ブレトワルダ
アイオナ修道院
アイオナ修道院(Iona Abbey)はスコットランドのヘブリディーズ諸島の一つアイオナ島にあった修道院。563年、アイルランド出身の修道士コルンバによって創建され、以後、各地に築かれたコルンバ派修道院の中心として栄えたが、九世紀頃から始まったヴァイキングの侵攻と破壊によって衰退した。十三世紀初頭、ベネディクト派修道院となるが、十六世紀、スコットランド宗教改革にともない解体された。二十世紀に信徒の...
ロビン・フッド伝説
ロビン・フッド(Robin Hood)は中世イングランドの伝説的なアウトローで、現代でも児童文学や映画、ドラマ、ゲーム、アニメなど多岐に渡るジャンルで親しまれている。 中世のロビン・フッド ロビン・フッドはまず中世のバラッドで唄われることで民衆の間に広まった。バラッドは中世ヨーロッパに広くみられた、吟遊詩人などを介して口伝えで広がる「物語唄」である。特に中世バラッドで人気を博したのが十五世紀前後に...
ボウディッカ/ブーディカ
ボウディッカ(Boudica)は一世紀半ば頃、現在のイングランド東部ノーフォーク地方を支配下ブリトン人部族イケニ族の女性君主。ボウディッカの他、ブーディカ、ボアディケアなどの名で知られる。夫はイケニ族の王プラスタグス。西暦60年または61年、他のブリトン人部族と連合してローマ帝国に対して反乱を起こした。ローマ植民市を相次いで焼き払い、ローマ軍を撃破して一時ブリテン島南部を席巻するが、属州総督スエト...
ルイ・ド・クート
ルイ・ド・クート(Louis de Coutes,1414年生-1483頃没)はジャンヌ・ダルクの身の回りの世話をした従卒。父はヌーヴィオン(Nouvion)とリューゲル(Rugles)の領主ジャン・ド・クート、母はカトリーヌ・ル・メルシエ。1429年3月から9月のパリ包囲戦のときまでジャンヌ・ダルクに仕え、後に復権裁判でジャンヌ・ダルクに関する多くの証言を残した。 ルイ・ド・クートの義兄弟にオル...
「ケルズの書」
「ケルズの書(Book of Kells)」は西暦800年前後アイルランドのケルズ修道院で完成した代表的な中世装飾写本の一つ。アイルランド・ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館(The Library of Trinity College Dublin)収蔵(Trinity College Dublin MS 58)。「リンディスファーン福音書」「ダロウの書」とともに三大写本の一つに数えられる。...
「神の平和」運動
「神の平和(ラテン語: Pax Dei, 英語:Peace and Truce of God, フランス語:Trêve de Dieu )」運動は10世紀~11世紀にかけてフランスで起きた宗教運動。カール大帝(シャルルマーニュ)死後、後継者争いによる内戦とヴァイキングの侵攻によってフランク王国が分裂・無秩序化した結果、新興領主・城主層が台頭、私闘(フェーデ)が相次いだことから、農民や聖職者など非戦...
カトゥウェッラウニ族
カトゥウェッラウニ族(Catuvellauni)はローマ帝国によるブリテン島征服時(西暦43年)に抵抗した部族連合の中心となった部族。紀元前一世紀後半頃から、テムズ川以北、現在のハートフォードシャー州周辺に勢力を持ち、クノベリヌス王(在位:西暦9年頃-40年頃)のころに周辺に支配を拡大して強勢を誇った。最後の王カラタクス(在位:43年頃-50年頃)はローマ軍の侵攻後、各地でゲリラ戦を展開し激しく抵...
クノベリヌス
クノベリヌス(ラテン語"Cunobelinus",西暦40年頃没)は一世紀前半、ブリテン島南東部の広い地域を支配したカトゥウェッラウニ族の王(在位:西暦9年頃-40年頃)。ローマ帝国の歴史家スエトニウスは「ブリトン人の王」と呼んだ()。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「シンベリン」の主要登場人物シンベリン王のモデルとされた人物である。 カトゥウェッラウニ族 カトゥウェッラウニ族はテムズ川以北、現在...
ユッセ城
ユッセ城(Château d’Ussé)はフランス中部、ロワール川の支流アンドル川沿いのリニー=ユッセにある城塞。1424年に初めて築城され1462年頃から1535年頃まで工事が進められた中世の城を基礎に、十七世紀半ばから十九世紀末までかけて宮殿として整備された。お伽話「眠れる森の美女」のモデルとなった城として知られる。「フランス歴史建造物」指定。ロワール渓谷の他の城とともにユネスコ世界遺産「シュ...
ゲルマン部族法典
ゲルマン部族法典(または初期ゲルマン法"Early Germanic Law")は五世紀から九世紀にかけてヨーロッパのゲルマン諸国家で制定されたゲルマン人の固有法群の総称。諸部族の慣習法を元にローマ法の影響を受けて編纂された。西ゴート王アラリック2世によって編纂された『アラリックの抄典(Breviarium Alarici)』や、フランク王クローヴィス1世によって編纂された『サリカ法典(Lex S...
「アグリコラ」(タキトゥスの著作)
「アグリコラ(ラテン語 ” De vita et moribus Iulii Agricolae” アグリコラの生涯と性格について)」は西暦98年頃、ローマの歴史家タキトゥスが自身の妻の父にあたるローマ帝国の軍人・政治家グナエウス・ユリウス・アグリコラについて著した伝記である。グナエウス・ユリウス・アグリコラは属州ブリタンニア総督としてスコットランド南部まで領土を拡大した華々しい軍事的成功を収めた...
クーシー城
クーシー城(Château de Coucy)はフランス・ピカルディ地方オー=ド=フランス地域圏エーヌ県にある中世城塞の遺構。ヨーロッパ最大規模の城塔で知られたが、第一次大戦中の1917年3月27日、ドイツ軍によって破壊された。 アンゲラン3世の築城 主要都市アミアンとランスの中間にあるクーシーは十世紀頃ランス大司教の支配下となり、920年頃、ランス大司教によって簡素な砦が築かれた。十一世紀後半、...
ジャン・ドーロン
ジャン・ドーロン(Jean d’Aulon,1390年生-1458年8月から9月頃没)は、百年戦争後期フランスの軍人。副官としてジャンヌ・ダルクを支え、オルレアン包囲戦からコンピエーニュの戦いまで最も長く側にいた代表的な戦友である。1415年にミシュレット・デジュルサン(Michelette des Ursins)と結婚、1428年にエレーヌ・ド・ムーリオン(Hélène de Mauléon)と...
エディントンの戦い(878年)
エディントンの戦い(Battle of Edington)またはエサンダンの戦い(Battle of Ethandun or Eðandun)は、878年5月上旬、アルフレッド大王が率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。戦後、ウェセックス王国とヴァイキング勢力の指導者グスルムとの間で休戦と両国間の領土が画定され、イングランドはアン...
バドン山(モンス・バドニクス)の戦い
バドン山の戦い(Battle of Mount Badon)またはモンス・バドニクスの戦い(Battle of Mons Badonicus)、あるいはモンス・バドニスの戦い(Battle of Mons Badonis)は五世紀後半から六世紀前半の間のある時期、ブリテン島でブリトン人の軍勢とサクソン人の軍勢が戦いブリトン軍が勝利した戦い。この戦いの結果サクソン人の侵攻は一時停滞したとされるが、史...
ローマン・ブリテン年表
グレートブリテン島の大部分がローマ帝国の占領下にあった時代「ローマン・ブリテン(Roman Britain)」の年表。 ローマン・ブリテン年表 西暦 できごと 前55年 第一次ユリウス・カエサルのブリタニア侵攻 前54年 第二次ユリウス・カエサルのブリタニア侵攻、カッシウェッラウヌス王、ローマ軍に降伏 前51年頃 アトレバテス族のコンミウス王、ブリテン島へ逃亡 前30年頃 コンミウス王、カッレウァ...
ラヌルフ・ド・グランヴィル
ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190)はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で、宰相にあたる行政長官(Chief Justiciar)を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成立初期の裁判手引書「イングランド王国の法と慣習(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)」の著者と見...
「肥沃な三日月地帯」
「肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent)」とは古代オリエント史において、ペルシア湾からメソポタミア、シリア、エジプトにかけての南側に開いた、農耕に適した地理的・気候的条件を満たして人類最初の農耕に基づく都市文明が築かれた三日月状の地域を指す。 「元来はメソポタミアからシリア・パレスティナ、そしてナイル川流域にかけての古代都市文明が栄えた地帯をさしていた。農耕文化の起源に関する調査が進...
グナエウス・ユリウス・アグリコラ
グナエウス・ユリウス・アグリコラ(Gnaeus Julius Agricola,40年6月13日生-93年8月23日没)はローマ帝国の軍人・政治家。ローマ属州ブリタンニア総督としてウェールズ、イングランド北部、スコットランド南部を征服しブリテン島におけるローマ帝国の支配領域を最大化した。義理の息子で歴史家のタキトゥスが著した彼の伝記「アグリコラ」によってその事績が広く知られている。 出生 グナエウ...
コルチェスター城
コルチェスター城(Colchester Castle)は英国エセックス州の主要都市コルチェスターにある中世の城塔。コルチェスター市にかつてあった古代ローマ属州時代の都カムロドゥヌムの遺構の資材を再利用して、イングランド王ウィリアム1世の命で1076年から1100年頃にかけて方形の天守塔(キープ)が築かれた。現在はコルチェスター博物館となっている。 ローマ帝国ブリタニア属州の都カムロドゥヌム コルチ...
アトレバテス族
アトレバテス族(Atrebates)は紀元前一世紀頃フランス・アルトワ地方にいたベルガエ人部族。紀元前50年代、コンミウス王がユリウス・カエサルのガリア戦争に協力して勢力を拡大したが、紀元前52年、ウェルキンゲトリクスの反乱に際してローマ軍と戦い敗北、ブリテン島へ逃れてブリテン島南部に勢力を確立した。西暦40年代、カトゥウェッラウニ族の圧迫を受けたウェリカ王がクラウディウス帝の下へ亡命したことがロ...