ブレトワルダ

「ブレトワルダ(古英語Bretwalda,ほかに bretenanwealda, brytenwalda, brytenweald などの表記もある1bretwalda | Anglo-Saxon royal title | Britannica)」は七王国時代のブリテン島において諸王国に対し宗主権を持った強力な君主を指した称号のこと。覇者、覇王、上王とも訳される。

八人のブレトワルダ

「アングロ・サクソン年代記」の八人のブレトワルダに関する記述部分の画像

「アングロ・サクソン年代記」の八人のブレトワルダに関する記述部分の画像
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アルフレッド大王の命で九世紀後半に編纂が開始された「アングロ・サクソン年代記」の827年(829年)の条、マーシア王国を征服したウェセックス王エグバート(Egbert 在位:802–839)が八人目のブレトワルダとなったとして、過去の七人のブレトワルダはサセックス王アェラまたはエラ(Ælle 在位:488–514頃)、ウェセックス王ケアウリン(Ceawlin 在位:560–592)、ケント王エゼルベルト(Æthelberht 在位:590–616)、イースト・アングリア王レドワルド(Rædwald 在位:600頃–624頃)、ノーサンブリア王エドウィン(Edwin 在位:616–633)、ノーサンブリア王オズワルド(Oswald 在位:633–642)、ノーサンブリア王オズウィ(Oswiu 在位:642–670)であったとの記述がブレトワルダに関する初出である(2大沢一雄(2012)『アングロ・サクソン年代記』朝日出版社、76頁/古英語版。強調は引用者“Her mona aþistrode on middes wintres mæsseniht ⁊ þy ilcan geare geeode Ecgbryht cyning Miercna rice ⁊ al þæt be suþan Humbre wæs ⁊ he wæs se eahteþa cyning se þe Bretwalda wæs Ærest Ælle SuþSeaxna cyning se þus micel rice hæfde se æftera wæs Ceawlin Wesseaxna cyning se þridda wæs Æþelbryht Cantwara cyning se feorþa wæs Rædwald EastEngla cyning fifta was Eadwine Norþanhymbra cyning siexta wæs Oswald se æfter him ricsode seofoþa wæs Oswio Oswaldes broþur eahtoþa wæs Ecgbryht Wesseaxna cyning ⁊ se Ecgbryht lædde fierd to Dore wiþ Norþanhymbre ⁊ hie him þær eaþmedo budon ⁊ geþuærnesse ⁊ hie on þam tohwurfon.”(Wikisource contributors, ‘Anglo-Saxon Chronicle (A-Prime)The Parker Manuscript’ 26 April 2021, 12:01, https://en.wikisource.org/w/index.php?title=Anglo-Saxon_Chronicle_(A)&oldid=11232228))。

ブレトワルダという語は十世紀のアゼルスタン王(在位:ウェセックス王924-927年、イングランド王927-939年)の勅許状にも見える(3bretwalda | Anglo-Saxon royal title | Britannica)。また、八世紀ノーサンブリア王国の聖職者ベーダが記したラテン語史書「アングル人の教会史」には「アングロ・サクソン年代記」にあるエグバート王を除く七人の王が権威を持った君主(imperium)として挙げられており(4高橋博 訳(2008)『ベーダ英国民教会史』講談社、講談社学術文庫、81-82頁/ラテン語Bede,’Historia ecclesiastica gentis Anglorum’,2:5.)、「アングロ・サクソン年代記」の著者がベーダを参照して書き写し、エグバート王を加えてブレトワルダとしてまとめたものとみられている(5bretwalda | Anglo-Saxon royal title | Britannica)。

このような使用例から九世紀以前、名前が挙がる王たちの在位中にブレトワルダという語が実際に使用されたかは疑問視されており、ブレトワルダに限らず七王国時代、このような上級支配権を持った人物への称号が存在したかも定かではない。

また、「アングロ・サクソン年代記」はウェセックス王国で編纂され、ベーダはノーサンブリア王国の人であったという側面から、リストにはペンダ王(在位?-655年)やオファ王(在位757-796年)など七王国時代の諸王国に君臨したマーシア王国の君主たちが入っていない点で、必ずしも実態を表したものとは言えない。

七王国時代の上級支配権

トマス・チャールズ=エドワーズによると七、八世紀のブリテン島の上級支配権は「軽い支配」と「重い支配」の二つに分類出来るという。「軽い支配」で最も低い要求は軍事や政治上の協力要請で、貢租の要求、従属した地方支配者の権利の制限、領地の境界線の変更・入れ替え・没収、祭祀への介入、王の巡回の有無などの要因が複雑にかみ合うことで「重い支配」となっていく(6チャールズ=エドワーズ、トマス(2010)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(2) ポスト・ローマ』慶應義塾大学出版会、54-75頁)。単純に諸国に号令して連合軍を組織したりしただけでは覇権を握っていたかどうか判断できるものではない。

また経済関係を巡る特権の付与も覇権と大きく絡んでいた。トマス・チャールズ=エドワーズはマーシア王エセルバルド(在位716-737年)の例を挙げる。

『一例を挙げれば、七三四年のチャーターは、エセルバルドがロンドンに入港する船にかかる通行税の免除特権をロチェスター司教に与えたことを示している。ロチェスターは、エセルバルドに服属するのを嫌うケント王国にあり、その二つある司教区の一つであった。しかし、司教が自分の船をエセルバルドの支配下にあるロンドン港に入港させようとして通行税を支払わなければならない事態になった時、その義務を免除してやることによって王の恩恵を誇示することができたのである。』(7チャールズ=エドワーズ(2010)74頁

「ブレトワルダ」として挙げられている君主たちが実態としてどれだけ強い上級支配権を行使していたかは、リストに挙げられていない君主たちも含めて史料に基づいて精査されていく必要がある。

参考文献

脚注

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