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北海諸島の覇者オークニー伯トルフィン・シグルドソン

オークニー伯トルフィン・シグルドソン(Thorfinn Sigurdsson ,1009頃-1065)はヴァイキングである。通称「強者トルフィン(Thorfinn the Mighty)」。十一世紀、オークニー諸島、シェトランド諸島、ヘブリディーズ諸島、マン島やケイスネス地方などスコットランド北東部の北海沿岸地域を実効支配しケイスネス王(Mormaer of Caithness,注1)を称した。

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トルフィン・シグルドソンの台頭

「11世紀の北海諸島王国」

「11世紀の北海諸島王国」
© Sémhur / Wikimedia Commons  / CC BY-SA 3.0

トルフィンの一族は祖父の代にノルウェーからオークニー諸島に渡って同地で一族支配を確立、父シグルド(Sigurd Hlodvirsson,960頃-1014)はスコットランド王マルカム2世(Malcolm II of Scotland,在位1005-34)の娘を妻に迎えオークニー伯に叙された。1014年、クロンターフの戦い(注2)で父が戦死すると、幼かったトルフィンはスコットランド宮廷に逃れて庇護下に置かれた。

成人するとマルカム2世の後見を受けてオークニー伯位を継ぎ、現地を実効支配していた二人の異母兄と争って、1020年、オークニーの有力者トルケル・アムンダソン(Thorkel Amundason)と結び長兄エイナル(Einar Sigurdsson)を滅ぼした。1030年、宗主として君臨していたノルウェー王オーラヴ2世(Olaf II Haraldsson,995頃-1030,在位1015-1028)がクヌート1世に敗れ(注3)てオークニーからノルウェー勢力が退くと、オークニー諸島は彼と次兄ブルシ(Brusi Sigurdsson)との共同統治下に置かれた。ブルシ死後、トルフィンはノルウェー王マグヌス1世の支援を受けたブルシの子ログンヴァルド(Rögnvald Brusason)の侵攻を退け、単独支配体制を確立した。

トルフィンはスコットランド王とノルウェー王に両属しつつオークニー諸島だけでなく対岸のハイランド北東部ケイスネス地方を制してケイスネス王(Mormaer of Caithness)を称し周辺に支配を拡大、ヘブリディーズ諸島やマン島も勢力下に置くなど、ハイランド北部諸島地域に強力な自立勢力(Mormaerdom)を築いて存在感を発揮していた。

モーマー(Mormaer)はゲール語で「偉大な」を意味する”mor”と「執事」または「廷臣」を意味するmaerまたはmaorからなる語で、十世紀初頭から十三世紀にかけてのスコットランド各地に割拠していた自立した地方勢力の支配者を意味し、その支配領域はMormaerdomと呼ばれた。

「モーマー(Mormaer)」――中世スコットランドに割拠した地方勢力
モーマー(Mormaer)はゲール語で「偉大な」を意味する”mor”と「執事」または「廷臣」を意味するmaerまたはmaorからなる語で、十世紀初頭から十三世紀にかけてのスコットランドで各地に割拠していた自立した地方勢力の支配者を意味し、そ...

謎のスコットランド王カール・フンダソンとの争い

オークニー諸島の歴史と伝承が記されたオークニンガ・サガ(” Orkneyinga saga”十二世紀後半成立)に書かれたオークニー伯トルフィンの逸話にスコットランド王カール・フンダソン(Karl Hundason)という謎の人物との戦いの記述がある。スコットランド王マルカム死後、スコットランド王に即位したカール・フンダソンという人物がトルフィンに朝貢を求めたが断られたためケイスネスへ侵攻、野戦と海戦とが繰り広げられるがいずれもトルフィンの勝利に終わり、トルフィン軍はファイフまで南下して掠奪して回ったという(注4)。

このフンダソンの名は「犬の子」を意味していることから蔑称と考えられており、Anderson, Joseph (1873)によると「カールまたはカリ・フンダソンの正体は、現代の歴史家が独創性を行使する歴史的パズルの一つである」という(注5)。この人物が何者かについては、スコットランド王ダンカン1世やマクベス王であるとする説が有力とみられているが、そもそもこの記述が創作であるとする説もあり、未だ定説はない(注6)。

スコットランド王とは母がマルカム2世の娘であり幼少期にスコットランド宮廷で育ったことからも関係が深かったとみられ、オークニー伯として形式的には臣従していたが実質的には自立しており、マリ王マクベスと同盟してダンカン1世に対抗していたとも言われる。確かな説ではないが、これを危惧したダンカン1世がマリに侵攻、マクベスの反撃にあって戦死し、マクベスがスコットランド王に即位することになったという説もある(注7)。また、マクベス即位に際してダンカン1世の二人の子マルカム(後のマルカム3世)とドナルベイン(後のドナルド3世)はそれぞれイングランドとアイルランドへ逃れたとされるが、従兄弟にあたるトルフィンを頼ってオークニーに逃れたとする説もある(注8)。

スコットランド王マクベスの虚像と実像
ウィリアム・シェイクスピアの代表的戯曲「マクベス」の主人公としてその名を知られるマクベス(英語”Macbeth”,スコットランド・ゲール語” MacBheatha”, 中世ゲール語“Mac Bethad”)は十一世紀に実在したスコットランド...

トルフィン死後

トルフィン・シグルドソン死後、ケイスネス王国はトルフィンの二人の子が共同統治した。1066年、兄弟はノルウェー王ハーラル3世に味方してスタンフォードブリッジの戦いに参戦するが、イングランド王ハロルド2世に大敗し命からがら逃げ帰った。戦後、一族の内紛が始まり、1098年、兄弟が相次いで亡くなるとノルウェー王マグヌス3世(裸足王)によってノルウェーに併合された。

以後、1266年にパース条約(注9)でヘブリディーズ諸島とマン島がスコットランドへ割譲されたのを経て、1473年にカルマル同盟君主クリスチャン1世の娘マルグレーテがスコットランド王ジェイムズ3世と結婚する際の婚資としてオークニー諸島がスコットランドに割譲されるまで375年の間ノルウェー領であり続けた。

参考文献

・青山吉信/飯島啓三/永井一郎/城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』(山川出版社,1991年)
・木村正俊著『ケルト全史』(東京堂出版、2021年)
・波多野裕造著『物語 アイルランドの歴史 欧州連合に賭ける“妖精の国” (中公新書)』(中央公論新社、1994年)
・森護著『スコットランド王国史話』(大修館書店,1988年)
・ロザリンド・ミチスン著(富田理恵,家入葉子 訳)『スコットランド史―その意義と可能性』(未来社,1998年)
・Anderson, Joseph, ed. (1873), The Orkneyinga Saga. translated by Hjaltalin, Jón A.; Goudie, Gilbert, EDMONSTON & DOUGLAS, EDINBURGH. The Project Gutenberg, August 18, 2018.
・”Orkneyjar – Earl Thorfinn the Mighty
・”Orkneyjar – Earl Thorfinn the Mighty – The Karl Hundasson campaign
・”Orkneyjar – Earl Thorfinn the Mighty – Who was Karl Hundasson?
・”Thorfinn Sigurdsson: Biography on Undiscovered Scotland
Thorfinn the Mighty – Wikipedia
Earl of Orkney – Wikipedia
Sigurd the Stout – Wikipedia
Malcolm III of Scotland – Wikipedia

脚注

1) “Mormaer”の訳としては他に領主、伯などあるがこの記事ではスコットランド王の権力から独立した体制であることを踏まえて「王」、その支配体制(Mormaerdom)を「王国」と表記する。/ 「モーマー(Mormaer)」――中世スコットランドに割拠した地方勢力

2)” Battle of Clontarf”/1014年4月23日、アイルランドのダブリン近郊クロンターフでアイルランド上王ブライアン・ボルとダブリン王=レンスター王=ヴァイキング連合軍がアイルランドの覇権を賭けて激突した戦い。諸侯連合軍が壊滅する一方、勝利したアイルランド上王軍もブライアン・ボルを始めとして指導者の多くが戦死する激しい戦いとなった。

3)” Battle of Stiklestad”/イングランド王位とデンマーク王位を手に入れたクヌート1世がノルウェーへ侵攻したことで退位と亡命を余儀なくされた前ノルウェー王オーラヴ2世が復位を狙ってノルウェーへ帰還、1030年7月29日、オーラヴ派とクヌート派の諸侯が衝突した戦い。この戦いの後オーラヴ2世は亡くなりノルウェーでのクヌート王体制が確立した。

4)オークニンガ・サガの内容はAnderson, Joseph, ed. (1873), The Orkneyinga Saga. translated by Hjaltalin, Jón A.; Goudie, Gilbert, EDMONSTON & DOUGLAS, EDINBURGH. The Project Gutenberg, August 18, 2018. を参照。” IV. The Earldom in the Norse Line, 872-1231” および、”ORKNEYINGA SAGA. CHAPTER V OF THE EARLS BRÚSI AND THORFINN.” に記述がある。

5)Anderson前掲書の脚注252” The identity of Karl or Kali Hundason is one of the historical puzzles which exercise the ingenuity of modern historians.”(Anderson, Joseph, ed. (1873), The Orkneyinga Saga. translated by Hjaltalin, Jón A.; Goudie, Gilbert, EDMONSTON & DOUGLAS, EDINBURGH. The Project Gutenberg, August 18, 2018.)

6)Orkneyjar – Earl Thorfinn the Mighty – Who was Karl Hundasson?ではWilliam Thomsonによるマリ王ギラコムガン(Gille Coemgáin)であるとする説が紹介されている。Gille Coemgáinは後にスコットランド王に即位するマクベス王の先代でマクベスの甥にあたる人物。

7) 木村正俊著『ケルト全史』東京堂出版、2021年、377頁

8) “Malcolm III of Scotland – Wikipedia”参照

9) Treaty of Perth /クライド湾岸の町ラーグス沖で1263年に行われたノルウェー軍とスコットランド軍の戦い(ラーグスの戦い, Battle of Largs)でスコットランドが勝利し、1266年、同条約によって両国間で当時ノルウェー領だったヘブリディーズ諸島とマン島がスコットランドへ割譲された。

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