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事件・軍事・戦争

ワット・タイラーの乱(1381年)

「ワット・タイラーの乱(Wat Tyler's Rebellion)」は1381年6月、イングランド王国で人頭税導入に反対して元兵士のワット・タイラーや聖職者ジョン・ボールらに率いられた農民たちが蜂起した事件。英語ではシンプルに"Peasants' Revolt"(農民の反乱)の名で呼ばれることが多い。同時期フランスでおきたジャックリーの乱(1358年)などとともに、中世後期を代表する農民反乱であ...
ヨーロッパの城

ヘースティングズ城

ヘースティングズ城(Hastings Castle)は英国イースト・サセックス州ヘースティングズにあった城。ノルマン・コンクエストに際し、後のイングランド王ウィリアム1世がブリテン島に最初に築いた城である。現在は廃城となり遺構の一部が残るに留まっている。 ノルマン・コンクエストと築城 1066年、イングランド王エドワード証聖王死後、ハロルド・ゴドウィンソンの王位継承に異を唱えるノルマンディー公ギヨ...
事件・軍事・戦争

アッシュダウンの戦い(871年)

アッシュダウンの戦い(Battle of Ashdown)は、871年1月8日、ウェセックス王エゼルレッドと弟アルフレッドが率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。 前段階 八世紀末から始まるヴァイキングの活動は九世紀半ばから本格化した。850年代までは個々の集団がブリテン諸島から大陸沿岸にかけて襲撃や略奪を行っていたが、865年、...
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政治・経済

アルマニャック派

アルマニャック派(Armagnacs)は1410年のフランスで台頭するブルゴーニュ公ジャンへの対抗としてオルレアン公シャルル、アルマニャック伯ベルナール7世、ベリー公ジャンら有力諸侯が結成した反ブルゴーニュ公派同盟。イングランド軍の侵攻後は、王太子シャルル(のちのシャルル7世)を擁してブールジュを本拠地とした勢力の総称となった。名称の由来は主力となった南フランスの有力諸侯アルマニャック伯から。14...
人物

ジャン・パスクレル

ジャン・パスクレル(Jean Pasquerel,生没年不明)はジャンヌ・ダルクに同行した聴罪司祭。バイユーの聖アウグスチノ修道会派に属する。オルレアン包囲戦に出発する直前の1429年4月から、コンピエーニュでジャンヌ・ダルクが捕らえられる1430年5月24日まで彼女の傍にいて彼女の告解を聞き、相談役となった。またジャンヌ・ダルクの書簡の多くを彼が代筆している。 ジャンヌ・ダルクとの出会い ジャン...
人物

ユーグ・カペー(フランス王)

ユーグ・カペー(仏"Hugues Capet")はカペー朝初代のフランス王(在位987年7月3日~996年10月22から25日の間)。西フランク王国の有力諸侯ロベール家の当主ユーグ・ル・グランの長男として生まれた。生年には、家督相続した956年に17歳であったとする説と15歳であったとする説の二説()があり、939年ないし941年頃と考えられている。 ロベール家の台頭 ロベール家は、もともとライン...
人物

ノーサンブリアのエドウィン(デイラとバーニシアの王)

エドウィン(英語:Edwin,古英語:Ēadwine,586年頃生-633年10月12日没)は七世紀始め、ノーサンブリア地方一帯を支配した君主。586年頃、デイラ王国のエッレ王の子として生まれたが、604年頃、バーニシア王エセルフリスによってデイラ王国が征服されたため亡命し、イースト・アングリア王国のレドワルド王に助けを求め、616年または617年、アイドル川の戦いでイースト・アングリア軍がバーニ...
人物

エドワード証聖王(イングランド王)

エドワード証聖王(” Edward the Confessor “、1003年頃生-1066年1月5日没)は十一世紀のイングランド王(在位1042年6月8日-1066年1月5日)。聖エドワード。父はイングランド王エゼルレッド2世、母はノルマンディー公リシャール1世の娘エマ・オブ・ノルマンディー。その強い信仰心と敬虔な振る舞いから証聖王と呼ばれた()。デーン人の王朝「北海帝国」最後の王ハーザクヌート...
ヨーロッパの城

ガイヤール城

「ガイヤール城(Château-Gaillard , シャトー=ガイヤール)」はフランスのノルマンディー地域圏ウール県レザンドリー(Les Andelys)にある城塞。イングランド王リチャード1世によって1196年から98年にかけて約二年で築城された大規模城塞で、リチャード1世死後の1204年、フランス王フィリップ2世の包囲によって占領された。 ノルマンディーを巡る対立 1066年、ノルマンディー...
宗教・神話・伝承

聖女マルタ伝説

マルタ(Martha)は新約聖書に登場し、イエスの友人ラザロとマリアの姉妹で、エルサレム近郊の町ベタニアに住むことからベタニアのマルタと呼ばれる。アラム語でマルタ” מַרְתָּא Martâ”()は「婦人」「女主人」を意味する()。後にキリスト教の守護聖人として各地で信仰を集める。祝日は東方教会6月4日、西方教会7月29日。 新約聖書のマルタ 新約聖書「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」...
歴史的文書

「アングロ・サクソン年代記」

「アングロ・サクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)」はアルフレッド大王治世下の九世紀末、当時、残っていた古い記録や文書、民間の伝承を集め、デーン人の侵攻を中心に同時代の記録を追加されて編纂が始められた年代記形式の歴史書。後に複数の写本が作られて各地の教会や修道院でそれぞれ書き継がれ、これらの写本類をあわせると、西暦0年から1154年までの記録が残されている。複数の写本で構成さ...
事件・軍事・戦争

エレンダンの戦い(825年)

エレンダンの戦い(Battle of Ellendun)またはエランドン/エランダンの戦い(Battle of Ellandun)は、825年、ウェセックス王国とマーシア王国の間で行われた戦い。ウェセックス王国の勝利に終わり、ブリテン島南部のアングロ・サクソン諸王国に対するマーシア王国の覇権を終わらせてウェセックス王国の優位を確立した。このあとマーシア王国を占領したウェセックス王エグバートはブレト...
人物

ソールズベリーのロジャー(ソールズベリー大司教)

ロジャー・オブ・ソールズベリー(Roger of Salisbury,?-1139)はヘンリ1世(在位1100-1135)によって新設された国政を統括する行政長官(”Chief Justiciar” 在任1101-1139)に抜擢され、中世イングランドの行政機構の土台を築いた。ソールズベリー大司教(在任1102-1139)。 ヘンリ1世による抜擢 元はノルマンディー地方カーンの近くにある小さな礼拝...
事件・軍事・戦争

ウィンウェドの戦い(655年)

ウィンウェドの戦い(Battle of the Winwaed)は655年11月15日、マーシア王ペンダ率いる諸国連合軍とバーニシア王オスウィウ(オズウィ)の間で戦われオスウィウ王が勝利した戦い。ペンダ王始め多くの君主諸侯が戦死した。戦後ノーサンブリア地方のバーニシア王国とデイラ王国という2つのアングル人国家が統合されて名実ともに統一ノーサンブリア王国が成立し、八世紀前半までノーサンブリア王国はブ...
社会・法

御猟林法/御猟林憲章(イングランド)

イングランドを征服したウィリアム1世は国内の森林や狩猟地を王家の直轄地「御猟林(Royal Forest)」()として定め、御猟林指定地域での狩猟と樹木の伐採を禁じ、身体刑を含む厳罰を科した。ヘンリ1世によって法制化され、1217年、マグナ・カルタの調印に伴い「御猟林憲章(Forest Law)」という独立した憲章として公布された。以後、1971年に廃止されるまで754年間、英国史上最も長く効力を...
人物

ノーサンブリアのオスワルド(バーニシアとデイラの王)

オスワルド(またはオズワルド、英語:Oswald, 604年頃生-641または642年8月5日没)は七世紀始め、ノーサンブリア地方一帯を支配した君主。604年頃、バーニシア王国のエセルフリス王の子として生まれたが、616年または617年、アイドル川の戦いで父エセルフリスが戦死、デイラ王に即位したエドウィン王によってバーニシア王国が征服されたため弟オスウィウとともにアイオナ修道院に逃れた。634年、...
人物

チェアディッチ(ウェセックス王)

チェアディッチ(Cerdic)は六世紀頃にブリテン島で活動していた人物。同時代史料がなく九世紀末以降の文献にしか登場しないため実在していたか否かはっきりしないが、のちにイングランド王国へ発展するウェセックス王国の建国者とされる。歴代のウェセックス王・イングランド王は彼の末裔であると主張した。 「アングロ・サクソン年代記」の記述 九世紀後半にウェセックス王アルフレッドの命で編纂が開始された「アングロ...
年表・時代史

ジャンヌ・ダルク活動年表

1412~1428年   年代 事項 1412年1月6日 ジャンヌ・ダルク誕生 1415年10月25日 アジャンクールの戦い(フランス軍壊滅) 1419年9月10日 ブルゴーニュ公ジャン無怖公暗殺、嫡子フィリップ3世が継承 1420年5月21日 トロワ条約 1422年8月31日 イングランド王ヘンリ5世没、ヘンリ6世即位 1422年10月21日 シャルル6世没、ヘンリ6世フランス王を兼ねる 142...
ヨーロッパの城

チリンガム城

チリンガム城(Chillingham Castle)は、イングランドのノーサンバーランド州北部チリンガム村にある十三~十四世紀頃に築かれた城塞。幽霊伝説の城として有名で、心霊スポットとして人気となっている。 Social Media Chillingham Castle from EC Media on Vimeo. 築城 イングランド王国の北辺、スコットランド王国との境界近くに位置するチリンガム...
社会・法

従士制

従士制とは何か 古ゲルマン社会の部族には王制と共和制のものがあり、前者は一名の王が、後者は複数の首長(プリンケプス)が指導的立場に立ち、世襲貴族の下に貴族の子弟や自営農民などからなる自由民、奴隷などの非自由民の諸身分が存在する社会を構成していた。自由民男子は武装を認められて、王・首長や貴族の統率下に入り従士団を形成した。シュルツェによれば従士団は以下のように定義される。 『歴史学でいう従士団とは、...
国・王朝・民族

ミタンニ王国

ミタンニ(ミッタニ)王国("Mitanni or Mittani")は前二千年紀後半、紀元前十五世紀頃から前十三世紀半ば頃までイラク北部から地中海東岸にかけての地域を支配下に置いていた古代帝国。住民の大多数は系統不明のフリ(フルリ)人であったと考えられている。現在のシリア北東部にあったといわれる首都ワシュカニが未発見のため、建国の経緯などは不明。前1440年頃から強国となりエジプト新王国、ヒッタイ...
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