カッシウェッラウヌス

カッシウェッラウヌス(Cassivellaunus)は「ガリア戦記」に登場する、カエサルの第二次ブリテン島侵攻(紀元前54年)でブリトン人諸部族を糾合して抵抗戦争を指揮したブリトン人指導者。「ガリア戦記」には彼の部族名は明記されていないが、テムズ川以北を領土としていたとあり(1「ガリア戦記」5-11.講談社(1994)163頁)、これが後のクラウディウス帝のブリテン島征服時に名が挙がるカトゥウェッラウニ族の版図に相当することから、カトゥウェッラウニ族の王であった可能性がある(2ポター、ティモシー・ウィリアム「第一章 ブリテン島の変容――カエサルの遠征からボウディッカの反乱まで」(サルウェイ、ピーター(2011)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(1) ローマ帝国時代のブリテン島』慶應義塾大学出版会、19頁))。

「ガリア戦記」のカッシウェッラウヌス

ユリウス・カエサル胸像(ヴァチカン美術館収蔵)

ユリウス・カエサル胸像(ヴァチカン美術館収蔵、パブリックドメイン画像”Public domain, via Wikimedia Commons”)

カエサルは前58年から始めたガリア戦争の過程で敵対するガリア人側にブリトン人が多く含まれていることに気付き、ブリテン島への侵攻を企図するようになったという(34-20.講談社(1994)138頁)。前55年、カエサルは二個軍団を率いてブリテン島へ上陸したがブリトン人諸部族の抵抗と嵐で撤退を余儀なくされた。翌前54年、カエサルは改めて準備を整え五個軍団と騎兵二千騎(45-8.講談社(1994)160頁)を率いてブリテン島へ再侵攻した。

ローマ軍の侵攻を受けたブリトン人諸部族が共同して指導者に選んだのがカッシウェッラウヌスである。カッシウェッラウヌスはテムズ川以北を領土とし、以前は周辺の諸族と戦いを繰り返して勢力を拡大、現在のエセックス州一帯を領土としていたトリノウァンテス族の王を殺害、その子マンドゥブラキウスはガリアへ逃れてカエサルの庇護を求めていた。

カッシウェッラウヌス率いるブリトン軍は地の利を生かして森の中に潜んで奇襲攻撃を行ったり(55-15.講談社(1994)165頁)、重装備のローマ軍に対して機動力を生かして小隊規模に散開して波状攻撃を行ったり(65-16.講談社(1994)166頁)とローマ軍を苦しめ、カエサルの副官ラベリウスが戦死(75-15.講談社(1994)165頁)するなど多くの損害を与えた。

糧秣挑発中のローマ軍に対しブリトン軍が奇襲攻撃を行った際、ローマ軍は激しく反撃してブリトン軍を敗走させた(85-17.講談社(1994)166-167頁)。続いてカエサルはカッシウェッラウヌスの領土へ向けてテムズ川渡河作戦を敢行し対岸の敵陣を撃破した(95-18.講談社(1994)167頁)。この敗戦を受けてカッシウェッラウヌスは部族同盟軍を解散した上で戦車操縦士四千名を選出して森林に潜み、略奪しながら行軍するローマ軍に対しゲリラ戦を展開してローマ軍を苦しめた(105-19.講談社(1994)167-168頁)。

カッシウェッラウヌスのゲリラ戦術に対しカエサルは部隊を遠くまで引き離さず主力の行軍範囲内で周辺を荒らしながら進み敵をいためつけた(115-19.講談社(1994)168頁)。さらにカエサルに助けを求めていたトリノウァンテス族の王子マンドゥブラキウスをトリノウァンテス族の王に据えて臣従させ人質と糧食供出と引き換えに防衛を支援した(125-20.講談社(1994)168頁)。トリノウァンテス族が支援されているのを見た周辺の五つの部族が相次いでカエサルに従うようになった。彼らからの情報でカッシウェッラウヌスの要塞(13カトゥウェッラウニ族の重要な要塞集落であったと考えられているハートフォードシャー州ウィートハムステッド近郊の紀元前1世紀頃の土塁遺跡デヴィルズ・ダイク(Devil’s Dyke)がこの時の要塞であるとする説を1932年に考古学者モーティマー・ウィラー卿が唱えたが真偽は不明である。)の存在を知ったローマ軍はこれを攻略した(145-21.講談社(1994)168-169頁)。

カッシウェッラウヌスの命を受けた現在のケント州一帯にあたるブリテン島南東部カンティウム地方の四つの部族がローマ船団拠点への奇襲攻撃を敢行するが、指揮官ルゴトリクスが捕虜になるなど多数の損害を出してローマ軍に撃退された。この敗北を受けカッシウェッラウヌスはカエサル配下アトレバテス族の王コンミウスを通じてカエサルへ降伏を申し出、人質の提供や年貢の貢納、トリノウァンテス族への不可侵などが約束されて戦争は終結した(155-22.講談社(1994)169-170頁)。

伝承上のカッシウェッラウヌス

カッシウェッラウヌスをモデルとしたキャラクターは後世の伝承や文学作品にも多く登場する。

ジェフリー・オブ・モンマスの「ブリタニア列王史」では伝説のブリテン王の一人カッシベラヌス(Cassibelanus)またはカッシベラウヌス(Cassibelaunus)の名で登場して二度に渡ってカエサルの侵攻を退け、三度目の戦いでカエサル軍と対峙する際に甥のトリノヴァンタム公アンドロゲウス(Androgeus)の裏切りによって背後から攻撃を受け敗北、降伏したとされる(16「ブリタニア列王史」4巻1-11章)。

ウェールズの伝承集「マビノギオン」に収録されている「マビノギの四つの枝」の第二の枝と第三の枝、および「スリーズとスレヴェリスの冒険」にモデルとなったキャラクターが伝説のブリテン王ベリの子カスワッスロンの名で登場する。「マビノギの四つの枝」ではアイルランドへ遠征したブリテン王ベンディゲイドヴラーンの不在時に謀反を起こして魔法のマントを使って姿を消し留守を預かる七人の執政のうち六人を殺害して王位を簒奪した(第二の枝)。その後ブリテン王としてフリードアッヘン(オックスフォード)でウェールズ地方ダヴェッド七州を支配するプレデリの挨拶を受けている(第三の枝)。「スリーズとスレヴェリスの冒険」では同じくベリ王の子で主人公スリーズとスレヴェリスの兄弟の一人として名前が挙がっている(17森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房)。

参考文献

脚注

  • 1
    「ガリア戦記」5-11.講談社(1994)163頁
  • 2
    ポター、ティモシー・ウィリアム「第一章 ブリテン島の変容――カエサルの遠征からボウディッカの反乱まで」(サルウェイ、ピーター(2011)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(1) ローマ帝国時代のブリテン島』慶應義塾大学出版会、19頁)
  • 3
    4-20.講談社(1994)138頁
  • 4
    5-8.講談社(1994)160頁
  • 5
    5-15.講談社(1994)165頁
  • 6
    5-16.講談社(1994)166頁
  • 7
    5-15.講談社(1994)165頁
  • 8
    5-17.講談社(1994)166-167頁
  • 9
    5-18.講談社(1994)167頁
  • 10
    5-19.講談社(1994)167-168頁
  • 11
    5-19.講談社(1994)168頁
  • 12
    5-20.講談社(1994)168頁
  • 13
    カトゥウェッラウニ族の重要な要塞集落であったと考えられているハートフォードシャー州ウィートハムステッド近郊の紀元前1世紀頃の土塁遺跡デヴィルズ・ダイク(Devil’s Dyke)がこの時の要塞であるとする説を1932年に考古学者モーティマー・ウィラー卿が唱えたが真偽は不明である。
  • 14
    5-21.講談社(1994)168-169頁
  • 15
    5-22.講談社(1994)169-170頁
  • 16
    「ブリタニア列王史」4巻1-11章
  • 17
    森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房
Kousyou

「Call of History - 歴史の呼び声 -」主宰者。世界史全般、主に中世英仏関係史や近世の欧州・日本の社会史に興味があります。

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