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ヨーロッパ史(書籍)

「市民結社と民主主義 1750‐1914」シュテファン=ルートヴィヒ・ホフマン著

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アレクシ・ド・トクヴィルはアメリカの民主主義の特徴が市民の自発的な活動による様々なアソシエーションの存在に支えられていると指摘し、それに対して特にフランスを始めとする欧州の権威主義的体制下ではアメリカ(とイギリス)のような市民の結社活動が存在していないと批判し、結社の自由こそが最も重要な権利の一つであることを論じた。

しかし、実は民主主義体制をとらないロシアやハプスブルク君主国、プロイセン(ドイツ)などの諸国でも市民の自発的なアソシエーションは盛んに行われており、市民結社は18世紀半ば以降欧州諸国でも盛んに結成されて、19世紀にかけて大きな盛り上がりを見せていった。市民結社あっての民主主義、自由主義の伝統あっての市民結社というような通説から転じて、市民結社と民主主義との緊張関係が形作ってきた欧州の市民社会、という視点で啓蒙主義が台頭しはじめた1750年から第一次世界大戦の勃発する1914年までの期間を四期に分けて全体像を描く意欲的な論考。とてもおもしろかった。

十八世紀半ば、欧州は啓蒙主義の時代を迎えていた。中世的価値観を野蛮として道徳や徳性を強調する啓蒙主義者たちは社交へと情熱を傾ける。彼らは次々とフリーメーソンなどに代表されるような自発的な結社を作っていくが、それは全欧州と植民地にも広がるものだった。地球規模の人の行き来と市場経済の成立、そしてコミュニケーションが市民活動を支える。社交サークルはドイツ、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスなど各地で見られ始め、やがてアメリカ独立、フランス革命などを経て十九世紀初頭から自発的なアソシエーションが登場、1830~40年代に欧米で爆発的増加を見せ、欧州諸国家はそれを規制しようとする。

この時期から十九世紀末にかけて『アソシエーションは、啓蒙思想とその実践を自由主義や社会主義、ナショナリズムという当時の政治動向と結びつける役割を果たした。』(P139)結社は市民の自発的な活動であるという面で民主主義の実践の場であると同時に、『特定の社会基準や道徳基準に合致しない人びとを排除するメカニズムとしても作用したのである。』(P140)上流階級の結社は自由主義を唱えつつ女性や貧困者を排除したり、民族主義的、宗教的、社会改革的、共産主義的、などなど様々な結社が次々と作られた。人びとの民主化を促し、自由主義的思想を拡大させ、民主主義体制を支えつつ、一方で民主主義体制と鋭く対立し、例えばナポレオン三世などのような権威主義体制を歓呼で迎え、また差別と排除の構造を生み出してもいる。

特に、19世紀の結社をめぐる欧州の状況は現代の日本社会にも様々な示唆を与えるのではないかと思うので、簡単に本書から紹介しておこう。

19世紀前半の欧州の市民結社に共通するのはブルジョワ中産階級以上の上流階級が中心メンバーで貧困救済や自由と平等の実現など社会改革や道徳改善、宗教的な繋がりを目的とした団体が主だったが、その高い理念と裏腹に強い排他性を持っていた。『少なくとも三分の二以上の多数が必要な秘密投票と、高額な会費によって排他性を維持』(P54)し、さらに『身上調査、会長による事前選考、保証人の要求などがしばしばおこなわれ』(P54)、入会ではコネが重要であった。『入会を拒絶されることは、社会的な陶片追放と同じで、政治上のキャリアや職業上のキャリアをだいないしにしかねないことだったのである』(P53)。階級的マイノリティとともに排除されたのが女性で、『自発的アソシエーションは、公と私、男性の領域と女性の領域、社会経験を分ける手段とみなされ』、『男性のアソシエーションはすべてみな、「家庭生活と別のもの、家族の絆にかわる友愛の精神」を代表していたのである』(P55)ただし、徹底的な女性排除というわけではなく、祝祭などでの家族の参加など従属的な形での社交はおこなわれてはいた。

結社弾圧の時代から1848年の全欧州的な革命を経て1860年代になると、市民による結社の結成が大ブームとなる。これを支えたのがナショナリズムの広がりであった。19世紀前半に普遍的な目的を掲げてアソシエーションが次々と登場したが、これが全欧州・植民地にまで広がるとむしろ普遍主義は行き詰まりを見せ始める。排他的な結社同士での衝突が友愛から敵対へと変わるのに時間はかからない。

『ヨーロッパ的な規模で市場と人びとがますます絡みあうようになると、この現実面での普遍主義によって、市民社会の内部やあいだに、民族あるいは国民にもとづく境界をつくろうとする圧力が先鋭化した。それはまた、社交を通して道徳改善をはかるというリベラルな普遍主義の考えにも政治的圧力をくわえるものとなったのである』(P95)

十九世紀前半に財産や教養、階級、性別で引かれた境界線が、1860年代になると、国民や民族によっても分けられるようになった。あるボヘミアの合唱クラブは曲をチェコ語で歌うかドイツ語で歌うかを巡って対立し分裂、ドイツ語で歌ったグループはドイツ万歳と歌い、チェコ語で歌ったグループはチェコ最高と叫んだという。それまで意識されなかったドイツ人、チェコ人という境界が登場し、ただの趣味の結社を分裂させた。同様の傾向は欧州各地で見られるようになった。

『国民国家の出現によって、市民結社の実践者たちはヨーロッパのどこでも、普遍的友愛という高尚な理想主義よりも、誰が敵で誰が味方かを見わけることの方がもっと差し迫ったことと感じるようになったのである。』(P96)

しかし、ナショナリズムの台頭はむしろ国家と市民とをつなぎ合わせる役割も担った。国家の民主主義体制化、社会の自由主義化は愛国心に燃える様々な「国民」結社の活動によるものだ。特定の民族の排除を叫び、時に暴走して、ともに対立しあう一方で、市民のアソシエーション結成への情熱は増し、多様性のある市民社会の形成ともなった。

『市民結社どうしや、その政治、道徳理念のあいだで競争がはげしくなり、その結果、市民結社内部の紛争となったとしても、それは市民活動の衰退のあらわれではなく、むしろ民主化のしるしであった。市民結社は、もはや少数のエリートが道徳的指導権を確保し、彼らのいう社会調和を確実なものにしていくためのものではなく、むしろ政治要求を形成するための新しい形や制度に道をひらくものであった。「世紀末」の自由派や保守派の批評家たちが、協会活動にいれあげているとか「大衆」へのいかがわしい訴えとして軽蔑しているものは、市民社会がだんだんと民主化していった結果と見ることができる。たとえ、その民主化の結果が新たな紛争を引きおこし、競合する政治主体の争いがますます暴力的なものとなっていったとしてもである。』(P140-141)

自発的な結社の結成によって民主主義が育まれ、自由主義が広まったとしても、その過程で多くの血が流れたことにはかわりがない。暴力の応酬、闘争、革命、戦争、憎悪、排除、差別を生みながら、しかし、それらを糧にして市民社会が誕生していった。市民社会が国民国家を支えあるいは鋭く対立しながら、制度としての民主主義体制が広がり、その帰結として二つの巨大な戦争とファシズムの嵐とが世界を覆う。民主化のプロセスであるがゆえに必要な血であったか?否。血と暴力によって歴史が作られたのだとしても、再び同じ道を歩んではならない。そのために現代社会に生きる我々はどうするか、を考えるために大きく参考になる本の一つだと思う。

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