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カヴァス

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カヴァス(ウェールズ語”Cafall”, 英語”Cavall”)はウェールズの諸伝承に登場するアーサー王が飼っている猟犬である。九世紀の歴史書「ブリトン人の歴史」でカヴァスの足跡が残る石に関する不思議なエピソードが語られ、「キルフーフとオルウェン」、「エルビンの息子ゲライントの物語」などウェールズ伝承で狩猟時に活躍する姿が描かれている。

カヴァスはラテン語では”Cabal”、中世ウェールズ語では”Cauall”の名で記録に残り、その名はラテン語で馬を意味する”Caballus”カバッルスに由来すると考えられている(1ヴァルテール、フィリップ(2018)『アーサー王神話大事典』原書房、112頁)。最初は馬として語られていたものが犬へと変わったのか、馬のように大きく立派な体躯の比喩かもしれない。実在していたとするならば、当時から狩猟犬として重用されたグレイハウンドやアイリッシュ・ウルフハウンドなどハウンド種の大型犬だったと思われる。

「英国グロスターシャーのリドニー・パークで発見された三世紀頃ローマ時代のケルトの治癒神ノドンスの聖獣とみられる犬像のスケッチ。グレイハウンドをモデルにした犬の姿をしていた。」(パブリックドメイン画像)

「英国グロスターシャーのリドニー・パークで発見された三世紀頃ローマ時代のケルトの治癒神ノドンスの聖獣とみられる犬像のスケッチ。グレイハウンドをモデルにした犬の姿をしていた。」(パブリックドメイン画像)

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「ブリトン人の歴史」のカバル

ネンニウスの著作と伝わる九世紀頃成立の歴史書「ブリトン人の歴史” Historia Brittonum”」は現存する限りアーサー(王)が登場する最古の文献である。同書の67章から76章にかけてのブリテン諸島・アイルランド各地の「地誌的驚異譚」(2伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)『ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』論創社117頁)をまとめた「ブリタニアの驚異について」の73章にアーサーの猟犬カバルにまつわるエピソードが紹介されている。

『もう一つの驚異がビルス・ウェルスと呼ばれる地方にある。そこには石が積まれていて、その石の堆積に置かれた一つの石には一匹の足跡が付いている。彼が猪狩りをした時、戦士アルトゥールスの犬(canis Arthuri militis)のカバル(Cabal)がその石に足跡を刻んだ。そしてアルトゥールスは後に彼の足跡が付いた石の下に石の堆積を集めて、それは’Carn Cabal’「カバルの石塚」と呼ばれた。そして、人々がやってきてその石を両手に一日一夜の間持って行くと、その石は彼の石塚の上に発見される。』(3伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)69頁

ビルス・ウェルス” Builth Wells”は英国ウェールズ地方ポウィス州にある、中世ではビエスト” Buellt”と呼ばれていた町の現在の名前で、少なくとも五世紀頃には周辺を支配する小王国の中心都市として栄えた。記事にある通り、石が堆積した「カバルの石塚」に、猟犬カバルが後の猪の王トゥルッフ・トゥルウィスの原型とみられる豚トロイント(4伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)では「豚トロイント」が訳出されておらず、「猪狩り」と意訳されている。豚トロイントとトゥルッフ・トゥルウィスについては「トゥルッフ・トゥルウィス」参照)を狩ったときについた足跡と言われる跡が残る石があり、誰かがその足跡のある石を別の場所に移動させても、翌日には元の堆積に戻るという伝承が伝わっている。

「マビノギオン」のカヴァス

「キルフーフとオルウェン」の猪狩り

「マビノギオン」の代表的なアーサー王物語「キルフーフとオルウェン” Culhwch ac Olwen”」(1100年頃成立)にアルスル(アーサー)の猟犬カヴァスとして登場し、猪狩りに活躍する。「キルフーフとオルウェン」は継母の呪いにより巨人の姫オルウェンを妻にせねばならなくなった青年キルフーフが親族であるアルスルへ助力を求め、オルウェンの父である巨人アスバザデン・ペンカウルから結婚の条件として出された様々な難題を解決するため、カイ(後のケイ卿)、ベドウィール(後のベディヴィア卿)らを始めとするアルスル戦士団の仲間とともに冒険の旅に出る物語である。

その難題の一つ、猪の頭アスギスルウィン・ペンバエズの討伐に際し、アーサー自らカヴァスを連れている。このとき、巨人アスバザデン・ペンカウルが必要と語っていた二匹の猟犬ではなく、カヴァスがアスギスルウィンを仕留める活躍を見せた。

『アーサーも自ら探索に加わり、自分の猟犬カヴァスの綱を握って行った。ピクト人の国のカウがアーサーの雌馬スラムライにまたがり、猪を追い詰める。カウは手斧を振り回し、すさまじい勢いで猪に襲いかかると、頭を真っ二つにかち割った。それからカウは牙を抜き取った。アスバザデンがキルフーフに要求した二匹の犬ではなく、カヴァスことアーサー自身の犬が猪を仕留めたのである。』(5森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房56頁

続く猪の王トゥルッフ・トゥルウィス討伐は、アルスル配下だけではなく近隣諸国の軍を集めての大戦となったが、アイルランドからウェールズへ侵攻してきたトゥルッフ・トゥルウィスを迎え撃つ戦いでカヴァスが登場する。アルスル配下最強の戦士であるベドウィールに連れられていることが記されているがカヴァスの活躍は特に言及されていない。このとき、カヴァスをベドウィールに預け、アルスル自身は猟犬エリ、トラフミル、ドリードウィンの三匹の猟犬を連れていた。

「キルフーフとオルウェン」にはカヴァス以外のアーサーの猟犬が多く登場している。カヴァスに次ぐ登場頻度なのが、アスバザデンがトゥルッフ・トゥルウィス討伐に必要という『白い猛犬』(6森野聡子(2019)42頁)の異名を持つエリの息子グライドの子犬ドリードウィンで、猪の頭アスギスルウィン・ペンバエズ、猪の王トゥルッフ・トゥルウィスの討伐に参戦している。作中の多くの任務は首輪や首紐などドリードウィンに関するアイテムの収集に費やされている。一方、大きな任務の一つだった雌犬フラミーの二匹の子犬グウィズリードとグウィゼン・アストリスは捕らえた後登場していない。

アスギスルウィン・ペンバエズ討伐にはドリードウィンとともにブルトン人グラスミルの二匹の犬が参加、トゥルッフ・トゥルウィス討伐では前述の通りアーサーがエリ、トラフミル、ドリードウィンの三匹を連れていた。また、『疾風のように走り、放たれた獲物を仕留めなかったためしはない』(7森野聡子(2019)44頁)と評されるアネッドとアエスレムはトゥルッフ・トゥルウィス討伐戦に参加しているが、戦いの最後、アルスルらに追われて海に入ったトゥルッフ・トゥルウィスを追って姿が見えなくなったという。

「エルビンの息子ゲライントの物語」の鹿狩り

同じく「マビノギオン」に収録されている「エルビンの息子ゲライントの物語” Geraint uab Erbin”」(十二~十三世紀頃の成立)はクレティアン・ド・トロワの「エレックとエニード」(1170年頃)に対応するウェールズ語の物語で、作中の鹿狩りのシーンでカヴァスが登場し、優秀な猟犬であることを見せつけている。

『一行は持ち場を決め、それぞれに男と馬を割り当て、犬を放った。最後に放たれた犬はアーサーの愛犬で、カヴァスという名である。カヴァスはほかの犬をみな追い抜き、鹿に向きを変えさせた。二番目に向きを変えたところで、鹿はアーサーが待つ場へ追い込まれた。アーサーは狙いを定めると、ほかの者が手にかけるより早く鹿の首を切り落とした。そこで角笛が吹かれ、獲物を仕留めたことが知らされた。』(8森野聡子(2019)262頁

同作はマビノギオンの他のアーサー王ロマンスと同様フランスの作家クレティアン・ド・トロワによる作品群との類似が指摘されており、「エレックとエニード」(1170年頃)が対応する。「エレックとエニード」にはカヴァスは登場しないがやはり同様の文脈でアーサー王の鹿狩りの成功が描かれている。この鹿狩りについて、小沼はクレティアン・ド・トロワの意図として、『狩猟は王侯貴族の遊興に留まらず、イングランド国王の権威を象徴する特権として法的に厳しく規定されていた』(9小沼義雄(2013)「「宮廷の喜び」再読──クレチアン・ド・トロワ『エレックとエニード』における王権と恋愛──」(『日本フランス語フランス文学会関東支部論集』2013年、31-45頁)33頁)として親交深かったイングランド王ヘンリ2世の王権を正当化する象徴として描かれている点を指摘する。

『同時代の類例を挙げれば際限がないが、少なくともクレチアンは狩人の肖像に理想的君主像を認めており、おそらく文芸庇護者であった王侯貴族の政治・文化的理念を反映している。

(中略)

問題にすべきはヘンリー二世の宮廷で共有されていた王権神話であり、『エレック』における王権表象としての狩猟は『エネアス物語』や『ブリュ物語』を前提に創作されたように思える。』(10小沼義雄(2013)42-43頁

森野によれば、マビノギオンの三つのロマンスとクレティアン・ド・トロワの三作品の関係について現存しない共通の起源となる物語があるとする主流の説に依拠しつつ、『ノルマン征服後の異文化接触の中で、多言語を操る語り部や詩人の手によって「三つのロマンス」とクレティアン作品の原型が生まれたことは間違いない。そうした背景のなか、ウェールズ語版は、ウェールズの文化や歴史観に合わせて、ロマンスという新ジャンルをアダプテーションしているのである。』(11森野聡子(2019)477頁)とする。

以上のような諸説を踏まえると、物語が形作られていく過程で、大陸的な王権の表象としての鹿狩りエピソードの中にウェールズ的な伝統的な狩猟文化の表象として盛り込まれたのが猟犬の活躍であったといえる。ここではカヴァスが古いウェールズ=ケルト的英雄としてのアルスル物語とフランスで花開いた騎士道文化としてのアーサー王物語とを架橋する役割を与えられている。

参考文献

脚注

  • 1
    ヴァルテール、フィリップ(2018)『アーサー王神話大事典』原書房、112頁
  • 2
    伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)『ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』論創社117頁
  • 3
    伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)69頁
  • 4
    伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)では「豚トロイント」が訳出されておらず、「猪狩り」と意訳されている。豚トロイントとトゥルッフ・トゥルウィスについては「トゥルッフ・トゥルウィス」参照
  • 5
    森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房56頁
  • 6
    森野聡子(2019)42頁
  • 7
    森野聡子(2019)44頁
  • 8
    森野聡子(2019)262頁
  • 9
    小沼義雄(2013)「「宮廷の喜び」再読──クレチアン・ド・トロワ『エレックとエニード』における王権と恋愛──」(『日本フランス語フランス文学会関東支部論集』2013年、31-45頁)33頁
  • 10
    小沼義雄(2013)42-43頁
  • 11
    森野聡子(2019)477頁
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