Kousyou

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ヨーロッパの城

ボディアム城

ボディアム城(Bodiam Castle)は1385年、イングランド王エドワード3世・リチャード2世に仕えた騎士エドワード・ダリングリッジによって現在のイースト・サセックス州ロバーツブリッジ近郊に築かれた中世城塞である。ロザー川から引かれた水を充分に湛えた濠で囲まれた水城で、水面に浮かぶ美しい佇まいから非常に人気の観光スポットとなっている。 築城 城を築いたエドワード・ダリングリッジ(” ...
建築

アイオナ修道院

アイオナ修道院(Iona Abbey)はスコットランドのヘブリディーズ諸島の一つアイオナ島にあった修道院。563年、アイルランド出身の修道士コルンバによって創建され、以後、各地に築かれたコルンバ派修道院の中心として栄えたが、九世紀頃から始まったヴァイキングの侵攻と破壊によって衰退した。十三世紀初頭、ベネディクト派修道院となるが、十六世紀、スコットランド宗教改革にともない解体された。二十世紀に信徒の...
人物

ユーグ・カペー(フランス王)

ユーグ・カペー(仏"Hugues Capet")はカペー朝初代のフランス王(在位987年7月3日~996年10月22から25日の間)。西フランク王国の有力諸侯ロベール家の当主ユーグ・ル・グランの長男として生まれた。生年には、家督相続した956年に17歳であったとする説と15歳であったとする説の二説()があり、939年ないし941年頃と考えられている。 ロベール家の台頭 ロベール家は、もともと...
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政治・経済

アルマニャック派

アルマニャック派(Armagnacs)は1410年のフランスで台頭するブルゴーニュ公ジャンへの対抗としてオルレアン公シャルル、アルマニャック伯ベルナール7世、ベリー公ジャンら有力諸侯が結成した反ブルゴーニュ公派同盟。イングランド軍の侵攻後は、王太子シャルル(のちのシャルル7世)を擁してブールジュを本拠地とした勢力の総称となった。名称の由来は主力となった南フランスの有力諸侯アルマニャック伯から。14...
建築

ジッグラト

「ジッグラト”Ziggurat”」または「ジックラト”Ziqqurat”」(アッカド語ジックラトゥ” ziqquratu”)は古代メソポタミアで都市の中心となる聖域に建てられた複数層からなる宗教的建造物のこと。「高きこと」あるいは「頂上」を意味するアッカド語に由来し()、シュメール語ではウニル” U₆.NIR”()と呼ばれ、日本語訳の際は「聖塔」の語があてられることが多い。 ジッグラトの誕生 ...
事件・軍事

アッシュダウンの戦い

アッシュダウンの戦い(Battle of Ashdown)は、871年1月8日、ウェセックス王エゼルレッドと弟アルフレッドが率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。 前段階 八世紀末から始まるヴァイキングの活動は九世紀半ばから本格化した。850年代までは個々の集団がブリテン諸島から大陸沿岸にかけて襲撃や略奪を行っていたが、865年、...
ヨーロッパの城

コンウィ城

コンウィ城(英語”Conwy Castle”/ウェールズ語” Castell Conwy”カステス・コヌゥイ)は英国ウェールズ地方北部コンウィにある中世の城塞。1283年から築城が開始され1287年に完成した。1986年、コンウィ城と市壁に囲まれた城塞都市が他の三城とあわせてユネスコ世界文化遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群(Castles and Town Walls of King...
ヨーロッパの城

クーシー城

クーシー城(Château de Coucy)はフランス・ピカルディ地方オー=ド=フランス地域圏エーヌ県にある中世城塞の遺構。ヨーロッパ最大規模の城塔で知られたが、第一次大戦中の1917年3月27日、ドイツ軍によって破壊された。 アンゲラン3世の築城 主要都市アミアンとランスの中間にあるクーシーは十世紀頃ランス大司教の支配下となり、920年頃、ランス大司教によって簡素な砦が築かれた。十一世紀後...
宗教・神話・伝承

ロビン・フッド伝説

ロビン・フッド(Robin Hood)は中世イングランドの伝説的なアウトローで、現代でも児童文学や映画、ドラマ、ゲーム、アニメなど多岐に渡るジャンルで親しまれている。 中世のロビン・フッド ロビン・フッドはまず中世のバラッドで唄われることで民衆の間に広まった。バラッドは中世ヨーロッパに広くみられた、吟遊詩人などを介して口伝えで広がる「物語唄」である。特に中世バラッドで人気を博したのが十五世紀前後に...
人物のリスト

歴代イギリス君主の一覧

ここでは1707年のグレート・ブリテン王国成立による政治的統合以来、2022年9月11日現在までに誕生した13人のイギリスの君主を一覧にしている。ここでいうイギリスとはグレート・ブリテン王国(1707年5月1日-1800年12月31日)、グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国(1801年1月1日-1922年12月6日)、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(1922年12月6日-現...
ヨーロッパの城

シャトー・ディフ

シャトー・ディフ(仏: Château d’If)またはイフ城はプロヴァンス地方の主要都市マルセイユ沖のイフ島にある十六世紀の城。1540年頃から1871年()まで刑務所として使われ、アレクサンドル・デュマの冒険小説 「モンテ・クリスト伯」 の舞台として有名となった。 築城まで シャトー・ディフは1520年代にフランス王フランソワ1世の命でマルセイユ沖にあるラトノー(Ratonneau)島など...
人物

ゴドウィン(ウェセックス伯)

ウェセックス伯ゴドウィン(” Godwin, Earl of Wessex”、生年不明-1053年4月15日没)はクヌート大王によってウェセックス伯(在位:1020-53)に抜擢され、クヌート、ハロルド1世、ハーザクヌート、エドワード証聖王の四代のイングランド王の下で権勢を誇った新興の有力貴族。エドワード証聖王の妃エディス、イングランド王ハロルド2世の父。 ゴドウィン家の起源 ゴドウィンが史料に初...
事件・軍事

ビーファハウツフェルツの戦い

ビーファハウツフェルツの戦いまたはベヴェルフーツヴェルドの戦い(オランダ語” Slag op het Beverhoutsveld ”,英語” Battle of Beverhoutsveld ”)は1382年5月3日、フィリップ・ファン・アルテフェルデ率いるヘント市軍がブリュージュ(ブルッヘ)市近郊(現在のベルギー王国フランデレン地域ウェスト=フランデレン州)でフランドル伯に与するブリュージュ市...
人物

エドワード証聖王(イングランド王)

エドワード証聖王(” Edward the Confessor “、1003年頃生-1066年1月5日没)は十一世紀のイングランド王(在位1042年6月8日-1066年1月5日)。聖エドワード。父はイングランド王エゼルレッド2世、母はノルマンディー公リシャール1世の娘エマ・オブ・ノルマンディー。その強い信仰心と敬虔な振る舞いから証聖王と呼ばれた()。デーン人の王朝「北海帝国」最後の王ハーザクヌート...
宗教・神話・伝承

トゥルッフ・トゥルウィス

トゥルッフ・トゥルウィスまたはトゥルッフ・トルウィス(ウェールズ語” Twrch Trwyth”)はウェールズの伝承「マビノギオン」収録の最古のアーサー王物語「キルフーフとオルウェン」に登場する猪の怪物。アルスル(アーサー王)戦士団と激しい戦いを繰り広げた。 「ブリトン人の歴史」の豚トロイント ネンニウス著と伝わる九世紀の歴史書「ブリトン人の歴史” Historia Brittonum”」の7...
社会・法

ゲルマン部族法典

ゲルマン部族法典(または初期ゲルマン法"Early Germanic Law")は五世紀から九世紀にかけてヨーロッパのゲルマン諸国家で制定されたゲルマン人の固有法群の総称。諸部族の慣習法を元にローマ法の影響を受けて編纂された。西ゴート王アラリック2世によって編纂された『アラリックの抄典(Breviarium Alarici)』や、フランク王クローヴィス1世によって編纂された『サリカ法典(Lex S...
人物

マンドゥブラキウス

マンドゥブラキウス(Mandubracius)は紀元前一世紀半ば頃のブリテン島の部族トリノウァンテス族の王。カッシウェッラウヌスに圧迫され、ユリウス・カエサルの第二次ブリテン島侵攻(前54年)の際はカエサルに庇護を求めた。 生涯 ユリウス・カエサルの「ガリア戦記” De Bello Gallico”」によれば、カッシウェッラウヌスによって父王()が殺されたため、カエサルの下に逃れていた。紀元前...
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