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『薔薇戦争 イングランド絶対王政を生んだ骨肉の内乱』陶山 昇平 著

日本中世の終わりの始まりとなった「応仁の乱」(1467~77)。日本を二分した戦乱でありながら諸勢力が入り乱れ複雑な様相を呈したことで良く知られ、最近では、呉座勇一氏による解説書『応仁の乱』が大ベストセラーとなったことで非常に注目を集めた。この「応仁の乱」と同時期、イングランドでも、国を二分しながら諸勢力が複雑に入り乱れて争う、「応仁の乱」と実によく似た戦乱が巻き起こっている。「薔薇戦争」(1455~87)である。

呉座勇一著『応仁の乱』は「地味すぎる大乱」という惹句で話題となったが、これは「薔薇戦争」にも言えそうだ。本書はその中世イングランドの地味すぎる大乱「薔薇戦争」について、近年の研究動向を大いに反映させながら概説した一冊である。

ところで、上で薔薇戦争の始期と終期を1455年から1487年までとしたが、実は諸説ある。終期は、かつてはヘンリ7世がリチャード3世を破ったボズワースの戦い(1485年)とするのが一般的で、教科書や用語集などは現在も1485年となっているが、本書によれば、近年の研究動向ではヨーク派残党が壊滅したストークの戦い(1487年)が通説であるという。

より難しいのが始期の方で、始期がいつからなのか?が薔薇戦争史の非常に大きなテーマとなってきた。狭義にはヨーク派とランカスター王家最初の実戦となった1455年の第一次セント・オールバーンズの戦いをもって薔薇戦争の開幕とする。しかし、その遠因は1399年のヘンリ・ボリングブロク(ヘンリ4世)によるリチャード2世廃位=王位簒奪にあるとするのが伝統的な見方である。この薔薇戦争の遠因を1399年のランカスター朝の成立に求める説の歴史は古く、薔薇戦争の勝利者となったヘンリ7世の時代に遡り、ヘンリ8世に仕えたトマス・モアが著した「リチャード3世史」で強調された。

実際、「薔薇戦争」の歴史を語る際には、この1399年から描かれることが多い。著者が翻訳を手掛けた薔薇戦争史の大著であるトレヴァー・ロイル著『薔薇戦争新史』は二段組で前430頁を超えるボリュームだが、リチャード2世の即位から始まって最初の200頁ぐらいまではずっと百年戦争期の描写が続く。薔薇戦争の本を読んでいるはずなのにいつまでたっても薔薇戦争が始まらなくて非常に楽しいのでこちらもぜひおすすめだ。描写も微に入り細を穿つという言葉がぴったりの詳しさで薔薇戦争を語る上で欠かせない一冊である。

本書もこれに倣って1399年から始まり最初の五分の二ぐらいは前史としてヘンリ4世、5世、6世のランカスター朝時代の解説に割かれ、その積み重ねの上で正史として薔薇戦争の記述に入ることになる。では、薔薇戦争を1399年から始めるこの見方は果たして適切なのだろうか?これが本書の大きなテーマである。

著者はこのランカスター朝による王位簒奪こそ内乱の要因とする「テューダー朝神話」についてこう総括している。

『つまり、一三九九年のヘンリー四世による王位簒奪こそ内乱の要因と説くわけだが、これは半ば正しく、半ば誤りと見るべきだろう。本書の「前史」でも触れたとおり、簒奪王朝の国王ながら、ヘンリー五世は中世イングランド王権の絶頂期を築き上げ、その子ヘンリー六世が生後九か月で即位し、長年王座を保つことを可能にした。要するに、ランカスター王権は、ヘンリー五世が急逝する頃には、おおむね安定した政体を築き上げるのに成功していたのであり、後年の内乱が不可避であったと結論付けるのは無理がある。』(296~297頁)

一方で、ランカスター王権の正統性への疑念が消えることはなく、ヘンリ5世による絶頂期自体が百年戦争における軍事的勝利に裏付けられていた。終わることのない百年戦争と景気後退による王権の財政危機の中で、父王と正反対にリーダーシップを発揮できない無力なヘンリ6世治世下で次第に王と臣下の関係は緊張関係をはらむようになり、「強すぎる臣下たち」の勢力伸長を呼ぶ。この時代のイングランド特有の、契約書に基づく金銭的支払いによる忠誠という疑似封建制(バスタード・フューダリズム)は一方で社会的安定をもたらしたが大幅な景気後退と王家の財政危機は貴族たちの台頭と混乱に拍車をかけた。百年戦争の敗北による大陸領土の失陥とヘンリ6世の発狂に依る統治能力の喪失によって、内乱の引き金が引かれる。

『「強すぎる臣下たちを恐れるのは弱すぎる君主だけだ」とは、二十世紀の薔薇戦争研究に大きな足跡を残したK.B.マクファーレン教授の弁だが、国王と貴族の協働が重要になっていた中世末期の政体にあって、ヘンリー六世という統治者としてあまりにも不適格な人物が王座につき、あまつさえ正気をも失った以上、統治不全に陥るのは必然といえた。

(中略)

経済的逆境――王室財政の破綻は、ヘンリー六世の度を越した寛大さと宮廷の奢侈に加え、景気の後退が主因だった。そのため、必ずしも時の政権ばかりが責められるべきものではなかったが、民衆は「君側の奸」に責を負わせ、統治改革を求める声を強めていった。内乱のキーパーソン、ヨーク公はこうした空気の中で「改革者」として台頭し、王位への野心を剥き出しにしたのである。』(301~302頁)

このように、薔薇戦争研究の最新動向を反映させつつ、目まぐるしく動く内乱の展開をわかりやすく、かつダイナミックに描いていて、とても面白い。ばかばかしいぐらい攫われまくるピーチ姫・・・じゃなかったヘンリ6世を取り戻すべく奮闘する女傑マーガレット・オブ・アンジュー王妃、統治能力を喪失したヘンリ6世にとってかわろうと反旗を翻すヨーク公、キングメイカーとして専横の限りを尽くす野心家ウォリック伯、志半ばで倒れた父ヨーク公の遺志を継ぎ卓越した軍略でついに王位を掴むエドワード4世、父王の死後無事王位を継ぎ・・・悲劇が待ち受けていた少年王エドワード5世、歴史上悪名でその名を轟かすことになったが近年再評価されつつある簒奪者リチャード3世、流亡の身から力を蓄え、ついに内乱に終止符をうちテューダー朝を創始するヘンリ7世、そして血で血を洗う苛烈な内乱で生き残りを図り、散っていく数多の貴族・騎士たち――薔薇戦争の本を読む際にとても大事なことだが、推しはだれであれまず間違いなく死ぬ。それも大体酷い死に方をする。

単純に国内の動乱としてだけではなくブルゴーニュ公国、ブルターニュ公国、フランス王国、スコットランド王国といった周辺諸国の動向も抑えつつ国際関係の中の薔薇戦争という視点も忘れていない。中欧制覇を狙うブルゴーニュ公シャルル突進公の野心、権謀術数に長けた「偏在する蜘蛛」ルイ11世の策謀、フランス最後の独立国ブルターニュ公国と統一に王手をかけたフランス王国、そしてフランス王家とハプスブルク家の対立、そんなもろもろのファクターが薔薇戦争にも少なからず、ときに決定的に影響を及ぼすことになる様も本書では見ることが出来る。

ところで、薔薇戦争で興味深いのはその兵力動員数で、百年戦争期にイングランドが大陸で展開していたのは、大体一万五千ぐらいが上限なのだが、薔薇戦争になると三万、五万などと景気のいい数が並ぶ。もちろん史料上大きめな数字が挙げられていることも少なくないというのもあるが、こちらは内乱で利害が直接的に地位や命に直結するだけに貴族たちも総力を挙げて戦っていたのだろうと思わされる。

イングランドの近世国家化をもたらした大乱について理解する上でとても重要な一冊であり、イングランド社会を変えた歴史の転換点について、本書は実に鮮やかに丁寧に描いている。

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