ・ダルクの父。ジャンヌが生まれ育ったドンレミ村の名士であった。1420年頃、旧領主ブールレモン家の邸宅を村の倉庫兼避難所として使えるよう賃借契約を結んだ記録や、23年に、野武士ロベール・...

参考文献

・レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)
・レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)
・高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)
・高山一彦著『ジャンヌ・ダルク―歴史を生き続ける「聖女」 (岩波新書)』(岩波書店、2005年)
・テレーズ・シャルマソン 著(福本直之訳)『フランス中世史年表―四八一~一五一五年 (文庫クセジュ)』(白水社, 2007年,原著1998年)

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