エドウィまたはエドウィグ(Eadwig,Edwy)は第四代イングランド王(在位955年11月23日-959年10月1日)。第二代イングランド王エドマンド1世の長子。既存の有力者たちを排除して王妃の一族を近臣に登用する急進的な人事で反発され、957年、弟エドガーがマーシアとノーサンブリアの王となり王国分裂の事態を招く。959年10月1日、わずか四年の治世で病死したためエドガー王の下で再統一された。ダンスタンら聖職者を排除したことで教会から敵視され悪評が多く書き残された。
イングランド王国初期
八世紀末から始まったヴァイキングのブリテン諸島侵攻に対し、ウェセックス王国がアングロ・サクソン諸国を糾合して対抗し、アルフレッド大王、エドワード古王、エセルスタン(またはアゼルスタン)王の三代かけてヴァイキング領(デーンロー)が征服、927年、イングランド王国が成立した。937年、最後のヨーク王グスフリスの子ダブリン王オーラフ・グスフリースソンがアルバ王コンスタンティン2世、ストラスクライド王オワインと同盟を結び、ノーサンブリア地方の旧領奪還を目指してイングランドへ侵攻したが、ブルナンブルフの戦いでイングランド軍が連合軍に大勝、周辺諸国の脅威が取り除かれイングランド王国の統一体制が確立した。
エドマンド1世即位直後の939年、ブルナンブルフの戦いで敗れてアイルランドのダブリンに逃がれていたオーラフ・グスフリースソンがヨークへ帰還、現地のデーン人の支持を受けてノーサンブリア(ヨーク)王に即位した。944年、エドマンド1世は再征服を完了したが、エドマンド1世の不慮の死により弟のエドレッド王が継ぐと再びノーサンブリア地方で今度は前ノルウェー王、エリック・ブラッドアクス(エリック血斧王)ことエイリーク・ハラルドソンが王に推戴され独立、以後、オーラフ・グスフリースソンの後継者オーラフ・シフトリクソンとイングランド王国との三勢力の間でノーサンブリアの支配体制が二転三転する。954年、エドレッド王によってノーサンブリア地方は征服され、イングランド王国成立以来繰り返されたノーサンブリア地方の動乱は終息した。
生涯
エドウィはエドマンド1世と最初の妻エルフギフ(Ælfgifu of Shaftesbury)との間の長男として940年頃生まれた。エドガーは実弟。946年、父エドマンド1世が亡くなった時点ではエドウィとエドガーの兄弟は幼く、エドマンド1世の弟エドレッドが即位した。955年11月23日、叔父エドレッド王が若くして病死しエドウィが跡を継ぐこととなった。
エドウィ王の治世については史料が少なくほとんど明らかでないが、彼が出した勅許状群からは即位後すぐに前王時代までの有力者たちの力を削ごうとしたことがわかっている。まず祖母エドギフの領土を没収し、イングランド南東部を中心に王家に次ぐ領地を持ち半王(ハーフ・キング)と呼ばれたイースト・アングリアのエセルスタンの一族が領していたマーシア南部やウェセックス中部を自らの近臣に与えた(1Hayden, Josh . “Charter Analysis and Reassessing the Reign of King Eadwig, 955-959.” Hampshire Archive Trust.)。さらに、957年にはエドレッド王時代に国政を担っていたグラストンベリー修道院長ダンスタンを国外追放処分とした(2大沢一雄(2012)『アングロ・サクソン年代記』朝日出版社、126頁)。彼らに代わって登用されたのが王妃エルフギフ(Ælfgifu)の一族であったという(3Miller, Sean . “Eadwig All-Fair, king of England (955 [cons. 26 January 956] – 1 October 959) (kingdom divided with Edgar, 957)“. anglo-saxons.net.)。
957年、弟エドガーが14歳でマーシアとノーサンブリアの王に即位しテムズ川以北をエドガー王が、テムズ川以南をエドウィ王が分割統治することとなった。このイングランド王国の分裂の原因や過程については記録がなくはっきりしないが、エドウィ王の急進的な人事政策への反発と考えられている。即位してすぐにエドガー王はフランドルに逃れていたダンスタンを呼び戻しウスター司教に任じた。958年、カンタベリー大司教オダはエドウィ王とエルフギフ妃が近親婚であるとして離婚を求め、エドウィは王妃と別れざるを得なくなった(4大沢一雄(2012)127頁)。エルフギフ妃の一族はウェセックス王エセルスタン1世の子孫の一族であると考えられている。分割統治体制後のエドウィ王の治世については不明だが、エドウィ王の権威が打撃を受けたとはいえ、少なくとも名目上はイングランド全土を支配していたことは明らかであるという(5Hayden, Josh . “Charter Analysis and Reassessing the Reign of King Eadwig, 955-959.” Hampshire Archive Trust.)。
959年10月1日、わずか四年の治世でエドウィ王は亡くなった。死因は不明だが病死であるとみられている。遺骸はウィンチェスターのニュー・ミンスターに埋葬された。エドウィ王が若くして亡くなったことでイングランド王国の決定的な分裂が回避されエドガー王の下で王権は再統一された。次代のエドガー王の治世下でアングロ・サクソン朝イングランド王国は安定した体制が確立され最盛期を迎えることとなる。
エドウィ王の評判
エドウィ王と対立したダンスタン司祭の同僚とされるイニシャルBの人物によって書かれた「聖ダンスタン伝(Vita S. Dunstani)」(995-1005年頃)にはエドウィ王が戴冠式の祝宴の最中に抜け出してエセルギフという女性とその娘と姦通しており、その現場に踏み込んだダンスタンが三人を叱責した。エセルギフは王妃エルフギフの母にあたり、この一件でダンスタンはエセルギフの恨みを買い、職を追われて国外追放されることになったという。同書ではエドウィ王の暗愚さも鋭く非難された。またヨーク大司教オスワルドの生涯を描いた伝記「聖オスワルド伝(Vita Oswaldi)」(997-1002年頃)でもエドウィ王が王妃とは別の女性と駆け落ちしようとしてカンタベリー大司教オダに悪行を止めるよう諌められたエピソードが紹介されている。これらエドウィ王と対立していた聖職者たちによって批判されたというエドウィ王の姦通や不品行のエピソードはマームズベリーのウィリアムら中世中期以降の歴史家たちによって受け継がれ不道徳で暗愚なイメージが定着した。
エルフギフ妃の兄弟でエドウィ、エドガー二代に仕えた有力貴族エセルウェアード(Æthelweard)が著した「エセルウェアード年代記(Chronicon Æthelweardi6エセルウェアードによる「アングロ・サクソン年代記」のラテン語訳本で原著にはない追記情報が多く記載されている)」(978-988年頃)にはエドウィを評して「その美貌ゆえに庶民からは”All-Fair”の異名で呼ばれた(7英語:”Because of his great handsomeness he was given the second name of ‘All Fair’ by the common people.”ラテン語原文” … prae nimia etenim pulchritudine Pancali sortitus est nomen a uulgo secundi.”英訳、ラテン語原文ともにThe Prosopography of Anglo-Saxon England (PASE) 参照)」との記述がある。All-FairのFairは「公平」ではなくfairの語源で「美しい」を意味する古英語fægerに対応するので、All-Fairで完全な、欠点がない美形といった意味になる。
参考文献
- 青山吉信(1991)『世界歴史大系 イギリス史〈1〉先史~中世』山川出版社
- 大沢一雄(2012)『アングロ・サクソン年代記』朝日出版社
- Brain, Jessica (2022).King Eadwig.Historic UK.
- Hayden, Josh . “Charter Analysis and Reassessing the Reign of King Eadwig, 955-959.” Hampshire Archive Trust.
- Keynes, Simon (2002). An Atlas of Attestations in Anglo-Saxon Charters, c. 670–1066. Cambridge, UK: Dept. of Anglo-Saxon, Norse, and Celtic, University of Cambridge, UK.
- Laynesmith, Joanna L (2014).ʻQueens, Concubines and the Myth of Marriage More Danico: Royal Marriage Practice in Tenth and Eleventh-Century England,ʼ The Reading Medievalist.
- Miller, Sean . “Eadwig All-Fair, king of England (955 [cons. 26 January 956] – 1 October 959) (kingdom divided with Edgar, 957)“. anglo-saxons.net.
- The Prosopography of Anglo-Saxon England (PASE)
- The ELECTRONIC SAWYER , Online catalogue of Anglo-Saxon charters.