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ジャンヌ・ダルク婚約取り消し裁判について

ジャンヌ・ダルク
ジャンヌ・ダルクには故郷のドンレミ村にいたころ婚約者がおり、ドンレミ村を出る少し前の1428年7月頃、トゥール市の教会裁判所に自ら出廷して婚約の取り消し裁判を行った。この裁判については1431年、ルーアンで行われた処刑裁判の審理において簡単に触れられているだけで、裁判史料は残っておらず相手男性の素性など詳細は不明である。

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婚約取り消し裁判に関する史料上の記述

ジャンヌ・ダルク処刑裁判の1431年3月12日付審問で婚約取り消し裁判について問われて以下のように答えている。

「結婚に関する訴訟で、ある男をトゥールの教会裁判所に召喚するように同女にしむけたのは誰か、と尋ねると、『私がその男を呼び出したのではありません。その男の方が私を召喚させたのです。私はそこで判事の前に真実を述べることを誓いました』と答えた。最後に同女はこの男と結婚の約束をしたことはなかった、と述べた。」(注1)

またジャンヌ・ダルク処刑裁判記録の1431年3月27・28日の項で被告ジャンヌ・ダルクに対して提示された七〇箇条の諭告の第九条に以下のような記述がある。

「第九条 同じく。被告ジャンヌはこの仕事についている間に、トゥールの教会裁判所に結婚問題について、ある若い男を出頭させた。この件の解決のため数回トゥールに赴き、この際に手持ちの金は殆ど使い果たした。この男は前記の娘達が被告と一緒に暮らしているのを知り、被告との結婚を拒否し、訴訟が終わらぬままに死んだ。このために被告ジャンヌは怨みを抱いて、同女の言う奉公をやめたものである」(注2)

「この仕事」とは同第八条にあるドンレミ村の南にあるロレーヌ公領の町ヌフシャトーの宿屋で父母の許し無く働いていたことを指し、「前記の娘達」も同じく第八条でジャンヌが奉公していた宿屋に泊まっていた「数人の宿無し娘」(=売春婦)のことであるとされている。つまり、父母の許可なく村を出て町の宿屋兼売春宿で働き、売春婦たちと交流していたため、婚約者が怒って婚約取り消しの裁判を起こし、ジャンヌがトゥール市に出頭して裁判中に相手男性が亡くなり、宿屋での奉公も途中で投げ出すという事件を起こしたという疑惑を挙げている(注3)。

ジャンヌ・ダルク婚約取り消し裁判についてわかること

この諭告文は事実誤認が非常に多いことが後世の研究で明らかにされている。ヌフシャトーの町の宿屋でジャンヌが働いていたのは、1428年7月頃、ブルゴーニュ軍がヴォークルールを包囲、その余波で野盗の集団がドンレミ村を襲ったため、家族でヌフシャトーに疎開したときのことであり、父母の許しなく勝手に奉公に出たわけではない。

ジャンヌ死後に行われた1455~56年の復権裁判で多くの村人がヌフシャトーでのジャンヌについて、いつも父母や村の仲間たちと一緒にいたこと、両親の見ているところで宿屋の手伝いを行っていたこと、四~五日で町を離れたこと、ジャンヌがヌフシャトーから早く離れたがっていたことを証言している(注4)。

また、宿屋の女主人ラ・ルースについて、領主のロレーヌ公は親イングランド派だが、彼女は公に抵抗した市民に資金援助などを行っていたようで『親フランス国王派の有力市民』(注5)とみられており、復権裁判の証言でも『町の真面目な婦人』(注6)と評されている。イングランド側の調査で悪評を集めて不道徳な売春宿であるかのように再構成した恣意的な内容であった。

ジャンヌ・ダルクの婚約取り消し裁判は少なくとも処刑裁判の記述にあるようなジャンヌの不貞を原因としたものでないことは確かである。ジャンヌ処刑裁判の3月12日の証言に「トゥールの教会裁判にかかった結婚問題を別にすれば、自分はすべての事で父母に服従していた」(注7)とあることを踏まえ、高山一彦は「彼女に両親が薦める結婚の話があったこと、ジャンヌはこれを断ったこと、断られた男性から恨まれていたという事情は推定できる」(注8)としている。

またコレット・ボーヌは以下のように指摘している。

「ジャンヌは相手に自分からいろいろ約束したことはないと述べている。両家が結婚の方向で交渉していたということは考えられる。娘の将来を確かなものにするのは、普通は父親の役目である。

(中略)

ジャンヌは、ただ純潔の誓いを盾に結婚に反対しただけである。トゥールの教会裁判所の決定を求めていたとすれば、当事者双方が公の場で『verba de futuro』(婚約の言葉)を交わしていたはずである。両親にお膳立てされ見守られてのつき合いが存在した可能性もありうる。将来夫婦となる二人にとっては自然な成り行きである。」(注9)

以上、わかることは非常に少なく曖昧で、両親が決めた、あるいは親同士で交渉が進んでいた婚約相手で、ジャンヌは純潔の誓いや神の声に基づく使命感などから乗り気ではなく、男性の方が好意を寄せていて、男性が婚約の確認を巡って裁判を起こし、召喚されたジャンヌが自ら出廷して婚約を断ったとみられている。また、これに関して処刑裁判記録で判事らが挙げている理由は恣意的で信憑性に欠ける点が多い。

日常からの決別としての婚約取り消し裁判

ジャンヌは13歳の頃、初めて<声>を聴き、神の望む限り純潔であり続けることを誓った。結婚がその誓いの妨げになることは明らかである。また、トゥールでの婚約取り消し裁判が行われたと思われる時期(1428年7月頃)の二カ月前にあたる1428年5月、ジャンヌはヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールを訪れ、フランス王シャルル7世の宮廷に向かう許可を求めていた。このとき、すでにジャンヌは神の声の導くままに村を出る決意をしていたのである。彼女がドンレミ村を出たのは翌1429年1月のことであった。

ジャンヌ・ダルクの生涯にこの婚約取り消し裁判の逸話を位置付けるならば、日常からの決別と言えるのではないだろうか。農民としてごく当たり前の結婚をして、一農民女性としての普通の生涯を送ることからの決別である。処刑裁判の記録に従うなら、名前も素性も知られぬ婚約者の男性は裁判中に死んだ。裁判の証言記録にはこの婚約者の生死についてジャンヌの言及はない。婚約者との決別、農民としての人生との決別を経て彼女は旅立ち、ドンレミ村の農家の少女ジャネットから我々が知るジャンヌ・ダルクになった。

参考文献

・高山一彦編訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』(白水社、1984年)
・高山一彦著『ジャンヌ・ダルク―歴史を生き続ける「聖女」 (岩波新書)』(岩波書店、2005年)
・コレット・ボーヌ著(阿部雄二郎・北原ルミ・嶋中博章・滝澤聡子・頼順子訳)『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』(昭和堂、2014年)
・レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(白水社、2002年)
・レジーヌ・ペルヌー著(高山一彦訳)「ジャンヌ・ダルクの実像 (文庫クセジュ)」(白水社、1995年)

また、このテーマに関する論文として以下のものがある(フランス語)
・ Véronique Beaulande-Barraud. Les « fiançailles » rompues de Jeanne : un non-événement ?. De Domrémy.. à Tokyo. Jeanne d’Arc et la Lorraine., May 2012, Domrémy-Vaucouleurs, France.

脚注

1) 処刑裁判134頁

2) 処刑裁判196-197頁

3) 処刑裁判196頁

4) 復権裁判94-95頁(ジャンヌの代父ジャン・モレルの証言)、同104頁(ジャンヌの幼馴染オーヴィエットの証言)、同113頁(ドンレミ村に隣接するグルー村の農民ジェラール・ギュメットの証言)などいずれもヌフシャトーでジャンヌ一家と一緒に行動していた人々の証言。

5) 処刑裁判360頁

6) 復権裁判113頁

7) 処刑裁判136頁

8) 高山(2005)66頁

9) ボーヌ(2014)44頁

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