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人物

ジャン・パスクレル

ジャン・パスクレル(Jean Pasquerel,生没年不明)はジャンヌ・ダルクに同行した聴罪司祭。バイユーの聖アウグスチノ修道会派に属する。オルレアン包囲戦に出発する直前の1429年4月から、コンピエーニュでジャンヌ・ダルクが捕らえられる1430年5月24日まで彼女の傍にいて彼女の告解を聞き、相談役となった。またジャンヌ・ダルクの書簡の多くを彼が代筆している。 ジャンヌ・ダルクとの出会い ジャン...
人物

ハンムラビ王

ハンムラビ王(前1792年~1750年)はバビロン第一王朝六代目の王。ウル第3王朝以来約250年ぶりにメソポタミアを統一して、『ハンムラビ「法典」』の編纂や大規模な運河開削・灌漑事業の実施など古バビロニア王国の草創者となった。 「ウル第三王朝」滅亡後のメソポタミア メソポタミアでは紀元前三千年頃からシュメール人都市国家が群雄割拠した「初期王朝時代」、アッカド人による統一王朝「アッカド王朝時代...
ヨーロッパの城

カーナーヴォン城

カーナーヴォン城(またはカナーヴォン城/英語” Caernarfon Castle”/ウェールズ語カステス・カエルナルヴォン” Castell Caernarfon”)はウェールズ北部グウィネズ州にある中世の城。イングランド王エドワード1世がウェールズ地方を征服した後、1283年から1292にかけて城塞建築家マスター・ジェイムズに命じて築かせた。コンウィ城、ハーレック城、ビューマリス城とともにユネ...
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人物

エドワード証聖王(イングランド王)

エドワード証聖王(” Edward the Confessor “、1003年頃生-1066年1月5日没)は十一世紀のイングランド王(在位1042年6月8日-1066年1月5日)。聖エドワード。父はイングランド王エゼルレッド2世、母はノルマンディー公リシャール1世の娘エマ・オブ・ノルマンディー。その強い信仰心と敬虔な振る舞いから証聖王と呼ばれた()。デーン人の王朝「北海帝国」最後の王ハーザクヌート...
文化・芸術

「ウルクの大杯」

「ウルクの大杯(英語 “ Warka Vase ” )」はウルク市の遺跡から発見されたウルク期(前3500~3100年頃)後期からジュムデト・ナスル期(前3100~2900年頃)にかけての時期に作られたとみられるアラバスター製の大きな容器。1933~34年のドイツ隊による発掘調査で、ウルク市の女神イナンナを祀る神殿を中心としたエアンナ聖域地区のジュムデト・ナスル期の宝物庫で発掘された。 高さ約一...
地理・地域

「肥沃な三日月地帯」

「肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent)」とは古代オリエント史において、ペルシア湾からメソポタミア、シリア、エジプトにかけての南側に開いた、農耕に適した地理的・気候的条件を満たして人類最初の農耕に基づく都市文明が築かれた三日月状の地域を指す。 「元来はメソポタミアからシリア・パレスティナ、そしてナイル川流域にかけての古代都市文明が栄えた地帯をさしていた。農耕文化の起源に関する調査が...
年表・時代史

ローマン・ブリテン年表

グレートブリテン島の大部分がローマ帝国の占領下にあった時代「ローマン・ブリテン(Roman Britain)」の年表。 ローマン・ブリテン年表 西暦 できごと 前55年 第一次ユリウス・カエサルのブリタニア侵攻 前54年 第二次ユリウス・カエサルのブリタニア侵攻、カッシウェッラウヌス王、ローマ軍に降伏 前51年頃 アトレバテス族のコンミウス王、ブリテン島へ逃亡 前30年頃 ...
事件・軍事

エディントンの戦い

エディントンの戦い(Battle of Edington)またはエサンダンの戦い(Battle of Ethandun or Eðandun)は、878年5月上旬、アルフレッド大王が率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。戦後、ウェセックス王国とヴァイキング勢力の指導者グスルムとの間で休戦と両国間の領土が画定され、イングランドはアン...
人物のリスト

歴代イギリス君主の一覧

ここでは1707年のグレート・ブリテン王国成立による政治的統合以来、2022年9月11日現在までに誕生した13人のイギリスの君主を一覧にしている。ここでいうイギリスとはグレート・ブリテン王国(1707年5月1日-1800年12月31日)、グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国(1801年1月1日-1922年12月6日)、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(1922年12月6日-現...
事件・軍事

ビーファハウツフェルツの戦い

ビーファハウツフェルツの戦いまたはベヴェルフーツヴェルドの戦い(オランダ語” Slag op het Beverhoutsveld ”,英語” Battle of Beverhoutsveld ”)は1382年5月3日、フィリップ・ファン・アルテフェルデ率いるヘント市軍がブリュージュ(ブルッヘ)市近郊(現在のベルギー王国フランデレン地域ウェスト=フランデレン州)でフランドル伯に与するブリュージュ市...
ヨーロッパの城

アンジェ城

「アンジェ城(Château d’Angers)」はフランスのペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ=エ=ロワール県アンジェ市にある中世城塞。十世紀末頃、アンジュー伯フルク3世によって築城され、1230年代、フランス王ルイ9世治世下で現在の城が築かれた。17個の円形の塔を持つ特徴的な城壁と、十四世紀に作られた「黙示録のタペストリー」で名高い。世界文化遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワ...
人物

ロジャー・オブ・ソールズベリー(ソールズベリー大司教)

ロジャー・オブ・ソールズベリー(Roger of Salisbury,?-1139)はヘンリ1世(在位1100-1135)によって新設された国政を統括する行政長官(”Chief Justiciar” 在任1101-1139)に抜擢され、中世イングランドの行政機構の土台を築いた。ソールズベリー大司教(在任1102-1139)。 ヘンリ1世による抜擢 元はノルマンディー地方カーンの近くにある小さな...
人物

フィリップ・ド・コニャック

フィリップ・ド・コニャック(フランス語”Philippe de Cognac”)はイングランド王リチャード1世の庶子。後にフィリップ・ザ・バスタード(Philip the Bastard)の名でウィリアム・シェイクスピアの史劇「ジョン王」の主要登場人物として描かれた。1180年頃生-1201年以降没。 フィリップ・ド・コニャックの生涯 フィリップ・ド・コニャックについてわかっていることは非常に少な...
政治・経済

臣従礼

中世ヨーロッパでは封建的主従関係を結ぶ際に「臣従礼(オマージュ” hommage, homage ”)」という儀礼が行われた。 『臣従礼とは中世西欧において封建的な主君と家臣の関係を正式に設定し、このことを可視的に公示する儀礼である。それは主君と家臣の間の封建的契約関係を設定する儀式とも考えられる。』() フランス中部をはじめヨーロッパの大部分で行われたが、イタリアなどには存在せず、南フランスでも...
人物

カッシウェッラウヌス

カッシウェッラウヌス(Cassivellaunus、カッシウェラウヌス)は「ガリア戦記」に登場する、カエサルの第二次ブリテン島侵攻(紀元前54年)でブリトン人諸部族を糾合して抵抗戦争を指揮したブリトン人指導者。「ガリア戦記」には彼の部族名は明記されていないが、テムズ川以北を領土としていたとあり()、これが後のクラウディウス帝のブリテン島征服時に名が挙がるカトゥウェッラウニ族の版図に相当することから...
人物

ダンカン1世(スコットランド王)

ダンカン1世(Duncan I , 1001年頃生-1040年8月14日没)は十一世紀初めのアルバ(スコットランド)王。在位1034年11月25日-1040年8月14日。前王マルカム2世の娘ベソックとアソル領主ダンケルド修道院長クリナンの間の子。 生涯 即位まで 即位前のダンカンについてはよくわかっていない。十四世紀スコットランドの聖職者ジョン・オブ・フォーダンが1384年頃に著した「スコット...
国・王朝・民族

ピクト人

ピクト人(英語:Picts、ラテン語:Picti)はフォース川以北のスコットランド東部から北部にかけてローマ帝国のブリテン島侵攻以前から先住していた諸部族の総称で、ローマ帝国に対抗した先住諸部族の連合体から発展して政治的文化的統一を果たしたと考えられている。ピクト人の名称は三世紀頃からローマ人が用いるようになったもので「彩色された(刺青のある)人々」の意味。七世紀頃、有力部族の一つフォルトリウ族を...
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