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円卓の騎士ベディヴィア卿(Sir Bedivere)の伝承と物語のまとめ

ベディヴィア(英語”Bedivere”)卿はアーサー王物語に登場する伝承上の人物。ベドウィール(ウェールズ語” Bedwyr”)、ベドウェルス(ラテン語”Beduerus”)、ベドワイエ(フランス語” Bédoier”)などの名で登場する。

ウェールズの諸伝承ではブリテン島最強を謳われた隻腕の戦士。ジェフリー・オブ・モンマス作「ブリタニア列王史」(1138年)ではアーサー王の献酌侍従でノルマンディー公に叙されローマ帝国との戦いで壮絶な戦死を遂げた勇将。トマス・マロリー作「アーサー王の死」(1485年)では円卓の騎士の一員で、カムランの戦い後、重傷のアーサー王の命で宝剣エクスカリバーを湖に投げ入れ、アーサー王がアヴァロンへ去るのを見送る忠臣であった。

ジョン・ガリック"John Garrick"作「アーサー王の死」(1862年)/パブリックドメイン画像

ジョン・ガリック”John Garrick”作「アーサー王の死」(1862年)/パブリックドメイン画像

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初期のベディヴィア

ブリテン最強の戦士ベドウィール

ベディヴィア卿はウェールズの伝承に登場する戦士ベドウィール(ウェールズ語” Bedwyr”)をルーツとしている。ベドウィールは現存する最古のウェールズ語写本「カエルヴァルジン(カーマーゼン)の黒本」に収録されている「門番は何者か(ウェールズ語” Pa gur”)」(九世紀頃~1100年頃の成立、注1)に、アルスル(アーサー王)配下でカイ(後のケイ卿)らとともに数々の戦いに参戦し、敵を百人も倒す活躍でベドウィール・ベドリダント(素晴らしい筋肉のベドウィール、ウェールズ語” Bedwyr Bedrydant”、Bedrydant=”Perfect of sinew”または”Fine-sinewed”の意)の異名で呼ばれた勇猛な戦士として登場する(注2)。

また「聖カドックの生涯」(1100年頃成立)ではアルスルとカイとペドウィールが丘の頂上でサイコロ遊びに興じているところに、隣国の姫を誘拐した王が追手から逃れて通りかかり、その姫の美しさに惹かれて略奪しようと目論むアルスルをカイと二人で諫めるエピソードや、仲裁の報酬として贈られた百頭の牛をカイとベドウィールが追うエピソードなどが語られている(注3)。

同じく「黒本」収録の九世紀頃の詩「墓のエングラニオン(ウェールズ語” Englynion y Beddau”)」(注4)によるとスノードニア地方のトラヴァーン(ウェールズ語” Tryfan”)山に葬られたとされている。中世ウェールズ語写本から収集された「ブリテン島の三題歌(ウェールズ語”Trioedd Ynys Prydain”,英語”the Triads of the island of Britain”)」で、ドリスタン(後のトリスタン卿)やカイ(ケイ卿)、ウェールズ伝承では有名な人物である「カウの子ヒアイル”Hueil mab Caw”」の三人を凌ぐ、ブリテン島最強の戦士「戦闘の王者”Battle-Diademed”」としてベドウィールの名が挙げられている(注5)。

「キルフーフとオルウェン」の隻腕の戦士(注6)

ウェールズの伝承集「マビノギオン」に収録されている、最古のアーサー王物語とされる「キルフーフとオルウェン」(1100年頃成立)にもアルスル(アーサー)戦士団の一人としてベドウィールが登場する。

「キルフーフとオルウェン」は継母の呪いにより巨人の姫オルウェンを妻にせねばならなくなった青年キルッフが親族であるアルスルへ助力を求め、カイやベドウィールらアルスル戦士団とともにオルウェン捜索の冒険に出る。旅立ちに際しアルスルはまずカイを呼び、続いてベドウィールが召集された。

『そこでアーサーはベドウィールに声をかけた。カイが赴く探求に怖気づいたためしがない男だ。ベドウィールと言えば、これほど端正な者は、この島ではアーサーとキブザールの跡取りドリッフ以外には見当たらなかった。片腕ではあったが、そのすばやいこと、敵を仕留めることにかけては三人の戦士が束になってもかなう者はいなかった。ほかにも不思議な力があった。相手の一突きに対し、彼の槍は九つ突き返すのだ。』(注7)

冒険でも主力として非常に活躍を見せる。オルウェンの父である巨人アスバザデン・ペンカウルの城へ乗り込んだ際、アスバザデンが投げた三本の毒槍を払いのけ、投げ返した槍が巨人の足に命中、屈服させた。その後も巨人ウルナッハの剣奪取、モドロンの息子マボン救出、髭面のディスリスの髭入手、ディウルナッハ・ウィゼルの大鍋奪取など多くの冒険で活躍、猪の王トゥルッフ・トゥルウィス討伐戦ではアルスルの愛犬カヴァスを預かって参戦した。

父はベドラウド、息子アムレン、娘エネイオウグとされる。父と息子の名はマビノギオン収録『エルビンの息子ゲライントの物語』にあり、ベドラウドは名前だけの記録に留まるが、息子アムレンはアルスル(アーサー)王の寝室を警護する四人の小姓の一人として、起床したアルスルに朝の挨拶をする様子が描かれる。娘エネイオウグは『キルフーフとオルウェン』で高貴な女性たちの一人として挙げられている。

「ブリタニア列王史」のベドウェルス(注8)

アーサー王物語の基礎となったジェフリー・オブ・モンマスがブリテン島の伝承と歴史とを交えて集成したラテン語散文年代記『ブリタニア列王史』(1138年)にアルトゥールス(アーサー)王配下の騎士ベドウェルス(ラテン語”Beduerus”)として登場する。ベドウェルス(ベディヴィア)の初登場は第9巻12章、ガリア(フランス)を征服したアルトゥールス王によってノルマンディー公に叙されている。同時に家令カイウス(後のケイ卿)もアンジュー伯に叙された。

アルトゥールス王の甥アルモリカ(ブルターニュ)王ホエルスの姪ヘレナがモン・サン・ミッシェルの巨人に捕われたため、アルトゥールス王が救出と討伐に向かうが、このとき家令カイウスとともに王に随行する。モン・サン・ミッシェルに近づくと山頂で火が燃えていることから、王はベドウェルスに偵察を命じ、ベドウェルスはその道中で嘆き悲し老婆と出会い、彼女はヘレナ姫の乳母で、すでに姫は巨人の手にかかり亡くなったことを聞かされる。ベドウェルスは老婆にいたわりの言葉をかけて慰め、王の元に戻って報告した。王を先頭に山に入り、巨人と出会ってアルトゥールス王と巨人が一騎打ちを行って打ち負かすと、ベドウェルスに巨人の首を斬って持ち帰り見せしめとするよう命じた(10巻3章)。

ローマ皇帝ルキウス・ヒベルス(ルキウス・ヒベリウス)との戦いが始まると、王に従って出陣、後詰となる四つの師団のうち第一師団をカイウスとともに指揮した(10巻6章)。両軍の決戦となったスワシィの谷の戦いでローマ軍配下のメディー王ボルクスと戦い、ボルクス王の槍に貫かれて壮絶な戦死を遂げる。乱戦の中、盟友カイウスがベドウェルスの遺体を奪還すべくメディー軍に攻勢をかけて撃破して奪還に成功するが、自陣に戻る前に新たにリビア王軍の攻撃を受け、カイウスが重傷を負った。後にこの傷が元でカイウスは死亡する(10巻9章)。

『ベドウェルス公の身体が無数の傷跡で引き裂かれているのをみるにつけ、ネウストリエンセス人(ノルマン人)たちの愁嘆はどれほど大きなものであっただろうか!また、アンデガウェンセス人たちが彼らの指揮官カイウスの傷をありとあらゆる方法で手当てをしたとき、彼らの悲哀はいかばかりであったろうか!』(注9)

ベドウェルスの戦死に憤慨した甥のヒレルグラスは三百人の精鋭を引き連れてメディー軍を急襲、ボルクス王を討ち取り、王の屍をベドウェルスの遺体の傍らに持ち帰ると、粉々に切り刻んだ(10巻9章)。ベドウェルスを始めとした有力武将らの戦死に奮起したアルトゥールス軍はローマ軍を撃破し、乱戦の中で皇帝も戦死、敗走させた(10巻12章)。戦後、ベドウェルスは生まれ故郷であり同名の祖父ベドウェルス1世が築いたフランスの都市バイユーに埋葬された(10巻13章)。

消えるベディヴィア

ウェールズの諸伝承や「ブリタニア列王史」「ブリュ物語」など初期のアーサー王物語群ではアーサー王配下随一の戦士として描かれていたが、その後、一部の作品で名前だけ挙げられる程度でほとんど登場しなくなる。Pamela M. Yeeによれば、十三世紀初め頃の著者不明の作品” Didot-Perceval”で、ローマ帝国への使者としてガウェインとともに送られたベディヴィアが激高してローマ側の大使を殺害し、戦いの火種となる展開が描かれているという(注10)。

フランスを中心として隆盛を迎えるアーサー王物語群の主人公たち――ランスロット、ガウェイン、トリスタン、パーシヴァル、ガラハッドらの騎士道精神溢れる活躍を描くうえで彼の猛々しい強さは扱い辛かったからだろうか。あるいは、クレティアン・ド・トロワによって騎士ランスロットが創作される過程で、ウェールズ伝承や「ブリタニア列王史」のベドウィール/ベドウェルスが原型となり、勇気や忠誠心といった特徴が受け継がれたとする説もあるようである(注10)。

また、ウェールズ伝承ではベドウィールはアルスルの宮廷においてカイと並ぶ立場で、「キルフーフとオルウェン」でのキルフーフによる諸将の名を挙げるシーンでもカイとベドウィールがまず筆頭で挙げられている。「ブリタニア列王史」でも同様で、ベドウェルスとカイウスはそれぞれノルマンディー公とアンジュー伯に叙されるのが初登場で、対ローマ帝国戦争では一緒に部隊を指揮し、ベドウェルスの遺体をカイウスが命懸けで奪還するなど、ケイとベディヴィアは非常に関係が深く対になるキャラクターであった。

ベディヴィアの重要性が低下するのと同時に、ケイも知勇兼備で誇り高く公正で皆の信頼を受けるアーサー王配下の第一人者的な人物像から、悪態をつき人々を貶め他の円卓の騎士たちに懲らしめられる憎まれ役的な人物像へと変貌しており、ケイとの関係も希薄となるなど、この二人の変化はウェールズ伝承上のアルスル伝承と中世騎士道文学におけるアーサー王物語との大きな違いになっている。

「アーサー王の死」のベディヴィア卿(注11)

アーサー王物語の決定版となったトマス・マロリーによる「アーサー王の死」で、ベディヴィア卿はかつての勇猛さを失う代わりに、最後まで生き残ってアーサー王を看取り、王の名剣エクスカリバーを湖の乙女に返すという重要な役割を担うことになった。

「アーサー王の死」ではベディヴィア卿はコーニウス公の子で兄弟にアーサー王の執事ルーカン卿、従兄弟にカーダル公の子グリフレット卿がいる。マロリーが「アーサー王の死」を執筆する上で典拠とした「ランスロ=聖杯サイクル」の一つ「アルテュの死” La Mort Artu”」(1225~1230年頃)ではルーカン卿とグリフレット(ジルフレ)卿がカムランの戦い後のアーサー王に付き従い、ルーカン卿死後、アーサー王の命でグリフレット卿がエクスカリバーを湖に投げ入れる役を担うが、「アーサー王の死」ではグリフレット卿は先に亡くなっており、ベディヴィア卿と入れ替わっている。

「アーサー王の死」でのベディヴィア卿の初登場は第5巻5章、モン・サン・ミッシェルの巨人討伐エピソードである。アーサー王の従兄弟ホウェル卿の妻が巨人に殺害されたため、アーサー王はケイ卿とベディヴィア卿を伴い三人で討伐に向かった。「ブリタニア列王史」と違い、ベディヴィアは偵察を命じられず、ケイ卿とベディヴィア卿の二人を麓に待たせてアーサー王自ら単身で山に入り、「奥方様」の死を嘆く女性の話を聞いて慰め、そのまま進んで巨人を見つけ討ち果たす。その後、王はベディヴィア卿ではなくケイ卿に、巨人の首を斬り落として持ち帰り見せしめとするよう命じた。

その後、ローマ皇帝ルーシャスとの戦いが始まり、アーサー王はガウェイン卿、ボース卿、ライオネル卿、ベディヴィア卿に対し使者としてローマ皇帝のもとへ赴き、撤退を勧告するよう命じた。ローマ軍本陣近くで、ベディヴィア卿とライオネル卿は身を隠し、ガウェイン卿とボース卿が使者として皇帝に謁見するが、応対を巡って激高したガウェイン卿が皇帝の従兄弟ガイヌスを切り殺す。ガウェイン卿らと身を隠していたベディヴィア卿らは合流して敵中突破を敢行、この事態を使者から聞いたアーサー王はすぐに総攻撃を開始し、開戦の火蓋が切られた(第5巻6章)。

このようなローマ軍との開戦の契機として使者となったガウェインが敵将を切り殺すエピソードは「ブリタニア列王史」にあるが(第10巻4章)、ウァドゥム・ボウムのボソ、カルノテンシスのゲリヌス、グワルグアヌス(ガウェイン卿)の三人が使者となっており、ベドウェルス(ベディヴィア卿)の名はない。その後、「ブリタニア列王史」などと同様の経緯を辿ってローマ軍を激しい戦いの末に撃破するが、一連の戦いにベディヴィア卿の名は見えず参戦したかどうかも不明で、したがって戦死することもない。

以後ほとんど登場せず、登場時は騎馬槍試合で引き立て役として対戦相手に敗北を重ねるだけである。トリストラム(トリスタン)卿に人馬もろとも地面にたたき落され(第7巻28章)、キャメロットで行われた馬上槍試合の集団戦で多くの騎士たちに交じって参加し(第18巻10章)、ランスロット卿とラヴェイン卿が飛び入り参加して、ラヴェイン卿の槍の一突きでルーカン卿とともに二人まとめて突き落とされ(第18巻11章)、クリスマスに行われた馬上槍試合でも前回に続いてラヴェイン卿と対戦しルーカン卿と二人まとめて突き落とされた(第18巻23章)。また、聖杯探索中のボース卿にカーボネック橋で戦いを挑み敗北してアーサー王への服従を誓わされたストレイト・マーシュのベディヴィアという騎士がいる(第11巻4~5章)がおそらく同名の別人か。

アーサー王の最期を看取る

オーブリー・ビアズリー作『トマス・マロリー著「アーサー王の死」の挿絵』(1894年)/パブリックドメイン画像

オーブリー・ビアズリー作『トマス・マロリー著「アーサー王の死」の挿絵』(1894年)/パブリックドメイン画像

主な出番は最終第21巻である。モードレッド卿が叛いてイングランド王を称し(第21巻1章)、ガウェイン卿がランスロット卿との一騎打ちで受けた傷が元で亡くなった(第21巻2章)。ガウェインの遺体が安置されたドーヴァー城を訪れたアーサー王の前にガウェインの幽霊が現れ、モードレッドとの開戦日と定められていた明日は戦わないよう忠告する。これを受けてアーサー王はルーカン卿とベディヴィア卿を呼び使者としてモードレッド卿と一か月の休戦を結ぶ交渉を行わせた(21巻3章)。

休戦交渉は上手くいき、アーサー王とモードレッド卿の会見が行われたが、その場で騎士の一人が足下にマムシを見つけて退治しようと剣を抜いたことから小競り合いとなり、ついに両軍が激突、カムランの戦いが勃発した。この戦いでアーサー王とモードレッドの一騎打ちでモードレッドは戦死、アーサー王も重傷を負って気を失っており、生き残ったのはベディヴィア卿と、やはり重傷のルーカン卿だけであった(第21巻4章)。

戦場を離脱しようと無理をおしてアーサー王を両脇から抱えあげた際、ルーカン卿は傷口が開いて亡くなり、ベディヴィア卿とアーサー王はその死を悼んだ。自身の残された時間も少ないと悟ったアーサー王はベディヴィア卿に自らの剣エクスカリバーを水の中に投げ込むよう命じる。命令通りベディヴィア卿は水辺へ向かい、エクスカリバーを投げ入れようとするが、『この豪華な剣を、水の中に投げ込んだところで、損失があるばかりで何の益もないだろうな』(注12)と思い、近くに隠して戻り、水の中に投げ入れたと嘘の報告をするが、王はこれを見抜いて『そなたは私を魅きつける大事な人なのだから、惜しいと思わずに、その剣を水中に投げ込むのだ』(注13)と再度命令する。しかし、二度目も『その立派な剣を投げ込むのは罪であり、恥辱でさえあると思われた』(注13)から命令に背き剣を隠して嘘の報告をする。これにアーサー王は怒り、こう厳命する。

『そなたは二度も私を裏切った。そなたはひじょうに魅力があり気高い騎士と言われたのに、この私をその剣の豪華さゆえに裏切るなんて、誰に想像できようか。さあ、すぐにもう一度行くのだ。そなたがそうやってぐずぐずしている間に、私は身の危機に陥っている。もう私は冷たくなりかけているのだからな。その剣の豪華さゆえに、そなたは私を見殺しにしようとしているのだ。私の命令に従わぬなら、私の見えるところにいるかぎり、この手でそなたの息の根を止めてやる』(注13)

今度こそ、ベディヴィア卿は言われた通り水の中に剣を投げ入れると、水の中から現れた腕が剣を掴み水の中へと消えていった。その後、アーサー王を背負って水辺へと連れていくと、三人の貴婦人が乗った船が現れ、アーサー王を船に乗せて出航する。

『それでベディヴィア卿はこう叫んだ。「ああ、わがアーサー王よ、わたしから離れて行かれるのですか?わたし一人を、敵の中に置き去りにするなんて、わたしはいったいどうなるんでしょうか?」「元気を出してくれ」と王は言った。「そしてうまくやってほしいのだ。私にはもう頼りになるような力はない。私はこの傷を癒すため、アヴァロンの島へ行くのだ。私のことを聞かなくなったなら、私の魂のために祈ってほしい」』(注14)

ベディヴィア卿は別れを悲しんだ後、森の中を夜通し歩き続け庵と礼拝堂を見つけた(第21巻5章)

ベディヴィア卿はここで以前カンタベリー大司教だった隠者と出会い、前夜多くの女性たちが一人の遺体を埋葬してほしいと訪れて礼拝堂にその遺体を埋葬した、と聞かされ、アーサー王の遺体だと思い至る。ベディヴィア卿はここで隠者としての生活を送ることにした(第21巻6章)。アーサー王の死を知り、王妃グウィネヴィアの行方を捜しにきたランスロット卿が王妃と訣別し、悲しみに暮れるなかで偶然この庵にたどり着き、ベディヴィア卿とランスロット卿が再会、ベディヴィア卿はこれまでの経緯を語り、ランスロット卿も隠者となることを決意し(第21巻10章)、その後、グウィネヴィア妃の死を知ったランスロット卿は食を断ち衰弱死する(第21巻12章)。アーサー王死後、コンスタンティン卿が新たな王に即位し新体制が築かれたが、ベディヴィア卿は復帰の誘いを固辞して、残りの生涯を隠者として終えた(第21巻13章)。

アーサー王物語の語り手としてのベディヴィア卿

アーサー王の最期を見届けた経緯から、ベディヴィア卿はアーサー王物語の語り手として多くの作品に登場するようになる。マロリーがすでにアーサー王の最期について『この話は円卓の騎士であるベディヴィア卿が書き記させたもの』(注15)とベディヴィア卿の記録に基づくという体裁で描いているが、Pamela M. Yeeによれば、本格的にベディヴィア卿を語り手として採用したのは十九世紀、詩人のアルフレッド・テニスンの代表作「国王牧歌” Idylls of the King”」(1859-1885年)であった。

「国王牧歌」全12篇のうち11篇目の詩「アーサーの死” The Passing of Arthur”」のみ邦訳されているが、その「アーサーの死” The Passing of Arthur”」と第1篇目の” The Coming of Arthur”にベディヴィア卿が登場する。テニスンはベディヴィア卿を『全騎士中最初に叙任され、最後に生き残った人物』(注16)とし、『豪胆なベディヴィア”the bold Sir Bedivere”』 (注16)と呼んだ。テニスンはマロリーに準拠しつつ、ベディヴィア卿の視点からアーサー王の死にまつわる物語を、心理描写をより繊細に深掘りしつつ描いている。

例えば、ガウェイン卿の亡霊に死を宣告され動揺するアーサー王に、マロリー「アーサー王の死」では王の命令を実行するだけだったベディヴィア卿は、こう諫言する。

『ああ、王様、何があってもやり過ごしてください。
妖精や野原の危害なき魔力などを。
しかしそれらの代わりに王様の輝かしいお名前を
黄金色の雲のようにすべての高みに永久にしっかりと
付けられますように。しかしまだ王様は逝かれはしません。
ガウェインはこの世では軽薄でしたし、死後も軽薄です。
というのも亡霊というのは人間と同じなのです。
彼の夢など気になさらないで、立ち上がって
下さい――』(注17)

アーサー王に対し一貫して忠実であり続けたベディヴィア卿の立場からは確かに「アーサー王の死」のガウェイン卿は軽薄と見えていたかもしれない。

また、アーサー王の命でエクスカリバーを湖に投げ入れる際の葛藤も単に宝剣の豪華さや実利という観点からだけではなく、『王が不利益な行為を要求する場合、/自らの意思に反して服従することはよいのであろうか?』(注18)と忠義のあり方について踏み込み、もし投げ入れたエクスカリバーが他の王の手に渡れば、アーサー王がこれまで築き上げてきた『大いなる名誉も大いなる名声も失われるだろう』(注19)として、敢えて偽りの報告をする。結局王に見抜かれてついに湖へと投げ入れることになるのだが、ベディヴィア卿の心情描写の深化が見られている。

参考文献

・木村正俊/松村賢一 編『ケルト文化事典』(東京堂出版、2017年)
・中野節子 訳『マビノギオン―中世ウェールズ幻想物語集』(JULA出版局 2000年)
・森野聡子 訳『ウェールズ語原典訳マビノギオン』(原書房、2019年)
・中央大学人文科学研究所 編『アーサー王物語研究 源流から現代まで (中央大学人文科学研究所研究叢書62)』(中央大学出版部、2016年)
・アルフレッド・テニスン 著(西前美巳 訳)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)』(岩波文庫、2003年)
・ジェフリー・オブ・モンマス 著(瀬谷幸男 訳)『ブリタニア列王史―アーサー王ロマンス原拠の書』(南雲堂フェニックス、2007年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 1』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 2』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 3』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 4』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 5』(筑摩書房、2004年)
・フィリップ・ヴァルテール著(渡邉浩司,渡邉裕美子 翻訳)『アーサー王神話大事典』(原書房、2018年)
・Bollard, John K.” The Romance of Arthur: An Anthology of Medieval Texts in Translation”pp17-18
・Glyn Hnutu-healh”Pa Gur/Gwr yv Y Porthaur? – Arthurian Legends
・Yee, Pamela M. ” Bedivere(Camelot Project, Rochester Univ.)“ 
・” Triads of Ynys Prydein
・” The Life of Saint Cadog
・”Bedivere – Wikipedia
・”Pa gur – Wikipedia

脚注

1)邦題は木村正俊/松村賢一 編『ケルト文化事典』(東京堂出版、2017年)259頁参照。成立年代については議論があり、正確な時期は不明で、9世紀または8世紀に遡るとする意見もあるが、現在は1100年頃とみるのが主流である。”Pa gur – Wikipedia“,Glyn Hnutu-healh”Pa Gur/Gwr yv Y Porthaur? – Arthurian Legends

2)『門番は何者か』英訳Bollard, John K.” The Romance of Arthur: An Anthology of Medieval Texts in Translation”pp.17-18 / ウェールズ語“Bedrydant”の英訳”Perfect of sinew” はYee, Pamela M. ” Bedivere(Camelot Project, Rochester Univ.)“ 参照、”Fine-sinewed”とされているのは前出Bollard訳。

3)” The Life of Saint Cadog

4) 邦題は木村正俊/松村賢一 編『ケルト文化事典』(東京堂出版、2017年)259頁参照。

5)” Triads of Ynys Prydein” 英訳

6)「キルフーフとオルウェン」の内容については森野聡子 訳『ウェールズ語原典訳マビノギオン』(原書房、2019年)参照

7) 森野聡子 訳『ウェールズ語原典訳マビノギオン』(原書房、2019年)30-31頁

8)「ブリタニア列王史」の内容はジェフリー・オブ・モンマス 著(瀬谷幸男 訳)『ブリタニア列王史―アーサー王ロマンス原拠の書』(南雲堂フェニックス、2007年)参照

9) ジェフリー・オブ・モンマス 著(瀬谷幸男 訳)『ブリタニア列王史―アーサー王ロマンス原拠の書』(南雲堂フェニックス、2007年) 305頁

10) Yee, Pamela M. ” Bedivere(Camelot Project, Rochester Univ.)“ 

11)あらすじはキャクストン版の井村君江訳『アーサー王物語1~5』参照。なお、マロリー「アーサー王の死」のもう一つの写本である「ウィンチェスター版」は内容が違い、特にローマ帝国との戦いについてもベディヴィアの出番も含め差があるようなので内容が確認できれば違いを追記したい。現状ウィンチェスター版の日本語訳である中島邦男 他訳『完訳アーサー王物語』(青山社 、1995年)が在庫切れで価格高騰のため入手困難だが、図書館で取り寄せ依頼を行う予定。

12) トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 5』(筑摩書房、2004年)234頁

13) トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 5』(筑摩書房、2004年)235頁

14) トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 5』(筑摩書房、2004年)237-238頁

15) トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 5』(筑摩書房、2004年)240頁

16) アルフレッド・テニスン 著(西前美巳 訳)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)』(岩波文庫、2003年)217頁

17) アルフレッド・テニスン 著(西前美巳 訳)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)』(岩波文庫、2003年)221-223頁

18) アルフレッド・テニスン 著(西前美巳 訳)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)』(岩波文庫、2003年)245頁

19) アルフレッド・テニスン 著(西前美巳 訳)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)』(岩波文庫、2003年)247頁

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