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スコットランド王家ステュアート家のルーツについて

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バンクォーの伝承

「三人の魔女と出会うマクベスとバンクォー」
(テオドール・シャセリオー作、1855年、オルセー美術館蔵、パブリックドメイン画像)


スコットランド王家となったステュアート家の祖について、古くは十一世紀の王族バンクォー(Banquo)という人物であると信じられていた。バンクォーは伝承ではロックハバー(Lochquhaber)の領主で(注1)、エイ王(“Áed mac Cináeda”在位877-878)の次男ドナルドの末裔(注2)であると言われる。また、ウィリアム・シェイクスピアの代表作「マクベス」の主要登場人物としてもよく知られる。「マクベス」冒頭で三人の魔女はマクベスを指して「やがては王様に、おなりになる方」と言い、バンクォーについては「自分は王にならずとも、代々の王様の、その父祖となる方」と呼びかける(注3)。公明正大な人物であったが、その後、スコットランド王ダンカンを暗殺したマクベスによってバンクォーは殺され、その遺児フリーアンスはウェールズに逃れた。

シェイクスピアが「マクベス」執筆時に参考にしたラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed,1580年頃没)の” Holinshed’s Chronicles of England, Scotland, and Ireland”(通称「ホリンシェッド年代記」1577年)にもバンクォーが登場するが、こちらではバンクォーはマクベスと協力してダンカン王暗殺を謀る策略家として描かれ、後にバンクォーによる王位簒奪を恐れたマクベスによって殺害されている(注4)。バンクォーの史料上の初出はスコットランドの歴史家ヘクター・ボイス(Hector Boece 1465–1536)が著した歴史書” Scotorum Historia”(1526-27頃)で、ホリンシェッドもボイスを参照して年代記にバンクォーを登場させたとみられている。

ステュアート家の祖ウォルター(1106頃-77)は、バンクォー死後ウェールズに逃れたバンクォーの遺児フリーアンス(Fleance)とウェールズ王グリフィズ・アプ・サウェリン(Gruffydd ap Llywelyn ,1010頃-63,注5)の娘との間の子であるとされた。シェイクスピアが「マクベス」を著した当時の国王ジェイムズ1世(スコットランド王としてはジェイムズ6世/スコットランド王としての在位1567-1625、イングランド王としての在位1603-25)もこの伝承を信じており、バンクォー以来の血統を主張することで自身の即位を正当化させた(注6)。

現在、バンクォーをステュアート家の祖とする説に対しては否定的な見解が主流となっており、バンクォーとフリーアンスの親子が実在していた可能性について完全には否定できないものの、スコットランド王家となったステュアート家の系図を伝統的なアルピン王家へとつなげるため十六世紀初め頃までに創作された架空の人物と考えられている。

スコットランド王マクベスの虚像と実像
ウィリアム・シェイクスピアの代表的戯曲「マクベス」の主人公としてその名を知られるマクベス(英語”Macbeth”,スコットランド・ゲール語” MacBheatha”, 中世ゲール語“Mac Bethad”)は十一世紀に実在したスコットランド...

ステュアート家の出自――ブルターニュのノルマン貴族

ステュアート家の出自について、これまでの研究でステュアート家の祖ウォルターの父はイングランド王ヘンリ1世に仕えてノーフォークやサセックス、シュロップシャーなどに所領を持ったアラン・フィッツ・フラアード(Alan fitz Flaad,1078頃生-1121以降没)という人物であることが明らかとなっている。

十九世紀初頭には早くもバンクォーを始祖とする伝承に疑義が呈され、1858年、歴史家のロバート・ウィリアム・エイトン(Robert William Eyton,1815-81)が史料を元に初代ウォルターの代に初めてスコットランドへ渡ったとする論文を発表。1901年、歴史家ジョン・ホレス・ラウンド(John Horace Round,1854-1928)によってフランス・ブルターニュ地方ドルの領主に仕えた執事アランという人物をルーツとすることが明らかにされた。このアランの子がウォルターの祖父フラアード・フィッツ・アラン、フラアードの子がウォルターの父アラン・フィッツ・フラアードとなる(注7)。

ウォルターはアラン・フィッツ・フラアードの次男とみられ、1136年頃にイングランドからスコットランドへ移住した。この出自からウォルター・フィッツ・アラン(Walter fitz Alan,1106頃-77)の名で呼ばれる。ヘンリ1世死後の1135年、王女マティルダを後継とする遺命に背いてヘンリ1世の姉の子モルタン=ブーローニュ伯エティエンヌが反マティルダ派諸侯を糾合してイングランド王に即位(スティーヴン王)し、北フランスを拠点とするマティルダ派と激しい内戦に陥った。ウォルターはスティーヴン王の即位を良しとせず、イングランドからスコットランドに逃れたものとみられる。

ウォルター・フィッツ・アランはスコットランドでデイヴィッド1世(David I,在位1124-53)に仕えて重用され、1150年頃ステュアード(王家の家政を司る役職/家令)に抜擢された。以後彼の末裔はスコットランドに定住してステュアード職を世襲しスコットランドの名門貴族となる。第六代当主ウォルター・ステュアートがスコットランド王ロバート1世の第一王女マージョリー・ブルースと結婚したことで王族の仲間入りを果たした。1371年、ブルース朝断絶により二人の間に生まれた子ロバート・ステュアートがロバート2世としてスコットランド王に即位しステュアート朝が始まった。

ペイズリー修道院

ウォルター・フィッツ・アランが創建に関わり死後埋葬されたと伝わるペイズリー修道院
© User:Colin / Wikimedia Commons

参考文献

・青山吉信/飯島啓三/永井一郎/城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』(山川出版社,1991年)
・森護著『スコットランド王国史話』(大修館書店,1988年)
・ロザリンド・ミチスン著(富田理恵,家入葉子 訳)『スコットランド史―その意義と可能性』(未来社,1998年)
・ウィリアム・シェイクスピア著(安西徹雄 訳)『マクベス(光文社古典新訳文庫)』(光文社、2008年)
・Mookherjee, Taarini ” Macbeth in Historical Context”(Columbia College)
・Round, J.H. The Origin of the Stewarts
Banquo, {FICT} (c.990 – 1043)(Genealogy)
History of the Stewarts | Famous Stewarts | Walter(The Stewart Society)
Holinshed’s Chronicles, 1577(The British Library)
Banquo – Wikipedia
Alan fitz Flaad – Wikipedia
Clan Stewart – Wikipedia
Lord High Steward of Scotland – Wikipedia

脚注

1) ” Banquo, {FICT} (c.990 – 1043) – Genealogy

2)森護著『スコットランド王国史話』大修館書店,1988年,35頁

3) 台詞は安西徹雄訳から引用

4)” Holinshed’s Chronicles, 1577 – The British Library

5) グリフィズ・アプ・サウェリンは11世紀のウェールズ王。1055年、群雄割拠のウェールズをほぼ統一したが、1063年、ハロルド・ゴドウィンソン(後のハロルド2世)率いるイングランド軍の侵攻を受け、追い詰められた果てに家臣に裏切られて非業の最期を遂げた。

6) Taarini Mookherjee” Macbeth in Historical Context”(Columbia College)

7) ジョン・ホレス・ラウンドによるステュアート家の起源についての著書は以下のページで読むことが出来る。
J.H. Round: The Origin of the Stewarts

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