スポンサーリンク

「海の国」~古代バビロニアに二度の王朝を建てた謎多き勢力

「海の国”sealand”」とは。海の国第1王朝(前1740年頃~前1475年)、海の国第2王朝(前1025年~前1005年)の二度に渡ってバビロニア王朝を樹立したメソポタミア南部を地盤とする独立勢力の総称およびメソポタミア南部一帯のこと。その後も紀元前七世紀頃まで新アッシリア王国のバビロニア支配に対抗した(注1)。八世紀以降、新アッシリア王国の支配体制下ではカルデア人が中核となった。

スポンサーリンク

「海の国第1王朝」(バビロン第2王朝)

ハンムラビ王死後、子のサムス・イルナ(前1749~前1712年)がバビロン王位を継ぐと初期は安定した治世が続いたが、やがて諸外国の侵攻や反乱が頻発してその支配が揺らいだ。サムス・イルナ王治世九年、カッシート人の最初の侵攻があり、その後、ラルサの反乱、エラムの侵攻などが相次ぎ、前1739年以降王権が弱体化した。

「海の国第1王朝」はその混乱の中、前1740年頃(注2)に反乱を起こしたイルマ・エルがサムス・イルナ王を破ってメソポタミア南部を勢力下において建てた王朝で「バビロン第2王朝」とも呼ばれ、以後カッシート朝バビロニアに滅ぼされる前1475年まで、メソポタミアの北半分を支配するバビロニア王国(古バビロニア、カッシート朝)と並立した。バビロニア王名表にはイルマ・エル以後11人の王が挙げられているが詳しい事績や在位年は不明。後藤健(注3)によれば三代目のダミク・イリシュの在位が前1650年ごろという。

紀元前1500年頃の古代オリエント

紀元前1500年頃の古代オリエント
© Enyavar [CC BY-SA 4.0 ] / wikimedia commonsより

イルマ・エルはニップルの東にあったと思われる都市シャッラークムを拠点としていたという。(注5)この都市は未発見のためよくわかっていないが、マイケル・ロウという研究者の推定として北緯32度10分、東経45度26分という説がある。(注6)海の国第1王朝の版図は最大でほぼシュメールの全範囲に近かったともいう。(注6)

前1595年ヒッタイトのムルシリ1世によりバビロン第1王朝が滅ぼされ、カッシート人がバビロンを占領してカッシート朝バビロニア王国(バビロン第3王朝)が成立し、前1475年頃、カッシート朝の攻撃によって海の国第1王朝は滅亡しバビロニア王国は再統一された。

海の国第1王朝王名表

1.イルマ・エル
2.イッティ・イリ・ニビ
3.ダミク・イリシュ
4.イシュキバル
5.シェッシ
6.グルキシャル / 6a. GIŠ -EN
7.ベシュガルダラマシュ
8.アダラカランマ
9.エクルドゥアンナ
10.メラムクルクルラ
11.エア・ガミル(注4)

海の国第2王朝(バビロン第5王朝)

前1155年頃、エラムの侵攻によってバビロンが陥落しカッシート朝バビロニア王国が滅亡すると、イシン第2王朝が興ってエラムを駆逐しネブカドネザル1世(在位前1125年~04年)の頃最盛期を迎えた。しかし、前11世紀末、アッシリアやアラム人の侵攻で滅亡し、メソポタミアはアラム人、カルデア人諸部族が勢力争いを繰り広げる混乱時代となる。

この混乱の中、前1025年頃、「海の国第1王朝」の末裔と見られるシンバル・シパクがバビロン王に即位して「海の国第2王朝」(バビロン第5王朝)を建てたが、前1005年、三代20年で脆くも滅亡した。

海の国第2王朝王名表

1.シンパル・シバク(前1025年~1008年)
2.エア・ムキン・ゼリ(前1008年)
3.カッシュ・ナディン・アッヘ(前1007年~前1005年)(注4)

反アッシリア勢力としての「海の国」

混乱が続いたバビロニアは、前八世紀にティグラト・ピレセル3世(在位前744~前727)によって再建された新アッシリア帝国の支配下となりメソポタミア南部「海の国」もアッシリアに服属し、カルデア人の部族ビート・ヤキンの一族が代々総督として治めた。

「海の国」の王メロダク・バルアダン2世の反乱

前八世紀末、アッシリア王シャルマネセル5世(在位前726~前722年)の死によって生じた空白に乗じ、新アッシリアの圧政に抵抗して反乱軍を組織したのが「海の国」の王でビート・ヤキン出身のマルドゥク・アブラ・イッティナ(「マルドゥクは息子を与えてくれた」の意)である。後にバビロニア王に即位してメロダク・バルアダン2世(在位前721年~前710年,前703年)と呼ばれる。

メロダク・バルアダン2世はアラム人・カルデア人を糾合しエラムとも同盟、ユダ王国にも使者を派遣するなどしてアッシリア王サルゴン2世(在位前721年~前705年)に対抗したが鎮圧され逃亡した。続くセンナケリブ王(在位前704年~前681年)の時代にも再起を図ってエラムと同盟し再度バビロニア王に即位するが、相次いで敗北し、エラムに亡命した後、亡くなった。

アッシリア王家内紛と「海の国」

アッシリア王エサルハドン(在位前680年~前669年)はアッシリア王位をアッシュル・バニパルに、バビロニア王位をその兄弟シャマシュ・シュム・ウキン(在位前667年~前648年)に与えたが、シャマシュ・シュム・ウキンは不満に思い、前652年、ついに反旗を翻した。このときシャマシュ・シュム・ウキンを支援したのがメロダク・バルアダン2世の孫で「海の国」の首領ナブー・ベール・シュマティであった。

前648年、アッシュル・バニパル王の猛攻によってバビロンが陥落、シャマシュ・シュム・ウキンも戦死し反乱は鎮圧されたが、ナブー・ベール・シュマティはエラムの支援を受けてその後も抵抗を継続した。しかしエラムがアッシュル・バニパル王に大敗するとアッシリアに引き渡されそうになったため自殺した。

「海の国」と新バビロニア王国建国者ナボポラッサル

著名なネブカドネザル2世の父でアッシュル・バニパル王の死後新アッシリア王国を滅ぼし、新バビロニア王国を建国したナボポラッサル王(前625年~前605年)が「海の国」出身であるとする説がある。渡辺和子はこの説をとって『「海の国」の首領ナボポラッサル(前六二五~六〇五)が台頭し、アッシリア勢力を押さえてバビロンに新王朝(新バビロニア王朝)を樹立した』(注7)としている。

一方山田重郎は海の国出身説はナボポラッサルの三百年後のセレウコス朝時代の儀礼文書に「海の国の王ナボポラッサル」とあるものに基づいており、同時代史料に裏付けられたものではなく、「この学説は確かなものではない」として否定的である。(注8)山田によれば、ナボポラッサルの父がウルク市の知事でナボポラッサル自身もウルク市での行政を代表する要職にあったこと、一方でアッシリアに反乱をおこして追放されたことなどがわかっているという。(注9)

脚注

注1)「海の国」(日本オリエント学会編『古代オリエント事典』(岩波書店,2004年))

注2)建国年は日本オリエント学会編『古代オリエント事典』(岩波書店,2004年)では前1740年、後藤健著『メソポタミアとインダスのあいだ ──知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書)』(筑摩書房,2015年)ではイルマ・エルの即位を前1735年(前1737年に反乱)としている。

注3)後藤健著『メソポタミアとインダスのあいだ ──知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書)』(筑摩書房,2015年)252頁

注4)王名一覧(日本オリエント学会編『古代オリエント事典』(岩波書店,2004年))

注5)後藤健著『メソポタミアとインダスのあいだ ──知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書)』(筑摩書房,2015年)253頁

注6)後藤健著『メソポタミアとインダスのあいだ ──知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書)』(筑摩書房,2015年)254頁

注7)渡辺和子「10 大帝国の興亡」(大貫良夫,前川 和也,渡辺和子,屋形禎亮 著『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント(中公文庫)』(中央公論新社,2000年,原著1998年)410頁)

注8)山田重郎 著『ネブカドネザル2世: バビロンの再建者 (世界史リブレット人)』(山川出版社,2017年)31頁

注9)山田重郎 著『ネブカドネザル2世: バビロンの再建者 (世界史リブレット人)』(山川出版社,2017年)33頁

参考文献

・大貫良夫,前川 和也,渡辺和子,屋形禎亮 著『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント(中公文庫)』(中央公論新社,2000年,原著1998年)
・小川英雄,山本由美子 著『世界の歴史4 – オリエント世界の発展 (中公文庫)』(中央公論新社,2009年,原著1997年)
・小川英雄 著『古代オリエントの歴史』(慶應義塾大学出版会,2011年)
・後藤健 著『メソポタミアとインダスのあいだ ──知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書)』(筑摩書房,2015年)
・中田 一郎 著『ハンムラビ王―法典の制定者 (世界史リブレット人)』(山川出版社,2014年)
・日本オリエント学会編『古代オリエント事典』(岩波書店,2004年)
・山田重郎 著『ネブカドネザル2世: バビロンの再建者 (世界史リブレット人)』(山川出版社,2017年)
・ピョートル・ビエンコウスキ, アラン・ミラード 編集(池田 潤, 山田 恵子, 山田 雅道, 池田 裕, 山田 重郎 翻訳)『図説古代オリエント事典―大英博物館版』(東洋書林 , 2004年)
・ベアトリス・アンドレ=サルヴィニ著(斉藤かぐみ 訳)『バビロン (文庫クセジュ) 』(白水社,2005年)

タイトルとURLをコピーしました