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ファレーズ城”Château de Falaise”~征服王の誕生からWW2の決戦まで

ファレーズ城” Château de Falaise “はフランス・ノルマンディー地域圏カルヴァドス県ファレーズ市にあるモット・アンド・ベイリー式の城塞。イングランド王ウィリアム1世の生誕地として知られ、「” Château Guillaume-le-Conquérant ”征服王ギヨーム(ウィリアム)の城」という別名がある(注1)。

「ファレーズ城」

「ファレーズ城」
(Wikimedia Commonsより、パブリックドメイン画像)

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征服王の城

ファレーズ城の史料上の初出は1027年頃、兄のノルマンディー公リシャール3世に反乱したロベール(後の悪魔公ロベール1世)がファレーズ城に籠り、公軍の包囲を受けて降伏した際である(注2)。築城は十世紀後半から十一世紀初頭、放射性炭素年代測定で960~1020年代と見られている(注3)。

ファレーズ城はノルマンディー公ギヨーム2世、後のイングランド王ウィリアム1世生誕の地として知られ、この城の別名「” Château Guillaume-le-Conquérant ”征服王ギヨーム(ウィリアム)の城」の由来となっている。ギヨームはノルマンディー公ロベール1世とファレーズ城下の富裕な製革職人の娘である側室アルレッタの間に生まれた庶子であった。

中世のファレーズ城

ファレーズ城

ファレーズ城
© Viault / CC BY-SA (wikimedia commonsより)

現存する最古の建物はウィリアム1世の四男でアングロ・ノルマン王国三代目のイングランド王ヘンリ1世によって、1123年に建てられた主塔である。ファレーズ城はロベール1世時代以降アングロ・ノルマン王国時代を通してノルマンディー公国の政治・行政の中心として機能していた。1154年、強大なアンジュー帝国を樹立したヘンリ2世はさらに西側に城塔を増設して城を増強した(注4)。

ヘンリ2世に対するヘンリ若王の反乱(1173~74)に呼応してイングランドに侵攻するも大敗し捕虜となったスコットランド王ウィリアム1世(獅子王)が、1175年、ヘンリ2世と結んだ条約「ファレーズ条約」がファレーズ城で結ばれた。同条約ではヘンリ2世に対するウィリアム獅子王の忠誠誓約やスコットランド南部諸城へのイングランド軍進駐などが定められ、アンジュー帝国に対するスコットランド王国の服属が定められた(注5)。

フランス王フィリップ2世がノルマンディーを征服した1204年、フィリップ2世はファレーズ城に円形の城塔(フィリップ式ドンジョン)を増築した。この城塔は高さ35メートルに及び、他の二塔よりひときわ巨大である(注4)。後に百年戦争が始まり、ノルマンディー地方がイングランド軍に占領されると、ファレーズ城の城代を任された騎士ジョン・タルボットにちなみタルボット塔” Tour Talbot”の名で知られることになった(注6)。

ファレーズ城のタルボット塔

『ファレーズ城のタルボット塔』
© Viault / CC BY-SA (wikimedia commonsより)

近世から現代まで~「ファレーズ・ポケット」の舞台

十六世紀、ユグノー戦争で旧教派の主要都市となったファレーズはアンリ4世に敵対したため、1590年1月、王軍の包囲を受け落城し、以後廃城となった。ブルボン朝時代を通して建物は老朽化し、屋根も落ちて破壊が進んだ。十九世紀に入ると、1840年にフランス歴史記念物に認定されて、ヴィオレ・ル・デュク”Eugène Viollet-le-Duc”の弟子にあたる建築家ヴィクター・ルプリッチ=ロベール”Victor Ruprich-Robert”によって修復が進められた(注7)。

第二次世界大戦が勃発すると、ファレーズ城は歴史的事件の中心となる。1944年6月6日、「史上最大の作戦」ノルマンディー上陸作戦が敢行されると、連合軍の総攻撃の前にドイツ軍は追い詰められ、ファレーズ市に封じ込められた。1944年8月12日から21日まで行われたファレーズ包囲戦(ファレーズ・ポケット”Falaise pocket”)は趨勢を決する最重要の戦闘となった(注8)。この戦いでドイツ軍の防衛拠点となったファレーズ城も激しい攻撃にさらされて城壁は崩れ、多大な損傷を受けたが奇跡的に三つの城塔は残された。

戦後、建築家ブリュノ・デュカリ”Bruno Decaris”によって1986年より96年まで十年かけて大規模修復工事が行われ(注9)、現在は観光地としてファレーズ市のシンボルとなっている。

参考文献

・朝治 啓三,渡辺 節夫,加藤 玄 編著『中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで』(創元社,2012年)
・アントニー ビーヴァー 著(平賀秀明 訳)『ノルマンディー上陸作戦1944(下)』(白水社,2011年,原著2009年)
・ジャン・メスキ 著(堀越 孝一 監修/遠藤 ゆかり 翻訳)『
ヨーロッパ古城物語 (「知の再発見」双書)』(創元社,2007年)
・チャールズ・スティーヴンソン 著(中島智章 監修/村田綾子 訳)『ビジュアル版 世界の城の歴史文化図鑑』(柊風舎,2012年)
・バーバラ・ハーヴェー編著(鶴島博和日本語版監修、吉武憲司監訳)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史〈4〉 12・13世紀 1066年~1280年頃』(慶應義塾大学出版会,2012年,原著2001年)
・”Histoire, le Moyen-âge“(公式サイト)

その他ウェブ上の参照サイトは脚注参照。全て2020年2月23日閲覧。

脚注

注1)公式サイト”Château Guillaume le Conquérant – Falaise“/また同じく公式サイトの”Histoire, le Moyen-âge“を記事全体として参照

注2)”Château de Falaise — Wikipédia“ /同記事で該当の記述の出典とされているのは” Guillaume de Jumièges, Histoire des Normands, Livre VI, Chapitre II”

注3)”Falaise, premier château normand en pierre ? | Pour la Science

注4)チャールズ・スティーヴンソン 著(中島智章 監修/村田綾子 訳)『ビジュアル版 世界の城の歴史文化図鑑』(柊風舎,2012年)114-115頁

注5)バーバラ・ハーヴェー編著(鶴島博和日本語版監修、吉武憲司監訳)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史〈4〉 12・13世紀 1066年~1280年頃』(慶應義塾大学出版会,2012年,原著2001年)索引42頁

注6)”Visite virtuelle de la Tour Talbot.“(公式サイト)

注7)”La restauration du château Guillaume le Conquérant“(公式サイト)

注8)「ファレーズ・ポケット」についてはアントニー ビーヴァー 著(平賀秀明 訳)『ノルマンディー上陸作戦1944(下)』(白水社,2011年,原著2009年)第26章・第27章参照

注9)チャールズ・スティーヴンソン 著(中島智章 監修/村田綾子 訳)『ビジュアル版 世界の城の歴史文化図鑑』(柊風舎,2012年)115頁および “La restauration du château Guillaume le Conquérant“(公式サイト) 参照

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