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ジャン・ドーロン

ジャン・ドーロン(Jean d’Aulon,1390年生-1458年8月から9月頃没)は、百年戦争後期フランスの軍人。副官としてジャンヌ・ダルクを支え、オルレアン包囲戦からコンピエーニュの戦いまで最も長く側にいた代表的な戦友である。1415年にミシュレット・デジュルサン(Michelette des Ursins)と結婚、1428年にエレーヌ・ド・ムーリオン(Hélène de Mauléon)と...
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カッシウェッラウヌス

カッシウェッラウヌス(Cassivellaunus、カッシウェラウヌス)は「ガリア戦記」に登場する、カエサルの第二次ブリテン島侵攻(紀元前54年)でブリトン人諸部族を糾合して抵抗戦争を指揮したブリトン人指導者。「ガリア戦記」には彼の部族名は明記されていないが、テムズ川以北を領土としていたとあり()、これが後のクラウディウス帝のブリテン島征服時に名が挙がるカトゥウェッラウニ族の版図に相当することから...
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ノーサンブリアのエセルフリス(バーニシアとデイラの王)

エセルフリス(Æthelfrith)は六世紀後半、イングランド北東部にあったバーニシア王国の王(在位:593年頃-616/617年)。エアドフェレド(Eadfered)とも。ブリトン人からは「フレサウルス("Flesaurs"ブリトン語で狡猾な、詐欺師などの意味)」の異名で呼ばれる()。非キリスト教の神を信仰していたという。周辺諸国との戦いで勢力を拡大し、604年、デイラ王国を征服、のちにノーサン...
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エゼルベルフト1世(ケント王)

エゼルベルフト(Æthelberht)はアングロ・サクソン諸王国の一つケント王国の王(在位:580年頃-616年)。エゼルベルト、エセルベルトとも。八世紀の同名のケント王と区別してエゼルベルフト1世と呼ばれる。フランク王国の王族ベルタとの結婚を通じて大陸との密接な関係を築いた。596年、ローマからの宣教団を受け入れてアングロ・サクソン諸王国としては最初にキリスト教に改宗、カンタベリーに司教座を置い...
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フィリップ・ド・コニャック

フィリップ・ド・コニャック(フランス語”Philippe de Cognac”)はイングランド王リチャード1世の庶子。後にフィリップ・ザ・バスタード(Philip the Bastard)の名でウィリアム・シェイクスピアの史劇「ジョン王」の主要登場人物として描かれた。1180年頃生-1201年以降没。 フィリップ・ド・コニャックの生涯 フィリップ・ド・コニャックについてわかっていることは非常に少な...
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アンリ1世(フランス王)

アンリ1世(Henri 1er、1008年頃生-1060年8月4日没)はカペー朝三代目のフランク(フランス)王(在位1031年7月20日-1060年8月4日)。ロベール2世の次男で兄ユーグの死後、父の存命中にランスで共治王として戴冠した。しかし、母コンスタンスが弟ロベールを王位に推したためロベール2世死後内乱となる。内乱を平定した後、ノルマンディー公、ブロワ伯、アンジュー伯、フランドル伯などの強力...
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カルティマンドゥア(ブリガンテス女王)

カルティマンドゥア(Cartimandua)は一世紀半ば、ローマ帝国支配下のブリテン島でイングランド北部を領土としたブリガンテス族の女王(在位:43年頃-69年頃)。有力な被護王国の一つとしてローマ帝国の属州支配に忠実で、親ローマ派の代表的存在となった。ローマ軍に抵抗して敗れたカトゥウェッラウニ族の王カラタクスが助けを求めて逃げ延びてくると、彼を捕らえてローマ軍に引き渡した。69年頃、前夫ウェヌテ...
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アゼルスタン(ウェセックス王、イングランド王)

アゼルスタン(古英語:Æthelstan,英語:Athelstan,エセルスタン、エゼルスタンとも表記される/ 894年頃生-939年10月27日没)はウェセックス王エドワード古王の子、アルフレッド大王の孫。924年、父王死後ウェセックス王およびアングロ・サクソン王に即位し、927年、ノーサンブリア地方を征服、全イングランドを統一してイングランド王を称した(イングランド王国の成立)。937年、ブル...
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ペンダ(マーシア王)

ペンダ(Penda)は七世紀、ブリテン島中部ミッドランズ地方を支配したマーシア王国の王。即位時期については議論がある。655年11月15日没。633年、グウィネズ王カドワソンと同盟を結びハットフィールド・チェイスの戦いでノーサンブリアのエドウィン王を戦死させた。636年頃から640年頃の間にイースト・アングリア王エグリックと前王シグベルフトを殺害して後顧の憂いを絶ち、642年、マーサフェルスの戦い...
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マンドゥブラキウス

マンドゥブラキウス(Mandubracius)は紀元前一世紀半ば頃のブリテン島の部族トリノウァンテス族の王。カッシウェッラウヌスに圧迫され、ユリウス・カエサルの第二次ブリテン島侵攻(前54年)の際はカエサルに庇護を求めた。 生涯 ユリウス・カエサルの「ガリア戦記” De Bello Gallico”」によれば、カッシウェッラウヌスによって父王()が殺されたため、カエサルの下に逃れていた。紀元前54...
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アッカド王の一覧

アッカド王の一覧 代数 王名 在位期間 備考 1 サルゴン(Sargon) アッカド語: 𒈗𒁺 /Šarru-ukīn 前2334-2279 アッカド王朝創始者。メソポタミアを征服。初めて「全土の王」を称した。 2 リムシュ(Rimush) アッカド語: 𒌷𒈬𒍑 /Ri-mu-uš 前2278-70 3 マニシュトゥシュ(Manishtushu) アッカド語: 𒈠𒀭𒅖𒌅𒋢 /Ma-an-ish-t...
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カドワソン・アプ・カドヴァン(グウィネズ王)

カドワソン・アプ・カドヴァン(Cadwallon ap Cadfan,またはカドワロン・アプ・カドファン)は七世紀前半、ウェールズ地方北部のグウィネズ王国を治めた王(在位625年頃-634年)。ノーサンブリアのエドウィン王に敗れて一時アイルランドに亡命したが後に復権し、633年、マーシア王国と同盟してハットフィールド・チェイスの戦いでエドウィン王を討ち、その後継者らも次々と倒してノーサンブリア地方...
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ハロルド2世(イングランド王)

ハロルド2世(Harold II)またはハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson)は最後のアングロ・サクソン系イングランド王(在位1066年1月6日-10月14日)。1020年頃生-1066年10月14日没。クヌート大王時代からエドワード証聖王の時代にかけて権力を振るったウェセックス伯ゴドウィンの次男。武勇に優れ、父伯亡きあとゴドウィン家当主として義兄エドワード証聖王政権を支えた...
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アウルス・プラウティウス

アウルス・プラウティウス(Aulus Plautius)は一世紀半ば頃のローマ帝国の軍人・政治家。29年、執政官就任、その後、属州パンノニア総督を経て、西暦43年、クラウディウス帝の命でブリテン島侵攻軍の総司令官となる。ブリテン島南部を征服後、新設された属州ブリタニアの初代総督を務めた。47年、退任後ローマへ帰還、小凱旋式の栄誉を受けた。生没年不詳。 生涯と事績 初期のキャリア 出生は不明だが、初...
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カドワラ(ウェセックス王)

カドワラ(Cædwalla)は七世紀後半のウェセックス王国を治めた君主。659年頃生。在位685/686-688年。若い頃、国を追われて放浪した後、685年または686年、前王ケントウィネの退位に伴い帰国して即位。無類の戦上手で二年余りの短い治世の間にサセックス王国、ワイト島、ケント王国を相次いで征服しウェセックス王国の版図を過去最大に広げた。688年、突然退位してローマへの巡礼に旅立ち、ローマ教...
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チェアディッチ(ウェセックス王)

チェアディッチ(Cerdic)は六世紀頃にブリテン島で活動していた人物。同時代史料がなく九世紀末以降の文献にしか登場しないため実在していたか否かはっきりしないが、のちにイングランド王国へ発展するウェセックス王国の建国者とされる。歴代のウェセックス王・イングランド王は彼の末裔であると主張した。 「アングロ・サクソン年代記」の記述 九世紀後半にウェセックス王アルフレッドの命で編纂が開始された「アングロ...
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ラヌルフ・ド・グランヴィル

ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190)はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で、宰相にあたる行政長官(Chief Justiciar)を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成立初期の裁判手引書「イングランド王国の法と慣習(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)」の著者と見...
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ゴドウィン(ウェセックス伯)

ウェセックス伯ゴドウィン(” Godwin, Earl of Wessex”、生年不明-1053年4月15日没)はクヌート大王によってウェセックス伯(在位:1020-53)に抜擢され、クヌート、ハロルド1世、ハーザクヌート、エドワード証聖王の四代のイングランド王の下で権勢を誇った新興の有力貴族。エドワード証聖王の妃エディス、イングランド王ハロルド2世の父。 ゴドウィン家の起源 ゴドウィンが史料に初...
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トマス・モンタギュ(第四代ソールズベリー伯)

第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ(” Thomas Montagu, 4th Earl of Salisbury ” )は百年戦争後期イングランドの貴族・軍人。1388年6月13日生-1428年11月3日没。「イギリス軍の武将きっての戦さ巧者、熟練者、それに幸運児」()として著名だった。アジャンクールの戦いを始めとする1415年から始まるイングランドによる北フランス征服の立役者となったが、...
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ルイ・ド・クート

ルイ・ド・クート(Louis de Coutes,1414年生-1483頃没)はジャンヌ・ダルクの身の回りの世話をした従卒。父はヌーヴィオン(Nouvion)とリューゲル(Rugles)の領主ジャン・ド・クート、母はカトリーヌ・ル・メルシエ。1429年3月から9月のパリ包囲戦のときまでジャンヌ・ダルクに仕え、後に復権裁判でジャンヌ・ダルクに関する多くの証言を残した。 ルイ・ド・クートの義兄弟にオル...
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グナエウス・ユリウス・アグリコラ

グナエウス・ユリウス・アグリコラ(Gnaeus Julius Agricola,40年6月13日生-93年8月23日没)はローマ帝国の軍人・政治家。ローマ属州ブリタンニア総督としてウェールズ、イングランド北部、スコットランド南部を征服しブリテン島におけるローマ帝国の支配領域を最大化した。義理の息子で歴史家のタキトゥスが著した彼の伝記「アグリコラ」によってその事績が広く知られている。 出生 グナエウ...
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ユーグ・カペー(フランス王)

ユーグ・カペー(仏"Hugues Capet")はカペー朝初代のフランク(フランス)王(在位987年7月3日~996年10月22から25日の間)。西フランク王国の有力諸侯ロベール家の当主ユーグ・ル・グランの長男として生まれた。生年には、家督相続した956年に17歳であったとする説と15歳であったとする説の二説()があり、939年ないし941年頃と考えられている。 ロベール家の台頭 ロベール家は、も...
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アルフレッド大王(ウェセックス王)

「アルフレッド大王( ” Alfred The Great ” 古英語 “Ælfrēd ”)」はウェセックス王エゼルウルフと王妃オズブルフの第四男として849年に生まれた。いずれも短い在位期間となった三人の兄に続いて871年4月23日、ウェセックス王に即位。デーン人の侵攻を撃退して、彼らをカトリックに改宗させ、その勢力範囲をイングランド東北部「デーンロー」に留めた。軍制改革、行政機構の整備、「アル...
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