英国史上有名な「海賊」というと誰が思い浮かぶだろうか?アルマダの海戦を戦ったジョン・ホーキンズやフランシス・ドレイク、財宝伝説で知られるキャプテン・キッドことウィリアム・キッド、大海賊バーソロミュー・ロバーツや黒髭エドワード・ティーチ、女海賊アン・ボニーとメアリ・リードなど、冒険活劇の主人公として描かれることも多い名前が挙がるかもしれない。しかし、上記で挙げた中には実は「海賊」とは呼べない人物もいる。ジョン・ホーキンズやフランシス・ドレイクなどは「私掠」船の船長であった。では「海賊」と「私掠」はどう違うのだろうか。
海上での掠奪行為を行うのが海賊だが、海上での掠奪行為を行うものがすべて海賊であったわけではない。中近世ヨーロッパでは掠奪は経済行為と結びついて商人や農民などから王侯貴族に至るまで掠奪行為は一般的に行われていた。近世になって掠奪に関する法整備が始まり、合法な掠奪と非合法な掠奪への分化がみられはじめ、十八世紀、グローバル化を背景として交易の安全による利益が掠奪の経済的利得を超えることで掠奪そのものを忌避するようになり、掠奪が全て非合法なものとされるようになるのはようやく二十世紀のことだった。
本書では歴史的な掠奪を『何らかの武装をした集団が暴力的手段を用いて他者の財産をその意に反して計画的に奪う行為』(14頁)と定義し、ヨーロッパにおける掠奪行為を「海賊行為」「私掠行為」「海軍による拿捕」という三種類に分けて分析する。「海賊行為」とは『公的権力の認可を得ずに船舶に対し無差別に行われる行為』(15頁)、「私掠行為」とは『海軍など公的機関に属さない私人の船が、戦時に公的権力の認可を得て、敵国(ときには中立国)の船舶に対して行う掠奪』(16頁)と定義され、これらとあわせて「海軍による拿捕」すなわち正規の海軍が商船を含む敵船の掠奪(拿捕)を行っていた点を含めている。
また、ヨーロッパ史における掠奪行為の性格として「加害的側面」「獲得的側面」という二つの側面があった点を指摘する。すなわち、掠奪の「加害的側面」として、掠奪が敵国経済の弱体化を目的とした軍事活動という性格を持ち、かつ正規の海軍力が不十分だった時期は私人による「私掠」も軍事力を補完する役割を担った。また、「獲得的側面」として、掠奪は経済的利得を目的とした行為であった点が重要であるという。私掠者であれ海賊であれ、掠奪によって入手した財を売却あるいは交換するという点で経済的な営みであった。
以上のような前提で、十六世紀から二十世紀初頭にかけてのイギリスにおける海上の掠奪(海賊/私掠/拿捕)行為に焦点を当てて略奪と交易との関係が共存から衝突へとダイナミックに展開していく歴史を描いている。
本書の構成としては、序章で上記のような掠奪、海賊、私掠などの用語を定義して本書の内容を概観し、1~3章で中世後期から十七世紀末まで、4~6章で掠奪が国家の管理下におかれて海賊が衰退する十八世紀を、7章でグローバル化を背景とした自由貿易思想の興隆が海賊行為だけでなく私掠をも駆逐して国際的に掠奪が違法化されていく過程を描き、終章で第一次世界大戦の勃発によって掠奪禁止の法制が一時崩壊し、戦後あらためて掠奪違法化が定着して現代へと至る流れを丁寧に整理している。
本書によれば、中世ヨーロッパで「報復的拿捕」と呼ばれる慣習があった。これは『私人が受けた損害を公的権力の認可のもとで実力で奪還する』(34頁)もので、中世の王権はこれを適正に管理することが出来ず容易に濫用された。「報復的拿捕」の体裁で行われた掠奪から海賊行為まで、海上における掠奪が特に(百年戦争中の)十四世紀から十五世紀にかけて横行することになった。この海上の無秩序状態を解消するため、報復的拿捕を管理・規制しようとする動きがテューダー朝時代に始まり、この報復的拿捕慣行を背景にしてエリザベス1世治世下で「私掠」制度が発展する。
よく、エリザベス1世は対スペイン戦争で海賊を活用して、スペインなど敵国から批判されても民間人が勝手にやったことと責任逃れした、などと言われることが多いが、本書を読むとむしろ、掠奪が横行する無秩序状態を解消する方策として私掠制度が誕生してきたことが分かる。合法的な管理された掠奪=私掠と非合法の掠奪=海賊との分化が始まり、実際後者の海賊行為に対しては厳格な態度で臨んだ。
しかし、私掠を対外戦争で大いに活用したこともまた事実である。当時、対スペイン戦争で民間船による掠奪を最初に始めたのがオランダであった。ネーデルラント独立戦争でネーデルラントの反乱諸州は「海乞食」と呼ばれる海上掠奪部隊を活用した。ネーデルラント側についたイングランドも対スペイン関係が悪化し対西戦争が勃発する。当時、スペインの領地は新大陸に広がり、自ずと戦線もヨーロッパから大西洋にかけての広い範囲に及んだ。財政難であったイングランド側にとって、非正規海上戦力の活用は急務で、そこで「私掠」許可を与えて経済的利得と引き換えに軍事力を提供させることにしたのである。
『エリザベス期の戦争は、政府が資本や人材、船舶などの面で、貴族やジェントリ層、大都市の商人層に依存して進められる「パートナーシップ」型に戦争という形態をとっていた。この方式には指揮系統の混乱を招くなど軍事的にはマイナス面も大きかったが、一方では貴族や商人から資本を引き出し、戦費を抑えつつ戦争を遂行できるという利点もあった。そしてそのような安上がりの戦争こそ、財政難に苦しむエリザベスが望んでいたことだったのである。』(59頁)
その担い手がジョン・ホーキンズやフランシス・ドレイクで、彼らについて本書では詳しく紹介されている。
私掠制度はイングランドで始まったが、フランス、スペイン、オランダ、スウェーデンなどヨーロッパの主要国でも広く活用された。掠奪活動は欧州諸国の海洋進出とともに大西洋、地中海、太平洋、インド洋と拡大し、地中海を中心にオスマン帝国の支援を受けたムスリムおよび欧州出身の改宗者らからなる私掠勢力「バルバリア」や、十七世紀にステュアート朝王権やジャマイカ植民地政府などを後ろ盾とした「バッカニア」、インド洋や紅海で掠奪を行っていた「紅海者」などが登場し、彼らの中には三度の世界周航を成し遂げ様々な博物学的発見を行ったウィリアム・ダンピアなど掠奪行為だけに留まらず歴史に大きな足跡を残した者も多く登場する。
しかし、十七世紀末頃から十八世紀半ばにかけて大西洋貿易の拡大と英西関係の改善などが進み、海軍力の伸長によって補完的な軍事力として私掠船が利用価値を失うと、私掠として認められることが少なくなって、非合法の海賊活動が再び盛んとなる。この例が有名な大海賊バーソロミュー・ロバーツや黒髭エドワード・ティーチで、このような海賊に対する鎮圧作戦が大規模に展開される一方、海軍による拿捕に関する法制度の整備が進み、掠奪は私人によるものから正規の海軍力を背景とした戦時法を根拠とする拿捕行為が中心となり、重商主義戦争の道具として活用されるようになる。その後、十八世紀後半に自由貿易思想が主流となると、掠奪行為そのものに対する批判が高まり、クリミア戦争後の1856年、パリ宣言で掠奪行為の原則的禁止が定められることになる。
「海賊」すなわち海上における掠奪という暴力が制度化されやがて非合法化していく歴史的展開を丁寧に追うことで、改めて暴力と権力の在り様を歴史的に考え、問い直す一冊となっており、非常に読みごたえがある。このような大局的観点からの分析だけではなく、もちろんタイトルから期待される様々な海賊・私掠者たちの生きざまも史料を丁寧に追って描いていて、楽しめる一冊となっている。
参考までに、本書に登場し、かつ解説に少なからず分量が割かれている海賊・私掠者を挙げると以下の通りだ。ジョン・ホーキンズ、フランシス・ドレイク、ジョン・ウォード、ヘンリ・モーガン、ヘンリ・エヴリ(エイヴリ)、ウィリアム・キッド、ヘンリ・ジェニングス、アン・ボニー、メアリ・リード、バーソロミュー・ロバーツ、エドワード・ティーチ、ウッズ・ロジャーズ、ウィリアム・ダンピア、アレクサンダー・セルカーク、ピーター・ウォレン(海軍提督)、ジョージ・アンソン(男爵)。他、簡単な解説や上記の関連人物として名前が挙がる人物も多数で、人物伝集としても十分に楽しめるだろう。
序 章 海洋と掠奪
第一章 掠奪者たち、大西洋に乗り出す――中世後期からエリザベス期の掠奪行為
第二章 同期する掠奪――ジェイムズ一世期の海賊とバッカニア
第三章 グローバル化する掠奪――紅海者の活動
第四章 海賊たちの黄昏
第五章 私掠者と掠奪
第六章 海軍と掠奪
第七章 自由貿易思想の興隆と私掠の廃止
終 章 第一次世界大戦の勃発とパリ宣言体制の崩壊