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クロ・リュセ城――レオナルド・ダ・ヴィンチの終の棲家

クロ・リュセ城(Château du Clos Lucé)はフランス中部の都市アンボワーズにあるルネサンス時代の城。旧称はクルー館(Manoir du Cloux)。1471年に館が築かれ、1490年からのフランス王シャルル8世による増改築で現在の姿となった。アンボワーズ城から500メートルほどしか離れておらず両方の城は地下通路で繋がっている。最晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチが住み、この城で亡くなった。

「クロ・リュセ城」

「クロ・リュセ城」
© Léonard de Serres, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

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築城

「クロ・リュセ城」

「クロ・リュセ城」
© Wolkenkratzer, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons


クロ・リュセ城が建つ一帯は十三世紀以降アンボワーズ家の領地となり、家臣らに与えられたのち、アンボワーズから五キロメートルほど離れたロワール川の上流の町リムレイ(Limeray)を拠点とするシトー派のモンス修道院(Abbaye de Moncé)の管理下となり、修道女たちの居館が建てられた。

1471年、モンス修道院からフランス王ルイ11世の側近を務めたアンボワーズ家の重臣エティエンヌ・ル・ルー(Étienne le Loup)に売却され、ル・ルーによって新たに城が築かれ、「クルー館(Manoir du Cloux)」と呼ばれた。1490年、フランス王シャルル8世(在位1483-98)は王家の夏の王宮とするためエティエンヌ・ル・ルーから城を買い取って増改築を行い現在の姿となる。

シャルル8世は新王妃ブルターニュ女公アンヌ(Anne de Bretagne)が王宮であるブロワ城へ行くまでの間ここに住まわせた。1492年、彼女のためにゴシック様式の礼拝堂(城内に現存するアンヌ・ド・ブルターニュ礼拝堂)も築かせている。クロ・リュセ城はクルー館と呼ばれていたが、十六世紀にレオナルド・ダ・ヴィンチの高弟フランチェスコ・メルツィ(Francesco Melzi)が同礼拝堂に描いた四枚のフレスコ画の一枚「光の聖母(Virgo Lucis)」がクロ・リュセ城の名前の由来となった。

クロ・リュセ城アンヌ・ド・ブルターニュ礼拝堂の「光の聖母(Virgo Lucis)」(フランチェスコ・メルツィ作、十六世紀)

クロ・リュセ城アンヌ・ド・ブルターニュ礼拝堂の「光の聖母(Virgo Lucis)」(フランチェスコ・メルツィ作、十六世紀)
© Fab5669, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

1509年、王族のアランソン公シャルル4世’(Charles IV d’Alençon)とマルグリット・ダングレーム(Marguerite d’Angoulême)夫妻が居を構えた。1515年、フランス王フランソワ1世(在位1515-47)の母で摂政のルイーズ・ド・サヴォワ(Louise de Savoie)がアランソン公からクロ・リュセ城を購入し移り住んだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの移住

「クロ・リュセ城のレオナルド・ダ・ヴィンチの部屋」

「クロ・リュセ城のレオナルド・ダ・ヴィンチの部屋」
© Léonard de Serre, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons


1516年の秋頃、レオナルド・ダ・ヴィンチはフランス王フランソワ1世の招聘に応じてイタリアからフランスへ移住し、クロ・リュセ城を与えられた。「ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)」「若い洗礼者ヨハネ」「聖アンナの膝に座った聖母子」など代表作を携え、レオナルド・ダ・ヴィンチの愛弟子フランチェスコ・メルツィの他二人の召使がイタリアから同行した。

フランソワ1世はミケランジェロやラファエロら当時の代表的な芸術家と並ぶ二年間で二千エキュの高額報酬で迎え、アンボワーズ城と繋がる地下通路を通じてクロ・リュセ城のレオナルド・ダ・ヴィンチの許を度々訪れていたという。

「クロ・リュセ城のレオナルド・ダ・ヴィンチのアトリエ」

「クロ・リュセ城のレオナルド・ダ・ヴィンチのアトリエ」
© Duch, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

レオナルド・ダ・ヴィンチは三年弱の短い期間ながらロモランタン城の宮殿建設やロワール川とソーヌ川を結ぶ運河開削計画など様々なプロジェクトに関わっている。またシャンボール城の二重らせん階段設計にもダ・ヴィンチの関与があった可能性がある。他に、1518年5月3日から6日までアンボワーズ城で開催されたウルビーノ公ロレンツォ2世・デ・メディチ(Lorenzo di Piero de’ Medici)とフランソワ1世の姪オーヴェルニュ伯女マドレーヌ(Madeleine de La Tour d’Auvergne)の結婚式や同6月24日にクロ・リュセ城で行われた祝宴など様々な祭礼を手掛けた。

1519年5月2日、レオナルド・ダ・ヴィンチはクロ・リュセ城で亡くなり、アンボワーズ城内の聖フロランタン教会に埋葬されたが、同教会はフランス革命で破壊され、1863年、同教会跡から発掘された大きめの頭蓋骨がレオナルド・ダ・ヴィンチのものと考えられて、アンボワーズ城の聖ユベール(サンテュベール)礼拝堂に再埋葬された。

現代まで

クロ・リュセ城公式プロモーションビデオ


レオナルド・ダ・ヴィンチ死後、城は王母ルイーズ・ド・サヴォワの元に戻り、以後十六世紀を通して所有者が数回変わった後、1632年、婚姻関係を通じてアンボワーズ家の所有となり、1832年まで200年間アンボワーズ家の管理下に置かれた。フランス革命の際には城の建物の大半を失う激しい破壊を被ったアンボワーズ城とは対照的に、幸運にも破壊を逃れることができた。1855年にサン・ブリス(Saint Bris)家の所有となり、1862年フランス歴史的記念物(Monument historique)の指定を受け、現在に至る。1957年から一般公開されている。

2003年から2016年にかけて大規模な修復工事とあわせてレオナルド・ダ・ヴィンチの発明品の実物大模型や作品のレプリカなどが復元、城内に展示され、十六世紀当時のレオナルド・ダ・ヴィンチの部屋が再現されている。また、城館の周囲を囲む公園はレオナルド・ダ・ヴィンチパークとして、音響設備やレオナルド・ダ・ヴィンチのクロッキーを再現したキャンバスなどが設置された遊歩道が築かれて、城全体がレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と晩年の生活を偲ぶミュージアムとなっている。

「クロ・リュセ城のレオナルド・ダ・ヴィンチパーク」

「クロ・リュセ城のレオナルド・ダ・ヴィンチパーク」
© Château du Clos Lucé, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

参考文献・リンク

・池上英洋著『レオナルド・ダ・ヴィンチ: 生涯と芸術のすべて』(筑摩書房, 2019年)
・佐藤賢一著『ヴァロワ朝 フランス王朝史2 (講談社現代新書)』(講談社,2014年)
・柴田三千雄編『フランス史〈2〉16世紀-19世紀なかば (世界歴史大系)』(山川出版社, 1996年)
・松本慎二著『世界遺産で巡るフランス歴史の旅 (朝日選書)』( 朝日新聞出版, 2013年)
・ロベール・ポリドリ/ジャン=マリー・ペルーズ・ド・モンクロ 著(鈴木亨訳)『ロワール古城紀行』(クーネマン出版社,2001年)
クロ・リュセ城公式ページ(英語)
・”Château du Clos Lucé — Wikipédia“(2020年10月25日18時23分更新版)
・”akg-images – Virgo Lucis
・”Découvrir le Clos Lucé – Le Clos Lucé – Clos lucé
クロ・リュセ城 レオナルド・ダ・ヴィンチ・パーク(フランス観光開発機構)

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