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現存するサイレント映画「ジャンヌ・ダルク」(1900年、ジョルジュ・メリエス監督)

「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d’Arc”」は映画黎明期の西暦1900年、ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督によって製作されたジャンヌ・ダルクの生涯を描いたサイレント映画。冒頭部分が欠落しており完全ではないものの当時のフィルムが現存しており、Internet archiveなどでパブリックドメインとして公開されている。

Jeanne d’Arc : Georges Méliès : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

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あらすじと特徴

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d'Arc”」(1900)

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d’Arc”」(1900)

聖カトリーヌと聖マルグリットより啓示を受けて故郷ドンレミ村を出たジャンヌがシノン城でシャルル7世へ拝謁し、オルレアンを解放してパレードを行いランスでシャルル7世を戴冠させるが、コンピエーニュで捕虜となって牢獄で天使ミカエルの夢を見たあと火刑に処され天国へと昇るという展開が描かれる。

ジャンヌ・ダルクを扱った映画作品としては、ジョルジュ・アト” Georges Hatot”監督「ジャンヌ・ダルクの処刑” Exécution de Jeanne d’Arc”」(1898年)(注1)に続く二作目となる。

監督のジョルジュ・メリエスは1896年、リュミエール兄弟の作品のリメイク・二次創作から映画製作者としてのキャリアを始め、様々な撮影技術を発明して映画草創期を牽引した第一人者として知られる。代表作「月世界旅行” Le Voyage dans la Lune”」(1902年)の擬人化された月面にめり込んだ宇宙船のシーンはつとに有名だ。

本作は1900年の春に撮影され、ジャンヌ・ダルク役はジャンヌ・カルヴィエール”Jeanne Calvière”、母イザベル・ロメ役にメリエス作品の常連女優であるジャンヌ・ダルシー” Jehanne d’Alcy”、メリエス自身も父ジャック・ダルクを始め多くの役で出演している(注2)。

劇中、ほとんどは固定カメラによるロングショット撮影で、観客席から舞台を見るかのように映し出されるが、「コンピエーニュの包囲」のシーンでは俳優たちがミディアムショットの距離にあるカメラの近くを移動し、よりモダンな視覚効果を与えている(注3)。ミディアムショットでの撮影は前年1899年のメリエス作品「ドレフュス事件” L’Affaire Dreyfus”」に続く二例目だという(注4)。また、オルレアンでの長大なパレードシーンは画面から見切れた俳優たちが反対側にまわって再入場を数回繰り返すことで、大勢いるかのように見せている(注4)。

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d'Arc”」(1900)

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d’Arc”」(1900)

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d'Arc”」(1900)

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d’Arc”」(1900)

社会的背景としてのジャンヌ・ダルク列聖運動

十九世紀、ジャンヌ・ダルク再評価の機運が高まる一方、ジャンヌ・ダルクについては宗教的狂信の犠牲者とみる反教権主義的な見方と敬虔なキリスト教徒の殉教者とみるカトリシズム的な見方、さらに外敵を討ち国民的な団結をもたらしたナショナリズム的な見方や民衆の代表と見る大衆主義的な見方などに分かれていた。

このような様々な潮流の中で、第三共和政時代(1870~1940)から、反カトリック運動を鎮め長年の対仏関係の緩和を目指したいローマ教皇庁と国民的統合をもたらしたいフランス共和政府との間で和解が模索され、ジャンヌ・ダルク列聖の動きが本格化する。映画が製作される直前の1897年には列福(1908年)に向けた調査が行われてジャンヌは福者に値するという結論が提出されていた(注5)。

本作の内容もジャンヌ・ダルクの聖性を重視した表現になっており、このようなジャンヌ・ダルク列聖に向けた動向を大いに意識した内容と言える。ジャンヌの帰天と神との出会いが描かれた最後のシーンは、ジャンヌ・ダルクがカトリックの聖人としてふさわしいことを示唆している(注3)。

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d'Arc”」(1900)

ジョルジュ・メリエス” Georges Méliès”監督「ジャンヌ・ダルク“Jeanne d’Arc”」(1900)

影響と再発見

本作は公開されるや、メリエス作品としては前年の「シンデレラ” Cendrillon”」に次ぐ大ヒットとなり、フランス各地で公開され、1902年には英国でも公開されている。映画の宣伝時に、当時の英仏対立に配慮してジャンヌの敵を明示せずイングランドであることは伏せられていた(注3)。また、アメリカでは1903年、メリエス作品がアメリカに進出するのを恐れたトマス・A・エジソンのエジソン・マニュファクチャリング・カンパニーがこの作品の違法複製プリントを配布して妨害したという(注3)。

メリエス作品の多くは様々な事情により散逸して多くが失われており、本作も長らく失われていたと思われていたが、1982年、蒐集家のルネ・シャルルによって冒頭部分が欠けた状態の着色されたコピーフィルムが発見されたことで日の目を見ることになった(注4)。

参考文献

・高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)
・レジーヌ・ペルヌー/マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)
Jeanne d’Arc : Georges Méliès : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
Joan of Arc (1900 film) – Wikipedia
・Jacques Malthête “La Jeanne d’Arc de Georges Méliès
Jeanne d’Arc (1900) – IMDb
・”Centre Jeanne d’Arc

脚注

1) 監督名のカナ表記はレジーヌ・ペルヌー/マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍、1992年)379頁参考。また同書によればジャンヌ・ダルク研究所”Centre Jeanne d’Arc”にフィルムが現存しているとのこと。ジャンヌ・ダルク研究所の公式サイトにもジョルジュ・アト作品などの上映イベントが行われている旨表記がある。

2) Jeanne d’Arc (1900) – IMDb

3) Joan of Arc (1900 film) – Wikipedia

4) Joan of Arc (1900 film) – Wikipedia / Jacques Malthête “La Jeanne d’Arc de Georges Méliès

5)高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年) 154頁

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