中世ヨーロッパの都市は十世紀頃から地中海沿岸の北イタリアと北海沿岸の低地地方(ネーデルラント)を中心に発展し、次第にヨーロッパ各地に広がった。本書は、ベルギー・オランダ中世史の第一人者であるベルギー・ヘント大学教授マルク・ボーネが十四~十五世紀のネーデルラントにおける都市の発展とブルゴーニュ公国の支配についてまとめた論文集である。
近世、覇権国家として君臨するオランダの諸都市がいかにして築かれていったか、中世後期、ホイジンガの「中世の秋」でも名高いブルゴーニュ公国の繁栄と、ブルゴーニュ公権力と都市との緊張関係が何を生み出したかが丁寧に描かれている。
本書は三つの論文で構成されている。
第一論文「中世後期ヨーロッパの都市 近代性の兆候と災禍”Cities in Late Medieval Europe : the Promise and the Curse of Midernity”」は西ヨーロッパ世界の中世都市史研究史が整理されている。
アンリ・ピレンヌに代表される十九世紀後半の中世都市を近代の自立した市民による民主制の萌芽と捉える楽観的な歴史理解が、第一次世界大戦の惨禍を経て問い直され、アナール学派に代表される農村研究の潮流と、諸個人の行動と都市の中のネットワークを重視するシカゴ学派の台頭があり、ドイツではマックス・ウェーバーが都市研究をリードするも、後にドイツの都市研究がファシズムに翼賛的になったことで衰退する。第二次大戦後、都市研究はフェルナン・ブローデルらアナール学派第二世代を中心としたフランスと、ハンス・プラーニッツやエディット・エンネンら法制史家を中心とする西ドイツで再興されるという過程がわかりやすくまとめられている。
その上で、『ヨーロッパの中世社会が実際に「民主的」であったかという古くからの議論は的外れである』(46頁)と切って捨て、現代の中世都市についての研究は『政治活動と公の討論の空間組織化、規則はいかに正統化されたか、どのような義務と権利が(中世都市の)「自治」にともなったのか、そして個人の権利と自由という問題』(46-47頁)の四つの論点によって行われるべきだとしている。
本論文で紹介されているマルク・ブロックとアンリ・ピレンヌがストックホルムを訪れたときのエピソードがとても魅力的だ。ストックホルムに到着するや否やピレンヌはブロックにどこに行こうかと問い、ブロックの返事を遮ってこう言ったという。
『もし私が古物の愛好家なら古いものしか興味をもたないだろう。だが、私は歴史家だ。だから私は(現在の)あらゆる生活を愛するのだ』(51頁)
第二論文「中世ネーデルラント 都市の「世界」か? ヨーロッパのコンテクストにおける都市史“The Medieval Low Countries, a Land of Cities? Urban History in a European Context”」は、既存の歴史観として根強い循環史観、単線的(進歩主義)史観、革命的変化(マルクス主義)史観が都市史研究の過程でそれぞれ及ぼした影響と相互の関係について整理した上で、近年は「都市の復元力」という主題が西ヨーロッパの中世都市に対する研究で重視されるようになっていることが紹介されている。
その上で、兄弟的組織を重視したウェーバーら中世社会の規範として共同主義を重視する見方をネーデルラントや北イタリアの都市を例にしながら再考している。
『都市は、住人諸個人の力を結集・結合する積極的な作用力を発揮しただけではない。同時に市民権を制約し、市場の新規参入者を規制し、自ら提供する社会的・法的・政治的保障の利用に制限を課していた。』(89頁)
『共同体とは何よりも優れて宗教的共同体であり、都市に属するということは、不信心者、異端者ではないことを意味していた。ここでも二様の性質が垣間見える。つまり、都市共同体はその構成員の間に結束を生み出し、それを強化するが、他方で、順応しない者は容赦なく排除する、ということである。』(91頁)
このような中世の都市空間の構築の過程とアイデンティティへの影響の例として、ヴァロワ・ブルゴーニュ家からハプスブルク家までの十四~十六世紀の歴代ブルゴーニュ公が都市内に築いた城砦の影響について論じられており、これが非常に面白い。歴代ブルゴーニュ公、特にシャルル突進公はネーデルラント諸都市を支配下に置く過程で各都市に君主の支配の象徴としての城を築くが、建設費用を課すことでの財政的負担と、政治的忠誠心の醸成との間で君主と都市のアイデンティティとの衝突が描かれている。都市のアイデンティティを揺るがせるかたちで築かれた城が、後のネーデルラント独立戦争ではむしろ都市の独立の象徴へと転換していくのがとても面白い。
第三論文「高度に都市化された環境のなかの君主国家 南ネーデルラントのブルゴーニュ公たち“A Princely State in a Highly Urbanized Environment : the Duke of Burgundy in the Southern Netherlands”」はブルゴーニュ公国と言う複合国家の形成過程が整理された論文である。ブルゴーニュ公国史は中世西欧史研究で今かなりホットな研究分野で、多くの論文が発表されているが、なかなか最近の学説を踏まえてまとめられている一般向けのブルゴーニュ公国史紹介がなかった。本論文は、その役割を充分に果たしているので、とてもお勧めである。
ブルゴーニュ公国はフランス王シャルル5世の弟フィリップ2世がフランス東部のブルゴーニュ公領とフランス北東部フランドル伯領を獲得したことでフランス最大の諸侯領として、十四世紀半ばに始まり、百年戦争下の混乱でフランス王家への臣従から離脱、フィリップ3世善良公の治世下で、イングランド王、フランス王と並ぶ三大勢力の一角としてキャスティング・ボートを握った。フィリップ3世はネーデルラントからアルザス・ロレーヌ地方へと支配を広げ、子のシャルル突進公の代にライン川沿岸にかつてのフランク中央帝国復興を目指して征服戦争を開始するが、1477年、ナンシーの戦いで戦死し、その娘マリーがハプスブルク家のマクシミリアン1世と結婚することで、ブルゴーニュ公国の築いた文化的・政治的遺産はハプスブルク家に受け継がれた。
ブルゴーニュ公国は「国家」だったのか?という議論から始まり、このブルゴーニュ公の支配体制の特徴や諸都市との関係が非常にわかりやすくまとめられている。序文として書かれた編訳者河原温氏のまとめが非常にわかりやすいので引用する。
『ブルゴーニュの君主たちは、彼らの権力の行使にあたって、社会学者ピエール・プルデューのいう経済資本、社会資本、文化資本についで、象徴資本を必要とした。君主の権威と正統性を得るために、君主たちとくにシャルル突進公のもとで行われた司法(メヘレン高等法院創設)と財政(会計院の一本化)における集権化の試みは、シャルルの戦死という結果を受けてネーデルラント都市側には受け入れられずに終わったが、その後の政治過程は、君主側が「くに」(領邦と都市)の福利に貢献し、市民社会の価値を尊重して賢明に振舞うかぎりにおいて、都市民側が君主の統治を受け入れるという「共和政的」政治システムを先取りするものであったことを示している。都市側のイデオロギーは、過去の時代に属する失われた大義を守ろうとするよりむしろ、政治的「近代」への道をブルゴーニュ複合国家後に見出そうとするものであったというのである。』(16頁)
ここの、ブルゴーニュ公シャルル突進公が支配体制の強化として築いた司法・財政さらには統一的な「全国議会」の設立が、後にスペインの支配に対する反抗と独立戦争の基盤となっていく過程に、歴史のダイナミズムがあると思う。
西ヨーロッパの中世都市研究の最前線を一望できるだけでなく、さらに現在熱い分野であるブルゴーニュ公国研究の成果も知ることが出来る、小冊子ながら非常に充実した一冊であった。論文だからといって身構えるほど難しいものではなく、平易な文章で深い内容を読むことが出来るので、中世ヨーロッパ史について興味を持つ人に広くお勧めできる。