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イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見

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「発見されたミタンニ帝国ケムネ宮殿遺跡」

「発見されたミタンニ帝国ケムネ宮殿遺跡」
テュービンゲン大学プレスリリースより/© University of Tübingen

2019年6月27日発表のテュービンゲン大学プレスリリースによると、2018年秋、イラク北東部クルディスタン地域にある、ティグリス川東岸のモスル・ダム(1980年建設)の貯水池の水が引いたところ、青銅器時代の宮殿が発見された。考古学的に非常に重要な発見として海外でもCNN、BBC他各ニュースで報じられている。

動画:テュービンゲン大学/ Eサイエンスセンター制作

クルド人実業家の資金援助を受けてドイツ・テュービンゲン大学とクルディスタン考古学機構(Kurdistan Archaeology Organization (KAO))の合同チームが調査を行い、同宮殿(ケムネ宮殿”Kemune Palace”)が紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していたミタンニ(ミッタニ)帝国の時代にさかのぼることができることが判明した。

クルド人考古学者ハサン・アフメド・カシム(Hasan Ahmed Qasim)氏は「この発見は、この地域において過去数十年で最も重要な考古学的発見の1つである」とその重要性を強調する。

宮殿は元々ティグリス川東岸からわずか20メートルの位置にある渓谷の高い台地に建っていた。ミタンニ時代には宮殿の西側正面に巨大な土レンガのテラス壁が建てられ、傾斜した地形を安定させていた。「ティグリス渓谷を見下ろす宮殿は、感動的な光景だったに違いない」(プレスリリースより)。

ケムネ宮殿テラス壁

ケムネ宮殿テラス壁
テュービンゲン大学プレスリリースより/© University of Tübingen

宮殿跡は高さ7メートル付近まで保存されており、建物内部に注意深く設計された厚さ最大2メートルの泥のレンガ壁がある。テュービンゲン大学古代近東学研究所(Tübingen Institute for Ancient Near Eastern Studies(IANES))のイヴァナ・プルジズ(Ivana Puljiz)氏によると、宮殿は二段階の使用が明白で、非常に長い間使われていたことを示しているという。高さ2メートル以上の壁や、漆喰壁の部屋もあり、赤と青の鮮やかな色合いの壁画の跡も発見されており、「紀元前2千年紀には、壁画はおそらく古代近東の宮殿の典型的な特徴だっただろうが、保存されているのはほとんど見られない」(プルジズ氏)。

調査団はいくつかの部屋を特定し、8つの部屋の部分的発掘を行った。床板として使われていた耐火レンガや10個のミタンニの楔形文字が記された粘土板が発見され、粘土板はハイデルベルク大学の言語学者ベティナ・ファイスト(Betina Faist)博士によって解読が進められている。おそらく粘土板の一つはケムネ宮殿一帯が少なくとも400年続いた古代都市であったことを示す内容であるだろうと考えられている。

「モスル・ダム沿岸壁画が発見された部屋の調査写真」

「モスル・ダム沿岸壁画が発見された部屋の調査写真」
テュービンゲン大学プレスリリースより/© University of Tübingen

2010年にもテュービンゲン大学によって周辺の調査が行われており、宮殿の北部に隣接する都市の存在と、水中に遺跡があることは確認されていた。しかし当時は調査できず、今回、イラク南部の旱魃にともなうモスル・ダムの大幅な水位の低下によって、ついに姿を現し、調査が可能となったものだ。

「ミタンニ帝国は、古代近東の中で最も研究が進んでいない帝国の1つだ」とプルジズ氏は説明する。「ミタンニ時代の宮殿に関する情報は、これまでのところ、シリアのテル・ブラク(Tell Brak)遺跡や、帝国の周縁部に位置する都市ヌジ(Nuzi)とアララク(Alalakh)からしか入手できない。ミタンニ帝国の首都でさえ、疑いの余地なく特定されていない」このため、今回のケムネ宮殿の発見は考古学的に非常に重要な発見となった、とテュービンゲン大学は声明で述べている。

CNNによれば、発掘調査後、再び宮殿は水没し、いつ再浮上するかは不透明だという。

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ミタンニ帝国

ミタンニ帝国(ミタンニ王国)は紀元前十五世紀頃から前十四世紀半ばまでイラク北部から地中海東岸にかけての地域を支配下に置いていた古代帝国。現在のシリア北東部にあったといわれる首都ワシュカニが未発見のため、建国の経緯などは不明。前1440年頃の王サウシュタタルの時代に強国となりエジプト新王国、ヒッタイト、アッシリアなどと争った。

サウシュタタル王を継いだアルタタマ1世、シュタルナ2世、トゥシュラタの三代に渡ってエジプト王家と婚姻関係を結んだ。トゥシュラタ王治世末期からヒッタイト王国の攻勢により衰退、縮小したミタンニはアッシリアとヒッタイトという二大国の緩衝地帯となった後、強大化したアッシリア帝国の攻勢を受け、前十三世紀半ばごろまでに滅亡したと思われる。

「ミタンニ様式」と呼ばれる特徴的な印章や、ヌジ、アララクなどから出土した共通する特徴をもつヌジ式土器などで知られる。

参考記事・文献

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