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アーサー王の宮廷キャメロット――語源、伝承、想定の候補地まとめ

キャメロット(Camelot)はアーサー王の宮廷が置かれたという架空の城塞都市。後世の創作ではアーサー王の王国ログレスの首都とされることもあるが、中世のアーサー王物語群においてはカーリオン市(ウェールズ南部の都市)やカーライル城(イングランド北部カンブリア州の城)などと並び宮廷が巡回して開かれることが多い主要な場所の一つである。

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キャメロットの語源

「カムロドゥヌムにあるローマ時代(一世紀)の門、バルケルン門の復元図」

「カムロドゥヌムにあるローマ時代(一世紀)の門、バルケルン門の復元図」
© Carole Raddato from FRANKFURT, Germany / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)


キャメロットという名の由来については不明である。

有力な説の一つに古代の戦争神カムルス(Camulus)に由来するというものがある。古代、カムルス神はガリアからブリタニアにかけて広く信仰を集めており、一世紀頃、現在のコルチェスター市にあたるブリトン系トリノヴァンテス族の集落はカムルス神を祀ったカムロドゥノン(Camulodunon)という聖地であった。ローマ帝国がブリテン島を征服すると、カムロドゥノンにはブリタニア属州の州都が置かれ、カムロドゥヌム(Camulodunum)と名付けられていた。

コルチェスター城~ローマ帝国の栄光を受け継ぐノルマン征服の象徴
コルチェスター城” Colchester Castle ”は英国エセックス州の主要都市コルチェスターにある中世の城塔。コルチェスター市にかつてあった古代ローマ属州時代の都カムロドゥヌムの遺構の資材を再利用して、イングランド王ウィリアム1世の...

このようなローマ時代への憧憬からクレティアン・ド・トロワがカムルス神あるいはカムロドゥヌムをもじってキャメロットと名付けたといわれる。ただし、コルチェスターとカムロドゥヌムとが結びつけて理解されるようになるのは十八世紀のことで(注1)、キャメロットの名が登場する十二~十三世紀にカムルス神/カムロドゥヌムがどれだけ知名度があったかは大いに疑問があり、カムルス/カムロドゥヌム語源説はあくまで説の一つに留まる。

また、キャメロットの名の初出である「ランスロまたは荷車の騎士」の著者クレティアン・ド・トロワがアーサー王最後の戦いである「カムランの戦い」の地名を改作して名付けたとする説の他、ウェールズ語の「カンボランダ(cambolanda:円形の囲い地の意)」や「カンボグランナ(camboglanna:湾曲した岸、または囲い地)」などに関連付ける説や、「カムランの戦い」の舞台となったとみられるコーンウォール地方を流れるキャメル川およびキャメル川流域の地名に由来するとするものもあるが、いずれも推測の域を出ない(注2)。

キャメロットの伝承

アーサー王物語群の中のキャメロット

キャメロットの名の初出はクレティアン・ド・トロワ作「ランスロまたは荷車の騎士(Lancelot ou le Chevalier de la charrette)」(1170年代後半~1180年代初頭成立)である。

『主キリスト昇天の大祝日にアーサー王はカルリオンを後にしてカマーロの地に赴き、大祝日にふさわしい華麗この上ない宮廷の集いを催した。』(注3)

キャメロット城

キャメロット城(ギュスターヴ・ドレ画「アルフレッド・テニスンの国王牧歌」、1867年)
パブリックドメイン画像

引用中のカルリオンはカーリオン、カマーロ(Camalot)はキャメロットのこと。復活祭の40日後に行われるキリスト昇天日の祝宴がキャメロットでアーサー王とグニエーヴル(グィネヴィア)王妃臨席の上で開催されている。物語はこのキャメロットで開催された祝宴から始まるが、以後、同作では再び名前が挙がることは無い。

キャメロットが本格的に登場するようになるのは十三世紀、「流布本サイクル(Cycle de la Vulgate)」あるいは「ランスロ=聖杯サイクル(Lancelot-Graal)」と呼ばれるフランスを中心としたアーサー王物語群である。「聖杯由来の物語(L’Estoire del Saint Graal)」(1230~35年頃成立)では、キャメロットを訪れたアリマタヤのヨセフの子ヨセフスが現地の人々をキリスト教に改宗させ、街中に聖ステファノ(スティーヴン)教会を建てた。

以後、一連の「流布本サイクル」のなかでキャメロットはアーサー王の王国の主要都市となり、架空の都市アストラト(英語” Astolat”/ フランス語” Escalot”エスカロット)の下流の川沿いに位置し、円卓の騎士たちの信仰を集めアーサー王とグィネヴィア王妃が結婚式を挙げた聖ステファノ(スティーヴン)教会や、ウーサー・ペンドラゴンとマーリンが作った円卓が設けられた大広間がある強大な城、騎馬槍試合が開催される広い草地などが備えられるようになる。

「流布本サイクル」に続く「後期流布本サイクル(Post-Vulgate Cycle)」(1230~40年頃成立)ではアーサー王死後、コーンウォール王マルクがキャメロットに侵攻、キャメロットの民は、数は少なかったが抵抗して敵と戦い皆亡くなったという。その後、マルク王はキャメロット城に入り円卓を破壊した。また、「ペルレスヴォーまたは聖杯の至高の書(Perlesvaus ou le Haut Livre du Graal)」(1230~35年頃成立)ではペルレスヴォー(パーシヴァル)の生まれ故郷の名として登場している。

トマス・マロリー「アーサー王の死」のキャメロット

1485年にイングランドで出版されたサー・トマス・マロリーによる「アーサー王の死(Le Morte d’Arthur)」は現在まで繰り返し版を重ねて読み継がれアーサー王物語の集大成と位置付けられている。同作は「流布本サイクル」「後期流布本サイクル」などを中心に過去のフランス語の作品群を参照して作られた内容となっており、キャメロットについても前述の特徴をほぼ継承している。

「アーサー王の死」でのキャメロットの初出は2巻1章。父王ウーサー・ペンドラゴン死後、即位して間もないロンドン滞在中のアーサー王の下へ北ウェールズのライエンス王が侵攻したとの報告が寄せられ、アーサー王がキャメロット城へ諸侯を招集するよう命じた。

以前の作品群同様、キャメロットには聖スティーヴン教会があり、2巻10章でアーサー王に敗れた12人の王が葬られ、3巻5章でアーサー王とグィネヴィア王妃の婚礼が執り行われた。

キャメロットは海岸にも近く、アイルランドへ渡ろうとしたトリストラム卿が難破して流れ着いた(8巻19章)。また、キャメロットには川が流れており、この川に立派な剣が刺さった赤い大理石のような石が浮いているということがあった(13巻2章)。これはマーリンが騎士ベイリンの剣を、魔法を使ってはめこんだものであった(2巻19章)。円卓の騎士たちは抜くことが出来なかったが、ガラハッド卿がこれを引き抜いてみせた(13巻5章)。また、キャメロットの近郊にはジャジェント城という城があるという(10巻8章)。

テニスン「シャロットの女」のキャメロット

キャメロットのイメージは十九世紀の詩人アルフレッド・テニスン(1809-92)の代表作「シャロットの女(The Lady of Shalott)」(1832年発表)が決定づけた。英国でベストセラーになり、明治時代に坪内逍遥が翻訳(青空文庫)して日本に紹介され、夏目漱石が本作を翻案して日本初のアーサー王物語である「薤露行」を著するなど日本でのアーサー王物語の浸透に大きな影響があった。

『川の両岸に広がるは
果てしなく続く大麦やライ麦の畑、
それは広々とした平野になる、地平のかなたに続く、
畑中を走る一筋の道に通ずるは
多塔のお城キャメロット』(注4)

詠われるように、複数の塔を持つ城としてキャメロットは描かれた。キャメロットへ流れ込む川をつかった水運と、周囲に畑が広がる川べりの街道をつかって旅人が訪れる。キャメロット城は「灰色の城壁」が四方を囲み、灰色の四つの塔を備え、一面の花畑を見下ろしている。

キャメロットはどこにあったか

ロチェスター大学Camelot ProjectのCamelotの記事でAlan Lupack氏が書いているように「キャメロットは伝説上の場所なので、その位置について語るのは無益だろう」(注5)。しかし、伝統的に様々な現実の場所と結び付けて語られてきた。キャメロットとのかかわりが深い伝承を持つ都市や城は非常に多いが、特にキャメロットと重ね合わせて語られる場所としてウィンチェスター、キャドバリー城、カーリオンの三か所がよく知られている。

ウィンチェスター説

「ウィンチェスター城大広間の円卓の天板飾り」

「ウィンチェスター城大広間の円卓の天板飾り」
credit: Alex Liivet from Chester, United Kingdom, CC0, via Wikimedia Commons


イングランド南部ハンプシャー州の州都ウィンチェスター(Winchester)はローマ時代から続く古都で、七王国時代、ウェセックス王国の首都となり九世紀にアルフレッド大王によって整備され、ノルマン征服直後の1067年に築かれたウィンチェスター城はエリザベス1世時代の1558年に市の運営となるまでイングランド王歴代の居城の一つであった。

トマス・マロリーは「アーサー王の死」で「キャメロットの町、すなわちイングランドのウィンチェスター」(2巻19章)とキャメロットの場所を現実の世界でいうイングランド南部ハンプシャーの主要都市ウィンチェスターであるという前提で描いている。

マロリーがウィンチェスターをキャメロットとしたのは、ウィンチェスター城内にあった円卓のテーブルの存在が理由であった。この円卓は1290年頃、イングランド王エドワード1世がアーサー王と円卓の騎士の逸話になぞらえて作らせたもので、現在は脚が失われ城内の大広間の壁に天板だけ飾られている。天板は直径5.5メートル、重さ1,200キロ。十六世紀にヘンリ8世の命で塗りなおされたものである(注6)。

キャドバリー城説

キャドバリー城(Cadbury Castle)

キャドバリー城(Cadbury Castle)
© Tim Heaton , CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

伝統的にキャメロットの場所として名前が挙がることが多いのがイングランド南西部サマセット州にある鉄器時代の丘砦(ヒルフォート)キャドバリー城(Cadbury Castle)である。キャドバリー城は新石器時代から集落が形成され、鉄器時代にブリテン島でよくみられる丘上の要塞(ヒルフォート)化され、一世紀頃ローマ軍に抵抗するブリトン人の砦として使われた。1960年代に行われた発掘調査で六世紀頃に城として再利用され、十一世紀頃まで使われていたことが判明し、アングロ・サクソン人からヴァイキングまで侵攻に抵抗する軍事拠点の一つだったと考えられている。

1542年、歴史家・好古家(antiquary)のジョン・リーランドは、キャドバリー城がキャメロットの跡であると現地の人々が考えているという逸話を紹介した。周辺にはカム川(River Cam)やクイーン・キャメル(Queen Camel)村、ウエスト・キャメル(West Camel)村などキャメロット(Camelot)を連想させる地名が多く存在していたことがキャメロットと結びつけられたとみられている。

「アーサー王と円卓の騎士はイングランドが再び彼らの力を必要とする時まで丘の地下空洞で眠っている」「夏至祭になると丘の上から円卓の騎士たちが駆け下りて来る」(注7)など、キャドバリー城周辺はアーサー王にまつわる伝承が多く、現代までキャメロットと広く関連付けて語り継がれている。

カーリオン説

「カーリオンのローマ時代の円形劇場跡」

「カーリオンのローマ時代の円形劇場跡」
© CADW, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons


カーリオン(Caerleon)はウェールズ南部の都市で、ローマ帝国属州時代(一~五世紀)、ローマ帝国の属州駐留軍「第二軍団アウグスタ」の駐屯基地イスカ・アウグスタが築かれたことに始まる。九世紀の「ブリトン人の歴史」にはカーリオン・アポン・アスクの名でブリテン島の主要都市の一つとして挙げられ、中世グウェント王国の行政の中心都市として栄えた。十三世紀初め、ウィリアム・マーシャル以降ペンブルック伯家の支配下となりカーリオン城が築かれている。

カーリオンの円形劇場跡は西暦80年頃に築かれ、火災による焼失と再建を繰り返しながら四世紀半ばごろまで使われ、最大6000人の観客を収容できた。1909年と1926年の二度の調査で古代ローマ時代のものと判明する以前、古くから「アーサー王の円卓」と結びつけて語られていた。

アーサー王物語群では十二世紀のジェフリー・オブ・モンマス著「ブリタニア列王史」を始めとして、クレティアン・ド・トロワなど以後の諸作品でアーサー王の宮廷が開かれ、トマス・マロリー著「アーサー王の死」でもキャメロット以上にアーサー王の宮廷として多く登場する。ウェールズの伝承でもアーサー王はカーリオンがあったグウェント一帯を支配する王として登場することがあり、マビノギオンのアーサー王三大ロマンスでもカーリオンに宮廷が置かれているなど、アーサー王の伝承・物語群において事実上の首都であり続けていた。

参考文献

・瀬谷幸男 訳『伝ネンニウス著 ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』(論創社、2019年)
・新倉俊一/神沢栄三/天沢退二郎 訳『フランス中世文学集2愛と剣と』(白水社、1991年、7-140頁)
・森野聡子 訳『ウェールズ語原典訳マビノギオン』(原書房、2019年)
・中央大学人文科学研究所 編『アーサー王物語研究 源流から現代まで (中央大学人文科学研究所研究叢書62)』(中央大学出版部、2016年、3-31頁)
・アルフレッド・テニスン 著(西前美巳 訳)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)』(岩波文庫、2003年)
・ジェフリー・オブ・モンマス 著(瀬谷幸男 訳)『ブリタニア列王史―アーサー王ロマンス原拠の書』(南雲堂フェニックス、2007年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 1』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 2』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 3』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 4』(筑摩書房、2004年)
・トマス・マロリー 著(井村君江 訳)『アーサー王物語 5』(筑摩書房、2004年)
・フィリップ・ヴァルテール著(渡邉浩司,渡邉裕美子 翻訳)『アーサー王神話大事典』(原書房、2018年)
・Alan Lupack,Camelot(Camelot Project,University of Rochester)
・Alan Lupack,Frequently Asked Questions about the Arthurian Legends(Camelot Project,University of Rochester)
・Ben Johnson, Who was King Arthur and where was Camelot?(Historic UK)
・Earl R. Anderson, MALORY’S CAMELOT, WINCHESTER, AND “THE CHIRCHE OF SEYNTE STEVINS”(Neuphilologische Mitteilungen
Vol. 92, No. 2 (1991), pp. 211-213)
・Owen Jarus,Camelot, King Arthur & the Knights of the Round Table(Live Science)
Camelot – Wikipedia(21 January 2021, at 17:11 (UTC))
Winchester Round Table – Winchester, England(Atlas Obscura)

脚注

1) Official Response to linking Arthur and Colchester (Web archive,2007年10月30日)

2) フィリップ・ヴァルテール著(渡邉浩司,渡邉裕美子 翻訳)『アーサー王神話大事典』原書房、2018年、112-113頁

3) クレティアン・ド・トロワ(神沢栄三訳)「ランスロまたは荷車の騎士」(新倉俊一/神沢栄三/天沢退二郎 訳『フランス中世文学集2愛と剣と』白水社、1991年、9頁)

4) アルフレッド・テニスン 著(西前美巳 訳)『対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫)』岩波文庫、2003年、27頁

5) ” Since Camelot is a legendary place, it is perhaps futile to speak of its location. ”(Alan Lupack,Camelot(Camelot Project,University of Rochester))

6) Winchester Round Table – Winchester, England(Atlas Obscura)

7) Ben Johnson,Who was King Arthur and where was Camelot?(Historic UK)

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