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ジャンヌ・ダルクは何色が好きだったか?

ジャンヌ・ダルクについて資料を読んでいると、彼女はよく赤い服を着ていて、赤が好きだったのではないかと思う。この記事ではまず中世ヨーロッパの服飾史や中世盛期から後期にかけて人気となった赤色染料の歴史を概観しつつ、ジャンヌ・ダルクが好んだ赤い服についてまとめてみたい。

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中世ヨーロッパの衣服

中世ヨーロッパの衣服は、十二世紀頃までは身分や性別による大きな差は見られず、フランス語でブリオーと呼ばれる足首まで届く長衣が一般的で、戦士や農民は動きやすさを重視してラテン語でブラカと呼ばれるゲルマン起源と考えられているズボンを着用した。十二世紀末から十三世紀になると、ブリオーは現在のコートの起源となるコットと呼ばれる身体に密着してブリオーより短めのワンピース型の長衣に変化するとともに、男性はブレーと呼ばれるズボンを着用するようになる。(注1)

十四世紀、1340年代に貴族層の男性服としてコットがさらに短くなってコタルディと呼ばれる前開きの上着に変化し、靴下が長くなってタイツ式の下半身を覆う服となる一方、庶民の男性服は長めのチュニックと膝下まで覆うブレーが一般的となった。(注1)(注2)コタルディは十五世紀にブールボワンとも呼ばれ、ジャケットの起源となった。また、この時の男性用衣服の上下分割は後に背広へと発展する。(注3)

これに対し、女性服は男性服のように上下の分割は起こらず、胸の部分をV字形に切り開いて紐やボタンで留めるワンピース型のチュニックが一般的となり、ギャルド・ローブという白い前掛けなども登場する(注4)一方、ズボンは男性性と強く結びつけられて女性の着用は忌避されるようになる。十四世紀から十五世紀にかけて衣服に身分差、性差が表れるようになった。

身分差は素材の面でも大きく違いが現れる。

『地元産の原毛で織られた中・下級品の毛織物、亜麻や木綿と羊毛との混紡、粗悪な亜麻布が使われたほか、毛皮でも、北方から輸入される銀リスやアーミンなどの高級品ではなく、野ウサギ、キツネ、カワウソ、羊や山羊などの身近な素材が用いられた。また、庶民の場合には、所有する着物の数も少なく、同じ服を着続けることが多かった』(注4)

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に描かれた農民たちの様子

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に描かれた農民たちの様子

中世装飾写本の代表作「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(1410年代製作)の六月の場面には農民たちが働く様子が描かれ、当時の衣服の特徴がよくわかる。

中世ヨーロッパの赤

ケルメス染の代表作「シチリア王ルッジェーロ2世のマント」 wikimedia commonsより(パブリックドメイン画像)

ケルメス染の代表作「シチリア王ルッジェーロ2世のマント」(1133-1134)
wikimedia commonsより(パブリックドメイン画像)

中世ヨーロッパで最も人気だったのが赤色である。特に身分によって禁じられた色ではなく、貴族・騎士から農民まで広く愛された。中世ヨーロッパにおいて赤は権威を象徴し、同時に魔除けの護符としての性格を持っていたという(注5)。騎士は聖職者や庶民を護るために流す血の色の表象として騎士叙任式で赤いマントをまとい、農民の妊婦は魔除けや治癒の護符として特に赤い服を着ることが許された(注6)。

赤色の織物は十二世紀までは地中海産の貝の分泌液を使った赤紫色の織物が主流で、十二世紀以降は後にスカーレットに代表される樫の木に寄生する貝殻虫から取れるケルメス染料を最上として、日本でも平安時代に珍重された蘇芳から取れる植物性染料が主流となった。蘇芳は十四世紀から地中海貿易を通じてインドやセイロン、スマトラなどからヨーロッパに大量輸入されて赤色の染料として広く利用された。現在では緋色を表すスカーレットは、当時はケルメス染料で染められた赤色の織物を表していた。(注7)

赤いワンピースの乙女

ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー作「羊飼いのジャンヌ・ダルク」(1886-1890)

ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー作「羊飼いのジャンヌ・ダルク」(1886-1890)

ヴォークルール守備隊長ロベール・ド・ボードリクールの配下で、後にシノン城へと彼女を護衛する準騎士ジャン・ド・メスは、ジャンヌ・ダルクと最初に出会ったとき、彼女が赤い服を着ていたと語っている。ジャンヌ・ダルクはシャルル7世への拝謁の許しを得るためヴォークルール守備隊長ロベール・ド・ボードリクールとの面会を求めて、1428年5月13日頃、ヴォークルール城下に初めて姿を現した。

『ジャンヌがトゥール司教管区のヴォークルールに到着したとき、私は貧しい服を着た彼女をはじめて見ました。女性の赤い服でした。』(注8)

このときジャンヌが着ていた「女性の赤い服」とはどんな服だっただろうか。前述のヨーロッパ中世の衣服の特徴を前提として考えてみると、農民に一般的な女性用のワンピース型のチュニックで、当時一般的だった蘇芳などの植物性の赤色染料を使って染められているが、ジャン・ド・メスの証言に「貧しい服」とある通り、素材はそれほど良くないものだったろう。

しかし、ジャン・ド・メスのような騎士層から見て貧しい服だっただけで、前述のように基本的に農民たちの衣類は『粗悪な亜麻布』など素材そのままで、『所有する着物の数も少なく、同じ服を着続けることが多かった』のが一般的であった中で、流行色で染められた服を娘に持たせていたという点でダルク家の富裕さが伺える。また、農民は装飾品などなかなか持てなかった中で、ジャンヌの両親はジャンヌに金色(おそらく金メッキ)の指輪も買い与えており(注9)、評判通り村の名士の家のお嬢さんであった。

コレット・ボーヌもこの赤い服が『おそらく彼女のいちばん上等な服である』(注6)という。ジャンヌはヴォークルールへ守備隊長ロベール・ド・ボードリクールと面会するために来ていたわけで、この赤い服はいわばお気に入りの勝負服だっただろう。

真紅のジャンヌ・ダルク

様々な史料の記述で、その後もジャンヌは赤を身につけることが多く見られる。

シノン城についてオルレアンに出陣するまでの間、ジャンヌは甲冑をオーダーメイドするなど武備を整えているが、このとき、サント・カトリーヌ・ド・フィエルボワで見つけた愛剣「フィエルボワの剣」用に、真紅のビロードを使った剣鞘を作らせている(注10)。

敵方であるブルゴーニュ公国の記録者たちはジャンヌの外見を詳しく描写する。

『彼女は髪が短く、切れ込みが入った帽子と、袖付きのチュニカ、たくさんの飾り紐で留められた真っ赤な脚衣を身につけていた』(注11)

ブルゴーニュ公国の年代記作家ジョルジュ・シャトランは1430年5月、コンピエーニュに進軍してきたジャンヌの装束を詳しく描写した。シャトランは直接見たわけではないが、直接彼女を見た人物から聞いた情報を元にした記述と考えられている(注12)。

『彼女は鎧に身を固め馬上であったが、まるで男のように見えた。甲冑の上から真紅地に金糸織の見事な陣羽織を羽織っていた。実に堂々として力強い灰色の軍馬にまたがり、甲冑に身を包み、その物腰はいっぱしの武将のようであった。』(注12)

このシャトランの文章で使われている赤はルージュ”rouge”ではなくより深い赤を示すヴェルメイユ” vermeil”である(注13)。” vermeil”は、元々は虫や幼虫を指すラテン語”vermicultus”から生まれた語で、朱色を意味するヴァーミリオン”vermilion”と同じ語源でもあり、どちらもケルメス染料と関係している。(注14)上記のようにケルメス染料はスカーレットを生む同時代最高の赤色染料であり、この衣装もおそらく、かなり上質な素材でできていただろう。また、福本氏が陣羽織と訳した語は” huque”で、” huque”はオランダ語からの借用語であり、中世、男性が着る短めのコートを意味し(注15)、甲冑の上に身につけられていた(注16)。

ジャンヌ・ダルクの衣装については同時代でもかなり上等なものと見られていたようで、処刑裁判では、『被告は度々高価な布や金襴で作られた豪華な衣服を着用した。また短い上衣だけでなく、長外套や両側が割れたマントを使用した。被告が捕えられた時、前後左右が割れた金色の上衣を着用していたことは紛れもない事実である。』(注17)と、訴状で罪の一つに数えられている。中世の女性観として、トマス・アクィナスの影響から、身分や性別にふさわしい衣服が求められ、『女性、とりわけ若い娘は、場所と状況にきちんと合わせて、質素な服装をする義務がある』(注18)という観念があり、裁判では男装とともに、豪華な服装もやり玉に挙げられた。なお裁判過程で外され判決には含まれていない。

ジャンヌ・ダルクはオーダーメイドの白銀色の甲冑の上に、金色の糸で織られた高級な真紅の丈の短いコートを羽織り、同じく真紅のビロードの剣鞘を腰に吊るして、純白の軍旗をなびかせていた。あるいは帽子やマントをまとうこともあったようだ。かなりお洒落で目立つ見た目であっただろう。日本でも「赤威」の鎧や「赤備え」に代表されるような赤色で染めた装束の武将たちがいたように、ジャンヌ・ダルクも赤で表現される様々な視覚効果をよく理解し、活用していたように思われる。

参考文献

・川原温,堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本)』(河出書房新社,2015年)
・高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)
・徳井淑子著『色で読む中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ)』(講談社,2006年)
・徳井淑子著「第10章 衣服とファッション」(堀越宏一・甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房,2013年))
・オーギュスト・ラシネ著『中世ヨーロッパの服装』(マール社,2010年)
・コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)
・レジーヌ・ペルヌー/マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)
・レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)
Georges Chastellain -Les chroniques contemporaines L.II, chap.14
huque — Wiktionnaire
HUQUE : Définition de HUQUE

脚注

注1)川原温,堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本)』(河出書房新社,2015年)116頁

注2)徳井淑子著「第10章 衣服とファッション」(堀越宏一・甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房,2013年))210頁

注3)徳井淑子著「第10章 衣服とファッション」(堀越宏一・甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房,2013年))207頁

注4)川原温,堀越宏一著『図説 中世ヨーロッパの暮らし (ふくろうの本)』(河出書房新社,2015年)116-117頁

注5)徳井淑子著『色で読む中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ)』(講談社,2006年)68-75頁

注6)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)121頁

注7)徳井淑子著『色で読む中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ)』(講談社,2006年)58-59頁

注8)レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)122頁

注9)ジャンヌ・ダルクの指輪については『「ジャンヌ・ダルクの指輪」真贋論争』でまとめた。

注10)レジーヌ・ペルヌー/マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)82頁/ほかに金色の布製の鞘と革製の鞘も用意している。なおジャンヌ・ダルクの愛剣については『ジャンヌ・ダルクの愛剣「フィエルボワの剣」を求めて』でまとめた。

注11)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)159頁

注12)レジーヌ・ペルヌー/マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)167頁

注13)Georges Chastellain -Les chroniques contemporaines L.II, chap.14

注14)徳井淑子著『色で読む中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ)』(講談社,2006年)61頁

注15)huque — Wiktionnaire

注16)HUQUE : Définition de HUQUE

注17)高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)200頁、1431年3月28日提示の訴状第13条。

注18)コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)157頁

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